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四章#27 褒めて

「おぉぉ! 友斗君じゃないか、久しぶりだね!」


 買ってきた昼食を食べながら祖父ちゃんや祖母ちゃんと駄弁ること、数時間。

 夕方近くになってやってきた男の人は、俺の顔を見て爽やかなスマイルで言った。まだアラサーだと言われても納得できる爽やかさなのに、これで父さんより年上なんだもんなぁ……と苦笑。


 もう分かったと思うが、この人は霧崎晴季さん。時雨さんの父であり、父さんの兄だ。

 では何故姓が違うかと言うと、結婚する際に時雨さんの母の姓、霧崎を取ったから。その辺の事情には時雨さんの母である霧崎エレーナさんの家の事情とか、姓名に関するアイデンティティとかを巡った結構胸が熱くなる話が関わってくるのだが、ここでは割愛する。


「お久しぶりです」

「あぁ、久しぶり! 久々に見ても君はやっぱり立派に育ってるね。また体格がよくなってるように思うけど、ジムでも始めたのかな」

「いえ、ジムとかは特に。適当に調べてやってるだけです」

「そうなんだね。うんうん、頑張ってるじゃないか……! そうだ、もしよかったら今度――」

「あなた! いきなり喋りかけすぎよ。そんなことより友斗君、いつも時雨から話は聞いてるわよ。生徒会の仕事頑張ってくれてるんですってね」

「え、あ、まぁ……」

「けど無理しすぎちゃだめよ? たまにはうちに来てくれてもいいんだから。お料理、腕を振るっちゃうわ。それにまた学校のことを――」

「お父さんもお母さんも一気に話しすぎだよ! 他にも挨拶すべき人はいるでしょ!」


 どんどん詰め寄ってきていた晴季さんとエレーナさんを、時雨さんがぴしゃりと嗜めた。

 時雨さんがツッコミ役やるのも珍しいよな……。いやそう感じるくらい普段から自由奔放なのもどうかと思うけど。


「あぁ、そうだった。すまないすまない。つい友斗くんに会えるのが嬉しくて」

「兄貴……弟の俺のことを見もせずにそれってのは、流石に傷つくからな?」

「ダメな弟を無視して何が悪い」

「晴季さん! 流れるようにケンカを始めるのはやめて?!」

「おっと失敬」


 こほん、と晴季さんは咳払いをした。

 父さんを目で静止している間に、義母さんたち三人は二人と挨拶を済ませる。

 晴季さんと父さんは仲が悪い……というわけじゃない。ただ会えばケンカするし、酒を飲んで悪酔いしてくだらない言い争いをする。そういう関係なのだ。


 各々に自己紹介をし終えるのを横目に、俺はほぅ、と息を零した。


「久しぶりだね、キミ」

「時雨さん……そーっと隣に来るのやめてほしいんだけど」

「ごめんごめん」


 せらせらと時雨さんは笑う。

 祖母ちゃんが用意してくれた麦茶に、ありがとう、とお礼を言ってから口を付けた。


「ん、んっ……ぷはぁ。生き返る!」

「暑いしね。時雨さんたちも、いつも通り車?」

「うん、そうだよ。晩酌のために、って言っておつまみとか買うから遅くなっちゃって」

「あー……まぁ、それが楽しみだって気持ちは分かるから」

「おや。お姉さんを差し置いて大人ぶるのかな?」

「ぶってないから」


 コップを置くと、からんころんと風鈴みたいに氷が鳴った。

 麦茶って不思議だ。

 それ自体がめちゃくちゃ美味しいかって言うとそうじゃないのに、人が飲んでるところを見ると物凄く飲みたくなる。もうコップの半分くらいになった、俺の分の麦茶に口をつけた。


 ちょっぴり甘い、砂糖入りの麦茶。それは時雨さんがさっき飲んだものとは少し違う。

 家に来てすぐはガブガブ飲みたいだろうから、と普通の麦茶を注いでくれて。少し涼むと、今度はちょっと懐かしい砂糖入りの麦茶を入れてくれる。祖母ちゃんは決まってそうだった。


 懐かしいなぁ。

 帰ってきたんだなぁ。

 そう、しみじみと思う。


「そういえば……大河ちゃんとは、どうなったの?」

「何となく察してるくせに」

「察してるからこそキミの口から聞きたいんだよ。キミの先輩として、ね」


 あのプールでの一件のあと。

 プール掃除が終わったことを二人で報告しに行ったら、時雨さんは微笑んでいた。見事に俺たちは時雨さんの思惑通り仲直りしたわけだ。


 いいや――違うか。

 仲直りじゃなくて、ケンカしたのだ。

 ちゃんとケンカして、想いをぶつけてもらって、そのおかげで俺は決意できた。

 そういうことを説明してもいいけど、それは野暮なように思えたから。


「この帰省を楽しもうって思えてる、とだけ答えておくよ」

「それは……素敵な躱し方だね。嫌いじゃない」

「だと思った」


 頬が緩んでいることを自覚しながら、ぼんやりと周囲に目を向ける。

 帰省自体はもう、美緒が死んでから何度もしている。祖父ちゃんも祖母ちゃんも、晴季さんもエレーナさんも。いつも楽しそうに笑っていたし、俺だって作り笑いばっかりしていたわけじゃない。


 でも雫がいて、澪がいて。

 いつもとは少しだけ違う夏がやってきていることが、とても嬉しかった。


「んー……先輩がデレデレしてる」

「本当だ。雫と言うものがありながら……いい覚悟だね、百瀬」

「こっちに来たと思ったら開口一番それかよ」


 ぷっくりとむくれた雫の言葉に俺は苦笑する。

 俺が時雨さんにデレデレ? ご冗談を。それは絶対にありえない。


「だって時雨先輩、とっても綺麗なんですもん! なんかもう、すっごい見惚れちゃいますし! ヒロイン力が高すぎます」

「ふふ、ありがとう。でも雫ちゃんもとても可愛いし綺麗だよ。そのシュシュも、よく似合ってる」

「シュシュ……あっ。だそうですよ、先輩♪」

「ん、どういうことかな?」


 パチンと俺にウインクをする雫。時雨さんははたと首を捻り、俺に目を向ける。


「…………そのシュシュは、俺が渡したやつなんだよ」

「へぇ、そうなんだ? もしかして雫ちゃんとキミって――」


 付き合ってるの、と言おうとしているんだ、と分かった。

 時雨さんはこの手の噂に疎い。そもそも俺と雫が付き合っていることなど知らないのだろう。その上で、からかい半分で聞いてきているのだと思う。


 事実として、今は付き合っている。

 だからその質問に真正面から否を突きつけるのは、まだ無理だ。向き合って、ちゃんとケリをつけてからじゃないと、明確にこの“関係”にピリオドを打てない。


 でも付き合っている、と答えるのはあまりにも厚顔無恥すぎるから。

 咄嗟に口を開こうとした雫より先に、俺は時雨さんを嗜めるように言った。


「時雨さん、またそういうこと言って。そんなことよりお前はって言われるのがオチだよ」

「ふふ、確かにそうだね。ごめんごめん」


 雫が、驚いたような顔をする。

 けどそこには哀しそうな色はない。


 大丈夫だ、もう待たせるつもりはない。

 約束は明後日――8月13日。

 俺にとって大切な三人との“関係”をちゃんと終わらせて、始めるために。


 それで嫌われてしまっても、しょうがない。

 むしろ嫌うのが当たり前だ、とすら思っている。


 それでもどうか、その先の日常に。

 雫と澪がいてくれますようにと、俺は祈った。



◇ 



 夕食が終わり、早速父さんたちは晩酌を始めた。

 晩酌なんて言ってしまうとお上品に聞こえるが、実情はただ楽しく飲んで騒ぐだけである。酔っ払いの絡まれるのは趣味じゃないので、俺は早々に居間から抜けてきた。


 逃避行の果てに(一瞬だったけど)辿り着いたのは書斎だ。

 父さんの家系は、結構みんな本を読む。曽祖父ちゃんと曽祖母ちゃんが出会ったきっかけは一冊の本だと聞いたし、祖父ちゃんと祖母ちゃんに至っては本屋で手が触れ合って出会ったらしい。どこまで本当かは知らん。


 そんなわけで、この書斎には色んな本がある。

 今ではプレミアがつきそうなレベルで古い本もあれば、どこにでもありそうな本もある。絶対最近買ったんだろうなっていう漫画の新刊なんかもあったりして、紛うことなく()()()()()のだ、と思わされる。


 書斎に入ると、時が止まったような感覚に襲われた。

 ――或いは、逆に。

 どこまでも進んでいってしまうような恐怖がすりよってきた、とも言えるのかもしれない。


「……っ」


 思い出す。

 本に匂いがあるんだ、と知った日のこと。

 美緒はあの日、ここで本を読んでいた。部屋の敷居を跨いだ俺に苦笑して、それから一冊の本を薦めてきたんだ。


 あれからだった。

 本に匂いがあることを知って、物語が生きているんだと気付いたのは。


「お兄ちゃん、何やってるの?」


 壁に寄り掛かる美緒の幻影が浮かび上がろうとしていたとき、そう声をかけてくる人がいた。

 澪――俺の妹の代わり(義妹)だった。


 振り向いて、そして息を呑む。

 差し込んだ月の光を編むようにそこに立つ澪は、儚くも綺麗だったから。


「本を探してたんだよ」

「本?」

「あぁ。美緒がさ、よくここで本を読んでたんだよ」

「そっか」


 澪は俺の隣にくると、そっと手を握ってきた。

 ひんやりと冷たい澪の手は、しかし確かに存在している。


「ねぇ――()()()って呼んであげようか?」

「っ……大丈夫だ。()()、でいいぞ」

「ちぇっ。なら()()()()()にしとく」


 百瀬、と。

 そう呼ぶことを拒んで、澪は俺に身を寄せてくる。

 月の光が一つの、繋がった二人の人影を作った。


「それで。どんな本探してたの? 探すの、手伝うよ」

「いや大丈夫だ。もう見つかったから」


 澪が来てから見つかったのはたまたまなのか、それとも何かの意思なのか。

 そう疑ってしまいたくなるほどタイミングよく、俺はちょうどそれを見つけたのだ。本棚と本棚の間に挟まった、薄っぺらい冊子を手に取る。

 澪はその冊子を、目を丸くして見つめた。


「それが……本?」

「本だよ。美緒が作ったんだ、立派だろ?」


 本の体など、為してはいない。

 原稿用紙を何枚分か重ねて、表紙をつけて綴じただけ。同人誌と呼ぶことすら烏滸がましいそれは、然して、俺にとって紛れもなく本である。


「美緒ちゃんは……小説家が夢だったんだ」

「らしい。まぁ、めちゃくちゃ賢い子だったからな。きっと何にだってなれたよ」

「シスコン」

「事実だからな」


 まぁ、この話は終わりだ。

 どちみち澪がいる場で読むつもりはない。


 で、と話を変える。


「澪はどうしたんだ? さっきまで雫と一緒にいただろ」

「あぁ、それなんだけど……()()()()()が、皆でアイスでも買いに行かないか、って」

「なるほど。俺は用心棒なわけだ」

「そういうこと」


 夜と呼べるほど暗くはないし、そもそもこの辺りは夜になっても人がいるほど人気の観光地ではない。

 俺が面倒がることを見越して、先回りしているだけだろうな。


「分かった。準備するから先に行って待っててくれ」

「ん、分かった」


 そうして書斎を出ようとする澪に、なぁ、と俺は言って引き止めた。

 ん? と言葉を待つ澪に告げる。


「その髪留めも、似合ってるよ」

「…………そ」

「さっき、時雨さんに言われなくて少しムッとしてるように見えたからさ」

「別に、そういうんじゃないし。そうやって決めつけるとモテないよ」

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