22:強運なのか凶運か
「フジコちゃん?」
「は、はい!」
呼びかけに、あたしは慌てて桐生さんに視線を移した。どこからどう切り取ってもいつもどおりの桐生さんに安堵はしたけれど、だがしかし、怖い。
あたしの動揺などどこ吹く風で、桐生さんが笑う。それはもうにっこりと。
「つまるところ、フジコちゃん。僕らふたりでB+とやりあうにはどうしたらいいと思う?」
本来だったら、B+のライセンス所持者がふたり以上あるいは、Aライセンス以上の実力者がひとり以上の五名前後で構成される班が出動する相手である。
桐生さんは特Aかもしれないけれど、もうひとりが研修生のあたしって、どう考えても一班じゃ、ない。
「あ、当たらないように精一杯逃げます!」
「うん。まぁ、それは最低限やね」
あたしの必死の回答をさらりと受け流した桐生さんが、とてものんびりと抜刀した。きらりと暗がりのなかで刀身が光る。あ、本当に日本刀なんだぁ、なんて。現実逃避していると、優しく笑った桐生さんが、まったく優しくないことを口にした。
「死にたぁなかったら、僕の攻撃範囲に入らんように。あと、自分の安全は自分で守るように」
「ひぃ! わかりました!」
「いや、やっぱりフジコちゃん。もってるで。ラッキーや。実戦初戦で、B+に当たるなんて、なかなかないで? 経験値を上げるには最適やんか」
「そんなラッキー要らなかったですぅ!」
本当に、本当に、そんなラッキーは要らなかった。というか、日本刀の間合いって、どのくらいなんだろう。いや、それ以上に、桐生さんの動きを、あたしは目で追えるのだろうか。
攻撃範囲内に入るなということは、あれだ。ひとときも戦局から目を離すなという、ごもっともすぎる忠告だ。そう思う。思うのだけれど。
「なぁ、フジコちゃん」
鬼を見下ろしたままの桐生さんに呼ばれて、あたしはクロスボウを握りしめたまま声を裏返らせた。
「な、なんですか!」
「フジコちゃんって、パニくると、とりあえず騒いでまうタイプ?」
「そうかもしれませんが!」
「一発目に狙われる確率が跳ね上がるから、その癖、直しや?」
完全に固まったあたしに微笑を残して、桐生さんは音もなく飛び降りていった。
……も、もう、もう嫌だ。桐生さんの笑顔を優しいなんて、絶対、絶対、思わない。
いや、優しくないわけじゃないけど。その、なんというか。なんというか。
――あぁ、でも。
肩の力が少し抜けたのは事実だ。握りしめていたクロスボウを牽引し、発射溝に矢羽を滑り込ませる。何度も何度も、やってきた手順だ。
あたしが中途半端に手を出すほうが、邪魔になるのは間違いない。でも、それでも、最低限の準備だけはしておかないと。あたしも、「鬼狩り」なのだから。
深く一度息を吐いて、眼下を見つめる。鬼の身体は硬いのだという。だから、あたしたちはそれに対抗しうる武器を使う。けれど、本当にそうなのだと改めて思い知った。交錯する度に激しい金属音が鳴り、粉塵が舞う。目で追うのがやっとのスピードで白刃がきらめいて、一際、激しい衝突音がした。鬼の身体が入口付近の壁まで吹き飛んで叩きつけられたのだと、数秒遅れてあたしは理解した。
特Aって、本当に強いんだ……。
手足を蠢かせ、必死に起き上がろうとしている鬼とは対照的に、桐生さんの背には一筋の乱れもない。鬼の口が動いて、泡を吹く。それでも、鬼はなにかを紡ごうとしているように、口を動かしていて。
なにか、言っている? ふと沸いた疑問に、あたしは耳を澄ませた。
なにか。――子ども? あいつ? おまえたちが?
あたしたちが、なにかをしたと思っている? もしそれで抵抗しているのだとしたら。暗闇に慣れた瞳で倉庫内をもう一度見渡す。誰もいない。なにもない。けれど。
「桐生さん! 桐生さん」
あたしの必死の呼びかけに、桐生さんが視線を上げた。鬼へと向かっていた足を止める。
「どこかに子どもがいるんです。この人は、子どもを探してるんです。あたしたちが害したんじゃないかと疑ってるんです!」
「少なくとも、この倉庫にはおらんやろ。おったら、さすがに僕が気付くと思うよ」
「それはそうだと思うんですが!」
探しに行くと言いたいあたしの欲求を、正確に読んでくれたらしい桐生さんが溜息交じりに頷いた。
「あんまり、変なところに動かんといてね。僕も実戦初日の研修生に怪我はさせたくないし」
蒼くんに怒られそうやし。おざなりにそう続けたかと思えば、真面目な顔になった桐生さんがあたしをしっかりと見据えた。
「最初に自分で言うた最低条件、覚えてる?」
「大丈夫です、精一杯、逃げます! それと桐生さんの邪魔はしません!」
どこにいようが、戦局からは目を離さない。勢いよく宣言して、あたしは中二階からまた飛び降りた。鬼がゆっくりと起き上がる気配がして、毛先に、チリと熱い熱風を感じた。火を噴く鬼。それは紛れもなくB+で。かなりの大物だということで。
もし。もし、この鬼が。ハヤギ・リュウト、子どもの為に怒っているのなら。抗っているのなら。子どもの無事を確認させれば落ち着くかもしれない。素直に逮捕されるかもしれない。鬼は、心臓を取らない限りは死なない。負った傷もあっというまに治る。だから、鬼を狩るのは難しいとされる。一瞬で、致命傷を負わせなければならないからだ。
けれど、とあたしは思っていた。怖いと思っていたくせに。この期に及んで。
できるなら、誰にも死んでほしくなんてない。生きて償える罪なら、償うべきだ。あたしは、あたしの家族を害した鬼の口から、なにも聞くことはできなかった。そのことがほんの少しだけ、淀みになっている。
もちろん、助けてもらったことには感謝をしている。あの鬼がもう死んでいると思えば、怖い夜も減った。
けれど、それでも、と。ふと思うことがあるのだ。
ねぇ、なんで、あたしはひとりにならなければいけなかったの?
あなたはなんであたしの家族を襲ったの?
聞いてみたかった。そして答えを知って、許せるだろうかと葛藤をしてみたかった。襲われたのが不運だっただなんて、そんな言葉で片付けるのは、――生き残った自分が幸運だったと思えるのに、どれだけの時間がかかったと思うのかと。
あの鬼を、詰ってやりたかった。
けれど、死んでしまった鬼相手にそれは叶わない。
できることならば、できることならば。生きて反省をしてほしかった。あたしの糾弾を甘んじて受けて欲しかった。甘いと言われようとも、あたしはその姿を見たかったのだ。
死んでしまったら、なにもできない。それ以上のなにをもない。
父も母も瑛人も、怒ることもなければ笑うこともない。声を聞くこともない。そして、それは、あの鬼もそうなのだ。
それは、あの夜に、あたしが思い知ったことだった。




