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予選21

「重みかあ。重みって、どうやって出せばいいんだろう」


 七海は途方に暮れたような表情でそう言った。普通のアイドルには求められない要素だから、そういうのは苦手ジャンルなのだろう。俺もどう助言すればいいのか分からない。

 すると、浅生律子がこうアドバイスをした。


「J-POPとかと違って、演歌はヨナ抜き音階と呼ばれる音階法になっているの。西洋音楽のドレミファソラシっていう7音階から第4音と第7音を外して、第5音と第6音をそれぞれ第4音と第5音にする、5音音階なの。それを意識して歌ってみて。それと、こぶしとしゃくりを入れて、ビブラートをもっと深く入れてみて」

「ビブラートとしゃくりは分かるけど、こぶしって何?」

「うなり上げるように歌ったり、素早く母音を上下させたりする歌唱テクニックのことよ。ただし、こぶしを入れるときは、力を抜いて軽く入れるようにしてね。後は、頭の中で冬の日本海の景色を思い浮かべながら歌ってみるといいんじゃないかしら。雪が降る中、荒々しい波が激しくうねり、断崖絶壁にぶつかって、大きな白い水しぶきを立てる。そんな情景を想像してみて」


 そしてもう1回歌わせてみると、さっきよりも格段に良くなっていた。


「素晴らしいです! でも、さっき言ってた『ニホン海』というのは、どこの地名なのですか? 歌詞にも、聞いたことのない地名が出てきましたけど」


 ヘンリーはそう訊いた。


「えーと、それは深く考えないでください。異国情緒の雰囲気を出すために考えた、架空の地名だと思ってください」


 俺はそう答えた。


「ねえ、烏丸P。歌詞を書くための紙とペンを買ってきてくれないかしら」


 浅生律子にそう頼まれ、俺はヘンリーに文房具店の場所を訊き、買いに行った。


 久しぶりに1人になって、急に周囲が静かになったような気がした。


 ウィンドウ画面で確認するが、やはりボス猿くんの名前の横には死亡の文字があった。


 あいつ本当に死んだのかな。殺しても死ななそうな奴だったけど。「クラスメートが死んだ」という感覚は全くない。1ミリも悲しくないけど、これは仕方のないことだろう。あいつをクラスメートと認識していたのはせいぜい2時間くらいだったし、初対面のときからずっと対立し続けていたからな。

 ただ、ショックだった。

 あのままボス猿くんの言いなりになってクラス全員で首都に転移していたら、もっと犠牲者が増えていたかもしれないということが。死んでいたのは俺だったかもしれないということが。


 ヘンリーに教えてもらった小さな文房具店に到着した。店内に入ってみると、そこは判子屋も兼ねていた。


 貼り紙によると、彫って欲しい文字や図柄を紙に書いて持ち込めば、拡大・縮小して判子を作ってくれるのだという。素材は別料金で、あくまでも彫ってもらうだけの技術料は縦横3センチずつの場合2000ゼンが基本らしいが、文字や図柄の難易度によって大きく上下するらしい。

 確かに、手作業で彫るのなら、例えば一川さんと醍醐さんが同じ金額というのは、一川さんも店主も納得できないよな。醍醐さんには申し訳ないけど。


 ここで「1の3」の判子を作ってもらえばいいんじゃないかと思いついた。その判子を押すだけで、普通の色紙やノートが1の3グッズに早変わりという作戦である。図案は女子4人とも相談して決めたいから、また後で来よう。


「すみません。判子って、1番大きいサイズの素材だとどれくらいになりますか?」


 店長さんにそう聞くと、木製なら最大で縦横10センチの素材が用意してあるのだという。動物の歯製なら直径3センチの円形のものが最大だという。当然、歯製より木製の方が安いので、俺が買うのは木製一択である。

 そして、判子の見本を見ているうちに、これを工夫すれば活版印刷を作れるんじゃないかと気付いた。ザイリックによると、この世界では活版印刷はまだ発明されていなくて、本はすべて書写しているらしい。きっと、出版社に高く売れるだろう。


「逆に、木製で1番小さいサイズの素材だと、どれくらいになりますか?」

「これだな」


 店長が引き出しから取り出したのは、直径1センチ程度の丸い判子だった。


「7ミリほどの大きさで正方形の判子はありませんか? 1文字だけ彫ってくれればいいので」


 7ミリというのは地球の単位だが、翻訳魔法がそれをアルカモナ語の単位に換算して通訳してくれた。


「たった1文字でいいのか?」


 店長は不思議そうな顔でそう訊いた。


「はい。1つの判子につき1文字です。ただし、浮き彫りにしてください」

「浮き彫りだと、丸彫りの3倍以上の値段になるぞ。それでもいいか?」


 判子の表面に黒インクで文字を書いたとき、その黒い部分を彫るのが「丸彫り」で、黒い部分が残して黒い部分以外を彫るのが「浮き彫り」である。


「構いません。1文字だけの四角い判子を数個ずつ、41種類作るとしたら、お値段はいくらぐらいかかりますか?」


 アルカモナ語はアルファベットに似ていて、文字の種類は30種類しかなかった。大文字と小文字の区別もない。そこに、会話であることを示す記号が1種類と、数字が10種類で、合計41種類だった。

 ちなみに、この国でも数字は10進法だった。この世界でも、両手の指の数は合計10本の人が多いから、10進法になったのだろう。


「判子の素材自体が特注になるからな……。小さい判子を浮き彫りにするとなると、難易度も上がるし、素材込みで1文字あたり1000ゼンはもらわないと割に合わないな。数個っていうのは、具体的には何個だ?」

「えーと、それじゃあ5個で」

「5かける41種類で、合計205個か。たくさん買ってくれるから5個分はおまけするとして、1000かける200で、20万ゼンの見積もりかな」


 くっ。思ってたよりも高いな。


 よく考えたら、別に、出版社に完成品を売る必要はないからな。アイデアだけ売ればいいんだから、サンプルを自作しよう。


「……すみません。ちょっと考えさせてください。見積もりを出してもらったのにすみません。今回は紙とペンとインクだけ買います」


 俺はそう謝った。

 紙はやはり和紙のように分厚いものしか売っていなくて、1枚あたりの値段は日本で売っていたコピー用紙の20倍くらいだった。色は少し茶色がかっていた。ペンはつけペンと筆の2種類しかなかったが、1番ポピュラーなサイズを両方買っておいた。インクはオーソドックスな黒を選んだ。


 河川敷に戻ると、浅生律子がヘンリーに演歌の伴奏を教えているところだった。ヘンリーは、早くもさまになってきていた。


「えっと、練習しているのに申し訳ないけど、ヘンリーさんにやってもらいたかったのは演歌じゃなくてアイドルソングの伴奏なんだけど……」


 俺は心苦しく思いながら、小声でそう言った。


「私もそう言ったんだけどね。ヘンリーさんがどうしても演歌を教えて欲しいって言うから」


 浅生律子は苦笑してそう言った。


「アイドルが何かについてはもうヘンリーさんに説明したのか?」

「ええ。歌ったり踊ったり演劇をしたりトークをしたり、色んなことに挑戦する若い女の子のことだって説明しておいたわ」

「厳密には違うけど、今回はその説明でいいな。ところで、紙とペンを買ってきたから、『1の3』のロゴを考えてくれ。それと、サインの練習もしておいてくれ」


 俺がそう言うと、七海が真っ先に紙を受け取った。


「サインなら私、自信あるよ」


 七海はそう言ってつけペンを走らせた。


「おお、芸能人っぽいサインだ! テレビとかで見るやつだ! 凄いな」


 俺は素直に感心して褒めた。


「でしょでしょ? 何年も前から練習してたんだ!」

「でもこれ、日本語だよな? アルカモナ語じゃないと、アルカモナ人に伝わらないぞ」

「あっ……」


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