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五章#10 違う歩幅、同じ歩調

 翌日、文化祭準備開始3日目。

 クラスの準備開始は2日目となる今日からは、どしどし作業を始めていく。脚本はまだ上がっていないためキャスト勢も衣装や道具制作のための話し合いを手伝う手筈なのだが。


「なぁ八雲。やっぱり俺と役、交代しないか?」

「……友斗ってさ、ちょいちょい決まった後に駄々をこねるよな」

「聞き分けのない子供みたいに言われるのは不服なんだが」

「事実聞き分けのない子供じゃん。もう決まったことなんだよ。友斗が《《鏡と王子の役をやる》》、ってことは!」

「うっ……」


 と、いうわけで。

 俺は昨日の役決めについて、些かの不満が残っているのだった。


 良い王女と悪い王女が澪になった後のこと。

 衣装と道具の方に負担がかかるということで代表の八雲に了承をとると、あいつはこんなことを言い出した。


『綾辻さんがそこまで頑張るなら、友斗もやらなくちゃだよなぁ?』


 いや既にめちゃくちゃ頑張ってるだろ、という俺の言い分は通らず。

 学級委員が忙しい、という極めて真っ当な理屈には、鏡も王子も誰かと合わせる必要はほとんどないから、と舞台監督(伊藤)にぴしゃりと言われてしまい。


 斯くて俺は鏡と王子の一人二役をやることになったのである。


「あのなぁ……自分で書いた脚本を演じることの痛さと恥ずかしさをお前は分かってないんだよ! これじゃあ俺が中二病じゃねぇか」

「それは…………このストーリー書く時点でちょっと」

「おいこらその反応はやめろ! 俺は中二病じゃねぇ!」


 うん、まぁ自覚はあるよ? ややアニメとかの影響受けてる感はあるしね? 大天才・美緒に比べれば俺の脚本がまだまだだってことは百も、いや千も承知なのだ。


 それに、と八雲は付け加えて言う。


「下手すると友斗って二学期になってずっと教室にいない、とかもありうるわけじゃん?」

「まぁな。衣装とか道具は手伝えないし」

「だろー?」


 正直、そこは歯痒い部分がある。

 脚本は書いたし作業の大まかな指針は示したから、クラスへの貢献度で言えばそれなりだろう。しかしTHE文化祭準備って感じの作業はここからだ。幾らクラスに貢献しようと、二学期から蚊帳の外ではちょっと寂しかったりする。


「そーゆう意味じゃちょうどいいんじゃね? 程よく重要な役柄だしいいとこ持ってってる感はあるけど、友斗がクラスのために頑張ってくれたっつーのはもうみんな分かってるはずだしさ」

「八雲……お前、いい奴だな」

「へへっ、だろだろ。抱き締めてくれてもいいぜ」

「……それを如月が聞いたらいよいよそっち系にも目覚めそうだからやめとく」

「あー……そだな」


 一瞬にしてお通夜みたいな空気になった。

 如月が腐女子になるのは流石に八雲も止めたいらしい。ただでさえ美少女に目がないんだし、これ以上属性を積むのは、なぁ……?


「ねぇ綾辻さーん。こっち、手伝ってもらってもいい?」

「うん、どうしたの? 私に手伝えることなら手伝うよ」


 教室をぼんやり眺めれば、そんな風にクラスメイトから頼られる澪の姿が確認できる。

 今日の澪は学級委員として、アドバイザーのような形で全体を回っている。予算申請とかその辺で処理しなきゃいけない資料も多いからな。


 本当なら俺がその辺にタッチしてもいいんだが、あまり出しゃばりすぎるのもよくない。二学期が始まればクラスのことは澪に任せるようになるしな。

 澪の様子を見ていると、くすっ、と八雲が笑った。


「ま、あれだよな」

「あれ?」

「友斗以外が綾辻姫の王子様になるのは色んな意味でキツくね、って話。まー、もしかしたらそれはそれでどーなん、って感じかもだけど」

「あー……」


 笑いつつも、八雲の口調にはどこか憂いがあった。

 その憂いの理由は考えるまでもなくて。

 けど今は忙しいし、忙しない日々の中で消化するように口にするべき話題でもないから俺は、


「八雲、この前の話だけどさ」

「……おう」

「今はこう、詳しく話せないんだけど。とりあえず片は付いたよ。一回別れることになった。けどお互い納得してのことだし、今も雫とは仲がいいまま。元カノ元カレって関係でもない……これで今は許してくれ」


 不器用に、けどせめて誠実に友達に対して言った。


「そっか……なら尚更、友斗は王子様役がぴったりだった、ってことで」


 快活に口角を上げる八雲を見て、俺はほぅと安堵の息を漏らす。

 いつか、時間が持てたときに悩みがあれば、話そう。

 そう胸に止めつつ、話を元に戻す。


「それはそれ、これはこれって言ってやりたい気分だけど……まぁいい。その代わり、衣装の方はマジで頼んだ」

「あー、それな。まぁ任せとけ。っていうか友斗はそれより脚本な」

「分かってる。絶賛執筆中だから」


 とん、と八雲の背中を押すと、そのまま衣装係のメンバーたちと合流した。これからデザインを話し合うんだろう。手にファイルを持っていたし、既にぼんやりと案を考えてくれている気もする。


 これなら結構余裕をもって進めることができるだろう。

 トラブルだけは起きないよう、起きても何とかできるようにしとかなきゃって感じだが。


「百瀬くん。暇なら隅で脚本書いてて」

「伊藤……目と声が怖ぇよ」


 こういうときいざ動き出し始めるとリーダーのやることがない、というのは割とよくある話で。

 責任を取るか筆を取るかしかクラスでの仕事がない俺は、スマホのメモ帳アプリを使って台本を書くことにした。


 ぐすん……美緒ぉ、辛いよぉ。



 ◇



 物事に熱中しているときと原稿が進んでいないときの時間の流れは異様に早い。そんなわけで、気付けば外は夕日に丸焼けにされていた。

 クラスメイトと別れを済ませ、後片付けをしてから玄関を出ると、下校路で澪の背中を見つける。


 このまま後ろをついていくのはストーカーじみて通報される気もしたので、素直にとっとっと小走りで澪に追いつく。


「よっ、綾辻」

「ん……はぁ。百瀬か」

「相変わらず凄い反応だな。いよいよ泣くぞ」

「泣けば? それで雫に慰めてもらえばいいんじゃない。あの大きな胸で」

「でもそれをやったら俺の目を潰すだろ?」

「当然でしょ。雫を厭らしい目で見るとか許すわけがない」

「シスコンがすぎるんだよなぁ」


 なんて、俺も言えないけど。

 くすくすと笑うと、澪は怪訝そうに横目で見てくる。


「で。どうして百瀬は一緒に歩いてるわけ?」

「後ろをついて歩いたらストーカーみたいだから」

「なら追い抜けばいいのに」

「追い抜いた後に赤信号で追いつかれたら恥ずいだろ」


 ソースは俺。たまに楽しそうに駄弁りながら歩く集団に追いつかれるとムキーってなる。まぁここから家まで、信号はニ、三機しかないんだけどな。


「それに、綾辻も分かってると思うけど……俺と綾辻は歩く速度が同じなんだよ」

「っ」


 俺と澪がまだセフレだった頃。

 ただ一度だけ、休日に一緒に出掛けたことがある。ゴムをつけるとはいえ万が一があるかもしれないからということで、性感染症の検査に行ったときのことだ。


 お互いに一人で行くのは周囲の目が気になって、けど二人で行ったら微妙に恥ずかしくて。そもそもどちらもシたことがないんだから行く必要ないのでは、とか思ったりもして。

 そんな風に出かけたときから気付いてた。俺たちはきっと、合わせるまでもなく歩く速度が同じなのだ、と。


 歩く速度が同じなんて、本当にただそれだけでしかなくて。

 雫や大河の速度に合わせるのだって嫌ではないし、そもそも人に合わせるのはさほど苦ではない。

 それでも、その些細でちっぽけな一致が心地よかった。


 ただ歩いている。

 それだけでいいと思える人だったんだ。


「歩幅は全然違うのに不思議だよな」

「うっさい。そういうこと言ってると嫌われるよ」

「既に綾辻は俺のこと嫌いなんだし、今更だ。それに……誰かに好かれたいって思って生きてないよ」

「……っ」


 きゅっと唇を引き結んだ綾辻は、視線を迷子にし、やがて空へと向ける。

 秋中盤頃に買う少し早めの蜜柑みたいな空は、なかなかどうして、広くて綺麗で爽やかだった。


「よく言うよ。雫とか入江さんに好かれてるくせに」

「……そういうことを言うのは、ずるいよな。何も言い返せなくなる」

「そ。流石に『勝手に惚れただけ』とは言わないんだ?」

「惚れられるようなことはしてないけど、好きになってくれたことにそんな風な突っ返し方はしたくないから。少なくとも今後は」


 変わったんだね、と澪は呟く。

 そっちもじゃん、と俺は思う。

 すれ違い通信みたいに無為にすれ違う言葉は、夕暮れに溶けていく。


「そういえばさ」

「……話したくないんだけど」

「変わりようが甚だしいな」


 違うか、と一人思う。

 澪は変わったんじゃなくて、多分戻ったんだ。

 まだなんの“関係”もなかった頃の俺たちは、こんな感じだった。もちろんあの頃の澪はもう少しだけ社交性がある仮面を着けていたけれど。


 そも、澪はアンバランスな少女だった。

 孤立しているけど人と関わるのが苦手なわけではないから、それなりに社交性はあって。

 けど話しかけんなオーラは出してて、近寄りがたくて。


 だから戻っただけ。

 俺に対してのみ、だけど。


「なぁ綾辻、王子役が俺でよかったのか?」

「さぁ。誰だっていい。私は()るだけだし」

「ふっ。すっかり女優な発言だ――って脛はやめて?」

「次言ったら降りるから。百瀬が代わりに白雪姫演ればいいよ」

「急に趣旨が変わるからな、それ。マジで需要ゼロだし」

「需要はあるんじゃない? 顔はいいんだし」


 顔はいい、ね。

 必ずと言っていいほど付け加えてくれるその一言にくすりと微笑むと、またしても澪はムッとした表情になる。


「顔がいいってだけで需要が生まれるなら、うちのミュージカルの成功は約束されたようなもんだな」

「総責任者による主演女優によるセクハラ、と。新聞部あたりにタレこもうかな」

「えげつない仕打ちはマジでやめてぇ!」


 こうしてさ、と思う。

 屈託なく一緒に変えることができる。そんな日々が訪れたことが嬉しくて誇らしいんだよ。


 俺が言えた義理じゃないけれど。

 俺が言うべきことじゃないけれど。

 それでもやっぱり、思った。

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