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四章#35 答え合わせ

 SIDE:友斗


「あぁぁぁ」


 扇風機があると、どうして人は宇宙人ごっこをやりたくなるのだろう。

 ぐるぐる回る手持ち扇風機を片手に部屋でだらけながら、そんなことを考えていた。


 あれから、海ではいたって平和に時が過ぎて行った。

 かき氷は美味かったし、思う存分泳いだし、また別の人に逆ナンされそうになったときにはさりげなく雫が隣で彼女アピールをしてくれたりもした。


 澪が泳げないことを知ったときは驚いたが、それ以上に気になったのは大河がやたらと澪を見ていたこと。まさか澪に惚れたか……? などと楽観的に思えていたらよかったのだが、どうもそんな生易しいものには思えない。


 何かあったのは事実だろう。

 でもきっと、まだ俺には踏み込む資格がない。

 そういうのは全部を清算してからすべきことだ。自分のことすらまともにできていないくせに自分以外の問題に口を出そうなんて烏滸がましいにもほどがある。


 そんなこんなで、空が夕焼け色に染まるまで思いっきり遊んで。

 俺は今、くたくたな徒労感に包まれていた。


 澪と雫、時雨さんは早めに入浴してくるそうだ。夏でもきっちり湯船に浸かるつもりらしかったので、俺は三人より先に祖父ちゃんとシャワーだけささっと浴びて出てきた。


「明日のことも考えなきゃ、だよな」


 海を満喫して、改めて思う。

 明日、ちゃんと約束を果たそう、と。

 “関係”や“理由”がなくてもいいんだ、って。そう言えるようになろう。

 昨日の雫のおかげで、そして今日一日楽しくて仕方がない時間を過ごして、ようやく俺は向き合えるようになったから。


 あとは、明日。

 向き合い終えたら、話をしよう。

 雫と澪と三人で。

 そしてその後は――ぶるるっ。

 思考を遮るように、ポケットの中に入れたスマホが震えた。


【大河:今日はありがとうございました】

【大河:電話、してもいいですか?】


 大河からのRINEだった。

 そういえば今日はまだ、いつものようなRINEのやり取りをしていない。すっかり日課と化していることに苦笑し、返信した。


【ゆーと:いいぞ。明日のことも話したかったしな】


 明日は8月13日。

 約束の期日だ。約束した張本人の大河と話すのは当たり前だろう。そうでなくちゃ、終わらせることはできない。

 暫くして、


 ――とぅるるるるるっ


 と着信音が鳴った。


「もしもし。百瀬だけど」

『もしもし……大河です。こんばんは』

「おう、こんばんは。まぁまだそこまで暗くはないけどな」

『ですね。ですが、今日はもう夜って感じがします』

「言えてる。もうくたくただ」


 うっかり気を抜けば、すぐにでも眠れてしまう気がする。昨晩とは大違いだ。

 大切な明日を前にしてそんな風になっている自分が不誠実にも思えるけれど、これでいいのだと思う。


「それで。どうして急に電話?」

『急というわけじゃないですが……今どうしてるかな、と思いまして』

「そっか。俺は明日のことを考えながらダラダラしてたよ。そっちは?」

『私は……まぁいわゆる実家での過ごし方をしてます』


 詳しく話そうとしないのは、詮索しないでほしいということなのだろう。

 センシティブな話題だし、大河の場合は家族と何かしらの因縁があるのは容易く推察できる。

 こほんと咳払いをして、話の矛先を自分に向けた。


「俺はさ。明日、墓参りに行ってこようと思うんだ」

『お盆ですもんね』

「あぁ。そこで……死んだ妹と、向き合ってこようと思う」

『えっ?』


 今まで、美緒のことを話す機会もなかった。

 そこまで話すべきではない、と。そう思っていたから。

 けれど――この夏で、痛いほどに理解した。俺の今の在り方には紛れもなく美緒が関わっている。俺を叱ってくれた大河に美緒を知ってほしいと思えた。


「ごめん、急に。俺、二つ下に実の妹がいたんだよ」

『……そう、なんですか』

「あぁ……意外と驚かないんだな」

『これでも驚いてます。でも…………時々百瀬先輩は、ここにいない誰かのことを考えているような顔をしていて。だから誰か、私の知らない大切な人がいるんだろうな、とは思ってました』

「そっ、か。流石は俺の弟子。観察眼をよく培ってるな」


 努めて明るい声で告げる。

 もう、美緒のことをそうして明るく話せるようになったから。

 今の俺にとって、美緒は愛おしい故人であり、いつまでも傍にいてくれる妹だから。


「それでさ。妹にちゃんと話して、それで謝るんだ。これまで言い訳にしてごめん、って。こんな風になって、かっこ悪い兄さんでごめん、って」

『言い訳、ですか……?』

「俺は今まで、妹を言い訳にしてたんだよ。妹が死んだからこうなった、って。“関係”や“理由”がないと怖くなった、って」


 電話の向こうから微かな吐息が聞こえた。


「ごめん。急に色々言っても分かんないよな」

『……すみません。まだ少し、理解しきれてません。それにきっと、私はまだまだ百瀬先輩のことを分かれてません』

「うん」

『でも――明日頑張るんだってことは分かります。約束を果たしてくれるんだろうな、ということも』


 分からないことは分からない、分かることは真っ直ぐに。

 その姿勢はとても一貫していて、とことん入江大河らしい。


 ――約束します。タイムリミットは8月13日。その日まできっと、百瀬先輩は思い出しますよ


『百瀬先輩は思い出せましたか?』

「あぁ……思い出せたよ。どうして俺がこうなったのか。妹が死ぬ前の俺はどんなだったか。よく思い出せた」


 あろうことか俺は、絶対に忘れてはいけないことからも目を背けていた。

 その結果、雫も澪も巻き込んで間違えた。


「あの日信じてくれたから、俺は変わってくるよ。だから――明日、話が終わったら。四人で夏祭り、回ろうぜ」

『ほら、百瀬先輩。そうやって誘えてる時点で百瀬先輩は変われてるんですよ』


 そうだな、と俺は微笑んだ。


『じゃあ約束です。明日、四人で夏祭りを回りましょう。雫ちゃんと澪先輩を連れてきてください』

「あぁ。約束だ」


 指きりはしないけれど。

 代わりに大河は、それじゃあ切りますね、と言って電話を切った。


「電話、終わった?」


 耳からスマホを離すと、聞き馴染んだ声が聞こえた。

 振り返れば澪の姿が。

 まだほんのり濡れた髪と火照った頬はどこか煽情的で、ドキッとする。


「澪……聞いてたのか」

「まぁね。相手は入江さん?」

「……あぁ」


 少し後ろめたい気持ちになったが、そうなること自体が誰に対しても失礼な気がして、正直に答える。

 澪の眉がぴくりとだけ動き、そっか、と小さな呟きが転がった。


「今日もあの子と話したけど……入江さんはどこまでも、真っ直ぐな子だね。まるで太陽みたい」

「だな」


 太陽みたい。

 その形容はとてもしっくりくる。隣の芝生が青く見えるように俺には周囲が眩しく見えるけれど、中でも大河は痛いほど輝いている。あんなに正しく、ともすれば危なっかしいと思えるほど真っ直ぐに在れる大河は凄いと思う。


 しかし、澪は。

 新月のように凛とした表情で、俺とは反対のことを告げた。


「私は……きっと、あの子とは仲良くなれないけどね」

「え?」

「ううん、こっちの話」

「そっか」


 明確に引かれた境界線を越えるべきではない。

 そう思ったから、ここは話を変える。


「それで。澪はどうしたんだ? 雫と時雨さんは?」

「雫と霧崎先輩はまだお風呂。私はあんまり長湯するタイプじゃないからさ」

「なるほど」


 言いながら、澪は俺の隣にやってくる。

 ぶぅぅぅんと回り続ける扇風機。ふわっ、と夜を広げて真夜中にするみたいに澪の髪が靡いた。


「髪、随分伸びたな。もう春とは別人みたいだ」

「まぁ私は髪が伸びるの早いからね。それとも――お兄ちゃんは髪が短い方がいい?」


 ――私は、あなたがなってほしい私になる。あなたは私に、どう在ってほしい?


 あの日の言葉を思い出す。

 ひどく甘美で、蕩けてしまいそうな響き。

 共犯者の声が、毒々と体に回る。


「そうだな。()()には、長い方が似合ってると思うぞ」

「……っ。もう、続ける気はないんだね」


 切なげに、哀しげに、月のように。

 そう呟いた澪は、それでも、と絞り出すように言う。


「私は()()()に《《哀》》してほしい。あなたの《《哀》》を、注いでほしいの」


 だからさ、と言って澪は俺の手を取り。

 窓を背にして――お月様がいない、星屑だけの昏い空に溶けて。

 全ての境界線をぐちゃぐちゃに引き直してしまうような声で、告げた。


「だから答え合わせをしよう。あの日答えきれなかった、私が辿り着けなかった答えを」


 あの日――全ての間違いが始まった日。

 澪が美緒の代わりになった日のことだろう。


「一花ちゃんたちと話して、雫が読んでいた美緒ちゃんが書いた本を読んで、美緒ちゃんのことを考えてるあなたを見て、気付いたよ」

「そう、か……」


 気付かれないと思っていた。

 でも一花たちはまず間違いなく()()()()()、『ブルー・バード』を読めば真意を汲み取れてしまうから。

 隠しきれないだろう、とも思っていたんだ。


 そして、澪は。

 綾辻澪は、真実を口にした。



 ――ねぇ兄さん

 ――兄さんは恋、したことある?

 ――私は、兄さんのことが好きだよ

 ――恋、してるの



 百瀬美緒は百瀬友斗に、恋をしていた。

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