五章#18 更衣室とキス
週明け。
結局この土日を歌詞作りに費やしてしまったせいで寝不足になりつつ、俺は教室の喧騒の中にいた。
「くふぁぁぁ……」
「友斗って最近欠伸ばっかだよな」
「悪ぃ。ちょっと、マジで寝る時間がとれなくて」
寝てない自慢をするつもりはないが、今日に関しては二時間寝れていない。ギリギリまで色んな曲を聞き、伊藤からアドバイスを受け、歌詞を書いていた。
「まー、しょーがないよねぇ。百瀬くんは徹夜とか慣れてなさそうだし」
「伊藤は伊藤で慣れすぎじゃないですかねぇぇ?! 俺が書き終えた後、速攻で作曲に入ってたよなぁ?」
俺より眠くて当然で授業中に寝ていてもおかしくないはずの伊藤は、何故か一日中ちっとも眠くなさそうだったりする。
俺だって流石に今日は日本史の授業が苦行にしか思えなかったのに……まぁそもそも知ってる内容ばっかりで刺激がなかったからってのも理由の一つだろうけども。
「んー、まぁウチは慣れてるし。それより曲、さっきできたよ」
「は? さっきって……授業中か」
「そーそー。はい、譜面」
けろっとした表情で伊藤が譜面を渡してくる。
ずらりと並んだ音符たち。中学校の音楽の教科書を思い出し、俺は苦笑した。伊藤はドラ〇〇〇風便利な存在だと思っておかないと神経が麻痺しそうである。
「って渡されても俺は読めないんだけど」
「えー……譜面読めない男子とかどーなの?」
「譜面読めることを男子の選考基準みたいにされてもな。な、八雲?」
「ん? 俺は読めるけど」
「なん、だと……」
馬鹿でお馴染みの八雲が譜面を読めるだと……?
あまりの衝撃に膝から崩れ落ちそうになる。
「ひどくねっ!? いやほら。俺は白雪に色々と教わるから、自然とさ」
「如月も読めるのか……なんか俺、ショックが凄いんだけど」
「まぁ友斗って音痴だしな」
「…………俺、今日は帰ろうかなぁ」
音痴なのは事実ですけども。
事実が小説より奇であるように(無関係)、事実を突きつけられて傷つくことだって多分にあるわけで。
俺が教室を出ようとすると、ぐいぐい、と八雲が制服の裾を引っ張ってくる。
「ちょっと待てって! 今日は衣装の採寸するって約束じゃん! マジで今日友斗と綾辻さんの採寸を終わらせないときついんだって!」
「ぐぅ……チッ。あー、ったく。分かってるよ。冗談だって」
「冗談にしては目がマジだったんだよなぁ」
ま、半分くらいマジで帰ろうと思ってたからね。但し帰る先は家ではなく会議室というオチ。明後日からミスコン関連でやらなきゃいけないことがあるため、そっちの準備で地味に忙しいのである。
が、八雲の言う通り衣装の採寸をしなきゃいけないのは事実。
俺は肩を竦め、それで? と話を進めることにした。
「採寸ってどうすればいいんだ? 教室は……練習するんだろ?」
「あー、それなら更衣室でちゃちゃっと測ることになってる。今の時期って運動部もあんまり更衣室使わないしな」
「なるほど」
素直に納得する俺。
他のクラスメイトたちも、既に澪の採寸の準備をしているようだ。
「んじゃ、行きますか」
「おー!」
王子様の衣装なんて柄じゃねぇけど、折角だしちゃんと作ってもらいますかねぇ。
裁縫が得意だという八雲のスキルに期待しつつ、俺は更衣室に向かった。
◇
「で、八雲」
「ん、どった?」
「どうして八雲一人なんだ? 綾辻の方には女子五、六人くらいついていってた気がするんだけど」
更衣室にて。
俺は八雲と二人っきりで採寸作業を始めようとしていた。
放課後、夏の終わり、男二人。そこはかとなくアレな空気が漂っている。
別にそういう恋愛を否定するつもりはない。だが俺にはそういう趣味がないし、八雲だって如月が好きなわけで。
今はただただ、このシチュエーションを誰かに見られて誤解されるんじゃないかと不安で不安でしょうがない。そっち方面に有名になったところで嬉しくはねぇぞ。
「しょーがねぇじゃん。衣装係の男子って俺だけだし。今大道具作るために男子が頑張ってるから引っ張ってくるのも気が引けてさ」
「いや、それは、まぁそうだが……」
「女子に裸を見せつけたいって言うなら別だけど……流石に俺、友達のセクハラ行動を助長するような真似はしないぜ?」
「コスプレ喫茶を真っ先にプッシュし、『可愛い子ランキング』なるものを集計している分際で何を言っても信憑性がないんだよなぁ」
それな、と八雲がけたけた笑う。
「さてと。んじゃ、脱いでくれるか?」
「あぁ、まぁ普通は脱ぐか。どこまで脱げばいい?」
「んー、肌着は脱いでも脱がなくてもいい。でも着たままならぴって張ってほしいな」
「なら脱いじゃうわ。それでもいいか?」
「おっけ。上手いこと調整するし、いいぜ。友斗の裸、楽しみだな」
「……お前、冗談でもそういうこと言うんじゃねぇよ。脱ぎにくくなるだろうが」
と、言いつつも素直に脱いでいく。
いつまでもウダウダ言っていてもしょうがないしな。めちゃくちゃ急がなきゃいけないってほどじゃないが、ノロノロしていられるほど余裕があるわけでもない。
ワイシャツを脱ぎ、肌着も脱いだところで、そういや、と八雲が口を開く。
「文化祭って冬服なんだっけ?」
「ん? ああそうだな。文化祭まではどっちでもよくて、文化祭から完全移行だ」
「だよなー。準備しとかねぇと」
うちの学校は比較的制服なども自由だ。だから夏服冬服の以降にそこまで意味があるわけではないのだけど、全体で統一されているため、何となく文化祭以降に夏服を着ているのはダサい、という雰囲気になる。
ブレザーを脱いでもネクタイやリボンは着ける、という奴が10月頃には大量発生するのだとか。
春ぶりのブレザー。
そこまで汚したつもりはないが、文化祭までには洗っておかなくちゃいけないな。
そんなことを考えているうちに八雲がメジャーを取り出す。
「じゃ、やってくぞ」
「了解」
まずは胸囲。
普段は自分ですら滅多に触れないところをぐるりとメジャーが伝い、なんだか言いようもなくくすぐったい気分になる。
「ふむふむ……友斗って意外とガタイいいのな。着痩せするタイプ?」
「自分では分からん。筋トレはしてるし、筋肉はついてるかもしれんけど」
「ふーん」
そう言う八雲も、こうして採寸しているだけで分かるくらいに体格がいい。
筋肉がめちゃくちゃついているというより脂肪が少ないって感じだろうか。流石はサッカー部。
胸囲が終われば、ウエスト。
ひんやりとした手にびくっとしたとき、ふと澪の顔が頭をよぎった。
そういえば家族以外に誰かが俺の体に触れたのは、澪が最初だった。胸に、腹に、指先に、もっと隅々に。
セフレとして、俺たちはこれ以上ないくらいに触れあって、汚いところも綺麗なところも知って。
あの“関係”は言わずもがな間違っていたけれど。
あの日々がなければ、俺はきっと美緒と向き合えていなかったとも思う。
「なぁ友斗。どうせだし、男同士の秘密の質問、してもいいか?」
「……急だな。別にいいけど」
「さんきゅ。ま、変なことは聞かねぇよ」
ウエストが終わり、次は袖丈。
くすぐったさにも慣れてきたな、と思いながら質問を待つ。
「あのさ。友斗って……キスとか、したことあるか?」
「ぶふぅぅぅ!」
「ちょっ、友斗汚ねっ……なにすんだよ、いきなり」
「いきなりなのはそっちだっつーの! この空気でキスの話とかするか?!」
「そ、そりゃ……秘密の質問って言ったじゃん」
急にしょぼしょぼと呟く八雲。
うーむ……こうして見ると初心な眼鏡イケメンになるんだよなぁ。
俺は苦笑し、八雲の言いたいことを理解する。
「もしかして。文化祭の後夜祭でワンチャン、とか思ってるのか?」
「……ッ! べ、べべべべ別にそうじゃねーし!」
「誤魔化しきれてねぇ……誤魔化す気すら感じらねぇ……」
「う、うっせぇ! いーだろ別に!」
顔をカァァァと真っ赤にしながら開き直る八雲。
いや悪くはないんだけどな? まだ文化祭まで時間があるのに今から計画立ててる辺り、変なところで初心というか、焦れったいというか。
何だかぽっと胸が温かい気持ちになって、俺は口を開く。
「別に悪いとは言ってねぇよ。いいと思うぞ。まぁ文化祭の後夜祭は生徒会忙しいし、呼ぶのが大変そうだけど」
「そ、それは……まぁなんとかするし。後夜祭以外でもいいから」
「そっか。頑張れよ」
言いながら、思い出すのはたった二度きりのキス。
ファーストキスと、禁忌的なゲームのキス。
どちらも一人の女の子としたもので。
思えばあのときから体に毒が回っていたように思う。
その後も肩幅、腰囲、背幅、股下と順々に測っていき。
やがて採寸は終わった。
「なぁ八雲。一つ、忠告」
「ん?」
「俺はキスとか、よく分からんし、まともなアドバイスはできないけど……キス一つで関係を変えんなよ。あんなの、ただ唇が重なるだけだから」
俺は、間違えてしまったから。
唇を重ねるよりも先に、自分の唇を震わせて告げるべき言葉がたくさんあったはずなのに。
八雲はよく分からなそうに、ぽかんとしている。
「要するにあれだ。段階をちゃんと踏めよ、踏んだからってなぁなぁになるなよって話」
「なる、ほど……? なんか友斗にしてはまともなアドバイス」
「どういうことだこらぁ?!」




