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9:人間関係って難しい

「それじゃあフジコちゃん。最後に念押すけど、ライセンス不携帯で現場に出たら、始末書じゃ済まへんからね。うっかり事務所の机に置き忘れて現場に出ちゃいました、みたいなことはしたらあかんよ」


 中断していたライセンスの説明の最後に繰り返されて、あたしは大きく頷いた。そんなうっかりでライセンス失効の危機に瀕したくはない。


「常に持ち歩いてるんが一番いいとは思うんやけどね。……まぁ、それでどっかに置き忘れたとか、落としたとかしたら目も当てられんけど」

「そんなことする人いるんですか?」

「年にひとりふたりはおるみたいよ? たまに本部から注意喚起の通知があるところから察するに」


 笑うに笑えなくて、あたしはライセンスをぎゅっと握りしめた。とりあえず、スーツの内ポケットに忍ばせておこう。これがないと、そもそもとして紅屋の事務所に入れないし。


「き、気を付けます」

「うん、そうしてね。ついでに、それ、事務仕事にも必須なんよね。一回、フジコちゃんのライセンスでもログインしてみようか」


 おいでと言わんばかりに桐生さんが椅子を後ろに引いたので、あたしは椅子ごとその隣の机の前に移動した。そこにあるのは、あたしの事務用パソコンとは異なる大型のパソコンだ。


「これが蒼くんの大嫌いな本部に繋がっている魔法の箱です。特殊防衛隊データシステム、通称、鬼狩り専用ネットワーク」

「ここにライセンスを置いたらいいんです……よね?」


 パソコンの電源の隣にある認証部位にライセンスを乗せる。低いモーター音が響いて起動画面が浮かび上がった。


「おお、開いた……!」


 青い画面に並ぶアイコンは、メールボックスに始まり、法令集、鬼狩りのリスト、前科のある鬼のリスト、と壮観だ。正しくデータシステムである。


「本部からのメールは全部そこに来るから。フジコちゃんの朝イチの仕事は、メールを確認して、必要そうなメールを印刷して僕らに渡すことになるかな」

「わかりました」


 試しにメーラーを起動させると、特殊防衛隊本部からの通知がずらりと受信一覧に並んでいた。法令改正のお知らせ、人事異動のお知らせ、任務連絡。なんだか、お役所みたいだ。……特殊とは言え公務員なのだから、当たり前と言えば当たり前なのかもしれないけれど。

 桐生さんの説明によれば、改めて公文書が郵送されてくることが大半ではあるけれど、先行してメールで通知が来る流れになっているらしい。社会人ドラマとかで見かける「取り急ぎ、メールにて」というやつなのだろうか。


「読むといい勉強にもなるから、しっかり目も通してね」

「あの、ところで、ここに届くメールって、ぜんぶあたしが開けても大丈夫なんですか?」

「フジコちゃんが読んだらあかんような極秘事項は送られてきいひんから」


 安心したらえぇよと請け負って、桐生さんが机の上に小さな箱を置いた。指輪が入っていそうなそれである。


「期待させたんやったら申し訳ないけど、プロポーズでもプレゼントでないからね。フジコちゃんの記章。これも失くしたらあかんよ」

「誰もしてません」

「なんか、フジコちゃん。僕に対して冷たくない? 蒼くんにはあんなんやのに」

「あんなの、って。その、……敬意を払っているだけです」

「ビクついてるようにしか見えへんけどなぁ。まぁ、蒼くんにも問題あるとは思うけど」


 やっぱり、そう見えているのかと、眉が下がる。いや、その、……はい。さっきはちょっとビクついていたとは思いますけれど。

 内心で言い訳しながら箱を開けて、あたしは感嘆の声を漏らした。


「こうやって見ると、綺麗ですねぇ……!」


 沈みかけていた気分はどこへやら、だ。真新しい蒼い記章を取り出して眺め倒しているあたしに、桐生さんが呟いた。


「研修生用のって、桃の花も星もないんやね」

「桃の花の透かしはともかく、星が五つも入っている人はめったにいませんから」


 桐生さんは物珍しそうにあたしの記章を触っているけれど、どう考えても希少品は桐生さんのほうだ。


「Cランクも星は入ってないんやっけ。Bから一つなんかな」

「B-からです。というか、鬼狩りって、国家資格に合格するとCランクからスタートするんじゃなかったでしたっけ」


 もちろん、物事に例外は付きものだろうけれど。


「僕も蒼くんも、B+からのスタートやったから、星があるのが当たり前で。そういう意味では新鮮やわ、これが」


 ……やっぱり。

 ふたり揃って例外か。この人たちには、どれだけ頑張ってもB+で頭打ちになってしまう秀才の苦悩はわからないんだろうなぁと、詮無いことをふと思った。

 頭のつくりも持って生まれたものも、なにもかもが違うに違いない。

 育成校に在籍しておられた先生方も優秀な人材であるはずだけれど、それでもほとんどの方がB+だった。ごくまれにAランクの先生もいたけれど、特Aなんてどこを探してもいなかった。

 つまり、この世界はそういう比率でできているわけで。


 ――ん?


 あたしはそこではたと気が付いた。気が付いたと言うべきか、この一週間、新しいことを覚えることに必死で敢えて意識を向けていなかったことにようやく意識が行ったというか。あの、つまり、ともかく。


 ――もしかして。所長って笑わないなぁ、じゃなくて。予想以上にあたしが仕事ができなくて、終日苛々されているのでは……?


 思い至ったそれに、さぁっと目の前が暗くなる。いや、でも有り得る。だって、あたしがこれだけ出来が違うのだからなにを考えておられるのかわからないと思っていたそれは、そのまんまあたしに跳ね返ってくるのでは。まったく逆の意味ではあるけれど。


「――フジコちゃん?」

「あ、はい!」


 桐生さんの声に、あたしは沈思考から覚めて顔を上げた。いけない。多分、話を聞いていなかった。


「すみません、もう一度……」

「いや、ちょっと話を戻しただけやったんやけど。フジコちゃん、蒼くんのこと怖いんかなって」

「え、……と」


 そこに話が戻るのか。あたしは少し答えに窮してしまった。そりゃ、怖いか怖くないかの二択となると前者かも知れないけれど、でも。


「怖いというか、その」


 そういうふうに言い切ってしまえるほど、あたしは所長のことを知らない。知らないからこそ、あの雰囲気だけで想像が先走って怖いというか。まぁ、その取っ付き難いは難いというか。

 ……それとは別の意味で、呆れられていたらどうしようという怖さも降って湧いたけれど。


「うーん。そうやねぇ、まぁ、怖いか。僕は見慣れてるからなぁ、不機嫌でもなんでもないってわかるんやけど。そういう問題でもないもんねぇ」


 どことなく困った雰囲気に、桐生さんにも申し訳なくなる。

 研修生と所属長が不仲だなんてことになった日には、困るのは桐生さんだ。


「蒼くんの態度もあれやけどね。いくつも年下の女の子なんやから、もうちょっと気を使って、柔らかい接し方してあげたらいいのにとも思うけど」


 それはそれで申し訳ないと思いながら、あたしは更に眉を下げた。ついでに言えば、柔らかい雰囲気の所長って、想像の許容値を超えている。


「良くも悪くも、誰に対してもあんまり態度を変えへんから、あの子」

「え?」

「ほんまに怖いんやったら、僕から言うとこか? それであの不愛想がどうにかなるかはわからんけど」


 あたしの答えを待つ桐生さんの瞳の色は深い。いろいろと見透かされているような気がするのは、あたしの心の持ちようのせいかもしれないけれど。


「便宜上、蒼くんが所長ではあるけど、まぁ、……こういう言い方すると蒼くんは怒るけど、弟みたいなものでもあるし」


 苦笑じみた声に、あたしは首を横に振った。桐生さんの提案に乗るのは楽だけれど、本当にこれから関係を創っていきたいのなら、逃げてはいけないのだと思う。


「で、でも。その、大丈夫です。あたしがなんとかします!」


 怖いと思うのは、所長のことをなにも知らないからだ。

 知らないのはあたしが知ろうとしないからだし、これから同じ職場で働かせてもらうのに、それってすごく失礼だ。それにもったいないとも思う。

 桐生さんもだけれど、所長も、本来であればあたしがこうやって喋ることなんてできないような人たちなのだ。


「とりあえず、挨拶のあとになにかしら一言二言付け加えてみるところから始めます」


 千里の道も一歩から、だ。塵も積もれば山となる。あたしにできることは、あたしから一歩踏み出してみることだけだ。

 そもそも「怖い」というのも、あたしが勝手に思っているだけの話なのだ。理不尽なことをされたわけでもなんでもない。


「えぇ子やね、フジコちゃんは」


 宣言したあたしに、桐生さんはほほえんで、手のひらに記章を戻してくれた。丸みを帯びた蒼が、蛍光灯の光を受けてきらりと輝く。

 はたして、あたしの記章に星が付く日はいつになるのだろうか。


「ちなみに、ウチの蒼くんはね」

「所長は?」

「僕いわくの、駄目かわいい弟で、存在自体が最終兵器」

「ご兄弟じゃない、ですよね? というか存在が最終兵器って、……所長の登録武器が、ですか?」


 そういえば、さっきも弟みたいなものだと言っておられたけれど、おふたりとも御三家の人間だから昔から面識があったのかもしれない。後半はもう見当さえ付かないけれど。

 首を傾げたあたしに、桐生さんがしたり顔で続ける。


「世間話のネタにあげる」

「世間話……」

「挨拶のあとになにかしら付けるって言うても、最初のうちはネタ探しも大変やろ?」


 たしかにそうかもしれないと、あたしは笑った。桐生さんの後押しはありがたく受け取ろう。


「だから、選択肢の一つにしたらえぇよ。聞いたらなんでも答えてくれるしね、たぶん」

「頑張ってみます」


 改めて宣言したあたしに、桐生さんが笑う。苦笑と優しさの中間みたいなそれで。


「あんな顔やけど、悪い子やないからね」


 悪い「子」ときたか。「ところで所長っておいくつなんですか」と聞きたくなる衝動を堪えて、あたしは「はい」と大きく頷いた。

 所長についてわかったこと、その一。とりあえず年齢的には桐生さんより下らしい。

 ついでにもう一つ。できれば、あの仏頂面は、あたしの不出来のせいではなく、元来のものであればいいなぁ、とも思いながら。あたしは明日の朝、挨拶のあとになにを付け加えてみようかと思考を巡らした。

 年齢について突っ込むことができるだろう日は、まだ遠い。


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