39:帰路
エーヴィヒが自邸まで送ってくれている。
こういうシチュエーションの場合、タクシーやバスに乗せた時点、ないしは電車の改札で相手と別れるのが常だ。フィクションでも、私の少ない経験上でも。
しかしエーヴィヒは例え喧嘩をしていても、必ず私を自邸まで一緒に来て送ってくれる。学園で再会してから今まで、ずっとそうだった。
私はこの送ってくれる時間が好きだ。狭い空間に二人きり。手を伸ばせばエーヴィヒに触れられるこの距離。この時間を、また過ごす事が出来るのか。これが最後なのか…。
「エーヴィヒと過ごす、この時間も、好きよ」
「うん、知ってる。いつも嬉しそうにしているティリアを見るのが、俺も好きだ」
「そう、知ってくれていたのね」
エーヴィヒはいつも私を見てくれている。こんな些細な事でさえ知ってくれていたのだ。
エーヴィヒが愛しくて、そのまま両手を伸ばすと、エーヴィヒは私の両手を包み込み自分の両頬に当てた。
「愛している、ティリア。俺はティリアフラウではなく、君を愛している」
「私もよ、エーヴィヒ。貴方だけ。これからも、これまでも」
エーヴィヒ。貴方はずっとこんな私にたくさん愛を伝えてくれているのに、私は愛してるの言葉が恥ずかしくて言えなかった。ちゃんと言えたのは一度だけ。恥ずかしがらずに、もっと伝えておけば良かった。…もう今はその言葉を口には出せないけれど。せめて、思いは今まで以上に込めたい。
「ティリア…キス…していいか?」
珍しくエーヴィヒが聞いてくれる。エーヴィヒの瞳が揺らいでいる。
「して。エーヴィヒにキスして欲しい」
「おいで…」
両腕を広げて招いてくれる。その胸に私は収まる。
エーヴィヒの顔が近づいてくる。じっと私を見つめる瞳。瞳の中に、私が映っている。思い詰めた私の顔。
そっと…唇がふれる。上唇と下唇にもそっとキスをくれる。エーヴィヒの首に両腕を回して抱きつくと、エーヴィヒは強く抱き締め、優しいけれど深いキスをくれた。
唇を放した時、お互いの唇を繋いだ唾液の糸が光って切れた。
「ティリア…話しておきたい事と、話して欲しい事が有る。しかし上手く説明出来ない。近い内に時間が欲しい」
真剣な、でも必死そうな表情で強く私を見つめてくれる。
もしかしたら、エーヴィヒも気付いているのかもしれない。この世界の事を。だから今日のあの不安定さが有ったのかもしれない。
私は…?いえ、伝えられない。私の事は話せない。貴方を傷付けてしまう。でも、エーヴィヒ…出来る事なら私はずっと貴方の側にいたい。このままこの世界にいたい。それが叶わない事でも。
あんなに未練が有った世界に戻れるのに、喜びよりも悲しみが強いなんて。
…私は女になってしまったのだ。
「ええ。分かったわ、エーヴィヒ」
とうとう。グルック邸に着いてしまった。
「あぁ…離れたくない。ティリア、このまま溶け合ってしまえば、ずっと君と離れないで済むのに」
耳元で囁いてくれる。私をこんなにも求めてくれる。
「私も同じ気持ちよ、エーヴィヒ。…でも、ケジメの無い人は、嫌い…よ」
いつも別れる時に言っている言葉なのに、今日は声が震えてしまう…。気付かれては、駄目。
エーヴィヒは少し目を見開いた。
「君に嫌われるのは、嫌だ。…解ったよ」
エーヴィヒとは、これで最後の逢瀬になる可能性も有る。怖い…。
このままお茶に誘うか?しかしマナー違反だ。でも側にいたい。エーヴィヒに作ったマフラーも、未だ渡せていない。
馬車の扉が開く。降りなくては。外では侍女達が私が降りるのを今かと待っている。
エーヴィヒ、貴方に会えなくなるのが、怖い。
「また、明日。王城で」




