04
宮殿について、最初に案内されたのは神官庁だった。蘭の花をかたどった金飾りの門を通されたあとだと、質素な印象を受ける。ちょうど地方の市役所のように、飾り気のない白い外観の三階建てで、一階部分には受付と食堂、訓練場と、湯殿があるということだった。
明かりは最小限しかついておらず、どこに人が集まっているのかすぐに分かった。賑やかな声が響く方から、お腹の虫を呼び起こす香りがただよってくる。グウウと悲しそうに鳴いたのが、自分のお腹の虫か、隣の男の虫かは定かでない。しかし、
「腹減ったんで、陛下に呼び出されるまで、先にメシ食おうか」
シアに言われて、はるかは一も二もなく頷いた。
食堂には、十人掛けの長机が十脚おかれ、その半分ほどが埋まっていた。全員がアジア系の顔立ちだったので、蘭国は中国大陸のどこかにあるのだろう、と考えた。着崩したり、上だけシャツ姿の者もいたが、その場にいる者は全員シアと同じ白いズボンを履いていた。はるかは、自分が場違いな緑のジャージを着ていることを居心地悪く思ったが、考えないようにした。
中央には給水ポットと食器がおかれ、左手側にキッチンスペースがある。シアにならって皿とフォークをトレイに乗せたあと、列に並んで白ご飯、卵スープ、何かの肉と野菜を甘辛く炒めたようなメインを受け取り、端のほうの空いている席に座った。
「タイさん、こっちこっち」
シアははるかの向かいに自身のトレイを置いたあと、別の長机に座っていた一人の男に声をかけ、男のトレイを強引に奪う形ではるかのいる席まで連れてきた。シアと同じくらいの背丈だが、シアより髪の色が黒く、純日本人風の面立ちだ。目じりに小さな皺があり、うっすらとメラニン色素の広がる肌に、三十代くらいだろうかと想像した。
「ああ、そういえば日本に行くって言ってたね」
純日本人風の男は、はるかを見て、納得したように穏やかに笑った。
「はじめまして。僕の名前は太一なんだけど、ここではタイと呼ばれてます。急に連れてこられて不安だろうけど、なんでも聞いてもらって大丈夫なんで」
タイはそう言ってから、少し考えて、彼のトレイに乗っていたプリンを、はるかのトレイに乗せ換えた。
「とりあえず、ようこそ、ってことで」
あとから考えると、はっきりとした理由は分からないが、太一という日本人らしい名前の響きだったり、慣れない山登りの後の温かい食事だったり、いろいろな安堵が重ねったのだろう。急に涙がこぼれ、慌ててジャージの裾でぬぐった。
食堂のメニューは、それほど種類が多くなかったが、トレイに乗ったすべてのものがおいしかった。
「太一さんは、日本から来られたということですが、ご自身の意思で来られたんでしょうか?」
はるかが最初に聞きたかったのは、彼の境遇だった。世界では、本人の自由意志なく他国から人を集めてきて、自国のために働かせることに疑問を持たない国もあるということは知っている。だが、日本でごく普通の家庭に育ったはるかにとって、自分が巻き込まれるとは思っていなかった。太一が日本から来たというのであれば、同じように誰かに連れてこられたのか、自分の判断でやってきたのか知りたかった。後者であれば、その理由を聞きたかったのだ。
「僕の場合、最初は事故でここへたどり着いて、二回目は自分の意思かな」
太一は、スープの底に沈んだ一粒の胡椒を探すように、目線を下に落としてじっと考え込んだあと、続けた。
「僕はね、こう見えても、令和二年生まれなんだ。中学の修学旅行でオーストラリアにいったとき、現地で事故に遭って、気が付いたらここにいた。最初の五、六年は城下町にある居酒屋の下働きとして働かせてもらって、神官職の公募が多くなった十年前に徴兵されたあと、いろいろあって、今は神官長として管理職……まあ、徴兵する側になった感じだね」
「え、でも、私は令和元年生まれで」
「うん、驚くだろう。僕も日本へ行き来する方法を知ったとき、時間軸が違うことに驚いた。あまり多くのことは分かっていないけれど、どうやら蘭国での一年は、日本での一週間ほどになるらしい。僕はここに長くいすぎたから、今さら日本に戻って中学生の僕として生きていくことは難しいと思って蘭国へ戻ってきた。リンヘがどういう選択をするにしろ、後悔のないようにね」
太一は眦のしわを深くして、にこりと微笑んだ。半月状に細くなった瞳には、優しさの他に、少しの寂しさと諦めの色がにじんでいた。
その隣でシアは、能天気に白飯を空にしたあと、
「だからさっさと小競り合いを片づければ、日本時間の半日程度で帰すこともできる。安心して俺たちの力になってくれ」
と軽やかに右目をつむった。