19:緊急要請
「フジコちゃん、フジコちゃん」
「はい!」
「一応、これで大丈夫なんやけど……」
呼ばれて、桐生さんの机の横に回る。机上に広がっているのは件の月報だ。一応、大丈夫、の言葉にほっとしかけたのも束の間。桐生さんの声が止まる。
なにか新たなミスが発覚しただろうかとの懸念は、所長の机で鳴った電話で打ち消された。
――また、あの電話か。
これは所長、今日もこのまま夜まで帰ってこなさそうだなぁ。ちらりと時間を確認する。午後二時十分。所長宛てに直にかかってくるそれは、かなりの高確率でお呼び出し案件なのだ。
また判子、貰い損ねちゃいそうというのは、まったくもってあたしの都合ではあるのだけれど。それはさておいても、所長も桐生さんも大変だ。
そんなことを考えながら、指示の続きを待っていると、「令状」という単語が飛び込んできて、思わずあたしも耳を澄ます。
「急ぎなら、そちらから持ってきたらどうだ。たまには」
不機嫌そうな声は、仕事相手(おまけに、たぶん、本部のほうが目上だ)に向けるものではないのではなかろうか。配属されたばかりのころはハラハラしていたのだけれど、桐生さんに気にするなと言われたので気にしないことにした。
けれど、今はそういう意味ではなく、通話内容が気になる。
――令状って、もしかして、出動任務……?
「わかった、わかった。俺が取りに行く。詳細は? ――メールで送った? 了解した。確認する」
通話が終わるなり、所長が桐生さんを呼んだ。
「仕事だ。ランクB」
その言葉に、あたしにも緊張が走る。ランクBということは――。
「フジコちゃん」
「あ、はい!」
「メール、確認して。印刷もお願い」
「はい」
「それと、フジコちゃんも、出動準備」
「は……はい!」
本部からのメールが届くパソコンに向かいながら、あたしは唾を呑み込んだ。出動。いつか来ると覚悟をしていたはずなのに、それでも聞いた瞬間、鼓動が激しくなった。動揺しているのか、メーラーをなかなかクリックできない。
数瞬の後、開いた受信ボックスの一番上には、本部からの通知が光っていた。
「来てます。印刷します」
「本部まで行ってくる」
あたしの報告と相前後して所長が紅屋を後にする。プリンターから吐き出されたメール本文を桐生さんに手渡して、あたしも自分のものに目を落とした。
件名は簡潔にランクB出動要請と記されていた。
「クロスボウの整備は問題ないよね?」
「大丈夫……です。毎日、朝と夜、確認してます」
「はい、了解」
紙面から視線を上げて、桐生さんが静かに口を開いた。
「今回の鬼は、ランクB。婦女暴行の前科有り。一昨日の夜にまたひとり女性が被害に遭っていて……女性に残されたDNAが、この前科犯の鬼と一致。それにより、逮捕状が出た。そういうことです。ちなみにフジコちゃん。なんで緊急案件なのかはわかる?」
「えぇ、と。初犯時に比べて、凶暴性が増しているからでしょうか」
「正解。命があったのが奇跡やね」
さらりと桐生さんは口にしたが、メールに記されていた詳細に気分が悪くなった。文字で見ただけでこれなのだ。写真で、……まして、現場で見たら胃液がせり上がってきそうだった。そんなことを言っている場合じゃないことは、重々承知しているけれど。
「さて、フジコちゃん。出動する前に、ちょっと確認しよか」
「は、はい」
「まず、鬼のランクについて、言ってみてくれる?」
「鬼はその能力により三段階に分類されています。上から、A、B+、B」
「うん。それで?」
「Bは特殊な能力のない一般的な鬼で、大半の鬼がこのクラスであるとされています。B+は通常の鬼の剛力にプラスして、なにか特殊な能力を持つものが該当します。特殊能力を持つ鬼のなかでも飛びぬけた力を持つものがAにランク付けされていますが、現時点ではAランクの鬼が地上に現れることはほとんどないとされています」
「そのとおり」
いつもと変わらない調子で桐生さんは「えらいね」と続けてから、補足した。
「Bのなかにも細かいランクはあるけど、基本的にはフジコちゃんの言ったとおりでオッケー。B+ランク以上の鬼の討伐の際は、鬼狩りもチーム編成をすることが基本です。そしてそのときは、こっちもB+以上がふたりか、Aランク以上がひとりチーム内にいることが必須条件」
つまるところ、B+以上の鬼は、とても危険なのだ。あたしが任務で出会うことも早々ないと思いたい……のだけれど。
「今回はBランクの鬼なので、出動者は僕とフジコちゃんのふたり編成で問題なし」
「はい」
不安を吹き飛ばすように勢いよく頷いたあたしに、桐生さんが苦笑を零した。
「蒼くんが本部から戻ってからやないと、出られへんから。今からその調子やとしんどなるよ?」
「あ……はい。そう、ですよね」
「まぁ、ほな。勢い込んでるフジコちゃんのために、出動の手順も一緒に確認しとこうかな」
「は、はい。すみません……」
「じゃあ、フジコちゃんにクイズです。さて、蒼くんは、今、なにをしに本部まで行っているでしょう」
あたしの緊張を解すような軽い口調に、努めていつもの調子で答える。無用に力が入っていると、ろくなことにならないだろうことは想像に難くない。
「逮捕状も、ですけど、前科のある鬼ということは、ICチップが埋め込まれていますよね。その追跡情報を受け取りに、ということですか」
「うん、そう。正解。フジコちゃんはちゃんと勉強していてえらいねぇ。なので、蒼くんが戻ってきたら、鬼の居場所もわかるので、すぐに出動することになるんやけど」
「はい」
「じゃあ、フジコちゃん。確保の手順はわかるかな」
「確保の手順……」
一度、直接見たことがあるそれは、いろんな意味であたしの脳裏に色濃く残っている。
「まず、鬼がターゲットであることを確認し、ライセンスの提示と、令状の提示。抵抗が無ければ、その場で確保、担当者に引き渡しで任務完了です」
鬼を確保するために必要なものは、ライセンスに令状。それから登録武器と、術具職人が作る鬼の剛力を押さえる手錠。つい先日、渡辺さんから貰ったばかりのものがバッグに入っている。素直に嵌めてくれるのなら、なんの問題もないのだけれど、そうでない場合、「武力行使」ということになってしまう。つまるところ、戦闘だ。
「殺人などの重大犯罪犯の場合は殺傷も可能ではありますが、生きて確保することが望ましいとされています」
「うん。そのとおり。基本知識は問題なし。まぁ、現場は場数を踏んでみんとわからへんしね。これから経験を増やしていけば、実戦も問題なしになっていくやろうし」
「はは、そうなればいいんですが」
というか、ならなければ困るのだけれど。苦笑いとも愛想笑いともいえないものを浮かべたあたしに、桐生さんはまた笑って、「忘れ物はしないようにね」とこれぞ引率の先生のようなことを言った。




