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17:「鬼狩り」の矜持

「俺は……」

「ひとりでできるのは知っているが、わしもたまには懐かしみたい。それだけだ」


 言いたかっただけなのか、所長の返答を待たずに、渡辺さんは出ていった。階段を下る足音が徐々に遠くなっていく。あたしも仕事にとりかからないと。一息吐いてパソコンのロックを解除したところで、不意にまた所長に呼びかけられた。


「今のウチは、たまたまおまえを連れていけるような任務が入っていなくてな」

「……あ、はい!」


 数瞬遅れて、あたしに話しかけられているのだと気が付いて、慌てて立ち上がる。てっきり、桐生さんにだと思っていた。所長は基本的に就業中に必要なこと以外を口にしないし、その矛先が向くのは、当たり前ではあるけれど、九割方が桐生さんだ。

 所長の机の前に向かう。


「それもあくまで、そうだったからなだけだ。次にランクBの任務が入れば、桐生に聞いていると思うが、おまえも出ることになる」

「はい」

「問題は、ないんだな?」


 顔を上げた所長と目が合って、あたしは勢いだけで答えようとしていた声を一度呑み込んだ。

あたしの感情だけで返事をするのは不誠実だと思った。あの夜の、所長に。


「はい」


 実物を目の前にして、怖くないとはきっと思わない。出立前、感情が揺れることもあるとは思う。それも認める。けれど、任務は任務として、研修生として最低限の働きはできるはずだと自負している。

 そのために学校を卒業して、ここにいるのだから。

 もちろん、早いうちに内在している恐怖にも正面から打ち勝ちたいと思ってはいるけれど。


「ご迷惑おかけしないように、精一杯頑張ります」


 あたしを静かに見上げていた所長の瞳が手元の書類に落ちて、そしてまた持ち上がる。「なら、いい」


「ありがとうござい……」

「ただ、ひとつだけ言っておくが」


 ほっとしかけたのも束の間、続いたそれに、あたしの背筋がぴしりと伸びる。この一月で所長の謎の威圧感にも慣れたつもりだったのだけれど、なんだか少しいつもと違うようにも思えた。


「憧れたと言うのはおまえの勝手だが」


 所長の言葉が先程のあたしの発言に起因していることは明白だった。所長の瞳の色は、あたしよりずっと大人の男の人に言う台詞ではないと思うのだけれど、どこか子どもみたいに透明で、それでいて眼光が鋭い。

 心の内を見透かされているような心地になって、所在なく指先を絡めた。


「特殊防衛官は、正義の味方でも、秘密のヒーローでも、なんでもない」

「……わかって、ます」

「ならいい」

「でも、その、あたしにとっては憧れだったんです」


 あたしの答えを受けて淡々と視線を手元に戻した所長に、気が付けばあたしは食い下がっていた。


「あたしにとっては、その人はヒーローで、あたしにとっての指針だったんです」


 十年前。あたしを助けてくれた鬼狩りの影が視界の端をちらつく。ヒーローだと思った。あるいは、神様みたいだと思った。

 呆然自失だったあたしの前に膝を着いて、あたしの家族を救えなかったことを謝ってくれた。

 その声が、なぜかひどく痛くて、あたしは泣くことを思い出したのだ。十歳のあたしは、間違いなくその人に救われた。

 だから。……だから、所長に否定されたくなかったのかもしれない。


「憧れて、それを目標に頑張ってきたんです。それはいけませんか」


 頭の奥の冷静な部分が、そんなことを言う必要があるのかとあたし自身に問いかけてくる。

 畳みかける必要なんてなかったはずだ。わかっている。でも、言葉は止まらなかった。

 ゆっくりと所長の顔が上がる。いつもと変わらないそれのはずなのに、そうでないようにも思えて。あたしは知らず、手を握り込んでいた。


「それが、おまえが特殊防衛官を目指した理由か」

「いけませんか?」


 一息吸って、ゆっくりと吐き出す。謝れとあたしのなかであたしが叫んでいる。そんなことを言ってもなんの意味もないだろう、と。謝って、仕事に戻れ。それが正しい、と。

 わかっている。けれど、もうひとりのあたしが、否定されたくないと駄々をこねていた。

 応えの代わりのように、所長が小さく嘆息したのがわかった。呆れられてしまっただろうか、と今更になって怖くなる。けれど、退き方もわからなくなって、あたしは所長の前で立ち尽くしていた。


「蒼くん」


 あたしの挙動を見かねたのか、桐生さんが所長を呼ぶ。窘めるわけでもない、いつもどおりの軽い調子で。所長の視線がすっとあたしから逸れる。


「もう本部に行かなあかんのと違う? 僕もすぐに追いつくから、先に準備しといてよ」

「わかった」


 了承して席を立った所長は寸分たがわずいつもどおり、だった。いつもどおり。はっとして、あたしはすぐ横を通って行った背中に向かって頭を下げる。


「お疲れ様です。お気を付けて」

「遅くなる。時間になったら、おまえは帰れ」


 義務的な指示を残して、ドアの奥にその姿が消える。意識しないうちに肩に力が入っていたみたいだ。そっと息を吐いたあたしに、桐生さんがノートパソコンを閉じて小さく笑った。


「ドンマイ、フジコちゃん」

「あ、あの」


 なんだか、少し前にも同じ台詞を言ってもらったなぁと思いながら、あたしは手招きされるままに自席に戻った。でも、なにをどう言えばいいのかわからない。言い淀んだあたしに、桐生さんが苦笑したのがわかった。


「怒ってるわけではないと思うよ。ただ」

「……はい」

「まぁ、なんというか、蒼くんも十年選手やからねぇ、思うところはあるんやないかな」

「十年、選手……」


 それは、もしかしなくてもライセンス取得してからの時間なのだろうか。あたしはますます所長の年齢が謎になってきた。

 思わず呟いてしまったあたしに、桐生さんが笑みを深くした。


「そう、そう。あんな童顔やけどね。鬼狩りの暦だけでいえば、立派な中堅で。おまけにねぇ、嫌なところばっかり見て来てしもたものやから」


 嫌なところ。その言葉にふと脳裏を過ったのは、あの夜の所長の言葉だった。


 ――俺が殺さなければ、俺ではないほかの誰かが死ぬ。


 だから、怖いと思う暇さえ惜しい。気負いなく言った所長の言葉は、どんな経験で出てきたものなのだろう。今までの「鬼狩り」としての生き方のなかで。

 真似をする必要はないと所長は言った。できるわけがないと思ったし、止めろと言ったという桐生さんはわかりやすく優しくて、わかりやすく所長を大事にしている。

 それは、桐生さんいわくの「弟分」だからでもあるだろうし、情けないあたしの過去を否定しないような、そんな所長だから、なのだろうけど。


 ――でも、今日は、違った。


 あたしは知らず、指先に視線を落としていた。そして、それもそうなのだけれど、もうひとつ。


「悪い子じゃないんやけどね」

「わかって、ます」


 悪い人ではないということくらいは、きっと。でも、たぶん、だからこそ、だ。


「フジコちゃん?」


 桐生さんの反応に、自分が笑い損ねたらしいことを知る。


「えぇと、その、なんというか」

「ん? なに? いいよ、どんなことでも」


 聞くくらいやったらね。そう促がしてくれる声に、あたしの口からぽろりとなにかが零れ落ちた。


「怒ってはおられなくても、その、あたしに呆れていらっしゃったんじゃないかなぁ、と」

「蒼くんが?」


 なんで? と言わんばかりの声に、あたしははたと我に返った。

 ……あたし、今、なんて言った?


「す、すみません……! えぇと、そうじゃなくて、そうじゃなくて、ですね」


 顔から火が出そうだ。あまりにも子どもじみていたそれを誤魔化そうと、しどろもどろになったあたしに、桐生さんが笑う。


「なんや、フジコちゃん。それが怖かったの?」

「いや、その、……怖い、というか。……はい」


 観念して頷いたあたしに、桐生さんは「素直やねぇ」とまた笑った。まるで子ども扱いだ。子どものようなことを言った自覚があるだけに居た堪れなさが膨れ上がる。

 職場で嫌われるのが怖いとか、子どもか。そうは思うけど。わかっているけれど、そりゃ、上司に嫌われたくないと思うのは節理じゃないかな、なんて言い訳も内心でしながら。


「フジコちゃんが蒼くんをどう思ってるのかはわからんけど。さすがにそれくらいで怒りも呆れもせぇへんよ。何歳も年下の女の子相手に」

「……すみません」

「まぁ、僕はそう思うって言うだけの話やけど。そうやなかったとしても、挽回したらえぇだけの話やし」


 あっけらかんと続いたそれに、あたしは肩をすぼめるしかなかった。


「それはそうですよね」

「そうそう。子どもやあるまいし、嫌われたら終わりってことも、仕事ができないってこともないやろう?」


 駄目押しに、あたしは先ほどの発言が本気で恥ずかしくなってしまった。


 ――でも、本当にそういうことだ。ここは職場で、所長は上司で。あたしがするべきことは、仕事でちゃんと信頼を勝ち取ることだ。


 憧れていた、鬼狩りの仕事で。

 その「憧れて」いたという理由が、所長からすれば信じられないようなものだったとしても。

 結果を残せば、見方を変えてくれるかもしれない。


「頑張ります」


 笑ってみせたあたしに、よくできましたと言わんばかりの笑顔で立ち上がった。そういえば、桐生さんも今日は外に出る日だった……。

 引き留めてしまったことを謝ったあたしに、桐生さんはぜんぜん気にしていないふうだったけれど。先に行った所長は苛立ってはいないだろうか。


「僕らは申し訳ないけど、今日はその後も続きで別件の仕事があるから戻ってきぃひんから」

「あ、はい。お疲れ様です」 

「明日はまた元気においで」


 学校の先生のようなそれに、無理をしないでも自然に笑っていた。やっぱり、桐生さんはいい人だ。気遣いのある優しい人。


「それと、これ。数字、ぜんぜん違うから。直しといてね。蒼くんに所長印をもらう以前の問題です」

「え、ええ!?」


 いい人、とあたしが羨望のまなざしで見上げていた笑顔のまま、桐生さんがどさりと書類を降らせてきた。

 これは、あれだ。来月の頭が締切りの本部に提出する、月報……。


「や、やっとできたと思ったのに……」

「一応、違うところには付箋つけといたから。もう一回、ちゃんと資料と突き合わせてみて。あ、でも、それで残業はせんでえぇからね。蒼くんに怒られるし」


 そんな、殺生な。そう思わなくもないけれど、あたしの三倍近いだろう事務処理をされているおふたりからすれば、このくらいはきっと就業中に終わる範囲内なんだ。そうに違いない。

 言い聞かせて、あたしは頑張ります、ともう一度、宣言した。

 五時までになにがなんでも終わらせようと、心に決めて。


 ひとりになった事務所で、渡辺さんからいただいた術具が視界の端で鈍い光を放っていた。気にかけていただけるのは、本当に有難いことだ。縁をそっと一撫ぜして、クロスボウを携帯しているリュックの内ポケットに仕舞い込む。ここなら、忘れることはない。

 みっともない行動を取ることなく、任務を遂行できますようにと願いながら、あたしは資料をキャビネットから引っ張り出した。



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