三章#33 先輩との話(急)
SIDE:大河
夢を見ていた。
小さい頃の夢だ。
私、入江大河が生まれたのはそれなりに裕福な名家だった。地元ではかなり存在感があって、それゆえに格式高い。
そんな家の長男として生まれた父が外国人の母を紹介すると、親戚はみな、二人の結婚を反対した。
あまりにも古すぎる、と思う。
外国人との結婚を拒むなんて、時代錯誤にもほどがある。けれど実家には、昭和から時が進んでいないのかと思えるほどに凝り固まった価値観が根付いていた。
結果的には父の思いに押し切られた親戚が、なし崩しで結婚を認めたそうだ。
そうして生まれたのが姉と私。
母の遺伝で髪がブロンドヘアーだった私たちを見て、親戚は強い拒絶反応を示した。何か失敗をしてしまうと『あの母親の子だから』と言われ、特に何もしていなくとも『なぜ髪を染めさせないのか』と周りが口々に言う。
子供ながらにどうしていいのか分からなかった。
たかが髪色でどうして、と。
実家に帰るのは決まって新年と夏休みだけだった。
どちらも五日間ほど滞在するから、自然と地元の子と関わる機会もある。その子たちの親の視線にも曝される。
自分たちが異分子のように見られていると分かるまでにそう時間は要らなかった。
「やーい、変な髪!」
なんて、今思えば幼稚なからかわれ方をされたこともある。
或いは、姉のようならばよかったのかもしれない。
姉は私よりも母の血を強く継いだのか、髪が太陽みたいに金色だ。私は金よりも少しくすんだブラウンヘアー。当時から姉は人から見られることに類まれなる才能があり、親戚はともかく地域の子供からは異分子扱いされていなかった。
一方の私は、ずっと一人。
家でも外でも異分子。どうすればいいのか分からなかった私は、いっそのこと髪さえなければいいんじゃないか、と思うようになった。
「何やってんの?」
そんなときに声をかけてきた男の子がいた。
少し賢そうで、優しそうな人。
年は自分か姉と同じくらいだろう、と思った。
「何もやってない」
「うそだ。髪切ろうとしてたじゃん。切っちゃうの?」
「……だって、みんなが変だって言うから」
しまった、と口を滑らせたことを後悔する。
「じゃあ坊主にしないとダメじゃん。坊主の方が変じゃない?」
「~~っ、それは、そうだけど」
あっさりと子供の矛盾をつくその男の子は、私より年上なのかもしれなかった。
くしゃっと笑った彼は、そのままの笑顔で言う。
「何があったのかよく知らないけどさ。君は君のままでいればいいじゃん。誰に何を思われようとも、そこは絶対変わらないんだから」
「変わらないと……ダメ。変だと、嫌われて、一人になるから」
「そんなことないと思うけど」
「そんなことある!」
「だってほら。変な方が、俺みたいに面白そうだなって思う奴がいるし」
そんなの意味ない。
そう突き返そうとして、すぐに言葉に詰まった。
彼の言葉で気付かされたのだ。
祖母だけは、私を褒めてくれたこと。いい子だね、真面目だね、って。そう褒めて、優しくしてくれた。
確かによくない印象を持って接してくる人は多い。大人にも、子供にも。
けどそうじゃない人もいるんだって、今更ながらに気付いてしまって。
「友達百人より、親友五人を大事にすればいいんだよ。で、離れ離れになりたくない五人の手を掴んどく。一緒にいたいんだよ、って。その方がかっけーじゃん」
「……かっこいい」
「そう。君にはかっこいいのが似合うよ。昨日さ、いじめられてた猫を助けてあげてたときもかっこよかったから」
「えっ……?」
少年は唐突に、前日に私がしたことを思い出した。
地元の子が野良猫をいじめていたから、私は何様だって言いたくなるくらいズケズケと注意をしたのだ。
見ていてくれたんだ、と思った。今考えてみれば、私を見ていたからこそ、このタイミングで声をかけたのかもしれなかったけれど。
そんなことはどうでもよかった。
どんなに変でも、誤解されるような姿でも、見つけてくれる人がいる。
なら、私は私らしく。
それでいいんじゃないか――なんて、彼の一言で思わされたのだから。
それは子供ながらの決意でしかなくて。
ましてその男の子は私の事情なんてちっとも知らない、赤の他人で。
けれどもその日のことは時々夢に見る。
夢に見て、その後に少しだけ悶えるがお決まりだ。
何故って、それは――。
◇
夢から戻ってきたとき、真っ先に感じたのは羞恥だった。
いつも通りの恥ずかしさ。
それはらしくもない乙女な感情を自覚しているからこそくるものだ。
何年もの時を経て、彼は私の中でどんどん美化されている。
あんなに呆気なくてチープな出会いだったからこそ、間隙を補完するように綺麗な幻想を詰め込んだのかもしれない。
私にとって原点で、そして太陽でもある男の子。
彼はもしかしたら、私の運命の人かもしれない。
そんな風に思ってしまうから、私は決まって恥ずかしくなって――。
「おはよう。調子はどうだ?」
「~~っ! どうしてここにいるんですか⁉」
「え、そこからやり直す? いや別にいいけどな……」
咄嗟に叫んだ私に対して困り顔を見せるのは、やっぱり百瀬先輩だった。
けど……あれ?
まるで教科書のいたずら書きみたいに、百瀬先輩と『彼』の面影がダブった気がした。
「あ、い、いえ。すみません。モモ先輩がここにいる理由は分かってます。ゼリーと薬をいただいて寝たときの記憶はあるので」
「ならよかった。あの勢いだと、普通に通報しそうだったから怖かった」
「失礼ですね。流石の私も恩人に対してそんなことはしません」
だよな、と百瀬先輩は笑った。
からかわれている気がして少し不服なのに、今は文句を言う余裕はなかった。それよりも頭の混乱を抑えるのに精一杯だ。
百瀬先輩と『彼』を混同するなんて、どうかしている。
そう、『彼』に半ば恋心に似たものを抱くがゆえの羞恥心が言う。
でも同時に、『彼』の在り方が頭をちらついた。
――離れ離れになりたくない五人の手を掴んどく。一緒にいたいんだよ、って。その方がかっけーじゃん
百瀬先輩は言った。
――大切だから、雫と関わり続ける理由が欲しかった
歪んでいると思う。
関わり続けるのなら、理由なんかなしに関わればいい。けどその歪んだやり方を除けば、大切な人の手を掴もうとする在り方は『彼』とよく似ていて。
それに、百瀬先輩はあのとき言った。
――誰に何を思われようと、そこは絶対変わらないんだから
別に特別なことではないから、たまたま被っただけだと思っていた。
でもいざこうして考えてみると、百瀬先輩と『彼』はどうしようもなく重なる。
「元気そうでよかった。飯、食えるか?」
「え、あ、えと……はい。食べられそうです」
「今持ってくる。汗掻いてるだろうし、ポ〇リでも飲んどけよ」
「はい」
百瀬先輩が席を立ち、部屋を出ていく。
その後ろ姿を見たとき、チリチリと頭の奥を電流が走る。
『彼』と話した数日後、夏祭りで食べたゼリーの味と。
数週間前、お菓子研究会で食べた七夕ゼリーの味が、重なる。
あのときに感じた懐かしいって思いは、『彼』が隣にいたからだったのかもしれない。
だとすれば、百瀬先輩と『彼』は紛うことなく同一人物で――。
――なんて、ずるいなぁ、私。
記憶の引き出しから大切な思い出を取り出して、後付けで自分の想いを正当化しようとしていることに気付き、自嘲した。
過去のことなんて、多分関係ない。
今のはただ、百瀬先輩にこの感情を抱いていい理由が欲しくて、物語を手繰り寄せただけだ。
百瀬先輩が『彼』か否かは問題ではなく。
私はもう、百瀬先輩に恋をしてるんだ。
「待ってください」
「ん……? どうかしたか?」
「えっと。どうして百瀬先輩は看病しにきてくれたんですか?」
私が聞くと、百瀬先輩は即答した。
「俺が上司で、大河が部下だからだ。風邪をひいてるかもしれなかったら、心配する。そういう“関係”だからだよ」
うそだ、といつかの『彼』のように思う。
ううん、思うだけじゃない。
体育祭のときの私は、当事者じゃなかった。
もしかしたら第三者ですらなくて、せいぜい第四者だったのかもしれない。
でも今は違う。
今は私も当事者だ、とは言い切れないけれど。
当事者になりたい、と強く思うから――。
「そんなの嘘ですよ。本当は私を心配してくれた。それだけじゃないんですか?」
私はずっと正せていなかったアヤマチを正すために、自意識過剰なことを口走った。




