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基本的に食事に興味がないアイにとって、厨房は初めて訪れる場所だった。
城内の食事をすべて担っている広い空間は完璧に磨き上げられていて、道具も食材も整然と並べられている。夕食の準備をする為に料理人たちが忙しなく動き回っていた。
その隅で3人は作業を開始した。
乳製品、卵、砂糖、粉などがずらりと準備されている。勿論、どれもが最上級品だ。
大きなボウルで卵を泡立てながら、ディヒターはこっそりとアイに教えてくれた。
「ほんとうのところは、イザードから、最近アルトールの元気がないから会いに来てほしいって頼んできたんだよ」
「あいつも素直じゃないからね。自分からは絶対に、アルトールを気にかけてるって言わないの。馬鹿よねぇ」
「どうしてですか?」
アイが心底不思議そうに問うのでディヒターとリッターはお互いの顔を見つめた。そして、彼女が盾の化身であることに今一度気づく。
「なるほど」
ディヒターはアイの右肩に優しく手を置いた。
「……イザードは、アルトールのことを誰よりも心配しているけれど、心配していることをわざわざ言うのはかっこいいと思っていないんだよ。アルトールのことが大事だからこそ、自分は彼に対して厳しく接するべきだと考えているんだ」
「悪く言えば子どもなのよね。好きな子には悪戯しちゃいたくなるアレ」
「リッター。それはアイが余計に混乱するだろう」
ディヒターの指摘通り、アイは眉毛をへの字に下げていた。
「む、難しいです」
「そのうち分かるようになるわ」
リッターがからからと笑う。
「今の発言をウゥルにも聞かせたかったわね。今日ここに来たがってたから」
「ウゥルさまも、イザードさまに招かれていたのですか?」
ディヒターが頷く。
作業はどんどん進み、粉が入ったボウルの中身はもったりとしてきた。
「仕事が立て込んでるみたいで泣く泣く断念したんだよ」
「あいつも相当の仕事馬鹿だからね」
ウゥル、というのはアイ……最強の盾アイハ・イギスの創造主だ。また、アイとルーハを人間のかたちに造り替えた上級魔法鍛冶師でもある。
ウゥルに創れない武器は存在せず、その武器は何よりも持ち主のことを助けてくれるという。
アルトールの武器を何度も修復してきた、旧知の仲だ。
「隣国への献上品をつくっているという話だからしかたないよ。それを持って、アルトールは外交会議に行くんだろう?」
外交会議。
アイにとっては初めて聞く話だった。イザードもアルトールも、教えてくれなかったのである。
元々、四方を川や海、魔物の森に囲まれた女神の王国は、他国との貿易を必要としなくても成り立ってきた。しかし先の魔王の件を受けて、窮地には隣国に助けを求めることも必要なのだと考えたのである。
幸い、風土もよく実りの豊かな国柄である。併せて隣国との貿易が成功すれば、王国はよりよい方向へ発展していくだろう。
そして貿易開始こそが、アルトールが国王になって初めての大役なのだ。
「あいつ、案外心配性だからナーバスになるのはどうしようもないわよ。まぁ、アルトールなら大丈夫だと思うけれど」
きょとんとしているアイの背中をリッターはかなり優しく叩いてみせる。
「あんたとルーハは、変わらずに傍にいてあげたらいいのよ。さ、ケーキを焼きましょう」
オーブンの予熱が完了して、ケーキが放り込まれた。