16:傷
「…左様でございますね…はい。はい」
「お電話ありがとうございます」
「ご契約者様のお名前を…」
「お問い合わせ、ありがとうございました」
ヘッドセットを付けた人達が、パソコン画面を見ながらマウスを忙しなくクリックしたり、キーボードを叩き、話をしている。
「申し訳ございません。この度のお問い合わせの内容は、直ぐに回答致しかねます。折角ご連絡くださいましたが、確認し、本日中に担当から折り返しご連絡を…」
『あんたじゃ回答出来ないっていうなら、回答出来る人間に今すぐ代わって!』
「…はぁ。ここはコールセンターの為、繋げない。言って」
隣で仁王立ちしている上司が面倒そうに小声で指示を出す。
「恐れ入ります。こちらはコールセンターの為、担当に直接お繋ぎする事が致しかねます。恐縮ですが担当からの連絡をお待ち頂けないでしょうか?」
『時間ないし、待ちたくないから直ぐに繋げって言ってんの!何の為のコールセンターだよ!すぐ分からないんじゃ、無意味だろうが!お前らの給料を出してやっているお客様が繋げって言ってんの!お客様が言った通りにするのが、あんたらの仕事だろうが!』
一口にコールセンターと言っても、企業ごとにその組織形態が異なる。コールセンターから各部署に直接電話を転送出来る企業と、出来ない・やらない企業が有る。またお客様センターと名乗っていても実際は顧客対応すらしない所も有る。
「要望は伝える。調べてからの連絡だから繋げない。この番号に架電させる。言って」
上司対応も異なる。内線で指示を仰ぐ企業と、上司が側に来て指示をする企業。
「ご多忙な中にお時間を作って下さったのに、即答出来ず申し訳ございません。今、お話下さった事はわたくしから上申いたします。ですが今回のお問い合わせ内容は、担当も確認させて頂くにあたりお時間を頂く様になるかと存じます。恐縮ですが、今、ご利用頂いている携帯番号へ担当からご連絡差し上げてもよろしいでしょうか?」
『だから~、時間が無い中に連絡してやってんだよ。あんたと無駄話をしている間にだって調べられたでしょ!』
ここは転送をしない企業だった。その為、難しい顧客にたいしては上司判断で社員に転送し対応をしてもらう体制と成っている。まさに社員転送案件の顧客だった。パソコンのメモに転送可否の指示を仰ぐ…しかし。
「チっ。対応出来ないから折り返しって言ってんの!何なの、コイツ。頭おかしいんじゃない?こうやってんのが無駄だっての!」
私のヘッドセットの直ぐ側で上司が暴言を吐いた。勿論、それは顧客に聞こえる。ヘッドセットの感度はとても良いのだ。
「…え?」
まさかの出来事に動揺する。
『あ?客に向かって頭おかしいってどういう事だよ、お姉さん!あんた、何様だと思っているんだよ!』
通話をモニタリングされている様な音がした。
「わ、わたくしは、何も…」
上司を見る。ヤバい、やらかしたという顔をする。
『はぁ?今あんた舌打ちと一緒に無駄だ、頭おかしいって言っただろうが!』
「わ、わたくしは、そんな失礼な事は一切、言っておりません!」
他の人達から何事かと視線が集まる。
『こっちは聞いているんだよ、言い逃れするな!』
「何も言わず、そのまま、社員転送」
転送指示が出る。社員さんがモニタリングしながら手を振っている。
「え、え?」
『あんた、何様なんだよ!聞いてんのか!』
「早く!社員転送!」
上司がマウスを奪って転送操作をした。顧客の声がブツッと消えた。
「ふん、対応をきちんとしないから、クレームに繋がるんじゃない。ちゃんと仕事しなさいよ!何の為にいるのよ」
余りの言葉に呆然とするしか無かった。
こんな時、周りは見て見ぬ振りをする。自分がターゲットになりたくないからだ。それはまだ良い。内容を知らないのに、勝手に妄想をして話を広げる人や、被害者ぶる人がいる。
今回は後者だった。
しかも不運な事に会話録音機能が故障でこの会話は録音されておらず、私はクライアントとマネージャーに呼び出され、叱責を受けた。
私は一切の暴言を言ってはいない事、上司の発言である事を告げるも、上司は言っていない・私が言ったからこうなったと証言したと言う。有り得ない…。
過去の私の対応履歴からそういった対応を一度でも有ったかを聞くも、精査する必要は無く、今回の件について過去の対応を引き合いに出すのはおかしい。君は印象貢献度がとても高く、感謝の声を全社で過去に見ない程、大量に取得している。今後は気を付ける様に。誰でも失敗は有る。それを素直に認めないのは社会人として如何なものか、とまで言われた。
気付いたら、ビルの屋上に泣きながら立っていた。
私は、未だ生きていかなくてはいけない。まだ一人では生きていけないのだから。
あんなに大切なのに、大切にしているのに。何もかも真っ白になって、気付いたらここに立って死を選んでいたなんて。
無意識下では自分の事しか考えていなかった自分が、恐ろしい。
余りに情けなくて、自分が幼すぎて…泣いた。
その帰り道。
帰りが遅くなってしまう事を連絡。好物のアイスをお土産にすると約束し、購入。
そこは大きい通りの交差点で、交差点角に交番が有る。いつも通る度に挨拶をしている為、お巡りさん達とは顔なじみになっていた。
今日も知っているお巡りさん達がいて、会釈をする。信号が変わり、左右前後確認をして横断歩道を渡った…。
「しっかりして!」
「頑張れ!」
お巡りさん、何で泣いているの?
「救急車が直ぐ来てくれるから!」
…あぁ、何かおかしい。
「ご自宅は、あそこの…!」
「連れてくる!」
「止血!タオル!」
消防署の分団が近いせいか、救急車のサイレンが聞こえてきた。
何て、事。
屋上に立ってしまったから、死神を呼び寄せてしまったの?
「頑張れ!」
「負けるな!直ぐに来てくれるから」
うん、うん。
「あり、が、と…!」
口から大量の血が出た。これは、もう駄目だ。寒いし、感覚が…。
「救急車、こっち!」
「駄目だ、負けるな!大丈夫だから、負けるな!」
視界が…。せめて、一目、最期に会いたかった…。
「…!!」
あぁ…声が、聞こえた。
ごめんね。一緒にいられなくて。
最期の姿が、こんなで、ごめんね。
どうか、お願い。
生きて…どうか、しあわせに。