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2-13


 下ろされたのと同じ場所で、同じ男が舟を接していた。


「お待たせしました。お世話になります……」

「兵士さんは時間になっても、現れなかった。あの島から、生きて帰ってこられるなんて、人間じゃない」


 顔を見ることもなく訛りの強い口調で吐き捨てられる。


「化け物だ」


 胸の辺りに痛みを感じて、アイは服を掴む。

 無言のまま舟が動き出す。

 曇り空と、澱んだ空を映したかのような海の色。

 僅かに光を受けた指輪のなかで、静かに青い液体が揺れている。


『あるじ、ルーハに花を飾ったみたいに、ぼくにも花をください』


 不意に自らの言葉が蘇った。

 もし、アルトールから蒼玉の指輪を貰わなかったら、ルーハが怒ることはなかっただろうか?

 怒る?

 否。

 傷ついていた。傷つかない筈の剣と盾。だけど、人間の姿になって、感情を得たからこそ、傷つく部位が生まれた。

 それは、『心』だ。

 アイはルーハの心を傷つけたのだ。


『どうして貴女が!』


 突然震えだした自らの体を両腕でぎゅっと抱きしめる。


「ごめんな、さ、い」


 本当のことはアイには分からないけれど、アルトールも隣国との交渉に失敗して心が傷ついたのだろう。そして、ルーハと共に消えてしまったのだ。


 最後に見た、アルトールの、後ろ姿。


 ひとりにしてくれないかと呟いた声が鉛のようにアイにのしかかってくるようだった。

 そっとアイは指輪を外して、チェーンに通す。ふたつの同じ見た目をした指輪を強く握りしめる。


「ごめんなさい……。ごめんなさい」


 時間は巻き戻らない。言葉に言葉を重ねても、取り返しのつかない事態は、もはやどうにもならない……。

 たくさんの涙で、拭うことで。

 いつしか化粧は落ちてしまっていた。



 港に戻ってくると、再び船頭に促されて慌てて舟を降りた。船頭は結局、アイの顔を見ることなく何処かへ行ってしまった。

 取り残されたアイは港の賑わいに視線を遣る。

 大きな船に乗っている知人を見送る為に大きく手を振る人間。切符を買う人間。屋台で何かを売っている人間。人間。

 そのすべてがアイとは違う存在なのだと、今やアイには身に染みていた。

 途方に暮れて立ち尽くしていると、透明な翼を持つ猫が走ってきた。


『戻ってきたか! おそかったな!』


「ヨル!」


 ヨルはアイの左肩に飛び乗る。重さはあるものの温かい。


『大変なんだぜ! 至るところで噂が飛び交っているんだ。アルトールの馬鹿が、魔王を復活させて世界を滅ぼそうと企んでいるから、エクトーケの野郎がそれを阻止するために魔物の森へ軍を進めてるって!』

「え」


 辺りをよく見渡すと、翠玉軍の軍服を着た兵士も多い。


『安心しろ、まだ、ただの噂だ。エクトーケの野郎の思うままにさせてたまるかってんだ。ディヒターとリッターは先に森へ向かっている。案内するから、ついてこい!』


 すべてはエクトーケの企みのなかにあるのだと、ヨルが毒づく。

 もしかしたらアルトールが紅玉を持ち去ったことすら、エクトーケの仕組んだ罠なのかもしれない。


『解放されたと聞いて、双子はお前の到着を待ってるんだ! アルトールにはお前のことも必要なんだよ!』


 しかしヨルは、双子は知らないのだ。

 エクトーケがアイに下した命を。


 ……青い花の毒を以てアルトールを殺せ。


 エクトーケのことだ。アイが背けば、周りがどうなるか分からない。ウゥルですら、人質なのだ。


「それでも」


 アイは再び指輪を握りしめた。

 誰にも聞こえないように、小さく、小さく、呟いた。


「ぼくの心は、あるじに会いたがっているのです……」


 死なせません。

 絶対に。

 と。

 何度も何度も、呟いた。

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