10:今日も計画実行中
お父さん、お母さん。それから瑛人。元気ですか。
お姉ちゃんは元気です、と言いたいところですが、なかなか大変な日々を送っています。
と言っても、この忙しさも、無事に卒業できていなければ経験できなかったことなので、そう考えると、とても幸運なことですね。
……ごめんなさい、嘘です。撤回します。勤めはじめて二週間が過ぎましたが、わからないことが多すぎて、お姉ちゃん、いろいろ泣きそうです。
事務仕事も、正直、学校で習っていたことなんてまったく意味がないレベルで、頭が追い付きません。わからない専門用語が出てくるたびにフリーズします。
なんでお役所の書類は、あんなに形式にこだわるのですか。
昨年の報告書を参考にしろと言われても、なんの助け舟にもなり得ませんでした。年度の切り替え時だから提出書類が多いのはしかたがないと言われましたが、そんなものなのでしょうか。
しかも、今月に入ってから「鬼狩り」としての外でのお仕事がない分、まだマシだとも言われてしまいました。
任務が終わると、当然ですがその報告書を提出しなければならないので、締め切りが立て続けとなり、桐生さんいわくの「地獄絵図」ができあがるそうです。
できることなら味わいたくはないなぁと思いますが、なんと次に任務が入った場合(相手の鬼がB+ランク以上でなければ)、あたしも出動する模様です。
正直、恐ろしいです……。
いえ、「鬼狩り」のライセンス取得を目指すのなら、そんなことを言っていては駄目ですね。気を付けます。
実戦と言えば、「武術も鍛えなあかんからねぇ」なんてお言葉で桐生さんに見ていただいたのですが、ランクも経験もなにもかもが違い過ぎました。
後輩を指導する、どころか、幼稚園児のお遊びを見守るお兄さん状態です。無論、桐生さんが、です。
さすがにまずいと思ったのか、組手となるとセクハラになる杞憂があったのかはわかりませんが、所長の計らいにより、来週よりほかの事務所と合同訓練になる模様です。お手間を取らせて申し訳ありませんとしか、あたしには言えませんでした。
……いえ、違います。お父さん、お母さん。それから瑛人。違うのです。お姉ちゃんは、日々、前向きに頑張っています。
幸いなことに桐生さんはちょっと軽いけれどいい人です。所長も、きっと、……きっといい人です。鬼狩りに悪い人はいない、はずです。
挨拶のあとにちょっとしたお話を振ってみよう作戦は、成功していると思いたいのですが、あまり話が弾みません。
桐生さん曰く、基本的に寡黙ではあるそうなので、そのお言葉を信じて今後も話しかけようと思います。鬱陶しがられないラインも頑張って見極めます。
諸々を含めて、お姉ちゃん、頑張ります。
最後にひとつ、お知らせします。苦節十四日。リクルートスーツは、やっと少しだけ肌に馴染んできました。襟元に光る記章(一番下っ端のそれではあるけれど)、みんなに見てもらいたかったなぁ。
「えー……と。あ、来てる、来てる」
始業十分前の八時二十分。特殊防衛隊データシステムのメーラーを起動して、あたしは思わずひとりごちた。あたしのひとりごとの多さに慣れたのか、もはや桐生さんもすぐ近くに居たとしても、これくらいでは反応してくれない。
――反応してくださるのも申し訳ないから、それはまったくいいのだけれど。
受信ボックスの本部からのメール内容を識別して印刷する。東京都内で発生した鬼が関わったとされる重要犯罪案件の先月分の統計だ。
「あの、桐生さん。重要犯罪の統計って毎月、本部から届くんですか?」
斜め向かいの席で、眠そうに珈琲を飲んでいた桐生さんが、顔を上げる。
「あー……、もうそんな時期か。それなぁ、月の初めにそれぞれの事務所が取り扱った事案をデータ化して、本部に送ってるの。で、本部はそれを取りまとめて、こうやって中旬までに僕らに総合計というかたちで送ってくれるんやけど」
「ということは、来月は、もしやあたしが」
「そうそう。フジコちゃんがデータを纏めるの。もちろんチェックはするけどね。月末にまとめてやろうとすると死ぬから、一事案終わるたびにデータ化する癖を付けといたほうがえぇよ」
「……頑張ります」
半笑いで頷いて、プリンターから吐き出された資料を二部ずつにまとめる。そして一部を手に、ひっそりと気合を入れて席を立つ。
「所長。本部から届きました三月の都内の鬼による重要犯罪事案の統計です」
桐生さんと違い、朝の気怠さを感じさせないおもむきで新聞に目を落としていた所長の顔が上がる。見苦しいと見苦しくないのちょうど境目、といったふうの黒髪が揺れて、同じく黒い瞳と視線が合った。
つい先日、桐生さんが、あのぼさぼさ頭が童顔に拍車をかけてると思うんやけどなぁと、真顔で判じていた声が(というか、そう思うなら言ってあげたらいいじゃないですかとも思ったのだけれど)脳裏を過りそうになって、あたしは慌てて打ち消した。
「どうぞ」
資料を受け取った所長が、その場で目を通しはじめる。一歩遅れて、あたしは戻るタイミングを見失ったことを悟った。行き場を失って所長のつむじを見下ろしているうちに、所長がおもむろに顔を上げた。
「この数字を見て、どう思った?」
「え、……えぇと、はい!」
まさかの展開に声が裏返る。数字とは、重要犯罪の発生件数のこと……なのだろうけれど。
都内での先月の鬼による重要犯罪の認知件数は、百五十件超。うち、殺人まで至ったケースが二十三。悲しいかな、あたしが小学校で習った「人間が殺人を犯す率と変わらない」と言われていた時代から比べれば倍増している数字でもある。
「この数年で、格段に鬼が関わる事案は増加している……と思います」
所長の瞳は、眼力が強いと言えば聞こえはいいものの、めったやたら迫力がある。視線を逸らさないように頑張ったあたしを、誰でもいいから褒めてほしい。
「その背景理由として考えられることは?」
「えぇと、……法令の改正、ですよね」
視線で続きを促がされているのを察知して、あたしは座学の記憶を引っ張り出した。見当外れのことは今のところ言っていないらしいと言い聞かせながら。
「二〇一四年の特殊防衛法の改正で、鬼に対する厳罰化が進んだことで反発が生じた。それが昨今の鬼の犯罪率の増加の原因のひとつではないかと」
本当に大昔。特殊防衛法が成立した直後、人間は人間を殺した鬼を自分たちの法で裁くことはできなかったそうだ。それが、あたしが生まれる数年前、新たな条約が締結され法令も一部改正。
人間に害を成した鬼は、人間の法で裁かれるようになり、罪を犯した鬼を収容する特殊刑務所も配置された。その法令が更に厳しく改正になったのが、今から六年前の二〇一四年のことだ……と、習ったはずだ。
「その反発で増えたのは重要犯罪だけか?」
「……昨年、東京で未遂には終わりましたが、過激派によるテロリズム計画が発覚しており、今後ますますそういった事案が増えていく可能性もあると思われます」
寮の部屋でみっちゃんと話をした記憶があるから間違ってはいない……はずだ。
「そ、そういった懸念事項を頭に置き、より一層、研修に励んでいきたいと……」
「お、えらーい。フジコちゃん。しっかり勉強してるやん。なぁ、蒼くん」
所長の視線に耐えかねて、勝手にまとめに入ろうとした語尾が、桐生さんの茶々で尻すぼみに消える。「なぁ」と言われた所長は、はたしてなんと答えるのだろうか。冷や汗をかきたい心境で見守っていると、所長が頷いた。
「そうだな」
「……」
「どうした?」
「あ、いえ……」
「戻っていいぞ」
うながされるがまま、あたしはぎこちなく回れ右をする。なんだかちょっと頭の回転が追い付かないのだけれど。今のはもしかして、褒められたのだろうか。
自席を引く音がいやに大きくなったのは、動揺していたからかもしれない。ともすればにやけそうになる顔を引き締めて、ノートパソコンを立ち上げる。
――もしかして、この一週間のなにかしらお話しよう作戦がちょっとは功を奏していたのかな。わからないけど。
話しかけてもいいと少しでも思ってもらえたならうれしいし、仕事に関する事項で褒められたのかなと思えることもうれしい。
もしそうであれば、あたしの努力も無駄じゃなかったということだ。やって間違いはなかったのだなと再認する。悩むくらいなら前向きに、があたしの密かなモットーである。だって、次の瞬間に死ぬかもわからないのだから、それなら後悔はできるだけ残したくない。
だからよかった。前進していると信じて口元をゆるませたあたしに、桐生さんは、「ご機嫌やなぁ、フジコちゃん」としたり顔でほほえんでいる。
「いい朝ですから」
照れ隠しがてら、へらりと笑って、あたしは書類の作成を開始した。今日のノルマも滞りなく終わらせられますように、と気合を一つ。
最初のころに比べればスムーズに動くようになった指先でキーボードを打つ。カタカタと断続的な音が響く事務所の中には変わらない顔がある。
やっぱりいい朝だなと改めて思いながら、あたしは手元の参考資料を捲った。




