70 side:エーヴィヒ 14
とても綺麗に晴れた。空が何処までも蒼く、気持ちが良い。
近親者と久遠と一年さんのみ招待し、教会で結婚式を行った。最初、幸は式を挙げる事に難色を示していたが、俺の為に式を挙げて欲しいと言ったら、承諾してくれた。
やっと幸のドレス姿が見られる…嬉しい。どれだけ美しいだろう…俺の顔はずっとにやけっぱなしだ。
花嫁の入場。お義父さんのエスコートで幸が教会内に入ってくる。
あぁ…やっと幸を妻として娶れるのだ。
帰還して六年近くも待たせてしまった。
この間も二人色々有ったが、それでもお互いの気持ちは離れなかった。幸が思考の森へ逃げようとすれば、勿論、俺は引きずり出して捕まえた。逃がす筈が無いだろう?俺を愛している癖に、いつも欲している癖に、離れようとするなんて…そんな事は許さない。
お義父さんから幸の手を引き継ぐ時、小声でお義父さんへ感謝を伝えた。頷いてくれた。
幸はとても恥ずかしがっていたが、純白のドレスがとても良く似合っている。やっと彼女に着せる事が出来た。…感極まる…駄目だ、落ち着け。
現実世界での誓いの言葉は…正直、俺には内容がゆるいと感じた。病める時も健やかなる時も生涯愛する?
違うな、現世だけなんて嫌だ。来世だってその次だって俺の魂が有る限りは幸を愛するし、俺の女にする。俺に縛り付ける。他の男には渡さない。
頭がおかしい、病んでいる、と思われてもいい。
幸しか愛せないんだ。幸しか愛さないんだ。
幸さえいてくれれば、俺は生きていけるのだから。後は必要なモノだけ側にいてくれればいい。
誓いのキスの為に、幸のベールを上げる。涙ぐんだ瞳に上気した頬…余りの美しさに絶句した。
俺は、涙が出て、止まらなくなった。
「幸…愛している。やっと法的にも俺の女だ」
幸の唇にキスをする。あの世界の婚約式ではティリアの腰を砕いてしまったが、今回はちゃんと唇だけのキスを贈った。
キスをして幸と見つめ合うと、花の様に微笑んでくれたが、婚姻式の事を思い出しているのが解った。そしていつもの様に俺の左頬を撫でながら、止まらない俺の涙をぬぐってくれる。その掌にキスをする。
「誠くん…お嫁さんにしてくれて、ありがとう」
あぁ…幸せだ。
こんな幸せを感じる事が出来るとは、思わなかった。
幸…この気持ちを俺にくれて、ありがとう。
俺を受け入れてくれて、ありがとう。
幸せな日々を過ごしていた。
幸はその名の通り、俺を幸せにしてくれていた。
颯も結婚し、義理の孫が出来た。俺は若くして義理の祖父になった訳だが、こそばゆい気分だ。孫が可愛いのは勿論だが、幸の孫への溺愛っぷりが可愛い。颯の奥さんも俺達の事情について理解と納得してくれており、感謝している。
俺は幸と婚約した時、防音室のある新築の家を購入していた。地価が安定しており、何か遭った時には財産になる。何より…幸を監禁出来る。しかし現時点で防音室は幸のカラオケ室になっている。スマホでのカラオケだと反応が悪いからと、サプライズのつもりで、幸が愛してやまない(俺とはカテゴリが違うから仕方ない…と無理矢理納得した。したくはないがな…)DAMの最新機種をフルセットで購入したら…流石に怒られた。
俺と喧嘩をすると幸はこの防音室に閉じこもり、ずっとカラオケをしている。時間を見計らって迎えに行くといつもスッキリした顔で出てくるのが可愛い。ある時、中々出てこない事に痺れを切らし解錠して室内に乗り込んだ。防音室は内鍵しか無い様に見える作りになっている。幸は外側から解錠出来るとは思わなかったのだろう、心底驚いて俺相手に思わず悲鳴を上げた様だ。その悲鳴に俺は加虐心が起こり幸の唇を強引に激しく奪った。幸は反抗をしたが、やがて俺だと気付くと、安心した涙と共にめちゃくちゃ怒られた。正座して何度も謝罪をしたが、その晩は一緒に寝てくれなかったのが…辛かった。二度としないと誓うには充分な案件だ。
颯の子供が5歳を迎えた頃、お義父さんとお義母さんが相次いで亡くなられた。孫だけでなく曾孫にまで会えた事が奇跡だと…俺が幸の夫になった事が何よりの僥倖だったと言ってくれた。俺はお義父さんをとても尊敬していた。お義母さんをとても大切に思っていた。幸は壊れてしまうのではないかと思う程に泣き、涙も枯れ果てた後、
「ふたりはとても愛し合っていたから、お互いがいない…ひとりじゃ、駄目だったのね」
とぽつりと言った。
葬儀や相続等の手続きが思っていた以上に膨大だった。幸は司法書士と共にしっかりとやっていたが、食事が喉を通らず、一日一食摂れれば良い状態になった。体重はたった二ヶ月で十キロも落ちた。俺は相続人の配偶者という立場の為、余りにも出来る事が無かった。出来た事は車での移動や書類整理と家事位。この時程、何も出来ない事が苦しいと思った事は無かった。
相続関係の手続きが完了した日。幸は珍しく俺の腕の中に居たがり、俺を求めてくれた。沢山、キスを贈り、抱き締め…愛した。その後、幸は長時間の深い眠りの中へと入っていた。やっとゆっくり眠る事が出来たのだ。眠りから醒めた幸の顔がとても穏やかだったのを見て、ホッとしたが…何故か少し怖かった。
幸と余り旅行をする事は無かった様に思う。時々温泉や日帰り旅行へ行ったが、幸もフルタイムの仕事をしていたからだ。俺は幸を専業主婦にしたかったのだが、働ける内は働きたいと彼女たっての願いだった。幸は自分の欲しいモノは自分の給与で購入するのが信条だったから、無理をしない事を条件に送り出していた。幸と海外へ行ったり国内でもいいから一緒に旅行をすればよかったと悔いている。
穏やかに季節は巡っていく。
久遠と一年さんは会社の取締役になっていた。俺と幸がメンバーだった第一被験者は合計四名が生還…。その後の第二、第三被験者も生還者が多く有用性が高いとプロジェクトが少し違った方向で成功したからだ。機器は改良され正式運用となった。しかし保健が効かない為に利用するには高額になる事や、利用者の個人情報保護等の関係で有る程度の規模が必要な事等、利用出来る病院施設も限られた。
この話を知った時…解ってはいたがオズワルドとガウェインが帰還出来なかった事が悲しく辛かった。彼等は学園時代にティリアと付き合う切っ掛けを作ってくれたり、補佐をして助けてくれたりと…心から信頼していた友だった。
既に関係者では無くなっていた俺達に、久遠はその職務内容から口外は出来なかったのだと思う。勿論、それは当たり前の事で納得していた。
なのに久遠はその事が公になる前にわざわざ知らせてくれたのだ…謝罪と共に。久遠は悪くないのに本当にあいつは優しすぎる。あの仕事を続ける事は久遠には辛いのではないか?そう、俺に余計な事を考えさせた程に。
いずれにしても久遠と一年さんの出世だ。幸と共に四人で祝った。
その日は突然やって来た。
幸の気管支喘息がとても酷く、薬も上限まで飲んでも効かない状況になった。有る程度迄は持ち直したが、もうこのままでは肺も保たないと言われた。…医師から余命宣告を受けたのだ。
俺の研究薬は実用化していたが、幸の症状には合わないが他の患者には有用性が有る代物だった。今研究中の薬も治験の初期段階で間に合わない。それでは意味が無いのに!何の為に製薬会社の研究チームに入ったのか?俺の選択は間違っていたのか?
幸は投薬量を減らしてから多少は身体が楽になった様だ。だが幸の先が見えて来た今、もう会社にいる必要も無い。幸と最期まで一緒にいる為に退職する事にした。
一志に幸の余命宣告と俺の進退について話した時、両親や颯達と同様、俺の今後の生活の為にも休職の方がいいと勧めてくれた。
幸がいない世界で俺が生きていけると思うか?
幸がいるから色や匂い等の五感を感じる事が出来ている俺が、元のどうでもいい世界に戻った時にまともに生きていけるとでも?
答えは、無理、だ。
俺は幸が居るから、その言葉の通り生きていけるのだ。幸がいない世界に、俺は、耐えられない。そんな状態の俺を見せたくない。
だがそんな俺の本音は言えないし言わない。余計な心配を掛けるだけで、意味が無い。
職場での引継も日頃から何か遭っても良い様な状態にしていた為、細かい部分を入れれば五日も有れば充分。残りは有給消化で規定の三十日前申請で事が足りた。有り難い事に上司も残留する様にと何度も提案してくれたが、俺の意志が固い事を知ると、席は残しておくからいつでも戻って来る様にとまで言ってくれた。…もう会社に対しては思い残す事は無い。
出社最終日。改めて関係各所へ挨拶周りをし、帰途に着く。
あと少しで自宅だ。やっと幸に逢える。今朝の幸はとても調子が良さそうだった。いつもの様に玄関内でキスをして門扉まで見送ってくれた。あの時の幸の表情がとても可愛くて、今、思い出しても俺は幸せになる。幸は俺を幸せにする天才だ。早く逢いたい。逢って幸を抱き締めたい。これからは幸とずっと一緒に過ごせるのだ。幸がいままで頑張って来てくれた分、俺が幸を甘やかしたいんだ。
交差点で信号が点滅した。いつも通り慌てずに次を待つ。
角の交番には顔なじみの警官が数人立っていて、お互いに会釈をした。
そういえば幸は交差点での交通事故であの機械に入ったと言っていた。信号が変わって左右前後の確認をしてから横断歩道を渡ったのに事故に遭ったと。
俺しかいない交差点。
何となくいつもよりも一歩後ろに下がる。
そんな不穏な事を考えたからだろうか?
車が来た時に誰もいない筈の後ろからとても強い力で突き飛ばされた。
スローモーションになると言うが、本当だ。周りが、とても、ゆっくり見える。
押した人間を見ると…お前、馬鹿か!折角、刑務所から出れたというのに。また逆恨みなのか?奴は下卑た笑みを浮かべて俺を見つめていた。
交番から警官が慌てて走って来るが、間に合わない。
…そう、もう何もかも、間に合わないんだ。
幸の顔が浮かぶ。あぁ…君を残して逝く事になるのか?俺はそれを一番恐れていたのに。俺の事で君を泣かせたくはないのに。あんな風に君をひとりで泣かせたくはない。
「幸、ごめん。愛してる」
俺の身体は車に吹き飛ばされた。




