五章#22 綾辻澪への質問
「こんにちは、入江さん」
「……こんにちは、澪先輩。お待たせしてすみませんでした」
「ううん、大丈夫だよ。クラスには融通利かせてもらったし、久々にゆっくりできたから。それで、入江さんはミスコンの取材にきたんだよね?」
「は、はい。取材と、それから撮影を」
「そっか。よろしくね」
屋上に行くと、メッセージにあったように、澪が待っていた。
秋風と呼んで相違ない風が澪の髪を、ゆら、ゆらと靡かせる。広い空は焼蜜柑色に染まっていて、いつもなら遠く見えるはずなのに、今なら何だか手が届きそうだ、と思えた。
だからだろうか、どこか怖くもなる。
今日の終わりが迫ってきているようで、切ない。
流石に今日は陸上部が練習しているわけではないらしく、校庭を見下ろしても誰もいない。あと少しすれば後夜祭の準備や舞台発表する団体の練習場所に使われるはずだから、さしづめ今はぽかんと生まれた空白期間だろう。
いつもは活気に満ちている校庭が暇そうにしているのが可笑しくて、俺はくすりと笑う。
その朗らかな気持ちのまま俺は、
「二人ともちょっと待ってぇぇ! しれっと俺の存在を無視して進めるのやめてくれない?! つーか、せめて大河は止めろよこんにゃろう!」
「あ、すみませんでした……別にそういうつもりはなかったんですが」
「そうそう。別にそんなつもりなかったよ」
「大河はそうでも、綾辻にはそういうつもりしかなかったの丸分かりだからな? こっちを一瞬だけ見てから、あえて一回も見ないようにしてるの分かってんだぞ!?」
「チッ……うっさいなぁ」
澪はあからさまに顔をしかめ、俺を睨んできた。
大河はそんな澪のことを意外そうに見ている。
「本当に嫌いなの? でも……」
と、何やら大河は呟いているが、反応はしないでおく。完全に独り言って感じだしな。
はぁ、と溜息をついた澪は、やはり俺から目を逸らして口を開く。
「そんなことより、入江さん。インタビューお願いできるかな。あんまり遅くなると写真も暗くなっちゃうし」
「え、あ、はい……分かりました」
曇った表情のまま大河が頷く。
こほんと咳払いをして話を区切り、大河は質問を始めた。
「最初の質問です。どうして今年のミスコンにエントリーしたんですか? 出場することになった経緯や理由を教えてください」
「一言で言えば、みんなが期待してくれたからです。私はミスコンとか、こういうことにあまり興味がなかったんですが……ありがたいことに今年はクラスの出し物でもミュージカルで主演をやらせてもらって。その流れで、ミスコンに出てみたら、と言ってもらったので出場しました」
一切の逡巡を見せず、澪は清楚で天使な少女の仮面を被って言った。
表情の作り方から変えて、声のトーンすら常とは違う。大河は一瞬、渋い顔を見せた。肩がふるふると震えているのを見て、おい、と大河に声をかける。
「……失礼しました。次の質問です。自己PRをお願いします。長所や短所、その他特技などアピールしたいことがあれば教えてください」
「っ」
唇を噛むと、澪はすぅと小さく息を吸った。
僅かにズレていた仮面を戻すように瞑目し、その後に答えを口にする。
「得意なことは運動と歌、でしょうか。小さい頃から運動が好きだったので、今も毎朝ランニングしているんです。歌の方は、ミュージカルの練習をしている中でクラスのみんなに褒めてもらえて。下手の横好きレベルですが、ちょっとだけ自信があります」
そこで一息ついて、
「短所は……そうですね。勘違いが激しいところ、でしょうか。勘違いして恥ずかしい失敗をしてしまったり、ということがたまにあるんです」
「勘違い、ですか」
大河は、どこか考え込むような表情で俯く。
しかし今度はこちらが声をかける前に次の質問に移った。
「では次は――」
クラスのことや勉強のこと、文化祭のことなど。
幾つかの質問に対して、澪は模範解答を模範的な態度で返し続ける。けれどもその語り口は答えを用意していたようには思えず、ただただ澪が天使や女神に近しいように錯覚していく。
時雨さんや入江先輩とは対極にいるな、と思う。
もっとも、対極にいるということは同一直線状にいるのも事実なのだけれど。
やがて、大河は最後の質問に辿り着く。
時刻は6時。トワイライトタイムを告げるように、大河は口を開いた。
「最後の質問です」
「うん」
「一昨年と昨年のミスコンでは、霧崎会長が二年連続で1位をとり、入江恵海先輩がそれに続く2位をとっています。この二人やその他の参加者と競うことへの意気込みなどを教えてください」
時雨さんと入江先輩以外の全員にしている質問だ。
二人に勝ってみせます、と答えたのは明らかに冗談交じりだった一名のみ。後は『全力を尽くします』『入賞できるように頑張りたいです』などの消極的な回答や、そもそも二人に触れずに答えたりしていた。
果たして澪は、
「私も霧崎先輩と入江先輩のことは知ってます。去年ミスコンを観客として見ていて、敵わないな、と思っていました。ですが今年は私を期待して、応援してくれる人がいます。なので……期待に応えられるように頑張ります。それがどんな形になるのかは約束できないですけどね」
と、はにかみながら答えた。
消極的とも、前のめりともつかない回答。取り方によっては宣戦布告とも取れなくない答えは、ミスコンを盛り上がりを加速させることだろう。
きっと澪はそこまで考えているんだろう。
何を求められるかを汲み取って、正答を回答用紙に記入する。
聡い澪は、そうしているつもりなんだと思う。
きゅっ、と胸が痛んだ。
いっそ、と早まりそうになった気持ちを振り払うようにかぶりを振る。
「っ。ありがとうございました。これで質問は終わりです。最後に写真を撮りたいと思いますが、場所はここで大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ。……撮るのは、百瀬?」
「残念ながら俺だな。だからってしかめっ面になんなよ? 加工も編集もするつもりはないからな」
「分かってる。それくらい、使い分けられるし」
「さいですか」
使い分けられるならさ、と思う。
どうしてそんなに苦しそうなんだよ。どうして胸を張らないんだよ。
――なんて、今の俺では届けられないから。
今は澪が一人で頑張る時間だ。大河が夏休み、俺に時間を与えてくれたように。
その分精一杯、伝えるよ。
脚本で、歌詞で、そして――写真で。
昼間と夕暮れと夜の合間の、曖昧な時間。
ビー玉みたいに色んなものを映し出すその刻を、シャッターで切り取った。
◇
SIDE:澪
「百瀬先輩、先に戻っていてもらってもいいですか? 私、澪先輩と話したいことがあるので」
「え? ……了解。なら大河、帰りがけに綾辻から鍵預かってこいよ。下校時刻も近いしな」
「分かりました。あまりお待たせしないようにしますので」
「うい」
ミスコン用の取材が終わると、彼と入江さんは勝手に話を進めていった。
私には話したいことなんてない。ただでさえ無性にお腹の奥がずんずんと沈んで息苦しいのに。
それに、何かを察したみたいに咄嗟に私が逃げにくい理由を作る彼も気に入らない。そうやって周囲の人の機微を汲み取るところも嫌いだ。
私のことは、見てくれないくせに。
そう、自分から目を逸らしておいて思う。“関係”で関われない以上どう振舞えばいいのかも分からなくて、彼に対しては過剰に突き返してしまっている。八つ当たりだと自覚してもなお、彼と向き合うのが怖いのだ。
なんて、そんなことを考えている間に私と入江さんは二人っきりになった。
彼女とも真正面から向き合うのは躊躇われるから、私は校庭を見下ろした。
陸上部はもう練習をしていない。空っぽな校庭。あそこで走ったらどんなに気持ちいいだろうか。
校庭を独り占めして、走って、走って――。
ふと、中学校の頃を思い出しそうになってやめた。
考えたところで気分が悪くなるだけだ。
「それで……入江さん、話ってなにかな」
「お聞きしたいことがあるんです」
「入江さんは私に質問してばっかりだね。会うたびに何かを聞かれている気がするよ」
「だって、そうしないと澪先輩のことを知れないじゃないですか」
「聞いたところで、本当に知れるのかな」
「そうでありたいと思っています。だから、今度こそ質問に答えてください」
はぁ、と溜息をついた。
この子とは話したくないけれど、こうなってしまえば無理に帰るわけにもいかない。
肩を竦め、入江さんに続きを促す。
「今日、お聞きしたいのは一つだけです」
夕方と夜の境界線を踏み越えるように。
入江さんは、言った。
「百瀬先輩が間違えるきっかけを作ったのは、澪先輩ですよね」