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一章#13 助けて、八雲くん!

 初日の授業は、ほとんどの科目がオリエンテーションで終わった。定期的な課題や成績の付け方など、丁寧な説明がされる。このあたりは流石進学校だ。

 もっとも、俺としてはちゃんと聞いていられるだけの余裕がなかったのだが。


 理由は言うまでもなく、今朝雫から課されたミッションだ。

 昼食を一緒に摂ってもおかしくないくらいには綾辻と仲良くなること。言葉にしてみると単純なように思えるが、意外と難易度が高い。

 この課題のために必要なのは、仲良くなることではなく()()()に仲良く見える関係になることなのだ。ただ綾辻と仲良くなるだけよりもよっぽど難しいと言えるだろう。


 ……いや、今の俺が綾辻と仲良くできているのかは別問題なんだけど。

 セックスフレンドなどと言ってはいたが、フレンドであることには疑問が残る。


「はぁ……」


 そもそも、だ。

 人間関係の境界線は、あまりにも不明瞭すぎないだろうか。

 他人と知り合い、知り合いと友達、友達と親友や恋人。これらの関係の境界を超えるために分かりやすいイベントがあれば楽だ。けれど現実はそうではない。誰もが何となく関わっているし、言葉を交わさずとも関係性を見極めている。言葉を介して成立する関係といえば、せいぜい恋人くらいのものだ。


「どーしたんだよ、すっげぇ怖い顔して」


 思考の泉に沈みかけていた俺を、飄々としたチャラい声が引っ張り上げた。

 隣を見ると、八雲が狐のようにはにかんでいる。


「んー、いやちょっと考え事をしててな」

「ほーん、どんなこと?」

「それは……なんでもない」


 ふるふると首を横に振ると、八雲がからかうようにニターっと笑った。


「もしかしてエロいこと?」

「なぜそうなる!」

「古来より、男が真剣な顔になるのはエロいことを考えてるときか、大をしに行くときだけだと決まってる」

「極端すぎる……」


 必ずしも間違いだと言い切れないのが哀しいところだった。その二つのシチュエーションで真剣な顔をするのは事実だからな。

 でも、とほんの一瞬だけ思った。

 綾辻と俺の関係を維持していたのは紛れもなく性欲だった。セフレだから、お互いに好きなだけ求めることができたし、それが俺たちの絆だったのだ。そういう意味ではエロいことというのはあながち間違いではないのかもしれない。


「へぇ」

「……なんだ、その意味ありげな顔。ヒントをくれる知的な友人キャラの活躍回にしてはちょっと早すぎるぞ」

「喩えが絶妙に酷い!」


 八雲の言葉を聞き流しながら、そういえば、と思い出す。

 八雲は友達が多い人気者だった。今朝も俺の隣で色んな奴と話し、ついでに俺が会話に参加できるような配慮までしてくれたハイスペック友達マン。課題クリアに役立つかもしれない。


「なぁ、聞いてもいいか?」

「俺は大きい方が好きだぞ」

「違ぇよ」


 貧乳派と巨乳派の間には深い隔たりがある。第三勢力である普乳派の俺が議論を始めようものならカオスな状況になることは必至なので、さっさと話を切り出してしまう。


「一緒に昼を食べてもいい理由ってなんだと思う?」

「えっと……どういうことだ?」


 どうも上手く伝わらなかったらしい。怪訝な顔をする八雲のために説明を加える。


「昼休みに誰かと一緒にご飯を食べると仮定するだろ。そのとき、どんな関係でどんな理由を持っていたら一緒に昼食を摂っていいんだろうな、ってこと」

「なんとなく質問の意味は分かったけど……そんなの、一緒に食べたいって理由以外にあるのか?」


 八雲は俺の質問をかみ砕き、あっさりと答えた。

 もっともな答えだろう。きっと、大半の奴らは一緒にいることに理由を必要としない。一緒に楽しいから、とかその程度の理由で十分なのだ。

 そこに大きな違和感を抱いてしまう俺の方が間違っているのは重々承知。


 だが、それはあくまで俺が向き合うべきことだ。

 今直面しているのは、もっと対外的な話である。内面的な事情はあまり関係ない。


「悪ぃ、聞き方が悪かった。たとえば、普段は一人で昼飯を食べてる奴がいるとする。陰でそれなりに人気がある相手だ。そいつと一緒に昼食を摂りたいと思ったとき、そいつも周りも納得するような理由って何がある?」

「ははーん、そーいうことね」


 ニタニタ、と擬音が虚空に浮かびそうな笑みを浮かべる八雲。

 その視線は、すぅーっと教室前方にスライドされた。そこにいるのは綾辻。


「……なんか、勘違いしてないか?」

「べっつぃに」


 うわぁ……一ミリも信じられねぇ。変な誤解をされている気がするが、今は置いておこう。八雲は腕を組み、うんうんと真剣に考えてくれている。


「本当は普通に誘えるのが一番だろうが……相手がアレだからなぁ」


 八雲は眉間に皴を寄せてブツブツと呟く。

 相手が綾辻だとバレたっぽいけど、今の説明の仕方ではやむを得ないだろう。他に上手いたとえ話も思いつかない。

 シンキングタイムの後、八雲はパンと手を叩いた。


「この後の四限、確か委員決めだろ? それで相手と一緒の委員になれば手っ取り早いじゃん!」


 名案を思いついたと言わんばかりのドヤ顔をする。

 その顔を見ると即座にNOを突きつけてやりたい気分になるが、悪い案ではなかったので文句が言いにくい。


 だって――中学の頃、俺と綾辻は同じ委員会に属していたのだから。


 まだセフレではなくて、かといって今と同じく友達でもなかった頃。

 苦々しい記憶は、鈍く鮮烈に脳裏にこびりついている。


「……なんか、俺の案はまずかったか?」


 黙り込んでいたからだろうか。八雲が不安そうな顔をする。人付き合いに慣れている人間だからこそ、他人の地雷には敏感のようだ。

 確かに、この案はちょっとした地雷だ。お世辞にもあの頃のことを思い出すのが精神衛生上よろしいとは言えない。


 けれども。

 いつまでも過去に囚われてはいけない。

 終わったことだ。

 今の俺は、セフレという答えを持てているのだから。


「まずくはない。ただ、思ってた以上に名案だったから不服だっただけだ」

「酷くねっ⁉ ベストフレンドとして超名アドバイスをしてやったんだぜ?」

「押し付けがましい……これだからチャラ男は油断ならないんだ。どうせこの後『ちょっと休憩できるところ行こっか』とか言うんだろ」

「言わねぇよ! そしてチャラくないから!」

「えぇ……だってその髪」

「髪だけでっ⁉ これは天パだから!」


 必死に言い訳するのを見て、俺はぷっ、と吹き出す。

 けらけら笑っていると、八雲は肩を竦めた。

 苦笑してから、からかうように俺は言う。


「っていうか天パなんだな、それ。もしかして八雲ってビジネスチャラ男なのか?」

「ビジネスにしてねぇし。まぁ、超真面目な純情ボーイなのは否定しない」

「へぇ」


 ちょっぴり好感度が上がった。このナリで純情とか、割と萌えポイントだ。SNS漫画に登場しそう。


「ちなみに今の彼女が初恋相手。小学校の頃からの憧れの相手だったりする」

「……ギリ、萌え判定か」

「渋い顔で何言ってんの、お前」

「ちょっとな。大丈夫だ、今のところ俺は八雲でキュンキュンできる」

「複雑な告白すぎる」


 顔を見合わせて、二人でくすっと笑う。

 いずれ惚気話を聞いて呪ってやりたいな、とぼんやり思った。

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