18:運命の夜
今からちょうど十年前。あたしの人生は大きく変化した。
十年前の四月二日。あたしの十歳の誕生日。あたしはお父さんとお母さんと小学校の入学式を目前に控えていた弟と、四人で出かけていた。誕生日のお祝いだった。
お気に入りのワンピースを着て、あたしは幸せに笑っていた。家族四人で外出するのはひさしぶりで弟と一緒になって大はしゃぎしていたのをよく覚えている。
街の中心地にある商業ビルに行って、誕生日プレゼントを買ってもらった。瑛人も小学校の入学祝いとかこつけて、戦隊ヒーローのフィギュアを買ってもらって喜んでいたっけ。
そして、いつも家族の誕生日に足を運ぶお店で夜ご飯を食べて、九時を過ぎるころに自宅の最寄り駅に着いた。いつもよりずっと遅くなった帰り道に、弟は父の腕のなかで半分以上眠っていた。
これは、今日は一緒にプレゼントを開けられないなぁとあたしは思った。選んだのは小さなプラネタリウムだった。弟と一緒にはじめてを見ようと約束していた。買ってもらってすぐに電源を入れられないことは少し残念だったけれど、一日待つだけだとあたしは気を取り直した。
瑛人との約束を破るわけにもいかない。それに、――明日も明後日も、日常が続いていくと信じて疑ってもいなかった。
あたしたち家族以外に誰もいない春の夜の帰り道。風は少し肌寒くて、けれど、夜の空に輝く星ははっきりと見えた。
きれいだねと言ったあたしに、「奈々は本当に星が好きね」とお母さんが笑う。うん。とあたしは答える。このころのあたしは星が大好きで、大きくなったら隣の区にあった天文館で働きたいと夢見ていた。なんてことのない、日常の一ページ。
こんばんはと声をかけられたのは、そんな折だった。
優しそうな男の人の声。
なんの疑いもなく立ち止まって振り返った先に居たのは、はじめて逢った人だった。目深にフードを被った痩身の男の人。おそらく、まだ二十代の。唯一露出していた口元は、たしかに笑っていた。
警戒するように先を行っていた父が、弟を母に預けてあたしの前に出る。あたしはそのとき、まだなにもわかっていなかった。怖いとも思えていなかった。
怖いとわかったのは。思い知ったのは。お父さんの首から血しぶきが飛んで、それまで「人間」だったはずの男の人の額から角が生え、あたしの倍ほどの長身に変貌した瞬間だった。外れたフードの下で、紅い瞳が光っている。あたしは一歩も動けなかった。
いいなぁとその男の人は言った。いいなぁ、幸せそうで。そう言って、笑っていた。
ムカつくなぁ、幸せそうで。
そこから先を、あたしはあまり覚えていない。次にはっきりと覚えているのは、地面に倒れる家族と、同じように倒れる鬼であった人。
そして、あたしの目の前に現れたのは、「鬼狩り」だった。ショックが大きすぎたのか、どんな人だったかはよく覚えていない。けれど、その声は覚えている。
あたしの家族を助けられなかったことを真摯に詫びてくれたこと。その温度に触れて、恐怖で固まっていた感情がゆっくりと解けていったこと。
みんなが居なくなってしまったことを、理解してしまったこと。
あたしひとりが置いて行かれた。そう泣くことしかできなかったあたしの傍に、ずっと居てくれた。
強くて、優しい。あたしを絶望の淵から落ちないように留めてくれたヒーロー。
それが、あたしにとっての「鬼狩り」のすべてだった。
だから、あたしもそんな「鬼狩り」になりたいと思ったのだ。拾って貰えた命だから、あたしも誰かを助けたいと思った。
所長からすれば、信じられない青臭い理由なのかもしれないけれど。十歳のあたしにとって、「鬼狩り」は本当に本物のヒーローだった。
「おはようございます!」
ドアを開ける前に一息ついて、よしと小さく気合を入れる。笑顔を作って鍵を開錠。
「おはよう、フジコちゃん。昨日の月報、直せた?」
「はい、なんとか」
それはもう、なんとか、ではあるけれど。ひとまず五時までになんとか見直し込みで仕上がった。桐生さんも所長も多忙であることは重々承知だ。だからこそ、あたしのケアレスミスで時間を取らせるわけにはいかないと思ってはいるのだけれど。
変わらず愛想のいい桐生さんに内心少しほっとしながら、鞄とリュックを置いて(みっちゃんに、あんたはいつまでその間抜けな二個持ちを続けるの、と言われているのだけれど、ほかに目ぼしいものがないのだからしかたがない)、所長の前に向かう。
いつものあたしの朝の挨拶に、所長の目線が上がる。あ、珍しい。眼鏡してる。けれどそれ以外は、まったくのいつもどおりだ。静かな表情も、見慣れたそれで。
「昨日も遅くまでお疲れさまでした」
挨拶の後に一言つけようを、相変わらずあたしは実行中だったりする。だって、そうじゃないと、ほとんど会話が無かったりするし。桐生さんの言を信じるなら、昔から口数が多い方ではないらしい……けれど。
「おまえは」
ある意味で変わらない淡々とした声にも、ほっとするのだから、そういう意味では本当に慣れたのだろうなぁ。
「遅くならずに、帰れたか」
「はい。おかげさまで。五時までに終わらせられました」
「ならいい」
「ありがとうございます」
所属長としての発言だということは理解しているけれど、それでも気遣ってもらえるのは素直に嬉しい。それに、――。
いつもどおりというのは、とても安心する。同じ日々が続くのは、有り難いことで幸せなことで、代えがたいことだ。
あたしが鬼狩りを目指した動機は、あたしの私的な感情に起因するものだ。だから、それを認めて欲しいと思うのは、あたしの感情的な問題であって、働いていく上で必要なものではない。
それでもと昨日と同じことをあたしはまた心のなかで繰り返した。
それに、誠実に仕事をこなしていれば、いつか認めてもらえるかもしれない。どちらにせよ、あたしにできることは、目の前の仕事をひとつずつしっかりこなしていくことだけなのだ。
「ちゃんと直したつもりなんですが。またお時間のあるときに確認、お願いします」




