20;初出動
まだ四時を過ぎたばかりなのに、足元は薄暗い。
廃倉庫の中二階からあたしは一階を見下ろしていた。眼下には、いくつものコンテナボックスと段ボールが無造作に積み上がっている。入口付近はスペースが確保されていたものの、倉庫の奥や壁際はなかなかの有様だった。
一体、いつから使われていないのだろう。コンテナボックスやタンボール箱の中身はどうなっているのだろう。もしかして、そのまま放置されているのだろうか。
さすがに中身が生鮮食品ってことはないだろうから、このままでも問題がなかったのかもしれない。いつ捨てられたのかもわからないし、どんな事情があって「廃」倉庫になったのかも、あたしは知らないけれど。
こんな寂しいところに、居るんだなぁ。
覚えた感慨を自分でも不思議に思いながら、あたしはリュックの肩ひもを握った。なんだか癖になっているなとも疑いながら。
ちなみに、大半の鬼は「地界」と呼ばれるところに生活の基盤を置いている。人間の社会で家を持ち、あたしたち人間と同じような生活を送ることを楽しんでいる鬼もいるけれど、少数派の、――言ってはなんだが、鬼の世界の変わり者、だ。
けれど、「地界」に居を置く鬼たちも、気の向くままにこちらの社会に干渉を行っている。あるときは、人間の街で遊び、あるときは、人間を害すために姿を現す。
それが五十年前から続く現状だ。法令が整備され出した昨今は、かつてに比べると格段に行き来が増えているそうだけれど。
ここを根城と定めた鬼は、「地界」にはもう居場所がないのだろうか。
――いいか、この鬼は、
淡々とした所長の声が頭のなかで響く。
この一月のデータ記録を見る限り、廃倉庫を根城とし、そこで、夕方……五時ごろから概ねにして日付が変わるころまで過ごしているようだ。
犯行はいずれも、深夜の二時以降に行われており、根城を出てからターゲットを物色していると推測される。
あぁ、ほな、それやったら、そこで帰ってくるのを僕らは待ってよか。街中で揉めるのは避けたいし。もし、予定外の行動をあちらさんが取りそうになったら。
問題ない。俺が動きを追う。
口を挟むどころか、会話に付いて行くだけであたしは精一杯だ。できるだけ民間に被害を及ぼさないように、人が居ないだろう廃倉庫で「確保」を行う、ということだけはなんとか理解した。
前科持ちの鬼はGPS機能の搭載されたICチップを埋め込まれているので、所長はこのまま事務所で鬼の行動を監視するのだろう。鬼が予定外に倉庫に戻らず、なにかの行動を起こそうとすれば、すぐに連絡があたしたちに入るということだ。
そして、その場合は、外に鬼を追いかけていくことになるのだろうけれど。
――できるな。
最後の最後、所長は桐生さんではなく、あたしに念を押した。
「けっこうお役所仕事やろ? 鬼狩りも」
日中はデスクワークで、出動となれば令状を用意して。
あたしの隣で、手すりにもたれかかったまま、桐生さんはいつもの調子で話しかけてきた。声が倉庫内に反響する。いつもどおりでないとすれば、その腰にぶら下がる帯刀ベルトと日本刀の存在だった。
「そう、ですね」
「よく言うんよ。新しくやってきた子は。ウチは研修生はフジコちゃんが来るまで採ったことなかったから、持ち番のときに一緒になった子の話やけどね」
そうか、といまさらながらに思った。持ち番であれば、桐生さんも新人の子と組む機会はあったのだ。
「あそこにいるのは鬼ですよね。なんで放っておくんですか、って」
「……」
「令状がなかったら、なにもできるわけがないんやけどなぁ。歩いている鬼のすべてが、凶悪犯なわけもない」
人間と一緒ですねと言おうとして、やめた。代わりに違う言葉を紡ぐ。そんなわけないじゃないと、在学中に何度も言われたことを思い出して。
あんたのそういう偽善っぽいところ、どうかと思うよ。そんなきれいごとばっかりのヤツに、怖くて背中なんて預けられない。
――まぁ、それもわからなくもないよ。おまけにそんなことを言っておいて、実戦で真っ先にぶっ倒れたのはあたしだしね。
「冤罪が紛争を呼ぶこともありますもんね」
「それもひとつやね」
七年前に発生した条約締結後最大とされた紛争の始まりは、鬼狩りが無実だった鬼の少年を誤って討ってしまったことだとされている。
不満を抱える世界は、たったひとつの切欠で爆発することがあるのだと、あたしは知った。
「蒼くん?」
不意にトーンの変わった桐生さんの声に、あたしは黙って耳をそばだてた。桐生さんのインカムから、かすかに所長の声も聞こえる。
――想定外のルートに動き出したのかな?
「え? あー、……はい。了解。うーん、うん」
そこはかとなく漂う億劫そうな雰囲気に、嫌な予感が募る。そんなあたしを一瞥して、桐生さんがインカムの先に請け負った。
「まぁ、大丈夫やろ」
い、いったい、なにが大丈夫なのだろうか。あたしは不安でいっぱいになる。だけれど、そんなことを喚き立てられるわけもない。はらはらと見守ること数十秒。通話を終えた桐生さんがへらりと笑った。
「今、蒼くんから連絡が来たんやけど」
「は、はい」
「なんかね、見回り組から緊急通報があったんやって」
「緊急、通報……」
「女の人の遺体が見つかったって。殺されたのは昨夜……というか、今日の明け方。鬼のDNA鑑定の結果はまだ出てはおらんのやけど」
なんだかやっぱり嫌な予感しかしない。あたしは無意識にぎゅっとリュックの肩ひもを再度、握りしめた。
「本部と蒼くんが言うに、今からここにやってくる鬼さんの行動履歴とほぼ一致してるし、その子で間違いないんやないかな、と。そういうことでした」
「そ、それって……」
「うん。明日には重大犯罪犯に格上げ。状況如何によっては殺傷可能。まぁ、ないに越したことはないけど」
あたしは自分の顔色が蒼白になっているのを自覚した。なんで。なんで、そんな凶運を引き当てたの、あたし。
「とはいえ、人を襲う間隔がかなり狭まってきてる。血の味を覚えてしまったんやとしたら、危険やね」
血の、味。その言葉に、ドクンと心臓が跳ねる。人を殺すことに喜びを見出した鬼は、無差別に殺傷を行うことがあるのだ。
きっと、きみの家族を襲った鬼は、血の味を覚えてしまっていたんだ。きみの家族はなにも悪くなかった。ただ、その鬼と出逢ってしまったことが、不運だったんだよ。
あの、事件の後、あたしはそう教えられた。あれは不幸な偶然だったのだと。不幸な出来事だったけれど、もう二度と起きないことなのだと。あの鬼は、もういない。彼が殺したから。




