68 side:エーヴィヒ 12
久し振りの…二十一年振りの帰宅だ。
「お兄ちゃん、お帰りなさい!」
結が勢いよく抱き付いた。
「ただいま。結、俺に抱きつくのは止めろと言った筈だ。もう子供じゃないんだ」
結は俺の背中に腕を回し、胸に顔を埋めて、いいにおい~と言いながら匂いを嗅いでいる。
俺は結に触れない様に直立不動でいる。
「えぇ~、いいじゃない。お兄ちゃんにくっついていたいの」
上目遣いで俺を見る。相変わらず異常な位のブラコン具合だ。
「俺は、もうお前を守ってやれないし、守らない。今後は一切、抱きつく事は勿論、無用な接触は許さない。…覚えておけよ」
妹とはいえ、幸に余計な心配は掛けたくはない。
「お兄ちゃん、冷たい」
甘えた声で言う。以前の俺ならここで折れたかもしれないが、もう俺は以前とは違う。以前の俺のせいで結がこうなってしまった可能性が有るのだ。これを機に結のブラコンをどうにかしたい。
「いい加減、ブラコンから卒業しろ」
結の瞳の奥を見て強く睨む。…気付いてしまった。結の目が、女の目だ。以前から結の俺への態度は少しおかしいと思ってはいたが、打ち消してきた。何で、俺をそんな目で見るんだ?可愛い大事な妹だった結に対して嫌悪感を抱き始めてしまった。
「誠、学校から電話だ。今、出られるか?」
先に帰宅していた父が保留にした電話を持って来てくれる。
「学校から?出る。ありがとう」
結に触れない様に身体を動かし、その腕を外す。
急いで電話に出る。
「お待たせ致しました、誠です」
結の視線を感じるが、それどころではない。
「あぁ司波くん、先日の件なんだが…」
先生の話は耳を疑う内容だった。
不足分の授業をこれから現役生の授業でやる為、俺さえ良ければ今年度の残りの授業を一緒に受けないか?という提案だった。是非もない。早速、来週から通う事にした。
数時間後、幸の病室に来ていた。
復学が決まった為、なかなか見舞いに来れなくなりそうだと幸の様子を見に来ていた久遠にも一緒に報告した。二人は学校側の対応に驚いた後に喜んでくれた。
俺の今後について。まだ願書提出には十分間に合う時期だから今年度は通学と受験勉強を同時にやっていく。間に合わなかったら再来年から大学進学になりそうだ、と伝えた。
その話が終わった直後、ご高齢のご夫婦と少年が病室に入ってきた。俺を見て驚いている。幸のご家族だろう。
まさか何も用意をしていないこのタイミングでの対面になるとは、思わなかった。動揺したが直ぐに立ち上がり、挨拶をする。…緊張する。
久遠は一番驚いている幸の母親を落ち着かせ、ソファに座らせてくれた。あんなに驚いているが大丈夫だろうか?
幸は新しい茶の準備をし、久遠はこのまま同席する事の了承を視線で寄越した。助かる、と応じた。
皆が席についてから、幸が改めて俺をご家族に紹介してくれる。俺の事を、あの世界での婚約者…夫で、現実世界に戻った今でも一番大切に考えてくれている人だと言ってくれた。…そう思ってくれている事が嬉しくて胸が熱くなり、涙が出そうになった。
俺は姿勢を正し、改めて自己紹介をした。
幸が退院してからご挨拶に伺う予定だった事を先ず伝えた。年齢が幸の半分しか無い事、これから自分の建て直しの為に直ぐに一緒になれないが、自立次第、幸を妻に迎えたい事。今後も幸の側にいる事を許して欲しい、俺には彼女しかいないし、彼女以外は愛せないと…自分の想いを伝えた。
幸の母親は、俺にはもっと若い女性がいいだろうとか、わざわざ自分と歳の近い子供のいる女を選んで苦労をしなくても…と本当は違う意図を持っている事が解る様な侮蔑を宿した視線で呆れた様に言った。その言動に思う所も有るし、悔しいが…想定内だ。テーブルの下でそっと幸が小指を絡めてくれた。俺は年齢や立場、ご子息がいても全く関係無い、あの世界でもずっとご子息を大事に思っていた彼女だからこそ欲しいと言い切ったが、ずっと疑いの目をしていた。仕方無い。母親としては、気に入っている様子の久遠の様な男を…と思っていたのだろうから。気に入って頂ける様に俺が努力するだけだ。
幸の父親は、かつてのグルック公爵と同じ瞳をしていた。暫く時間を置き、再度考え直す方がいいのでは?と。かの人と同じ提案をしてくれたのだ。しかし…もう既にあの世界で八年以上待って、やっと幸を手に入れられたばかりなので、その提案は受け入れがたいと謝罪した。そうか、とだけ言って頷いた。
息子さんは…ずっと敵意丸出しの表情をしていた。こちらも想定内。当たり前だ。やっと目覚めた母親が、女になっていたのだ。しかも息子の自分と余り年の変わらない男が相手だ。幸からは息子さんはゲームはしてもMinecraft位で、恋愛系のゲームは全く興味を示さないと聞いていた。だが彼はあのゲームをプレイし、俺がエーヴィヒだという事を見抜き、驚いた事に久遠と共に援護射撃をしてくれたのだ。
そのお陰でご両親から、どうにか許可を頂けた。
帰り際に息子さん…颯くんが、今回の事は想定内だったと、ご両親について任せて欲しいとまで言ってくれ、連絡先を書いたメモまでくれた。
「ルートによっては死ぬ可能性の有ったあの世界で、母を最善の形で守ってくださり、ありがとうございました。彼女の事だから、何度も変な所で凹んで悩んで思考の森に迷って、司波さんや周りの方々にもかなり迷惑を掛けたのではないかと思う。どうか、この世界でも彼女を守ってやって下さい」
…母親である幸を、彼女、と表現した事に内心、驚いた。颯くんの瞳の奥を見つめる。
「はい、勿論です」
読めない…。こんな風に読めない人は初めてだ。
「これから長い付き合いになるから、俺とも仲良くして下さい。…俺が願うのは彼女の幸せだけですから」
十六歳とは思えない颯くんの言葉と表情に、彼のこの三年間を思った…。
その後、颯くんとよく連絡を取る様になった。
ご両親の事も取り持ってくれ、五人で幸の病室で会う事も増えた。ご両親も打ち解けてくれた様で嬉しい。颯くんのお陰だ。
いつしか、俺を兄の様に親友の様に慕ってくれているのを感じる様になった。とても嬉しい。
この頃には俺も実家を出て一人暮らしをしていた。
理由は…まぁ様々だ。両親には、俺も成人したから自立の為とか勉強に集中したい等と言ったが…最大の問題は結の存在だ。結が毎晩深夜に俺の部屋に入ろうとするのを父は気付いていた様で、帰還したばかりだからと反対する母を抑え説得してくれた。また父は新居の場所の開示や鍵は預けなくていいとまで言ってくれた。だから俺の部屋の鍵は幸と颯くんしか持っていない。この時、父にだけは幸の事を話していた。かなり驚いていたが、幸の体調が落ち着いてから連れてくる様にとだけ言われた。
帰還して二ヶ月。幸が退院する事になった。
彼女が住んでいた公営住宅は、彼女の名義そのままに継続入居が出来る様になっていた。本来ならば名義人である彼女が四カ月程でも帰宅出来ない場合、早急に返還するのが公営住宅の決まりだそうだ。だが一度も支払い漏れが無かった事と、事故での意識不明・早期に帰還の可能性を久遠から受けていた事も有、特例で住み続ける事が出来たのだという。
颯くんはこの家で一人で暮らし、時々ご両親が様子を見に来てくれる…そういった三年間を過ごしていたと説明を受けた。子供の一人暮らしだからよからぬ噂も立てられそうになったが、彼は家族以外は、業者を含めて一切の入室を許可しなかったそうだ。洗濯・掃除も出来るが、料理は炒飯と野菜炒めとローストビーフ以外は美味しく出来ないと苦笑いをした。
幸は体調管理と諸手続の為、暫くは自宅で過ごす事になる。生活費は…俺もこの時に知ったが…久遠の会社から被験者手当として相当額が毎月通帳に振り込まれている事、また保険に入っているから入院給付金等の保証が各社から沢山貰える為、充分に暮らせるとの事だった。
…久遠は本当に幸や俺達を多方面で助けてくれていたのだと、感謝した。
お互いの生活基盤を作る為、幸と週末のみ逢う事になった。逢いたくなったらティリアのベッドに潜り込んでいたあの頃と違い、現実世界では転移なんて出来ないから、その分、辛い。
幸とは俺の部屋で逢っていた。
早く俺を刻み込んでしまいたい…そう思っているし身体も強く疼くが、彼女が側に居てくれる事や彼女の微笑みを見られる事が俺にとっての幸せである事にも気付いた。
何よりグルック公爵との約束が脳裏に有ったのだ。かの人は実在の人物ではない、AIだ。だが…ティリアにとっても大事な人だし、俺の事をきちんと見てくれた大切な人だ。約束は守りたい。
どうしても抑え切れない時は…いや、毎回か…幸を離せない時も有った。そんながっついた俺をも幸は受け入れてくれた。
帰還して三ヶ月が経った。
この日、俺は幸と一緒に実家に来ていた。
事前に父には連絡をしていた。家族総出で対応してくれるとの事だったが、俺は結の事だけが気掛かりだった。
結のあの瞳…。幸に何もしないといいのだが…。杞憂であって欲しい。
「ただいま」
ドアを開けて入ると、早速、結が出迎えた。
「お帰りなさい、お兄ちゃん!」
…あれ程、言っていたのに、また抱きつかれた。
「結…」
怒りを込めて静かに言う。
「こんにちは、初めまして。結さん」
幸が俺の後ろから顔を出して、可愛い笑顔で結に挨拶をしてくれる。結なんかにそんな笑顔を向けなくていいのに。
「え、お兄ちゃんが女の人と一緒…どうして?」
結は俺からやっと離れて幸を見つめる。敵意の有る瞳から驚愕の瞳へと変わる。
「ティリアフラウ…?貴方は、ティリアフラウね!ようこそ!上がってください。わ~、本物のティリアフラウだ!あぁぁぁぁ、お母さん、お父さん、お兄ちゃんが、ティリアフラウを連れて帰って来た!きゃ~、どうしよう!」
結が興奮と絶叫と共に奥へと走って行った。…少し恥ずかしい。
「何故、結さんは、私がティリアフラウだと判ったのかしら?誠くんは私の事を伝えたの?」
ぽかんとした幸。…呆れられてはいない様で良かったが、その表情すら愛しい。
「いや、家族には話していない。あのゲーム世界にいる事は通達されたそうだが、配役については一部例外を除き、開示されていないと久遠から聞いている。だから俺がエーヴィヒだった事も知らない筈だ」
今日の幸は玉かんざしを使ったハーフアップ…よく解らないがそういうヘアスタイル名らしい…だ。彼女の艶やかな髪を一部掬ってキスをする。
「そうなの?颯が私をティリアだと知っていたから、誠くんのご家族も知っているのかと思っていたわ」
「君がティリアフラウだから開示されたんだと思う」
ティリアはあの世界でも死ぬ可能性は充分に有ったと久遠から聞いている。だからこそベヒューテンの存在が有、あの颯くんの言葉に繋がる。
「そう…そうなのね」
少し昏い表情をした幸の腰を抱き寄せ、唇にしたいのを抑えてこめかみにキスを贈った。玄関を上がる様に促す。
「これからも俺が守るから。安心して」
赤い顔をして幸は微笑む。
「ええ。ありがとう」
そのままリビングにエスコートし、途中で母が迎えた。
「誠、お帰りなさい。初めまして、ようこそ」
母が幸に笑顔を向ける。…母は心底、嬉しそうな表情だ。珍しい。
「こんにちは、初めまして。お邪魔します」
幸は凄く緊張している。繋いだ掌からは先程よりも大量の汗が出てきている。
「幸、緊張しなくていい。大丈夫だ。俺の家族だから気負わなくていい。それに…俺がいるだろ?」
繋いだ幸の手を持ち上げて、そのままキスをする。じっと幸の瞳を見ると、何故か緊張よりも羞恥心の方が勝っていた。
「誠…!ちょ、お、お父さん!」
母が動揺し始めた。何でだ?
リビングで両親と結、幸と俺で対面した。母は俺が女性を連れて来たと喜び、結はティリアフラウだと興奮し、父も満足そうに微笑んでいた。
父は、今日、俺が幸を連れて行く事を二人に話してはいなかったそうだ。ただ一言、俺から重要な話が有るとだけ伝えたと。まぁ、重要な話だが。
皆、幸の年齢と状況、出逢った経緯等を聞いて驚いた。
「じゃあ、誠の一目惚れだったのね?向こうでもこっちでも。誠は、高校生になっても彼女を作らないし、心配だったのよ。もぅ、安心したわ~。幸さん、これから宜しくね」
「剣道馬鹿の至らない息子だが、幸さん、末永く宜しく。ま、誠より俺達の方が歳が近いからな~。義両親扱いよりも友人感覚でやっていこうな。あ~、颯くんにも会いたかったな」
「私、あのゲームでティリアフラウが一番好きでね、お兄ちゃんと一緒に隠しルートのティリアフラウをプレイしたんだけど。お兄ちゃん、現実も創作世界でも女に全然見向きもしなかったのに、ティリアフラウだけは反応が違ったの。まさかティリアフラウを捕まえてくるとは思わなかったわ…」
三者三様に色々と言っているが、まぁ、反対はされなかったから良かった。
幸は家族の話を色々と聞きながら、本当に俺の事を話しているのか疑問に思った様だ。
「誠くんから、剣道一筋でいたと、聞いてはいたのですが、本当に女性のお友達も居なかったのですか?」
それに母と結が過剰反応した。
「嫌になる位に、色んな所で女子からよく声を掛けられていたけどその場ですぐ断ってた。女子には冷たい対応でね。強いて言えば、女子では私だけ大事にしてくれて、私、羨望の的だったの!」
「初恋すらしていなかったみたいだから、私、心配だったのよ~。ウチまで押し掛けてくる熱烈なお嬢さんもいたのに、興味無い、帰れ、家まで来るなって、驚く程に冷たい対応だったわ。親馬鹿だけど、折角、イケメンに産んだのに、もう少し愛想を良くしたらいいのにって思ってたのよ~」
過去の俺の話を色々暴露していく。否、別に後ろ暗い事も無いからいいが。
「誠くんが、冷たい?あんなに私を執拗に溺愛してくれる人が…?」
呆然と幸が言う。多分、心の声を発してしまったのだろう。何て可愛いんだ。あぁ、キスしたい。
「俺が優しく出来るのは、幸だからだよ」
彼女を抱き寄せて耳元で愛していると囁いて、耳にキスする。
幸はゆでだこの様に真っ赤になり、母と結は悲鳴を上げ、父は気持ちは解るが二人きりの時にしなさいと俺をたしなめた。何でだ?
気が合ったのか幸は両親と直ぐに打ち解け、帰りには、尊くん、雅ちゃんと呼び合っていた…まぁ両親がゴリ押ししたのだが。しかし素面で、幸に名前で呼ばせる練習させるとは…両親の意外な一面を見た。…やり過ぎだろう。幸が楽しそうだったから…不本意ながら良しとするが。
結は結で、幸にベッタリで目を輝かせていた。…お前は小学生か。結の俺に向ける視線から、女の瞳の色味が少し抜けていた。幸の存在が抑止力になった様だ。
いずれにせよ、これで心配していた両家への挨拶は無事に終わった。




