30:本部の美女
「ちょっと、紅! いいかげんにしなさいよ、あんた」
登場したのは、迫力のある黒髪のショートボブの美女だった。
引き連れてきた一団を被疑者に向かわせるなり、ヒールをツカツカと鳴らしながら一直線に所長の前までやってきて、ぴしりと指先を突き付ける。
初遭遇の本部の美人に、あたしは度肝を抜かれて慄いた。
怖い。みっちゃんも美人なだけに怒ると怖いと感じるけれど、その十倍くらい怖い。
自称Bカップのあたしとしては、嫉妬を通り越してもはや羨望レベルの胸がスーツの下でゆさゆさと揺れている。大変エロい系の美女だ。
「あんた、また性懲りもなく、B+をこいつとそこの研修生のふたりでやらせたでしょう」
「俺がここにいるだろう」
「あんたの痕跡は規格外なんだから。確認したら、すぐにわかることよ。あんたが実際に参加したかどうかなんて」
「特Aがふたりもチームにいるんだ。なんの問題もないだろう。俺が手を出さなくとも、桐生ひとりでなんとでもなったということだ」
「さすが特Aは言うことが違うわね」
「Aのおまえとは能力値が違うんだ。特Aだからな」
迫力満点の美女も怖いけれど、迎え撃つ所長も怖い。いつもと雰囲気が違う気がする。気のせいではなく。
あたしは所長の傍から一歩退いて、我関せずの桐生さんに囁いた。
「な、なんですか。あの人。……所長が怖いんですけど」
「蒼くんの大嫌いな本部の一人目。これでわかったやろ、フジコちゃん。自分が蒼くんにぜんぜんキツく当たられてなんてなかったんやって」
「……はい」
端的に告げられた事実に、あたしは頷いた。
良くも悪くも、あそこまでの感情をあたしは向けられていない。
……って、いや。職場の関係なんだから、それが当たり前だ。
湧いたもやもやを打ち消すように言い聞かせていると、美女の矛先が桐生さんに向いた。
「あんたもよ、そこのチャラ男! B+を相手にするのに、よりにもよって研修生を引きつれたまま応戦するとか信じられない」
「えー、結果オーライやん。それに蒼くんが言ったとおり、蒼くんもおったんやから」
所長と違って桐生さんは至っていつもどおりの口調だったけれど、美女はフンと鼻を鳴らした。
「あんたたちって、本当に信用ならない」
「ひどいなぁ、そんなに胡散臭い? 僕ら」
「その自分たち以外を信用してないって態度が信用できないのよ。特Aだがなんだか知らないけど、規則は守るためにあるってわかってる?」
たしかに規則的には間違いなくグレーゾーンだったのだろうなぁと、あたしはこくこくと頷いた。あたしに言われたわけではなかっただろうけれど。
桐生さんいわくの「だって、鬼が向かってきたんやから仕方ないやん。そもそもランクBって通知した本部が諸悪の根源なんやし。だからセーフ」と言うあれは、ある意味で桐生さんで、全員が無事だったからこそ言える台詞だ。
「そもそも何度も言っていると思うけど、二つ名で呼び合いなさいよ。せめて現場では。いい年をして、なにが『蒼くん』よ。あんたもよ、紅。『桐生』ってこの世界に桐生姓が何人いると思ってるのよ。ちゃんと二つ名で呼びなさい。何のための二つ名よ」
「まぁ、まぁ。あんなの迷信やんか」
「規則は! あんたたち現場の人間を守るためにあるのよ、一応ね!」
話にならないとばかりに首を振ったその人の勝気な瞳が、次に捉えたのはあたしだった。
「ラッキー☆フジコさんだったかしら」
「は、はいぃ!」
あたしの二つ名を微塵も笑いもせずに美女が言う。なにを言われるかと構えすぎて思い切り声を裏返らせたあたしに、桐生さんの肩が小さく揺れた。
お願いですから笑わないでくださいと思ったのは、美女の怒りのパラメーターが跳ね上がりかねないと踏んだからなのだけれど。
桐生さんをちらりと見て、美女は気を鎮めるように目を瞑る。次にゆっくりと開かれた瞳は、強い光を放っているものの攻撃的な色は潜められていた。ほんのわずか、ほっとする。
「こんな研修先に配属されて同情するわ。こいつらは能力があるから許されているだけで、いろんな意味で規格外なのよ。こいつらの常識を特殊防衛官の常識と思わないほうが賢明よ」
「で、でも」
美女の眼力に押されながらも、あたしは恐る恐る口を挟んだ。
「なにかしら」
「おふたりとも、すごくいい人ですよ」
言ったあたしに、桐生さんと所長がなんとも言えない微妙な表情になったのが視界の隅に映り込む。あれ、なにか、あたし、おかしなことを言ったかな。不安になったあたしの頭を大きな手のひらがぽんぽんと撫ぜる。桐生さんだ。
「フジコちゃんはいい子やねぇ」
「い、いい子って……」
あたしも一応、二十歳なんですが、との突っ込みは、所長のことすら「子」扱いする桐生さんには通用しないのかもしれない。
「……ちょっと、あんた」
「ん? なに? まなみちゃん」
「二度と馴れ馴れしく呼ばないで。研修生に手を出したら大問題よ。わかってるでしょうね」
「あれ、まなみちゃん。もしかして、フジコちゃんに嫉妬しとる?」
「ぶっ殺すわよ、この最低オトコ」
先ほどまでの比ではない低い声で吐き捨てて、美女――まなみさんというらしい――はくるりと背を向けて、お仲間のほうへと戻って行った。響くヒールの音の大きさが、まなみさんの苛立ちを代弁しているような気がしてならない。というか。
あたしにわ分かる。あの瞬間のまなみさんの瞳はマジだった。
……いったい、なにをしたんだろう、桐生さん。
「あ、あの……」
好奇心に負けて所長を見上げると、溜息交じりの答えが返ってきた。
「昔、桐生が手を出して捨てた女だ。それ以来、紅屋に対するあたりがきつくてな。迷惑している」
「え!」
「あ、ちょっと。蒼くーん。もうちょっとオブラートに包んだ言い方してよ。それやと、なんかあんまりやない?」
「あんまりもなにも、おまえが捨てた女は山ほどいるんだ。いまさら隠しても無意味だろう」
それはつまり、今後もこの仕事を続けていく上で、桐生さんの元カノさんとご一緒する機会が多々あると言うことだろうか。
みんながみんな、今日のまなみさんみたいだったらちょっと嫌だなぁと思っているのがバレたのか、桐生さんが誤魔化すようにほほえんだ。
この顔に騙される女の人が一定数以上いるのだろうなぁと考えれば考えるほど、なんだか不憫だ。
「あのね、フジコちゃん。そのいわゆるところの酷い捨て方なんてしてないからね、僕。お互い大人の了承で関係を持って、それでお互い納得の上、別れたという、それだけやから」
「物は言いようだな」
「だーかーら、蒼くん。僕になんの恨みがあるのよ。というか、当たりがきついのは僕のせいとちゃうやん。まなみちゃんが仕事にプライベートを持ち込むのがあかんのやんか」
「それはそうだとは思うが」
あ、それはそうなんだ……。
職場の上司として素晴らしい人間と、プライベートはまた別物だよね。あたしはそう無理やり納得することにした。うん、そうだ。そういうことだ。あたしにとって、優しい上司であることに変わりはないのだし、……うん、問題ない。大丈夫。
「藤子」
所長に呼ばれて、あたしは物思いから現実に舞い戻った。倉庫内はまだ本部の人たちがせわしなく動いている。まだ後処理には時間がかかりそうな雲行きだ。
――あ。
毛布に包まれた小さな身体をまなみさんが抱き上げたのが、視界の隅を過る。その優しい雰囲気に勝手に安堵して、あたしは所長に視線を戻した。
「はい」
「後始末は本部に任せて帰るぞ」
「だから、フジコちゃんは、もし聞きたいことがあるんやったら、遠慮せんと今のうちに聞いておいで」
「あ……え、と」
桐生さんに促してもらって、なお、躊躇ったあたしに、所長が「行くなら早くしろ」とまなみさんたちのほうを見遣る。
もう全部がバレバレなんだなぁ、と。うれしいのだが恥ずかしいのだかわからなくなりながら、あたしは「ありがとうございます」と大きく頭を下げて、まなみさんの下へと小走りで向かった。




