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28:鬼狩りの仕事

「止まりなさい、ハヤギ・リュウト」


 トンと音を立てて矢羽が、鬼が足を踏み出そうとしていた位置に突き刺さった。踏み出しかけた足を反転させた鬼の紅い瞳と視線が絡む。


「特殊防衛官への反抗は、刑罰が加算されますよ」

「意味のない脅しだな。逃げ切ればいいだけの話だろう」


 鬼の瞳がゆっくりと細められる。まるで捕食者だ。けれど、負けるわけにも怯むわけにもいかない。鬼が人間を捕食する側だとすれば、鬼狩りも同じく捕食者でなければならない。

 そうでなければ、共存することはできない。対等でなければ。

 だから、もう声は震えなかった。


「あなたをここから逃すことはしません。あなたはここで確保されます」


 新たな矢を装填して、鬼を見据える。この武器に強大な殺傷力はない。けれど、頭を撃ち抜けば多少の足止めにはなるかもしれない。

 鬼の腕の中では、変わらずリュウくんが気を失ったまま抱かれている。


 ――ごめんね。


 ごめんね、リュウくん。


「その子を思う気持ちがあるのなら、ここで投降してください」


 そうすれば、量刑は軽くなる。もしここであたしが取り逃がしたら。そしてまた過ちを犯したら。リュウくんは死ぬまで父親と会えなくなるかもしれない。この鬼も生きて罪を償うことができなくなるかもしれない。


「投降してください、リュウくんのために」

「笑わせる」


 言葉どおりの嘲笑が混ざった声で鬼が吐き捨てる。


「こんなに幼い子どもから親を奪おうとしているのは、おまえではないか」


 同情を買うように、男の指先がリュウくんの頬を撫ぜる。なんでだ、とほんの少し悲しくなった。

 たとえ、今の仕草が演技だとしても。この場所にリュウくんと一緒に住んでいたのは本当だ。リュウくんの面倒を看ていたのも本当だ。毎晩、この子が寝付くまでここにいたのも、かわいがっていたのも、きっと本当だ。

 なのに、なんでその手で、被害者を襲わなければならなかったのだ、と。


「あなたは、何人もの人間の女性を襲った。その罪を償わなければいけません。けれど、今なら間に合います。償ったその後で、リュウくんと逢えます。迎えに行けます」


 鬼は鼻で笑って、一歩前に出た。「馬鹿馬鹿しい」


「きれいごとだらけだな、おまえの言う鬼狩りの理論は」


 あたしが「憧れているのだ」と告げた折の所長の顔がふと脳裏を過った。きっとあたしの言うことはぜんぶ、「そう」なのだ。それでも。――それでも。


「生きてさえいれば、なんだってできますよ、鬼であれ、人であれ!」


 命さえあれば。未来はつくることができる。あたしが今、こうしてここに立っているように。

 叫んだ刹那、今までの比でない威圧感に襲われた。風圧で前髪が舞い上がって、眉尻に残る傷跡があらわになる。あの日、鬼に付けられた――。


 風が熱い。視界が白い。鬼がいたはずの方向にクロスボウは向いている。でも、でも。動いていたら。リュウくんに当たったら? 躊躇が勝った指先は動かない。


 ――あたし、もしかして、死ぬ……?


 ぞっとした感覚が身体を走り抜けていく。けれど覚悟した衝撃はこない。代わりに、頭上で大きな爆発音がした。パラパラとなにかが落ちてくる。粉塵。鬼が放った炎が、たぶん天井に当たった。


「桐生、さん」


 煙のなかで、あたしは首が飛んだのを見た。首が飛んで、だから炎が逸れたのだ。


「桐生さん」


 半ば呆然とあたしは繰り返した。開けた視界の先に立っていたのは、最後に見たときとなんら変わらない桐生さんの姿で。


「ご、ご無事で……」


 許容量を超えた脳みそが絞り出した台詞は、なんだか時代劇の町民Aの様相だった。笑おうとして失敗した。笑えない。とてもじゃないけれど、笑えない。無事でよかった。それは本当によかった。がくがくと膝が笑い出す。もう、いないのに。鬼は。

 もう、――死んでしまったのに。


「もしかして、フジコちゃん。本気で僕があれくらいでやられると思ってたん?」


 かわいいなぁ、といつもと変わらない調子で続けて、桐生さんが歩み寄ってくる。当然のごとく、その足取りにも佇まいにも異常はない。まったくのいつもどおり。


 ――鬼狩りだから? だから、「いつも」なの?


 これはよくあることなのだろうか。頭の冴えた一部分で延々となにかが叫んでいる。

 けれど、重力に負けてあたしは崩れ落ちた。コンクリートの冷たい感触が足から伝わってくる。立ち上がれないでいるあたしの頭を、まるで小さい子どもにするように桐生さんの手がぽんぽんと叩いた。いつもと同じ温度。――生きている。

 じんわりと戻ってきた思考で、あたしは問いかけた。


「騙しました?」

「騙したって、人聞きの悪い。フジコちゃんやったら、ちゃんとやってくれるって、信用しただけやんか」


 ちゃんとやってくれる。その言葉を内心で繰り返して、あたしはそっと視線を動かした。桐生さんの背後。そこにあるのは、鬼であったもので。……不幸中の幸いなのか、リュウくんは気を失ったままだ。頭のない父親の腕に抱かれたまま、倒れ伏している。

 ちゃんとなんて、あたしはなにもできていない。


「殺した……ん、ですか」

「あの状態で生きてる鬼がおったら、お目にかかってみたいかなぁ」


 あたしの声の震えなんて聞こえないみたいに、桐生さんはさらりと続ける。


「でも、僕がやらんかったら、死んでたのはフジコちゃんやで」


 そういうことだった。それがすべてだ。あたしのきれいごとでは鬼は止められない。あのままだったら死んでいたのはあたしだ。誰もが助かる道なんて、ない。鬼を狩る。鬼を狩るからこその、「鬼狩り」。

 憧れだけじゃ、なにもできない。夢ばかりじゃ、なにもできない。所長が言っていたのは、こういうことだったのだろうか。


「どうしたの、フジコちゃん。青い顔して」


 いつもと変わらない優しい笑みを浮かべたまま、桐生さんが言った。


「いやになった? 憧れていた鬼狩りの仕事と、まったく違って」

「っ、なってません」


 意地悪な言い方に奮起して応える。なっていない。なんてなんて、いない。

 脚腰に気合を入れて、立ち上がる。まだうまく力は入らない。けれど、いつまでも座り込んでいるわけにはいかない。


「そう。それなら、なにより」


 淡々と桐生さんが視線を背後に流した。


「じゃあ、フジコちゃん。次にフジコちゃんはなにをすべきやと思う?」


 次。確保対象の鬼が死んでしまった、次。言葉にしきれない感情を抑え込んで、声を押し出す。


「……本部に、連絡します」

「まぁ、それはそうなんやけど。その前にしておいたほうがいいことがあって」


 それは、事務所のパソコンの前であたしに基礎的な知識を教えてくれるのと変わらない、穏やかな声だった。


「凶悪な犯罪者がいるからと言って、人間のすべてが悪であるはずがない。その理論と同じく、すべての鬼が凶悪犯ではない」


 首を傾げたあたしに、桐生さんが小さく苦笑する。


「育成校で習わへんかった? この理屈。なので、むやみに鬼を畏怖するのではなく、善の部分を見出しましょう、やっけ。我々は理性を持ってわかり合うことができる。種族の違いが諍いを生むとは限らないとか、なんとかかんとか。僕は育成校を出てないから、細かいところは知らんけど。まぁ、人間と鬼がこの世界で共生していくための大義名分かな、結局のところ」

「あの、桐生さん?」

「とはいえ、はい、そうですかで終わらせるには危険がいっぱい。じゃあ、どうしようか」


 鬼と人間は違う。けれど、すべての鬼が悪意を持って人間を襲うわけではない。共生するためのバランスを取るのが鬼狩りの役目。習った文言が頭を駈け廻る。でも、それを口にすることはできなかった。


「道行く鬼すべてが凶悪犯なわけはないけど、凶悪犯になり得る芽を早期に摘むことは必要な仕事や、いう話でもあるかな。『鬼狩り』として」

「凶悪犯になり得る芽?」


 答えを聞きたくないと思いながらも、あたしは問い返していた。桐生さんがにこりと笑う。いつもとまったく変わらないそれで。


「親を人間に殺された、子ども」


 鬼の、――親の腕に抱かれたまま倒れているリュウくんを視界に留めたまま、桐生さんは言う。「おまけにB+やもんねぇ」


「この年でこれやと、ちょっとこのまま放っておくのは危険かな」

「それって、……」


 リュウくんのことですか。リュウくんをどうしようという話ですか。心臓がドクドクと脈打っている。それが鬼狩りなの。鬼狩りはそんなことをするの。


「わかりやすい話やろう? ついでに、僕に対する公務執行妨害の現行犯っていう事実もあるし。まあ、十分やね」

「十分って、なにが」

「今ここで、この子どもに消えてもらう理由」


 桐生さんはいつもと変わらない。だからこそ、これが当たり前なのだとわかってしまった。


「桐生さん!」


 リュウくんたちに足を向けた桐生さんに、あたしはたまらず叫んでいた。呆れた色を隠さない顔で振り返った桐生さんは、子どもに言い聞かせるように繰り返す。


「育成学校でどう習ったかは知らんけど。親が殺されるところを目撃した子どもは殺すのが原則。情けをかけて生き残らせたところで、人間を恨む可能性が高いしね」

「可能性じゃないですか」


 信じたくなくて、あたしは言い募った。だって、あたしは、鬼に親を殺されたけれど。鬼のすべてを恨んでなんていない。いないはずだ。


「可能性が少しでもあるなら、消すに越したことはないっていう話を、僕はしてたつもりなんやけど」

「でも、それで殺していいなんて……!」


 自分でもわかっている。あたしの言うそれは感情論で、きれいごとだ。でも。本当に子どものように、あたしのなかでは同じ言葉が渦巻いていた。あたしを見下ろしたまま、桐生さんが小さく溜息を吐いたのがわかった。


「人殺しの遺伝子を受け継いだ鬼やで、それは。危険すぎる」

「そんな…」

「そんな、なに?」


 震えるあたしの声を歯牙にもかけず、桐生さんが促す。いつものように。


「理不尽ですよ、そんな」


 どう言っていいのかわからないまま、あたしは吐き出した。でも、だって、そうだ。理不尽が過ぎる。リュウくんはなにもしていないのに。それでも彼の命を奪うのが正しいというのなら。あたしが、なんで――この仕事を望んだのかわからなくなってしまう。

 いやなのに。そんなこと、思いたくなかったし、口にしたくもなかった。でも。


「それが鬼狩りとして正しいというなら、あたしはこの仕事を軽蔑します」


 桐生さんの胸元の記章が視界の隅でちらつく。鬼狩りの、あたしの憧れていた仕事の最高峰の人だ。にもかかわらず、あたしに仕事を丁寧に教えてくれる優しくて頼れる先輩で、上司だ。


 ――でも。


 失礼を承知で言い切ったあたしに、怒るでもなく桐生さんは静かに問いかける。


「ほんのついさっき、その甘さで死にかけてたのは、フジコちゃんやなかった?」

「あれはっ……」

「鬼狩りは、フジコちゃんの人生の指針なんやろう?」


 反論を封じるように、にこやかさを湛えたまま桐生さんが続けた。


「鬼狩りの仕事がいやになんてなってないって。そうも言ってなかったっけ?」

「――それでも」


 ぎゅっと手のひらを握りしめて、あたしは一度深く息を吸った。


「それでも、許せません。桐生さんからしたら、馬鹿みたいなことを言っているかもしれませんが、いやです。鬼だからって、それだけの理由で死んでもいいなんて。人間殺しの遺伝子なんて、ないですよ、きっと」


 桐生さんはなにも言わなかった。いつも表情の柔らかい人が黙り込むと、所長のあれとはまた違う威圧感がある。


 ――あぁ、これ。このあいだの所長の時の比じゃなく、首にされても文句言えないなぁ。


 頭の片隅で思ってしまったけれど、それでも譲ろうとは思えなかった。今のあたしにできる最後。あたしのなりたかった鬼狩りとしての最後。それは、せめてリュウくんだけでも守ることだ。それがあたしにできる精一杯だ。

 負けないと視線を上げた先で、桐生さんがふっと笑った。


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