43:訪問者
あれからまた二週間経った。
入院の日々は結構やる事も多くて、一日がとても早く過ぎている。家族の面会も時間や回数が決められていたので、訪問が無い間は、この三年間に起こったニュースや、SNSやメールチェックに費やしていた。大好きなマンガ作品が完結していた事に驚愕したり、出ないと思っていた小説の続編が出ていたりと一喜一憂していた。
久遠さんは頻繁に会いに来てくれている。
プロジェクトと、あの世界でのサポートと、私や他の患者さんの相手と…大変だ。あの世界でのサポートは睡眠時間を使っているから大丈夫~なんて言っていたが、あの世界ですら睡眠を必要としていたのだから、二十四時間体制で仕事をしているという事ではないのか?私達が被験者1号だというから、もうこんな生活を三年も続けているなんて…後々身体に負担が出ないといいのだが。
…あの世界での出来事についても、文字に出来る部分だけ記入し、他は私の記憶にだけとどめた。
気付くと、エーヴィヒの事を思い出している。
一人になると、とても寂しくなる。
朝起きると、隣にぬくもりや姿を探してしまう。
胸が苦しくて泣きそうになる事が有る。
…あぁ、本当に私は幼い。子供もいて、この歳になっても。
浜坂 幸としての人生と、ティリアフラウとしての人生を足したら単純計算で六十年も生きている事になるのに。以前も思った通り、私自身の魂が幼いのか。だから足りないのか。
もう、ずっとエーヴィヒを求めている事を自覚していた。
私こそ、エーヴィヒがいないと駄目なのかもしれない。
でも私は母親だ。息子が独り立ちする迄は、女の自分を認める事は出来ない。…今まで自分が女である事が無かったから、母親の自分でいる事が出来た。しかし、今は…。
やっぱり私は自分を慰める為にこういう風に自分を演出している様にも思える。以前、ストールを完成させた日に思った様に。
結局、完成したマフラーをエーヴィヒに渡せなかった。また心残りを作ってしまっていた、愚かな自分に辟易する。
それでも、私は生きていくしかない。
私は、女として愛する幸せと、愛される幸せをエーヴィヒによって与えて貰ったのだから。
…エーヴィヒのお陰で、私はやっと名前の通りに幸せになれた。十分だ。
それに私は自分からエーヴィヒと離れると、一時的にでも、決めたのだ。
エーヴィヒとは、きっともう逢えない。
久遠さんはあの時に答えてはくれなかったけれど、多分、同じ病院施設内にエーヴィヒも入院している可能性が高い。ここはとても大きい病院で、隔離病棟も数カ所に配置されているそうだから、顔を合わせる事も無いだろう。
といっても、お互いの顔も素性も知らないのだから、判る筈もない。
これからは、エーヴィヒが元気で幸せでいる事を願うわ。
部屋の扉がノックされた。
「はい。どうぞ」
返事をしても、扉が開かない。
「?」
久遠さん?それか看護師さんやお医者さんの巡回?それとも家族?…いや家族の今週の面会回数は切れたから、違うだろう。
私の声が聞こえなかったのだろうか?かなり通る声だと言われて来たのだけれど。
反応が無い。間違い訪問か。
しかし、何かの予感に胸がとてもざわめく。
今一度、ノックされた。
「は…い、どうぞ。お入り下さい」
「失礼します」
扉が開く。静かに入って、扉を閉められた。
赤い薔薇を一輪持った背の高い若い男性が立っていた。男性は何も言わずに私のいるベッドに近づいてくる。
サラサラの黒髪、整った顔。涼しげな目元…何かを恐れている様な、確認している様な、試している様な、その瞳。
「…エーヴィヒ」
呆然と、魅入られた様に男性の瞳を見つめ、思わず呟く。
ホッとした様な泣きそうな顔をする。
「やっぱり、ティリアだ…」
その胸に抱きしめられる。彼の心臓は心配になる程に早く脈打っている。
「ティリア、逢いたかった。やっと逢えた」
余りの事に、私は言葉が出ない。身体も硬直している。
「俺は、変わらず君を愛している。だから逢いに来た」
本当に、エーヴィヒなの?でもこの胸のざわめきは、期待感は、彼をエーヴィヒと認めているのではないのか?
熱を持った瞳でじっと私を見つめる男性。
私は幻を見ている。こんな都合のいい話がある訳がない。久遠さんは、エーヴィヒに私の事を一切話をしないと約束してくれた。なら、何故?
「俺がここに居るのが、不思議なのか?」
言葉が出ないので、うなずく。
「そうだよな…守秘義務や個人情報とかで、何度も頼んでもベヒューテン…久遠は君の事を一切、話をしてくれなかった。いつもは俺を撒くのに、俺の病室の後に君の病室に直行したから直ぐに判った。…人はちゃんと寝なきゃ駄目なんだよ。あいつ、仕事のし過ぎだ」
「久遠さんの後をつけたの…?それってストーカーじゃ…」
思わず言ってしまった。
「あぁ、そうだな。ストーカー行為になるのか。…君は、俺には逢いたくなかった?あっちだけの夢物語にしたかったのか?…ふふ、駄目だよ、ティリア。それは許さないよ」
昏い瞳で私の奥の奥まで見つめる。
「君は心配していたけれど、思っていた以上に綺麗で可愛いよ。こんなに可愛いのに、何を恐れていたんだ?」
私の髪をすくってキスをする。
あぁ…間違い無く、エーヴィヒだ。
話し方も、ちょっとした仕草も、瞳の表情も、間違い無く。
「俺との年齢差?生活環境?…それとも、男がいるのか?」
私をグッと覗き込む彼の瞳は、とても恐ろしい程に、昏い。
「ティリア、声を聞かせて?君の声が聞きたい。ずっと君に焦がれていた、君が帰還してから、何ヶ月も…」
「何ヶ月も…?数日じゃなくて?」
声が聞けた、と呟き、嬉しそうに微笑む。
「あぁ。こっちとあっちは時間の進み方が違う。考えてくれ。三年で二十一年を過ごしたんだ。こちらでの一日はあっちでの七日間だ」
彼の昏い瞳から涙が零れ落ちた。
「君が帰還して…頭が、おかしくなりそうだった。ティリアフラウは君じゃない。君が愛してる世界だから、秘術が暴走しない様に、君を想いながら独り閉じこもった。守りきって、ようやっと現実世界に戻ってこられた」
彼は、ずっと私だけを想い、私の事を想い、あの世界を守ってくれたのか。独りで自分の強大な力を抑え込み…それはどれだけ苦しくて孤独だっただろう。
「確かに、今の俺はおかしくなっているのだろう…。君に触れる事をずっと願い、やっと君に逢えた…。でも、ティリア?…俺は、君を、失うのか…?」
彼からたくさん涙が流れる。
「エーヴィヒ…私の貴方」
そっと抱き締める。
「苦しかったわね…私の為に苦しませてしまった…ごめんなさい」
縋り付く様に私に抱きつくエーヴィヒ。
「君が側にいてくれれば、これからも、側にいてくれれば…俺は」
「エーヴィヒ。あの世界を壊さない様に守ってくれたのね。皆を守ってくれて…ありがとう。こんなになる程に、頑張ってくれたのね…」
私が、こんな状態にしてしまった。
「ティリア、ティリア」
「ええ、ここにいるわ、エーヴィヒ」
こんなに私を思ってくれている。
「愛している…ティリア。ずっと君だけを」
「ええ」
私は、エーヴィヒを壊してしまった。
「ティリア…キス…していいか?」
「ええ」
ベッドにそっと押し倒されて、エーヴィヒは恐る恐る、私に触れる。キスを受ける。
「…ふふ、初めてのキスだ」
もう一度、もう一度と、キスを受ける。こんな状況なのに、私はエーヴィヒに触れられて、嬉しい。…そう嬉しいのだ。
「エーヴィヒ。貴方、顔色がとても悪いわ。戻ってからも無理をしていない?」
目の下にクマが出来ている。以前のクマより酷い。
「ん…そういえば寝ていない。眠れないんだ。…久遠の事、俺も言えないな」
「そう…なら、少し休みましょう」
「嫌だ、君と離れるのは、嫌だ」
幼い子供の様に駄々をこねて、私と離れない様にギュッと抱き締める。
「解っているわ。靴を脱いで、隣へ来て。一緒に休みましょう」
「君の隣なら、ゆっくり出来そうだ」
ふわりと以前のエーヴィヒの様に微笑み、私の隣に入ってくる。
「あぁ、君にこれを…」
赤い薔薇を渡してくれる。とても綺麗だ。この花を、彼はどんな思いで選んでくれたのだろう。
「素敵ね、わざわざ用意をしてくれたの?ありがとう」
「君の、その喜んでくれる顔が見たかった。良かった」
チュッとこめかみにキスが贈られる。
「あぁ…ティリア…君に逢えて、触れられて、俺は幸せだ」
エーヴィヒの頭をゆっくりと撫でる。
「おやすみなさい、エーヴィヒ。お疲れさま」
ラストが予定の内容から変わってしまいました。
ごめんなさい、まだ、もう少し続きます。




