24:鬼の子ども
桐生さんの言うとおりだ。もし倉庫内に誰かがいたのだとすれば、あたしが気付かなくとも、桐生さんが気付いているはずだ。だとすれば、今日はいなかった。それは間違いない。でも、それがイレギュラーだったとしたら。
あの鬼はいつも夕方に倉庫に戻っていた。わざわざ深夜に外に出かけていた理由が、ここで一緒に生活している誰かのためだったとすれば。
それは、あの鬼にとって守るべき存在だったということだ。
ということは、本当に幼い子どもである可能性が高い。
考えろ。考えろ。言い聞かせて、あたしは倉庫から飛び出した。近くに人の気配はない。着いてすぐに、桐生さんと倉庫の中は確認済みだ。生活感のあるものはなにもなかった。
けれど。子どもがいたと仮定して、なにもない寂しいところでずっと大人しくしていられるだろうか。
外は危ないと言い聞かされていたとしても、子どもはその言いつけを守り続けることができるとは限らない。現時刻、午後四時二十二分。いつも鬼が戻ってくるのは、所長によれば五時前後。
ということは。もしかすると、もしかするかもしれない。
「誰かいる? もしいるなら出てきて! お父さんがきみを探してるの!」
その子の「お父さん」が戻ってくるまでのあいだ、少しだけ遊びに出ていたとして。けれど心配させるつもりはないから、「お父さん」が戻ってくるまでに倉庫の中に戻ってくるつもりだったとして。
それが今日に限って、「お父さん」が早く帰って来てしまったとして。その子も少し遅れて戻ってきたとして。そこで、戦闘が始まってしまったとしたのなら。
離れることもできず、けれど、中に踏み込むこともできず、近辺に隠れて震えているのではないだろうか。
なにもできなかった、いつかのあたしのように。
――あたしが本当に、運を持っているっていうなら、この勘こそ当たっていてほしい。
「特殊防衛官です! あたしたちはあなたたちを害するために来たわけではありません!」
たとえ、あの鬼が重犯罪者でも。人間の女の人を害して、殺していたとしても。それは許される罪ではないけれど、子どもにとっては、たったひとりの父親だ。目と鼻の先でその命が失われる場面を見せたくない。絶対に、見せたくない。
「誰か……って、うわわわ!」
背後で起こった爆発音に、あたしはうっかり悲鳴を上げて小さく飛び上がった。そうだ。戦況を。戦況も把握していないと、桐生さんに、怒られる! というか、そもそもとして、うっかりあたしが死にかねないんだった……!
それにしても、うっかり死にかねない、とか。なかなか日常生活で用いない日本語だよなぁ、なんて。どこか変に冷静な頭で考えながら、あたしは周囲に視線を巡らせた。
こんなときこそ、役に立つかどうかはさておいて、渡辺さんの鈴があればよかったかもしれない、とも思いながら。灯りはほとんどない。けれど、夜目も利くようになり始めている。
そのとき、がさりと右足付近の草むらが動いた気がした。
「……ん?」
草むらは、あたしのふくらはぎくらいの高さまで伸びている。きっと倉庫が使用されなくなって、誰も手入れをしなくなったのだろう。小さい子どもだったら、しゃがめば十分に頭まで隠れられる高さ。
「誰かいるのかな」
クロスボウを背後に隠して、あたしも膝を土の上に落とした。あんたの笑顔って、その間抜けな二つ名と同じくらいに気が抜けるのよね。そう言ったのはいつかのみっちゃんだったけれど。人畜無害と評されることしかないこの容貌でも、役に立つのならばなによりだ。
精一杯の猫なで声と笑顔を装備して、ゆっくりと草を押し分ける。
果たしてそこにいたのは、五歳くらいの男の子だった。
体育座りをするように草むらの中に蹲っている。といっても、鬼の成長は人間に比べて比較的緩やかだとされている。実際の精神年齢は、もう少し高いかもしれない。
「こんばんは」
あたしの声に、男の子の大きな瞳が上向く。少しくたびれているようにも見えるけれど、着ているのはよく街中で見かけるようなパーカーにハーフパンツ。足元もきちんとスニーカーを履いていた。
――見える部分に怪我もない。清潔さもちゃんと保たれている。ということは、やっぱり、この子はちゃんと大切にされているんだ。あの、「鬼」に。「お父さん」に。
「お姉さんも『鬼狩り』なの? 僕たちを狩りに来たの?」
合った視線を逸らさないまま男の子が呟いた。はじめて聞いた声にほっとしながら、あたしはライセンスを提示した。
「特殊防衛官です。あなたとあなたのお父さんを害しに来たわけではありません」
「鬼狩り」と言うのは、あちらさんにしたら失礼な呼称やから。絶対に使ったらあかんよ。そう教えてくれたのは桐生さんだったけれど、そのとおりだと改めて実感する。自分を「狩る」と宣言されて、気持ちのいいはずがない。
静かに繰り返したあたしに、男の子は瞳をゆっくりと瞬かせた。幼いころの弟とよく似た、子ども特有の澄んだ瞳。
「悪いやつらだって、パパが言ってた」
「パパが?」
「捕まっちゃったら、もう僕と一緒にいれなくなるんだって」
だからと、男の子は目線を膝小僧に落とした。
「絶対に捕まっちゃ駄目だって」
「なんで、パパは捕まるって言ったのかな。あたしたちは、なにもしてない人を捕まえたりはしないよ」
この子は、きっと理解している。そう確信して、あたしは言い聞かせるように話しかけた。
男の子の頭が自然に上がるまでじっと待つ。虫の羽音が耳のすぐそばで聞こえた。こんな季節だったと、ふと思った。あたしがはじめて鬼と出逢ったのは。
男の子の顔がおもむろに上がろうとした瞬間、また倉庫から大きな音が響いた。男の子の身体が大きく揺れる。
「怖い」
上がった面は、閃光を受けて真白く光っていた。白い瞳に映っているのは恐怖だ。大切な家族を失うかもしれないという、それ。
――その瞳に宿る色を、あたしは知っている。
人間も、鬼も、同じだ。誰かを大切に思うことも、だからこそ、その人を失うことを恐れることも。みんなみんな、同じだ。再認する。同じ。




