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四章#34 後輩から先輩へ

「ぷっ……くっくっ」

「なぁ雫。そんなに大爆笑するのは酷くないか?」

「すみません。だってっ……ぷくっ」


 ビーチバレーを終えて。

 俺と雫は、さくさくと砂の上を進み、海の家へと向かっていた。ラムネみたいな天を仰ぐと、気のせいだろうか、つーっと汗が目から伝う。

 隣でげらげらとお腹を抱えて笑う雫をジト目で見遣りながら、はぁ、と溜息をついた。


「くっそぅ……分かってるんだよ! 敗者の俺に文句を言う権利はないってことはなぁぁっ?」

「ぶふぅ――ちょ、笑わせないでくださいよぉ! ただでさえおかしくなっちゃいそうなんですから」

「自分の散々な結果を棚に上げて人のことを笑う奴なんておかしくなっちまえっ!」


 俺が言うと、更に雫の笑いは深くなっていく。

 目尻にじんわり涙が滲むほどだ。笑いすぎだろ……ここまで全力で笑った雫も久々に見たぞ。


 つい先ほど勝敗が決したビーチバレー。

 澪と時雨さんの超次元タッグに対し、雫と大河の二人ではゲームにならないということで俺が雫と代わることになり。

 だがしかし、俺が『自分は男子だし余裕で勝っちゃうっしょ、むしろ代わって大丈夫っすかハハーン』とか思っていたら(思っていない)負けたら罰ゲームという話になって。


 うっしゃやったるか、と思ってから――約20分後。

 俺と大河のペアは一切得点できずに終わった。


「いやぁ、あれだけかっこつけておいてぼろ負けとか一番かっこ悪いやつですもんね~」

「うっせぇ……雫だって全然ダメだったじゃねぇか!」

「でもでも! 私がやってるときには点取れてますもん」

「大河と協力して、だろ?!」


 ドヤ顔してるところ悪いが、雫は全く得点に絡んでなかったからね? 俺と交代するまでに得点したのは大河の粘り勝ち、或いは澪や時雨さんのミスだったし。


 しかし俺が交代してからの澪と時雨さんは、そんなミスを一切してくれなかった。どんなにこちらが粘っても安定的にスパイクを決めてくるので、結果的にこちらは全く点を取れずに終わった次第である。


「いいんですもん。私は大河ちゃんと協力できて、先輩はそーじゃなかったんですから」

「ぐぬぬ……反論できないのが口惜しいな」

「えっへん、です。今日のところは私には敵いそうにないですねっ」


 胸を張り、ぱちんとウインクを一つ。

 いつもならドキリとしているところかもしれないが、こうもぼろくそに負けてやられた後だと笑う気にもなれない。


 敗者はそそくさと罰ゲームに励むのみである。


「まぁよかったじゃないですか。簡単な罰ゲームだったんですし」

「いや……まぁな。綾辻なら酷い罰ゲームを課してくる可能性も普通にあったし、そういう意味じゃほっとしてるよ」


 敗者に課された罰ゲームは、買い出しだった。

 まだ昼食を食べるには早いが、ビーチバレーで激しく動いたので暑いし何かを食べたい。そんなわけで、かき氷を買ってくるように命じられたのである。かき氷を食べるのは雫と約束したことでもあるしな。


 負けたのは三人だが、流石にあれだけ動いていた大河に買い出しに付き合わせる気はない。そもそも俺が乗った勝負なんだから俺一人で行こうと思っていたところ、雫がこうしてついてきてくれたのだった。


 で、ついてきた後でこんな風に俺を笑いまくってやがるわけだが。

 俺も雫も戦犯って意味じゃ同じだからね? 


「えっと、時雨さんがいちごで、大河がブルーハワイだったよな」

「そーですね。で、お姉ちゃんが抹茶です」

「うんそれは分かってる。つーか綾辻のは聞く前から分かってた」

「ですよねっ。私はメロンにしよっかなぁ……あ、先輩はどーします?」


 こて、と雫が可愛らしく首をひねる。


「そうだなぁ……じゃあブルーハワイかな」

「うぅ、先輩は私じゃなくて大河ちゃんを選ぶんですねっ」

「んなこと言ってねぇよな?! というか、そもそも俺、メロンそんなに好きじゃないし」

「むぅ。まぁあれ、全部同じ味ですけどね」

「色と匂いでなんかやってるんだっけか」


 確か、抹茶以外は味が同じで、勝手に脳が違うように感じているだけだと聞いたことがある。逆に抹茶だけはパウダーとかも入ってるので特別なのだとか。

 着色料は頑張ってるよなぁ、と以前澪がいちごオレを飲まないと言っていたのを思い出し、苦笑した。もうあれから四か月弱だもんな……時の流れは早い。


「あ! けどけど、やっぱり皆で交換したりもしたいですよね」

「味同じなのに?」

「だからこそ試してみたいじゃないですか。私たちの脳がどれだけ優秀か試すんです」

「どんな脳トレだ」


 くつくつと笑うと、楽しそうにツインテールが揺れた。

 どことなくいつもより子供っぽい雫は、ふぅ、と満足げな溜息を零す。


「ねぇ先輩。楽しいですよね、こーゆうの」

「……だな」


 茶化そうかとも思ったけれど、雫の眩しい横顔を見たらそんな気持ちは霧散してしまう。

 カメラを持っていないことを俺は強く悔いた。

 せめて、と心にきちっと焼き付けておく。


「私、ようやく理解できましたよ。両想いだって薄々分かってるのに全然告白せず青春を謳歌してるじれったい主人公とヒロインの気持ち」


 とてとと、一歩前に出て。

 常夏みたいに、


「ずっとこのままで、って思っちゃいますもん。恋人になって何かが変わるくらいなら、いつまでも友達のままで、って」


 楽しそうに言った。

 その真意は俺には分からない。何となくそう思っただけなのかもしれないし、俺に汲み取ってほしい何かがあるのかもしれない。

 少なくとも、勝手に聞き手が何かを汲み取るのはダメな気がしたから。

 俺はただ、真っ直ぐに答えた。


「そっか……これでまた、オタクとして一皮剥けたな」

「ですですっ!」


 海の家に向かって進んでいく雫の背を見つめて、ふと気付く。

 そういえば雫は最近、俺を彼氏扱いしてこない。さっきの水着の件やナンパのときだって、そのことを引き合いに出せたはずなのに。


 やっぱり雫にはツインテールがよく似合ってるよ。

 そう思ってしまうのは俺の弱さなのだろうか。

 そうじゃなければいいな、と思った。



 ◇



 SIDE:大河


 百瀬先輩と雫ちゃんが買い出しに向かうと、霧崎会長は少し涼んでくると言って海に行った。そこまでの体力がない私はレジャーシートに体育座りをして、ゆらゆらと綺麗な海を眺める。


 これまで、こんな風に海で遊んだことはなかった。

 こっちに帰省してきても家が息苦しくて海ではしゃぐ気分にはなれなかったし、そもそも海で遊ぶこと自体に楽しさを覚えるような性格ではないから。


 けれども今日は――とても楽しい。

 今回の帰省は、今までのそれとはまるっきり違うのだ。

 元々百瀬先輩がいるだろうとは思っていたけれど、それに加えて雫や澪先輩、霧崎会長がいて。

 雫や澪先輩が百瀬先輩と義理の兄妹だと知ったときは本当に驚いた。


 同時に――私はそのとき、強い違和感に襲われもした。

 心から楽しいし、百瀬先輩も変わろうとしている。あの日私に声をかけてくれたように――“関係”や“理由”がなくても、自分の意思で手を伸ばせる人に戻るはず。


 だからもう、流してしまえばいいのかもしれない。

 違和感ごと波に預けて、百瀬先輩が変わるのを待って。


 チラと隣を見遣ると、澪先輩がちょこんと座っている。

 やはりと言うべきか、どうしても澪先輩を掴みきれない。どんな性格で、何を考えて、どんな風に生きているのか――それが一切合切、見えてこないのだ。


 もちろん、見ただけで何もかもが分かるだなんて言わないけれど。

 でも雫ちゃんも霧崎会長も、関わっていると何となく核が見えてくる。その核が上っ面のものだとしても、上っ面すら見えない澪先輩とは違う。


「あの……澪先輩は泳ぎにいかないんですか?」

「あはは……私、実は泳げないんだ」

「あっ、そうだったんですか。すみません、不躾なことを言ってしまって」

「ううん、気にしないで。泳げないのを悪いとは思ってないしね。だってほら、人間は陸で生きる生き物でしょ?」

「えと、それはどうでしょう……」


 苦笑いを喉元が通過するとき、そこに(つか)えたそこはかとない違和感を認識する。

 またさっきまでと違う澪先輩だ。

 今度は……どことなく霧崎会長っぽさがあるように感じる。


「そういう入江さんこそ、泳ぎに行って来たら? もう息も整ってきたでしょ」

「えっと……まぁ。でももう少しここにいます」

「そっか。ま、かき氷食べてからでもいいもんね」


 ひゅるるる、と少し強めの風が吹く。

 澪先輩は、ビーチバレーを終えてから被り直した麦わら帽子を押さえる。さらさらと靡く黒髪は息を呑むほど綺麗だった。


 姉ですら、こんなに人を惹きつける顔をしたことはないかもしれない。

 ふとそう思ってしまうほど今の澪先輩は魅力的だった。

 この前の勉強会のときよりもずっと――()を追うごとに、その魅力がどんどん開花しているようにすら感じる。


「澪先輩と百瀬先輩ってどんなご関係なんですか?」


 聞きたい、と何故だかこのタイミングで思った。

 以前二人っきりになったときにした質問の焼き直し。

 髪を耳にかけながら、澪先輩は答える。


「その質問にはもう、答えたよ」

「でもそのときの答えに、義理の兄妹、というものはありませんでした」

「…………それは百瀬が説明したでしょ。雫と仲がいいからって、ううん、雫と仲がいいからこそ戸惑ったんだよ」

「同じように、あのときの答えになくて今日の答えにはあるものだってあるんじゃないでしょうか」


 だって、と私は思う。

 不可解なのだ。

 義理の兄妹という“関係”が既にあるのなら。

 どうして百瀬先輩は、雫ちゃんと恋人という“関係”を手にしようとした?

 恋人の姉という“関係”で澪先輩と関われるのなら、どうして義理の兄妹では足りなかった?


 百瀬先輩は、どうしようもなく歪んでいる。それを肯定するつもりはない。

 でも――百瀬先輩一人で歪んだとは思えないのだ。

 百瀬先輩の歪みを加速させた誰かがいる。


「はぁ」


 と、重くて鋭い溜息が耳を刺した。

 柔らかくて凪いだ印象の澪先輩は、そこにはおらず。

 どこか不機嫌で淡泊で恐々とした印象の澪先輩が、こちらを見つめていた。


「入江さんはどうして何も知らないくせに踏み込んでくるの?」

「えっ」


 窓を閉め切った部屋のライトをぱちんと消し去るように。

 翳って、翳った、声だった。


「もしかしたら彼はそれがいい、って感謝したのかもしれないけれど。ただの部外者でしかない入江さんは、どうしてそんな風に口を出してくるの?」

「……っ。別に、部外者なわけじゃ」

「部外者でしょ。だって入江さんは、私たちが義理の兄妹であることすら知らなかった」

「――ッ」


 敵意だった。

 ぎゅっ、と握りこめた手に力が入る。


「それなのに雫と彼の関係に口を出して、あまつさえ別れさせるように仕向けて」

「それは……っ。だって! 今のままじゃ誰も幸せになりませんよッ」


 どうしてそこまで知っているんだという思いは捨て置く。

 澪先輩はそれだけ百瀬先輩のことを見ている、ということなのだろう。

 ズキズキ痛む心から息を吐き出して言うと、澪先輩は目を細めた。


「誰も? ううん、私は幸せになるんだよ、このままで。このままが一番幸せになれるの」

「えっ……?」


 それってどういうこと?

 こんなにも間違った状態なのに、その方が幸せ?

 分からなくて私が口を噤んでいると、澪先輩はふんありと柔らかく微笑んだ。


「なんてね。ごめん、変なこと言っちゃった」

「えと……」

「私と()()の関係だったよね? この前は言えなかったから今言うけど――私と百瀬は、義兄妹だよ。それ以上でも、それ以下でもない」


 この話はもう終わりね、と澪先輩がレジャーシートから立ち上がる。

 澪先輩の水着からぱらぱらと砂粒が零れた。


 これで終わり?

 何にも終わってない。さっきの言葉の意図も、どうしてそんな風に敵視するのかも、何も分かってはいないのに。

 まだ話を続けるために口を開こうとすると、澪先輩がすぅぅと色のない表情になった。


 ――人形みたいだ。


 そう思ったら、声は出なくなっていた。


「もう諦めたから、いいんだよ。物語は止まってはくれないから」

「っ」

「けど今回のことではっきりした。雫は入江さんと仲良くなれているけれど、私はそうはなれないな。入江さんは私にとって、きっと不倶戴天の敵だと思う」


 不倶戴天の敵。

 そうとまで突きつけて、敵と味方の境界線を引くのに。

 次の瞬間にはもう、澪先輩は優しく微笑んでいる。まるで着ける仮面を変えたみたいに。


「それでも私は……澪先輩と関わりたいです。部外者で、いたくないです。だって雫ちゃんの大切なお姉さんで、百瀬先輩の大切な人だから」

「そっか。眩しいね、入江さんは」


 私の声はちっとも届いていないように思えて。

 だから歯痒かった。


 百瀬先輩。明日の続きの明後日にいる百瀬先輩は、澪先輩のことを分かってあげられますか?

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