62 side:エーヴィヒ 6
直談判しに行ったが、既に父達に俺の行動は見破られていた。父の嬉しそうな顔。相手の方が上手だった…というより、俺が我慢出来ないと思われていたのだ。何だか、悔しい。
しかし予定よりもぐっと短縮出来たのだから喜ぶべきなのかもしれない。三ヶ月か。間に合うだろうか。
父の書斎を退出し、ティリアを抱いたまま自室へ向かう。途中で会った侍女に庭園に置いたままになっているの荷物の回収を頼んだ。
「恋人期間も、あと少しで終わりなのね、エーヴィヒ」
自室に着いてから発したティリアのその言葉が、何故か非難されている様に聞こえた。
「ティリアは結婚するの、嫌なのか?」
自室内のソファに降ろす予定を変更し、ベッドに降ろした。逃げられない様にそのまま腕の檻に彼女を捕らえる。
「そうじゃないわ。貴方と一緒に暮らせるのよ?とても楽しみだわ。もう、エーヴィヒってば何でそうネガティヴなの?」
俺の頬に手を伸ばす。
「いつも自信たっぷりなのに。困った人ね」
俺を落ち着かせる様にそっと触れる。あたたかい。その白い掌に頬を寄せる。彼女に見透かされている。
「君に対してはいつだって自信が無い。これで良かったのか、君に嫌われないか…と思う時が有る。前世といい、今世といい恋愛経験が皆無だから、余計に」
ティリアが愛しくて、離したくなくて、掌にキスをする。すがりついている様で情け無いが、気持ちを偽ったり隠すのは彼女にはしないと決めていた。
「貴方は素敵よ、エーヴィヒ。私はいつも貴方でいっぱいなのに。…私、普段から貴方を不安にさせる様な事をしてた?今も不安にさせている?」
俺が正直でいる限りは、ティリアも正直に応えてくれる。…先程の彼女の精一杯の提案を無碍にしたにも関わらず俺でいっぱいなのか…嬉しい。
「いや、俺が勝手に不安になって自信を無くしているだけだ。ティリアは何も悪くは無い」
「どうしたら、貴方の不安を無くせる?結婚したら、私に対して不安は無くなる?」
優しく頬を撫でてくれる。俺の想いをすくってくれている。…だが。
「判らない。君はまるで鳥の様だからな。捕まえて籠に閉じ込めたくなる。しかし閉じ込めてしまえば、俺の愛する君がいなくなりそうだ」
もっと君が欲しい。今すぐに君を俺だけの世界に閉じ込めてしまいたい。俺だけを見て欲しい。俺だけを…。
「だから、さっきの束縛の話が出たのね?」
言葉と相反する昏い思い。俺の昏い醜悪な考えが彼女に見つかった?激しく動揺し、体が揺れてしまう。
「いつも私に触れてくれるのは、私が貴方から逃げてしまうと思ってるからなのね?そこへケインの話が出た」
醜悪な思いが見つかった…見つかってしまった。
「…情けない、男だろう?」
ティリアはこんな俺に呆れただろう。
「さっきの話。私、うやむやにしてしまった事が有るのだけど、聞いてくれる?」
俺をじっと見つめてくれる。
「エーヴィヒ。貴方はそんなに私を想って考えてくれているのね。人によっては、貴方の行動や言動を重いと嫌がる人もいると思うわ」
ティリアも俺を重いと…本当は嫌だったのか?確かに俺の想いは、人のそれに比べたら重いかもしれない…それをティリアは我慢して付き合ってくれていたのか?悪い考えばかりが脳裏をよぎる。
「でも、私はそういう人を求めていたの。前世からずっと。私だけを見て、愛してくれ、求めてくれる。そんな人を。エーヴィヒとは学園入学の時に再会して、一目惚れしちゃったけれど。こんな理想の人、いないわ」
俺が…理想?
「私の愛情表現が少なかったのね、ごめんなさい。私も前世を含めて恋愛経験が殆ど無いし、貴方が沢山くれるから、とても満たされていたの。だからもし、また不安になったり足りなかったら私に聞いて欲しいの。エーヴィヒ…お願いを、きいてくれる?」
俺の様な重い昏い男がティリアの理想だと…?
ティリアを満たす事が出来ていた…?
ティリアは俺をすくい上げてくれた。
余りの喜びにティリアを強く抱き締める。
「君の願いなら幾らでも叶えるよ。…そうだった。君は嫌な事は嫌だとハッキリいう人だった。この俺でいいんだな?」
「ええ」
ふわりと花の様に微笑む。その笑顔を俺で汚したいと…思ってしまった。
「…言質は取ったぞ」
ティリアをきつく抱き締め、彼女の脳に刻みつける様に低い声で耳元で囁く。もう…逃がさない。
「ええ。困った人ね。…でも、少し怒ってもいるのよ」
「君が、俺に?」
ティリアを怒らせる様な事をした事が有っただろうか?まるで見当がつかない。
「だって、そうでしょ?今まで散々色々な事を私にしてるのに、エーヴィヒに許して来たのが、どういう事か、解っていなかったって事でしょう?」
言葉にしてなくても俺を受け入れた事を…身体をも預けてくれた事を言っているのだろう。それは確かに愛情表現だ。俺は俺の想いでいっぱいいっぱいで、彼女の想いをしっかり受け止めていなかったのだと、気付いた。それは彼女への失礼な行為だ。
「う…」
本来なら、こんな自分勝手な男、とっくに彼女に見限られていても仕方が無かったのかもしれない。
「私だって、貴方がいなくなるんじゃないかって、不安なのに」
この世界の事を彼女が感知していないのなら、そうだろう。
俺は自分の欲ばかりで彼女の不安に対してフォローしていなかった。
「そ、そうだな。悪かった」
自分の不甲斐なさが情けない。
「だから、罰として今日は残りの時間、甘えちゃいます」
「ティリア!」
思い掛けない提案に胸が激しく音を立てる。
そんな俺の髪を撫でながら、君は言ってくれた。
ずっと君の唇から発せられるのを待っていた、あの言葉を。まさかこのタイミングで言ってくれるとは思わなかった。
「愛してるわ、エーヴィヒ」
こんな俺でも、君は受け入れて、愛を捧げてくれた。俺を愛していると。この俺でいいと。
それならもう心配する事は無い。
これからもこのままずっと君と一緒にいられる。例えそれがここではなくても。
何度も角度を変えながらキスを贈り、服を脱がし、愛撫する。俺の所有の証をその白い肌のあちこちに沢山付けた。君はか弱い可愛い声を聞かせてくれ、真っ赤な顔で俺を求め、受け入れ、抱き締めてくれた。
俺の劣情や欲望や狂気…昏い思いを全て流す様に。
君はその身に俺を受け止め、求めてくれた。
ティリア。君を愛している。愛している。
もう…ずっと前から俺は本当に君無しでは生きる事が出来ない。
君だけが…俺の…。
ベッドが軋んでティリアの身体が離れていく。俺の腕から出て行くティリアの腕を掴んだ。
既に黄昏時だ。どれ位、俺達は眠っていたのだろうか。
「起きたのか…何処に行く?」
幸せなこの時間を…君をまだこの腕に抱いていたくて、直ぐに戻って欲しくて言った。
「もう遅い時間だから帰るわ」
なんだかよそよそしい声音だ。笑みもいつもと違う。固い。
「ティリア…?」
眠っている間に何か有ったのか?
…俺がしつこく愛し過ぎたか?
「何?エーヴィヒ」
言葉と声音が、違う。しかし発したティリア自身も驚いている。まだティリアだ。
「…いや、送るよ」
ティリアの腕を放した。
グルック邸までティリアを送っている。
例え喧嘩をしていても、俺は必ず彼女をグルック邸まで一緒に行って送ると決めていた。どんな時でも、どんな状況でも彼女と一緒の時間がいとしいのだ。
狭い空間に二人きり。手を伸ばせばティリアに触れられるこの距離が俺は好きだ。ティリアもこの時間が好きみたいだ。嬉しそうな彼女を見る事が出来る事も好きな理由だ。
…俺のこの状況で、この時間をまたティリアと過ごす事が出来るのか。これが最後なのか…。
彼女もいつもと違う。ふさぎ込んでいる様に見える。一体どうしたのだろうか。聞きたいが、そんな雰囲気ではない。
「エーヴィヒと過ごす、この時間も、好きよ」
ぽつりと言った。
「うん、知ってる。いつも嬉しそうにしているティリアを見るのが、俺も好きだ」
「そう、知ってくれていたのね」
ティリアが躊躇いがちに両手を伸ばした。その両手を包み込み自分の両頬に当てる。
思い詰めているティリアの双眸。ティリアは気付いたのか?しかしそれを確認する事は躊躇われる。
「愛している、ティリア。俺はティリアフラウではなく、君を愛している」
少しでも君の心を支えられたら…と気持ちを伝える。君に支えて貰ってばかりの俺の気持ちなんかが、支えになんてなるだろうか?
「私もよ、エーヴィヒ。貴方だけ。これからも、これまでも」
君の言葉がとても重く深く俺に響く。…不安を感じるのは何故だろうか。
「ティリア…キス…していいか?」
「して。エーヴィヒにキスして欲しい」
「おいで…」
両腕を広げて招くと、泣きそうな表情でティリアは俺の背に腕を回して抱きついて収まる。いとしくて、強くティリアを見つめ…ティリアの唇に触れた。上唇と下唇にもそっとキスをした。ティリアは俺の首に両腕を回して抱きつく。彼女の柔らかい身体を強く抱き締め、深いキスをした。
唇を放した時、お互いの唇を繋いだ唾液の糸が光って切れた。
「ティリア…話しておきたい事と、話して欲しい事が有る。しかし上手く説明出来ない。近い内に時間が欲しい」
ティリアは身体を震わせた。
この不安感を拭いたくて…これからも君と一緒にいたいから、先の事を話しておきたい。
この世界から離脱する可能性。
俺の体調は悪くないから、多分、近い内に現実世界に復帰出来る。…婚姻式よりも前になるかもしれない。
ティリアの体調も…俺が無理をさせているが、それ以外の問題は無い筈だ。きっと彼女も復帰出来る。だが、彼女はいつこの世界から離脱出来るのか?その話もしたい。
俺の希望でしかない。本当に彼女が離脱出来るのかは判らないが、彼女のこの違和感が、現実世界への復帰の布石だとしたら?
「ええ。分かったわ、エーヴィヒ」
それでも儚げに微笑んでくれた。…俺のために。
とうとうグルック邸に着いてしまった。
「あぁ…離れたくない。ティリア、このまま溶け合ってしまえば、ずっと君と離れないで済むのに」
腕の中にいる君を離したくない。離したら消えてしまいそうだ。
「私も同じ気持ちよ、エーヴィヒ。…でも、ケジメの無い人は、嫌い…よ」
いつも別れる時に言っている言葉なのに、声が震えている。何かを隠している様な気がする。だが、その声音に…いつもとは違う俺を拒んでいる気配も感じた。思っていた以上にショックだった。
「君に嫌われるのは、嫌だ。…解ったよ」
強く抱き締めていた腕が、急に、力が抜けた。
ティリアは何かに迷っている様子だった。
マナー違反だが、このまま屋敷にお邪魔するか?
馬車の扉が開く。
外では侍女達が彼女が降りるのを今かと待っている。
寂しそうな、悲しそうな…そんな瞳で彼女は言った。
「また、明日。王城で」




