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仔豚ちゃんは少し成長する

 次にあたしが目覚めたのは、二年後。その仔豚ちゃんが戻ってきたときだった。


 ちょっと背がのび、体からむっちり感がなくなっていたので、もう仔豚ちゃんではないかもしれない。でも、まだまだなまっちろくて、目は変わらず丸っこくて碧い。

『助けて』なんていうからどうしたのかと思ったら、単に御礼に来ただけだという。


「あたしは『祈り』を捧げてくれたら顕現できるのよ。だから特にトラブルがないのに、『助けて』なんて言わなくて大丈夫」

「そう、なんだ。あ! あの、戻ってくるのが、おそくなってごめんなさい。これを返しに来ました」


 少年になった子どもは、すこし細くなった指で木彫りの指輪を差し出す。

 成長してようやく外出がゆるされたのだそうだ。貴族の子どもは街にだって、自由に出歩けるものではない。ちなみにあたしとの一件は誰も信じてくれなかった、と。後になって大人たちはここを探しに来たが、屋敷を見つけられなかったそうだ。あたしが結界をはっちゃったからね。


「じゃあ、今日ぼくがここにこれたのは、指輪があったからですか?」

「そうよ。それは屋敷の住人のしるしだから。ねえ、せっかく来てくれたんだからお茶でもふるまいたいところなんだけど、ごめんなさいね、何もないの」


 古い備品がいくつか埃をかぶっているだけの、そっけない貯蔵庫内部をむなしく見やる。ついで上階の客間の様子をさぐるが、そこも埃まみれ。いろいろと足りないのよね。


「そんな、ぼくは押し掛けただけですから。あの、女神さま」

「なあに?」


 少年は顔をまっかにして、つっかえながら言った。


「ぼくは、その、ナルシス・アトウィックといいます。あのときは、名前も名乗らなくて、ごめんなさい。あなたに助けていただいて、無事、家に戻れました。ありがとうございました」


 あたしは前といっしょに、にっこり笑って、どういたしまして、と返す。すると、覚えていたようで、少年ナルシスも前のように、ほっと笑った。


 それから誘拐事件の後始末を教えてくれる。

 なんでも貴族街の入り口に駆け込んだところで、ちょうど探しに来た叔父さんに保護されたそうだ。母方の叔父は屋敷の前で男たちと行き会って「取引」を持ち掛けられ、とっさに自腹で身代金をたてかえると、彼を助けに駆けつけてくれたとか。


「叔父だけは、昔からぼくに優しかったんです」

「そう」


 白豚ぼっちゃんと呼ばれていた高慢な子どもに、唯一優しい大人。どんな人間だろうと、あたしは想像する。


「それで、そのあとはどうしたの?」

「家族は、ぼくが屋敷にいないことも気づいてなかったみたいで、びっくりしていました。ぼくの髪の毛とか泥だらけの足とか叔父の話で、ようやく信じてくれて。でも家の恥だからって」

「内密に処理されたのね」

「え」


 あたしの言葉に驚く彼に、おかしくなる。あたしは女神だけど、屋敷を守っていればいろいろと世俗のことにも詳しくなるのよ。


「貴族の屋敷の中から誰にも気づかれずに子どもが誘拐されるなんて、ありえないわ。そんなことを口外したら、自分の家もきちんと守れないって笑われちゃうものね」

「え、ええ。そうみたいです。それでそのあと、ぼくは領地にいくことになって、最近やっと王都に戻ってきたんです」

「ああ、田舎暮らしでやせたの?」

「はい、あのあと、いろいろと、その、考えて。お菓子を食べ過ぎたり、かんしゃくを起こしたり、しないようにって、その……」


 かつての自分を思い出しているのか、この場で男たちに言われたことを思い出しているのか、きょどきょどと視線をさまよわせる。つまりあの一件を、彼は自分自身を変えるきっかけにしたらしい。


「いいことね」


 あたしが笑うと、少年は恥ずかしげにいっそう顔を赤くして、それでも嬉しそうにうなずいた。皮膚が薄いのだろう、赤面すると熟れた林檎みたいになる。それはとても良いものに見えた。


「今日はひとりで来たの?」

「いえ、従者がついて来てくれています。屋敷のまえに馬車を」

「そう。……せっかく来てくれたんだから、ちゃんとおもてなしができたらよかったのだけど」

「ほんとうに気にしないでください」


 いつまでも残念がるあたしを、少年は苦笑いでいなし、代わりにあるものを差し出した。


「これを女神さまに」

「まあ、きれい」


 リース状の花飾りだった。白いライラック、ユーストマ、スズランにカスミ草と、白い花ばかりを集めた花輪は、聖女の冠と呼ばれ、この国で女神に捧げられるためのものだ。もらうのは、いったいどれくらいぶりだろう。

 少年の手からひょいと浮かせて、あたしはそれを本体にかけた。ちょっと、輪投げみたいね。


「あと、この指輪もお返しします」

「ああ、それはいいわ、もう使うひともいないから」

「え…………それじゃあ、ぼくが持っていてもいいですか?」

「どうぞ。いらなくなったら、燃やしてちょうだい」

「燃やしません!」


 即座に叫んだ少年は、きゅっとそれを手の中に握りこんだ。気に入ってるなら、よかった。少年はなんとも言えない表情で目をきらきらさせていたが、あたしはあたしで、もう一度花輪でかざられた本体を見て、にこにこしていたので、気づかなかった。

 お返しをしないと。

 だから、あたしは気になっていたことを訊いてみた。


「ねえ、さっき話に出た叔父さんってどんなひと?」


 自分の人差し指に指輪を戻していた少年は、きょとんと首をかしげた。


「叔父は母さまの末の弟です。とても明るくって冗談好きで、父や兄たちとはあまりウマが合わないんですけど、ぼくとは末っ子同士仲よくしようって言ってくれて。いつもぼくにお土産をもってきてくれました。母は、ぼくが生まれてすぐになくなったから、そのぶん、気にかけてくれたんだと思います。ぼくは母さまに似ているって……」


 言って、自分の銀の髪を指す。母親は魔力持ちだったんだろう。貴族同士の結婚はまるで野菜の品種改良のようだ。優良な者同士をかけあわせて、より魔力の強い子を生み出そうとする。

 そこまで話した少年は、碧い目を不安げにまたたかせた。


「あの、女神さま。なにが気になるんですか?」

「ねえ、叔父さんはあなたの髪の毛を持っていたのよね? あのとき男たちがナイフで切り取って持って行った髪の毛」

「え、えっと、はい」


 では確かに「叔父」は男たちと会ったのだ。貴族の家の内情に詳しく、夜中に子どもをこっそりと連れ出せた、プロの誘拐犯たち。身代金を自腹で「たてかえた」というなら、あとで少年の父はその金を清算したのだろう。子どもを脅しつけ、特に「父親からの助けは来ないかもしれない」と、そう疑うように仕向けた男たち。もしここに閉じ込められたままの子どものもとに、叔父が助けに来たとしたら、子どもはどう思っただろう? 貴族の家の末の子はよく母方の爵位を受け継ぐものだ。


「叔父さんはいまも屋敷にやってくるの?」

「いいえ。叔父はいま、外国で仕事をしているそうです」

「そう。さみしい?」

「えっと、そうですね。でも、ぼくもあれからずっと領地にいたし……」


 子どもの二年は長い。甘いだけの大人のことなんて、すぐに忘れるかもしれない。あるいは意外に聡い目をした少年は、ちゃんと気がつくかもしれない。子どもに甘いのと優しいのとは、まったく別物だと。


 とはいえ。


 たとえ少年自身があの一件を自らの成長の糧にしたとしても、子どもを食い物にしようとした罪は罪だ。

 あたしは女神のつてを使って、ちょっとした結界を国中に張りめぐらした。悪い大人が戻ってきたときには、ちゃんとひどい目にあうように。


 ひと仕事終えたあたしが上機嫌になると、少年もなぜか嬉しそうに笑う。


「女神さま。ぼく、またここに来てもいいですか?」

「うん? 別にいいわよ? 庭だけは広いから好きに遊んでいったら?」

「ありがとうございます!」


 なんて気軽に許可を出したあたしは、まさか少年があんなことを考えていたなんて思いもしなかった。



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