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12:「鬼狩り」になるということ

「あの、すみません。送っていただいて」


 あたしの少し前を行く背中にかけた声は、申し訳なさから小さなものになってしまった。もう二度とひとりで残業はするまいと心に誓う。

 気まずいというのも若干あるはあるけれど、それ以上に申し訳なさで胸がいっぱいだ。


 ――お疲れだろうに、邪魔しちゃったなぁ。


 紅屋から寮までは距離的には近いのだけれど、桐生さんの言うとおり暗い道が多いのだ。今もあたしと所長のほかに川べりを歩く人はいない。

 罪悪感をさておけば、ティーシャツ、スウェットにかろうじてカーディガンを羽織っているだけの所長の姿は、後ろから見ても学生にしか見えない。前からは、あえて明言はしないことにするけれど。


「どうだ。仕事は」

「あ、……え、と。できないことも多いですが、桐生さんにもいろいろ教えていただいて、なんとかやっている……感じです」


 まさか所長が話を振ってくれるとは思っていなくて、あたしは驚いた。無論、うれしくて、だ。


「そうか」

「はい。あの、もちろん、所長にも感謝していて。あの、あたし、至らないところはたくさんあると思うので、なにかあれば、おっしゃっていただければ、その」


 言われずとも気付けができれば一番いいのだろうけれど、それでもと、言い募ったあたしに、所長の肩が小さく揺れた気がした。


「卒業成績が下位だったというわりには、知識もしっかりしていて助かっている」

「あはは、本当に下位だったもので、……その、すみません」

「原因は、実技か?」


 続いたそれに、照れ笑いが凍り付く。


「あいつは、筋は悪くないと言っていたが」

「え……えぇ、と」


 あいつというのは間違いなく桐生さんで、訓練場で指導していただいたときの話だろう。どう答えてもボロが出そうで言い淀む。そのあたしの沈黙をどう取ったのか、所長の声がまた届いた。こんなにたくさん所長の声を聞いたのは、もしかするとはじめてかもしれない。


「卒業試験の前の最後の課題で、倒れたそうだな」


 その言葉にドキリと心臓が脈打った。血の気がさっと引くような感覚。

 奈々、奈々。次いで、叫ぶ同期生の声が頭に響く。

 先生、奈々が。

 大丈夫、と応えたいのに喉から声が出ない。怖い。紅い瞳が怖い。

 脳一杯に張り付いたそれを振り切って、あたしは声を振り絞った。


「倒れたというわけでは……」

「違うのか?」


 冷たいように響くそれに、必死で食らいつく。


「予備試験では合格しました。だから、研修生になれたんです」

「質問の答えになっていないが」


 その精一杯を一刀両断されて、クロスボウの入ったリュックの肩ひもを握りしめた。そして、静かに深く息を吐く。大丈夫。大丈夫。言い聞かせて、もう一度、顔を上げる。


「……倒れたのは、事実です」

「理由は?」


 所長の声は淡々としていて、詰問というよりも事実確認の様相だった。事実確認。

 けれど、だからこそ、鬼が怖かったからだとは言えなかった。


「……」

「どうした。答えられないのか?」


 その問いかけは、ある意味であたしが一番恐れていたものだった。

 配属初日、桐生さんの前で勘違いした「鬼」に盛大に脅えてしまったときから。次に任務が入れば一緒に出動するよと告げられて、笑顔が固まりそうになってしまったときから。


 ――鬼が怖い研修生だなんて、使い物にならないと断ざれるに決まっている。


 それは、あたしの夢が絶たれてしまうことと同義だった。

 背に負うリュックの重みが一気に増した錯覚を覚えて、あたしは立ち止まる。

 その気配に反応して、だろう。所長もまた足を止めて振り返った。夜風が髪の毛を巻き上げて視界を奪う。所長がどんな顔をしているのかはわからなかったけれど、きっと、いつもの静かなそれなのだろうと思った。


 ――ねぇ、ミス・藤子。あなたは本当に「鬼狩り」にならなければいけないのかしら。


 育成校でお世話になった恭子先生の声があたしに問う。

 恭子先生、あたしは鬼狩りになりたいの。向いていないかも知れないけれど、なにがなんでも、鬼狩りになりたいの。頑張るから。だから。

 必死に言い募ったあたしに、恭子先生は折れてくれた。けれど、所長はどうだろうか。

 あたしを育ててくれた先生ではない。あたしはもう生徒ではない。あたしは一研修生で、所長は上司だ。

 鬼と対峙しなければ仕事にならないのに、その鬼を怖いなどと言う研修生を置いておく必要性はないだろう。

 おまけに、所長は、あたしなんかでは想像が付かないようなとてもすごい鬼狩りで、だから、なおさら。

 あたしの葛藤を理解してもらえるはずがない。


 ――だったら、誤魔化すしかない。怖くなんてない。なにもなかったって言い張って、それを突き通すしかない。


 意を決して顔を上げる。所長は想像どおりの静かな面持ちで、答えを待っていた。急かすわけでも、怒るわけでもなく。

 その瞳と視線が絡んだ瞬間、言いつくろうと企んでいた気持ちが急速に萎んでいった。


 ――あ、……そうだ。


 そうだ。主張していたあたしの自己本位が揺らぐ。

 もし、本当に所長が知る必要があると判断したら、学校に問い合わせればいいだけの話なのだ。そして、そのまますぐに解雇することだってきっとできる。それなのに、そうしないで、今、あたしに直接聞いてくださっているんだ。

 気が付けば、所長にわかるわけがないと、勝手に切り捨てた激情がひどく恥ずかしかった。


「ご存知かもしれませんが」


 倒れたのは事実で、お恥ずかしい話なのですが体調不良で。今後はそういったことがないように気を付けようと思っています。

 そう、誤魔化そうとしていた言葉の代わりに、あたしは回想する。


「最後の課題は、実地での訓練でした」


 できるだけ順序立てて話そうと、頭のなかで整理して続ける。あの日のことを。


「鬼狩りの仕事現場に立ち会い、自分たちの目で犯罪者である鬼を見る。それが訓練の目的です。あたしたち学生は、B+とAランクの先生が傷害罪で逮捕状をとった鬼を確保する現場に同行していました」


 学生は五名。先生たちから距離を置いた場所で、あたしたちは立ち会っていた。あたし以外の同期生の顔には不安も緊張もあまりなく、ただはじめての実践への興奮があった。

 そのなかで、あたしはひとりだけ場違いにドキドキしていた。


「ライセンスと逮捕状を提示し、連行するだけだという話でした。けれど、その鬼は抵抗を示しました。鬼はBランクでした。Bランクのなかでも下位の鬼だとも聞いていました。先生が負けるはずもありませんでした」


 あたしはすっと息を吸って、そして、一息に吐き出した。


「あたしは、その現場を見た瞬間、息ができなくなりました」


 所長は、なにも言わなかった。

 深紅に染まる瞳が視界に入った途端、なにも考えられなくなった。怖い。それだけで頭がいっぱいになった感覚。今まであたしたちと変わらない人間の姿だったそれが「人に害を成す鬼」に変わる瞬間、鬼の瞳は紅く染まる。角が生え、身体は巨大化し、あたしたち人間を捕食するものに変わる。

 肩ひもを握りしめたままの指先は、じんわりと汗ばんでいた。けれど、離せなかった。これは、あたしの唯一の武器だ。ただの人間のあたしが、「鬼」と対峙するための。

 だから、怖くない。あたしは震えているだけの獲物じゃなくなった。何度目になるのかわからない言い聞かせをして、ゆっくりと言葉を継ぐ。


「言い訳がましいかもしれませんが、その後、先生の指示でカウンセリングも受けました。現場に出てもいいと許可をもらい、特別に実施していただいた予備試験に臨みました。鬼に接近しましたが、問題はありませんでした。その鬼も多少挑発的な言動を見せましたが、それでも問題ありませんでした」


 そうだ。だから、あたしは研修生になれた。無様に倒れはしなかった。怖くないと思い込んで、最後まで訓練に参加することができた。


「だから、大丈夫です。問題ありません」


 あたしは所長をしっかりと見据えて言い切った。

 鬼狩りになる。それがあたしのこの十年の目標で夢で、すべてだった。


「問題があるかどうかを判断するのは、俺と桐生だということはさておいて」


 返ってきたのは、呆れを含んだ、けれど、突き放すでもない、いつもの所長の声だった。その声に、ふっと力が抜ける。


「鬼が怖いか」


 けれど、続いた言葉に、あたしはまたぎくりと身体を強張らせることになった。抜け落ちかけていた緊張が、ぐるぐると全身を巡りはじめている。

 鬼のすべてを怖いとは思っていない。これは本当だ。何度だって繰り返すけれど、本当で、そのつもりだ。でも、紅い瞳の鬼は、――。


「人を害す鬼を怖いと感じることは、人間として当たり前の感情だ」

「え……?」

「無理をして抑え込まなくてもいい。この仕事を続けていきたいのなら、理性的に向かい合っていく必要はあるが」


 意外だった続きに、あたしの喉から勝手に質問が零れ落ちた。


「所長は怖いと思うことはあるんですか。あ、……すみません。失礼なことを」

「構わない」


 短く応じて所長が踵を返した。歩きはじめたその背を追って、あたしも慌てて足を進める。視界の先で所長の黒髪が風に揺れていた。

 しゃんとまっすぐに伸びた背筋は、所長そのものを表しているみたいだった。


「俺は鬼を怖いと思うことがあれば、もっと恐ろしいことを想像するようにしている」


 所長のそれが先程の答えだと気が付いて、あたしは瞳を瞬かせた。

 蒼くんは、フジコちゃんが聞いたら、なんでも答えてくれるよ、たぶん。そう言っていた桐生さんの保護者面が蘇って、本当だったんだなぁと思った。本当だった。


「もっと怖いこと、ですか?」

「この鬼を俺が殺さなければ、俺ではない誰かが死ぬ」

「……」

「そう思えば怖いと思っている暇すら惜しい」


 絶句したあたしを後目に、所長はいつもの調子で淡々と告げる。少し間を置いて、バツが悪そうに言い足した。


「真似をする必要はないからな。桐生にもよく止めろと言われる」


 真似ができるとは到底思えなかったのだけれど。あたしは「はい」と頷いて、目前に迫ってきた寮を見上げた。

 鬼を怖いと思うことは、人間として当然の感情だ。

 なんでもないことのように所長が言った台詞が、今頃になってゆっくりと染み渡っていく。

 そうか。あの紅い瞳は、怖くて当たり前のものなのか。

 怖がるわけにはいかない。怖いわけがないとあたしは今まで必死に否定してきた。けれど、それは、乗り越えられていないことと同義だったのかもしれない。目の前の壁から目を逸らして、なんとか抜け道を探そうとしていただけで。

 壁を乗り越えなければ、なんの意味もないのに。


 そのために、その恐怖と向き合っていくことが必要だというならば、その第一歩は認めることだ。あたしが怖さを持ったまま、ここまで来てしまっているということを。

 あたしにとっての、もっと怖いことってなんだろう。

 怖いこと。怖いもの。思考を巡らせているうちに所長の足が止まる。もう寮なのか。あっというまだったなと少しだけ残念な気持ちになって。あたしは自分がまったく無理して歩いていなかったことに気が付いた。


 ――歩くペース合わせてくれていたんだ、あたしに……。


 寮の手前で立ち止まる。ふと見上げた空は、満点の春の星だった。



 お父さん、お母さん、それから瑛人。

 うれしくなって、あたしは胸中で家族に語りかけた。緊張をほぐすとき、悲しかったとき、うれしかったとき。誰かに伝えたいなにかを、あたしはずっと家族に一番に伝え続けていた。

 やっぱり所長はいい人なのかもしれません。桐生さんの言うとおり、あたしが気が付いていなかっただけで。見ようとしていなかっただけで。

 最後の課題で倒れたとき、あたしは先生に言われました。


 ミス・藤子。あたしはあなたの辛い過去も知っているわ。それを乗り越えて、「鬼狩り」になりたいと願ったあなたの思いも、旧家の子どもたちに負けじと努力を重ねてきたことも知っています。

 それを承知で言わせてもらうわ。このままでは、あたしはあなたを卒業させることはできない。みすみす死に行かせるようなものだもの。

 ねぇ、ミス・藤子。もう一度、よく考えて。あなたは本当に「鬼狩り」にならないといけないのかしら。「鬼」に関わる仕事は現場に出る「鬼狩り」だけではないわ。術具を作る職人もそうだし、特殊刑務所の刑務官も、ある意味ではもう少し簡単にライセンスが取れる。

 そのなかでも「鬼狩り」は一番危険な職業よ。ミス・藤子。あなたは本当にそれにならなければいけないのかしら。


 恭子先生は、厳しいけれど優しい素敵な先生です。あたしのことを心配してくださっていたのだとよくよく理解しています。

 現に、あたしの意思が変わらないことを知ると、上に掛け合って特例で試験を受けさせてもくれました。

 卒業の折には、あたしの幸運を祈ると、そう言ってくださいました。

 けれど、あたしは悔しかったです。鬼が怖い自分が情けなくて、悔しくて、辛かった。あの人のような鬼狩りになりたかったのに。そのために頑張ってきたのに。鬼が怖いあたしには、その背中を追う資格もないのかと思うと悔しかったです。

 所長は、一度も鬼狩りでありたいあたしを否定しませんでした。鬼を怖いという、――実戦に不安のある新人なんて、学園に送り返されてもしかたがないのに。

 所長はあたしを否定しませんでした。解雇されなかったことよりもなによりも、もしかすると、あたしはそれがうれしかったのかもしれません。


 その日の夜は、疲れていたこともあったのだろうけれど、とてもよく眠れて、お父さんとお母さんと瑛人の夢を見た。

 夢で家族に会えたのは本当にひさしぶりで、ほんの少しだけ涙が出た。



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