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私的歴史論のようなもの 及び 宮本常一について2

作者: 恵美乃海

私的歴史論のようなものです。

宮本常一とからめて、15年ほど前に書いた文章です。

 今、私が最高の人生、最高の学問を思い描くとしたら、どういう ものをイメージするかについて述べる。


 最高の人生については、自分の身近にいる人。特に家族、両親、妻子と一緒に住む。

 兄弟姉妹を含めて、常にふれあい、親しむ。そして親戚、友人ともそのように付き合っていく。

 その家族的親和の中で、年齢を重ねていく。そのようでありたい。  


 そして私が考える最高の学問とは、様々な時代において普通の人(常民)の衣食住はどのようであったか、どういうことを日常考えていたのか、その考えの元にどのような人生を送ったか、それを掘り起こしていくことではないかと思う 。  


 別のタイトルにおいて私は、歴史において好きな時代、好きな人物について書いた。


 英雄が去ったあとの時代、その時代を担った人物にシンパシーを感じる、と書いた。  


 しかし、英雄の在、不在によってイメージされる時代、あるいはそのイメージ の元に象徴される人物などというものは単なる記号である。 


 いかなる時代においても、 その時代を代表する有名人の下に、大変な深さ、厚みをもった無名人の層が存在する。

 その層を研究せずしてその時代は語れないはずだ。  


 歴史学自体、過去に語られた有名人の歴史を脱却して、社会史と総称される無名人の研究にそのウェイトを移そうとしている。


 それこそ本来の姿であろう。   


 歴史をその本来の深さ、厚みをそのままに研究しようとすれば、それは必然的に庶民史であり、郷土史すなわち村里の歴史となるであろう。  

 

 それを超えてしまえば、歴史は皮相化、記号化、象徴化、概念化の道をたどらざるをえない。  


 宮本常一は、その本来の歴史をおのずから生涯の仕事、研究対象とした。また その祖父、両親との係わりは、極めて温かく最良の係わりであったと感じる。  


 本物の人生を送り、本物の学問をした人。それが私が宮本常一にもつイメージである。  


 だが、おのれが最高の人生、最高の学問と感じるものと、愉しく、快いと感じるものが常に一致するとは限らない。  


 私が愉しさを感じるのは、本物ではなく、むしろ周辺なのだ。そして、記号化された歴史なのだ。 


 前述の、歴史において好きな時代、好きな人物について書いた文章の末尾で、 英雄のいた時代、英雄そのものにもシンパシーを感じるようになった、と書いた。


 が、 それは中年になった私が、英雄史よりも、庶民史をこそ本質である、と考えるようになったことと連動する。


 英雄の在、不在。

 英雄であるかどうかの分類など、矮小なことであると思えばこそ、「英雄」にシンパシーを感じ、安心して、讃えることができる、ということなのだ。  


 宮本常一の膨大な著作の表題を眺めて、例えば

「周防大島民俗誌」 

「郷土の歴史」(周防大島の歴史)


は、私にとって読まなければならないものではないか、と感じる。 しかし、MUSTを感じる学問というのは愉しさとは別の範疇に属する。   


 私はこれまで、色々と文章を書き、小説も書いた。


 人間を、事物を描くとき、私は 当時の私にとって、特別な、特別と感じられる人間、事物を書いた。

それが私にとって、やらなければならないこと、MUSTだったからだ。   


 今、庶民を、普通の事物を、広く深く描くことこそが、MUSTである、と 感じるようになっても、齢四十の半ばに達した私に、それを行うエネルギーは既にない。


 体系を創造したいと志したが、今、新たな価値観のもとに再び体系を構築することを志すことはできない。


三十代の後半に入るあたりから、私は少年時代から慣習となってしまっていた、頭だけで勝手に自分に義務付けていた価値にとらわれることをやめて、こころが 愉しい と感じることに、この身をおき、たゆたわせている。

 創るべき体系など、すでに存在しない。   


 宮本常一。私が知る限り、最も本物の人生を送り、最も本物の学問を行った人だ。

 畏敬の念を禁じざるをえない。  


 しかし、彼の愉しみを、私はそのままに自らの愉しみとはできないのだ。   

 さらに年齢を重ねれば、この私にも、宮本常一の著作を大きな動揺なしに 読めるときが来るかもしれない。そのときがもし来たならば、そのときこそ彼を深く味わいたいと思う。  


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