55 side:ベヒューテン 8
幸ちゃんの荒療治で、司波くんは落ち着いた様に見えた。
彼女曰わく、彼女の中のティリアは消えないし、司波くんの中のエーヴィヒは消えないから、少しずつ融かしていくとの事だった。
幸ちゃんから改めて感謝の言葉を貰ったが…私としては少し複雑ではあった。
いずれにせよ私は彼女がどんな決断をしたとしても応援すると約束した。今後も彼女を見守っていく事にした。…彼女との今後の繋がりを作れたのだ。
私は気付いたのだ。
私は今も間違いなく幸ちゃんを愛している。彼女を自分だけの女にしたい、この腕に抱きたいと。彼女を笑顔にして彼女を自分の手で幸せにしたい。ずっと彼女を欲している。
だが彼女が幸せなら…笑顔でいられるのなら、私をその心の片隅に友人としてでも側に置いてくれるのなら、それは私にとっての幸せでもあると気付いてしまったのだ。
我ながらヘタレだとも思う。
数日して司波くんは無事に退院。その時に幸ちゃんと面会する為の特別入館証を渡した。院長と理事長に彼の精神安定と彼女の為に必要な事だと説明し、取り付けた物だ。これならいつでも彼女に面会出来る。
「久遠…本当に用意してくれたのか。すまない、手続きが大変だっただろう?ありがとう、嬉しいよ」
司波くんは現実世界で初めて私に本当の微笑みを見せてくれた。
「いいんだ。君も私にとっては大切な友人だ。君達の力になれる事は余り無いが、それでも君が私を頼ってくれたのは嬉しかった。…無くすなよ?」
「友人?違うだろ、恋敵だろ?お前に幸を奪わせないからな」
昏い瞳で応じる。彼が彼女の事になると昏い瞳になるのは、牽制しているのだと、気付いた。
「…これからも彼女を頼む」
司波くんは右手を差し出した。
「こちらこそ」
堅く握手した。
「と言っても、荷物を置いたらまた直ぐに戻ってくるがな」
「程々にしておいてくれよ」
迎えに来たご両親とも挨拶を交わし、見送った。
その数時間後、彼は宣言通り彼女の病室に居た。
彼の今後について話をしていた。
事故に遭った際、高校三年生だった彼は、卒業資格が有るのか入院中に学校に確認をしたそうだ。事故のせいで日数がギリギリだった。学校側から、不足分の授業をこれから現役生の授業でやる為、彼さえ良ければ今年度の残りの授業を一緒に受けないかと、自宅に連絡が有ったそうだ。早速、来週から母校に通う事にしたから、病室にはなかなか来れなくなりそうだと、私達に報告してくれた。
彼の病室に有ったあの大量の本は今後の準備の為の本だった。彼は彼なりに現実世界で生きて行く事を覚悟していたのだ。
幸ちゃんは、学校側の寛大な措置に自分の事の様にとても喜んでいた。そして司波くんの学校名を聞いて驚いた。有名な進学校だからだ。
まだ願書提出には間に合う時期だからと、今年度は通学と受験勉強を同時にやっていく。間に合わなかったら再来年から大学進学になりそうだと言った。
彼の瞳は生き生きと輝いている。幸ちゃんが側に居る事、これからの事が決まった事で、安定してきているのだろう。
その話が終わった直後、幸ちゃんのご両親とご子息がお見舞いにやって来た。若い男性が病室にいる事に驚いていた。
司波くんは直ぐに立ち上がり、最敬礼をし、自己紹介をした。
特に驚きを隠せないお母様を落ち着かせ、ソファに座って頂く。
幸ちゃんが新しいお茶の準備をしてくれてる最中に、私が同席する事の了承を確認。司波くんには視線で確認したが目で了承と応じた。
先ず、幸ちゃんが改めて司波くんを紹介する。あの世界での婚約者…夫で、帰還した今でも心を許せるとても大事な人…幸ちゃんを大切に一番に考えてくれている人だと伝えた。
司波くんは改めて自己紹介をし、幸ちゃんが退院してから挨拶に伺う予定だったと先ず話をした。今後も彼女の側にいる事を許して欲しい、自分には彼女しかいないし、彼女以外は愛せない。自分の年齢が彼女の半分しか無い事や、これから自分の建て直しの為に直ぐに一緒にはなれないが、自立次第、彼女を妻に迎えたいと伝えた。
お母様は、司波くんならもっと若い女性がいいだろう、わざわざ自分と歳の近い子供のいる女を選び、苦労をしなくても…と言った。彼は年齢や立場、ご子息がいても全く関係無い、あの世界でもずっとご子息を大事に思っていた幸ちゃんだからこそ、欲しいと言い切った。
お父様は、暫く時間を置き、本当にその気持ちが二人に有るのなら、その時に再度考え直す方がいいのでは?と提案した。彼はそれと同じ事をグルック公爵にも言われたのを思い出したのだろう。もう既にあの世界で八年以上待って、やっと彼女を手に入れられたばかりなので、その提案は受け入れがたいと謝罪した。
…実際ティリアと恋仲になって五年、婚約してまだ半年位だから…まぁ、許容範囲としよう。
ご子息は話を聞きながら、ずっと司波くんに敵意丸出しの表情を見せていた。以前ファンレターで幸ちゃんが記していた通りだ。そんなご子息が、思い出した様に言った。
「司波さん、失礼ですが…貴方は、あの世界でのエーヴィヒ公爵令息ですか?」
「はい。エーヴィヒを、ご存じなのですか?」
「やっぱりそうですか。…母さん、ごめん。母さんがあっちに行っている間、もう戻って来れないと思って、僕、母さんのゲームをプレイしたんだ。隠しルートも見てきた。先に全クリしちゃった」
ご子息が急にあのゲームの話をした。しかも全クリしたと。
「え、ずるい!私に内容は言わないでね」
「大丈夫だよ。僕のハードでやったから、母さんのデータは更新されていないよ。だからこそ、司波さんに聞きたいんだ」
「はい」
「貴方の母に対しての気持ちは、エーヴィヒとしてですか?それとも、司波 誠としてですか?」
「何を言ってるの?どうして…!」
幸ちゃんはご子息を止めようとするが、いいんだ、と司波くんが止める。
ご子息は司波くんをじっと強く見つめる。
「どちらかとは言えません。大仰だと思われるでしょうが、私の魂が、としか答えられません。司波 誠にエーヴィヒが融合し、あの世界で私達は二十一年生きて来ました。…人生をやり直して来たのです。帰還した今はエーヴィヒに、これからの司波 誠を足していく…というのが状況です」
「久遠さん、以前も少し聞いたけれど、そうなの?」
お母様が困惑しながら質問をした。
「はい。同意書にご一筆頂いた時にもお話しましたが、お二人は別の世界の人間として、人生をやり直してきました。こっちでの一年があちらでの七年です。お二人は三年いましたから、幸さんは二十一年。司波くんは一歳年上の設定では有りましたが同様です。…司波くんはあちらでも幸さんを誰よりも大切に愛し守って来ました。あちらで二人の親友だった私が、彼を保証します」
ほんの少しだが、援護射撃をした。
「あちらでの事を、こちらで続けていく事について、司波くんは本当にそれでいいのかい?」
「はい。先程もお伝えした様に、私には幸さんしかいません。今後も彼女を愛し、守っていきます。これからの私を見て頂き、評価をして頂けませんか?」
「お願いします」
幸ちゃんも一緒に頭を下げる。
ご家族は顔を合わせた。
「…エーヴィヒはティリアフラウに凄く執拗に執着して溺愛していたから、大丈夫だよ。有る意味、母さんが嫌だと言っても、もう逃げられないって部分も有るけどね」
「この娘も、好きになったら、とことん愛する娘だからね…」
二人はご家族から、了承された。
司波くんはその後、驚異の努力の元、帰還した翌年に大学進学。彼女の身体に負担が少ない薬をと、製薬会社に就職。改めて彼女にプロポーズして結婚した。
私達は友人として関係がずっと続いている。
二人で酒を飲んだ時だ。誠くんから帰還直後、彼の身に起こっていた事を聞いた。それを当時、私に打ち明けてくれたら、もっと違うやり方が有ったと強く言った。その時は幸ちゃんを裏切ってしまったのではないかという恐怖と、その看護師を使って私を騙したのだから、話せなかったと…時間が経った今だからこそ話せる事だと苦笑いをした。…あの時の彼は、彼なりに彼女を傷付けない様に必死だったのだ。
穏やかに日々は過ぎ、私と一年先輩…照さんは、会社の取締役になっていた。二人がメンバーだった第一被験者は合計四名が生還。その後の第二、第三被験者も生還者が多く、有用性が高いと、プロジェクトが少し違った方向で成功したからだ。機器は改良され、正式運用された。しかし保健が効かない為に利用するには高額となる事、利用者の個人情報保護等の関係で施設の規模等、絞られた。その為に利用出来る病院施設も限られていた。
…穏やかな日々も突然、終わりは来るものなのか…。
幸ちゃんが余命宣告を受けた。持病の肺と気管支が、もう保たないと言われたそうだ。
誠は彼女との余生を一緒に過ごす為に退職する事にした。私は今後の彼の生活も有るし、休職をしてはどうか?と勧めたが、あいつの意志は固かった。もしかしたら…という嫌な予感もよぎった。
数日後、私はあの病院にたまたま来ていた。そこへ事故に遭った急患が運ばれてきた。嫌な予感がした。運ばれて真横を通ったのは…誠だった。
「誠!何故、こんな事に」
「一志…悪い、ミスった。幸を…守ってくれ、頼む」
それが私と誠の最期の会話になった。
私の中で、何かが弾け飛んだ。
この病院ではまだ私の特権が生きていた。私の独断で急遽あの機械へ彼を入れ、ダイブさせた。あの時になんとなく作っていた、あの世界の続きだ。これなら、手の施しようも無い状態の彼でも、もう少しだけ時間が稼げる。
誠のダイブが完了した直後だった。
「久遠さん、私もあの機械に入れて欲しい」
息子さんと一緒に病院に着いた時、真っ白な顔で彼女はそう願った。
「ああ…いいよ、幸ちゃん。あの世界に設定してある。あいつも…待ってる」
「久遠さん、最期まで助けてくれて…ありがとう」
幸ちゃんが手を握ってくれる。
「貴方と私の仲じゃないか」
「ありがとう…一志さん」
彼女のその言葉に私は涙が出た。もう幸ちゃんともこれで最期の会話だ。
「やっと呼んでくれたね。貴方にそう呼ばれるのを夢に見ていたよ…。私は貴方をずっと想ってる。後は全て任せて。早くもう一人の私の元へ」
私は王城内の教会へと続く廊下に降り立った。
誠…エーヴィヒもここで呆然としていた。
私がダイブさせた事、誠の身体はもう…回復の見込みが無く、時間の問題だという事も手短に説明した。彼は、今、生きている事に驚いていた。
教会内にレクス陛下、エリン公爵夫妻、グルック公爵夫妻が待っていた事にも誠は驚いた。私は、こちらでの結婚式を挙げていない事を指摘した。
「ずっと心残りだったんだ。約束が果たせる。ありがとう、一志…ベヒューテン」
「私達は友人だろう?…恋敵という名の」
かつて誠に言われた言葉を返す。
「そうだな…。お前には沢山、助けて貰ったな。感謝している」
エーヴィヒは最敬礼をしてくれる。
「解っているよ。言葉にしなくともお前の感情は読んできたつもりだ」
「アイコンタクト…な」
「そ、アイコンタクト」
微笑み合う。これが最期の会話になるのを、お互い、解っていた。
「幸ちゃんにも言って有るけど、向こうでの事は後は全て任せて。幸ちゃん…ティリアと幸せに」
「ああ。ありがとう…親友」
幸ちゃん…ティリアが降り立った。
「さぁ、こちらへ」
ティリアを教会内へエスコートする。
「ベヒューテン!また逢えて嬉しいわ」
「ふふ、私もだよ。急いで。彼が待っている」
「ベヒューテン…ありがとう」
彼女もこれが私との最期の会話になる事が解っていた様だ。…私も彼女の命がもう直ぐ終わる事が、機械の表示によって解っていた…いつ終わるか解らない状況の二人だ。
早歩きで教会へ行き、教会の扉を開け放った。
ステンドグラスが光を受けて、教会内を色鮮やかに染めている。
「エーヴィヒ…」
「ティリア。やっと、逢えた」
エーヴィヒは微笑みながら両腕を広げてティリアを迎える。ティリアは純白のドレスの裾を掴んで、エーヴィヒに駆け寄って、そのまま腕の中に飛び込む。
「貴方に…逢いたかった。もう、逢えないのかと思ったわ」
そこで私は扉を閉めた。
…数時間後、二人は息を引き取った。
誠は、あの状態からよくこんなに長らえたと思う。幸ちゃんも、まさかこの日に亡くなるとは思わなかった。
二人は隣同士の機械に入っていた。幸ちゃんが機械に入る時、彼女が取り乱さない様に隣が誠だという事を気付かれない様にしていたという。だから隣が誠だという事は、幸ちゃんは知らない。
幸ちゃんがダイブした時、二人の手は定位置の身体の横に置いていた。…息を引き取る直前、二人の手が動いて、お互いの手探して、繋いだという。
私は…幸ちゃんを愛している。誰よりも愛している。この歳になっても、ずっと彼女だけを想って生きてきた。
誠の事は、自分の分身で有るエーヴィヒになり、幸ちゃんと恋に落ちた時、醜い程に恨んで憎んだものだ。だが、彼を知る度、彼を見る度に友人として好感を持ち…今では大切な友人となっているのも事実だ。
帰還してこの二十年…二人には色んな事が起こったが、それでもとても幸せそうだった。
そう、二人はその想いを言葉の通り、永遠にしたのだ。




