21:捕り物開始
「フジコちゃん」
桐生さんの声に、あたしははっと意識を戻した。ドクン、ドクンと早鐘のように心臓は鳴り続けている。
「来るよ、鬼が」
――来る。
ドクドクと打つ鼓動をおさめようと意識して、一度、目を瞑る。
来るのは、鬼だ。けれど、あたしたちを襲いに来るわけではない。あたしたちは鬼を確保するために、ここで待っている。
言い聞かせて、眼下に視線を凝らす。細い風とともにかすかな光が入り込んで、入口付近を照らす。そして、影が入り込んできた。
――あれが、鬼。
あたしとさほど年頃の変わらないような男の人。ゆっくりとした足取りのまま、彼が歩いてくる。その姿は、誰かを害す姿も想像できない普通の人間のようだった。
――あぁ、でも、そういえば。
十年前、あたしたち家族の前に現れた鬼も、最初は優しそうなお兄さんだったっけ。それが急に変貌したんだったっけ。「鬼」に。紅い目の愉快犯に。
「フジコちゃん、確認」
「は、はい!」
所長から借りたタブレット端末のカメラレンズを鬼に向ける。階下の鬼はあたしたちの存在にまだ気が付いていない。タブレットが鬼の顔を認識し、データベースとの認証を開始する。
「ターゲット捕捉。認証率九十八パーセント。ハヤギ・リュウト。認定ランクB」
「はい、オッケー。ほな、行こか。フジコちゃん」
「はい」
小さく頷いて、あたしは胸元の内ポケットに入っているライセンスと令状とを確かめた。渡辺さんから頂いた手錠も、バッグからスーツのポケットに移し変えた。大丈夫。必要なものは、ぜんぶ揃っている。
ライセンスを提示し、身分を明かす。そして、令状の読み上げ。もちろんその時点では、武力を誇示することはしない。あくまで求めるのは同行だ。段取りを頭のなかで反芻して、あたしはもう一度、頷いた。
鬼は、あたしたちには気が付いていない。けれど、なにか違和感を覚えているのか、倉庫内を見渡すような素振りを見せている。
心臓は相変わらずうるさい。けれど、大丈夫だ。問題ない。はじめての臨場で緊張しているだけで、正常の範囲内……の、はずだ。
目視で一階の床まで二メートル強。さすがのあたしでも、この程度なら問題なく飛び降りることはできる。
「行きます」
あたしのタイミングを待っていてくれる桐生さんに宣言して、手すりに足をかける。足の裏からダンと短い衝撃が突き抜けた。目前に現れたあたしに、鬼がわずかにたじろぐ。
今のところ、よし。言い聞かせて、あたしはさっとライセンスと令状とを提示した。
「政府公認事務所『紅屋』所属の特殊防衛官です。ハヤギ・リュウト。婦女暴行の容疑で逮捕状が出ています。本部までご同行願います」
驚くでも怒るでもない表情の薄い瞳があたしと後方を見やる。桐生さんを見ていることは間違いがない。ここで、力の差を感じて折れてくるのならば、一番いいのだけれど。頭のなかでは、自分の心臓の音が鳴り響いている。
忙しなさをひとつずつ数えて、あたしは鬼を見据えた。
お父さん、お母さん、瑛人。皆の顔を思い浮かべる。そうすると、ほんの少しだけど心が凪いだ。あたし、見習いだけど「鬼狩り」として、「鬼」の前に立ってるよ。あの日の、あの人のように。それが、あたしが選んだ道だよ。たとえ、褒められるような理由ではなかったとしても。
鬼は応じない。あたしはもう一度、静かに問いかけた。
「ご同行願えますか」
――目が、紅い……?
鬼は興奮すると、瞳が赤くなり、その本性を現すという。人間より、自分たちのほうが上位であると示すような、その容貌を。
「フジコちゃん!」
桐生さんの声にはっと我に返って、あたしは後ろに飛んで下がった。そのまま、元いた中二階まで退避する。先程までの痩身の青年の姿はもうない。「鬼」だ。優に二メートルはありそうな。
「な、なんですか……、あれ」
「まぁ、大人しく従う気はないってことやろねぇ。あ、蒼くん? 残念なお知らせがありまーす」
軽い。軽い。軽すぎる。へらっとした桐生さんの声に地団太を踏み鳴らしたくなる。もちろん、そんなことをしている状態ではまったくないのだけれど。
なんだか、緊張とパニックと、あと言葉にしたくないあれやらこれで、頭が完全に思考を停止している。もとから大した性能もないのに、すっからかんだ。
「交戦状態に突入しそうです」
次の瞬間、眼下で鬼が火を噴いた。
「ど、どこがBなんですかぁ! 口から火ぃ噴いてるじゃないですかぁ!」
プツンと来て叫んだあたしに、「ほんまやねぇ」とどこまでものんきに桐生さんが応じる。
「よかったなぁ。いい勉強やで、フジコちゃん」
「なにがいい勉強ですか、なにが!」
「国からの通知と判定に絶対はない」
「って、なにをそんな悠長な! 立て直しましょうよぉ。あたし、詠唱無理ですよ、才能なかったんです!」
完全に泣きの入ったあたしにも、桐生さんはまったくもって容赦がなかった。というか、B+とやり合うのは、あたしと桐生さんじゃ無理がないですか。ええと、その、あの、ルール的に。 桐生さんだって、Bだからあたしとご自分のふたり編成で問題がないとおっしゃったのでは、と、そう言いたい。とても言いたい。
けれど現実問題として興奮状態の鬼を放置できないことも重々わかってはいる。わかってはいるけれど。でも、だ。
「期待してへんよ、そこは。詠唱できるんは、基本的に鬼狩りの家系の、それも術師系の連中だけやん。ちなみに僕は苦手」
「ええ? そんな!」
「できひんことはないよ? でも、僕も蒼くんも攻撃のほうに特化しすぎてもうて、防衛、不得意なんよねぇ」
「特Aのくせに!」
思わずあたしは叫んだ。特Aのくせに! 鬼狩り総人口の三パーセントの超超エリートのくせに!
「なにを言うてるの、フジコちゃん。特Aなんて、目立つ功績をあげた連中に授与される勲章や。ということは、基本的に特Aは攻撃特化型が多い」
「そんな情報、要らないです!」
あたしは本気で泣きそうになりながら、リュックを脱ぎ捨ててクロスボウを手に取った。あたしは桐生さんと違って、即時攻撃には移れないのだ。超攻撃型でも近距離型でもない。中距離支援型だ。
鬼は距離を詰めてくる気配もないけれど、逃げる気配も皆無だ。鼠をいたぶる猫のごとし。思い付いた嫌な例えに、頭のなかがさーっと青くなる。
お、お父さん、お母さん……。瑛人。お姉ちゃんは、お姉ちゃんは……、いいや、ここで死ぬつもりはないけれども!




