リノ王
ウクリナ要塞に入ったマクシームは、第3駐屯軍の敗残兵とウクリナ要塞の駐屯軍との再編成をイグナートに任せ、アキーモフを相手に地図上でチェス盤を睨んでいた。
「上手いところに陣を張ったな。」
マクシームの言葉にアキーモフは頷きながら答えた。
「なかなかの戦略眼ですね。短期決戦には不向きですが、ケメルバ要塞が殺されています。」
「誘いの仕掛けもなかなかだ。」
「敵将はヴァレリーでしたか?王弟自らの出陣とは。」
「こちらも立場は同じだ。しかしこと戦略に関しては負ける気はしないけどね。」
「戦場はチェス盤とは些か異なります。ご油断無きよう。」
「うん・・・」
アキーモフは、マクシームがチェスの天才だと思っている。
マクシーム自身、ここ数年負けたことがない自信から、全てをチェスに置き換えて考える癖がついていた。
確かに先を読む才能はロジリア随一であったかもしれない。
しかしだからこそアキーモフはマクシームに不安を感じていた。
まだ16歳なのである。
戦場経験もない。
圧倒的な経験不足を、個人の才能が上回れるのか?
戦場の兵士は、チェスのポーンのように見合ったまま立ち止まってはいないのである。
それでもアキーモフ達臣下は、マクシームの天才的な戦術眼に期待していた。
まだ戦端は開かれていない。
しかしマクシームの頭のなかでは、「ロジリア」軍が大勝利を納めていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
偵察に出ていたキミヤス等が戻ってきた。
その報告は直ぐ様ヴァレリー達に為された。
「そのマクシームという第3王子はどんな性格なのですか?」
ヴァレリーが、キミヤス達より先にケメルバに到着していたユリチャーノフに聞いた。
「正直なところマクシームが戦場に出てきたことに驚いています。マクシームはチェス以外には興味がないとばかり思っていましたから。」
「つまり戦闘経験も無く個人の剣術も無いと?」
「はい、しかしチェスならばロジリアにおいて敵うものは居ません。まだ16歳ながら5年ほど競技会で負けたことが無いはずです。」
「ニコラスが送り出したのでしょうか?」
「それは無いと思います。私ほどではありませんが、マクシームもニコラスに嫌われていましたから。ウクリナのような重要施設を任せるとは思えません。」
ヴァレリーはユリチャーノフの話に状況の合理性を見つけられなかった。
「キミヤス、お前の考えを聞こう。実際状況を見てどう思った?」
「はい、残念ながらマクシーム王子の人物像は伺えませんでした。しかし、第3駐屯軍の生き残りとウクリナ要塞軍との再編成の様子や鍛練の様子を見ると、軍事錬成に長けた人物が居るのは間違いないと思われます。」
「その理由は?」
「第一に編制の役割が明確です。重装備の歩兵隊や軽装の騎馬隊、弓箭隊、そして親衛隊らしき騎馬隊などが部隊ごと鍛練に励んでいました。そのなかでも気になったのが歩兵隊です。」
「歩兵隊?」
「はい、重厚な鎧を纏っておりましたが、その鍛練は鎧を纏ったまま走るだけなのです。」
キミヤスの報告に皆が唸った。
マクシームの思惑が読めないのだった。
「ポーンか・・・」
ヴァレリーが呟いた。
「ポーンとはチェスの駒ですか?」
ユリチャーノフがヴァレリーに聞いた。
「・・・通常歩兵は機動力が鈍るとたちまち騎馬隊に蹂躙されてしまいます。しかし重装備化して敵の進攻を止められれば、それはある意味陣と同じだ・・・」
「つまりチェスにおいてポーンが壁として機能する状況を作り出せると?」
「言うほど容易くは無いだろうが・・・」
「しかもチェスとは違いそのポーンに当たる部隊は、重装備を突破出来なければ自らを削ることになると言うことだ・・・」
「更に当たらなければどんどん陣を稼がれてしまう・・・」
「唯一の欠点は足が遅いということぐらいか?」
オーレリアンをはじめ、スバニールもユリチャーノフもヴァレリーの言った「ポーン」の役割に思惑を廻らせたが、見てもいないものに気を囚われ過ぎている感が否めなかった。
「止めよう。何れにしても実力が計れない。油断せず準備を怠らないように。我らは我らの長所を活かせば良い。」
ヴァレリーは結論の出ない思考の迷宮にはまることを嫌った。
「ヴァレリー殿、いくらケメルバを封じているとはいえ、このままではウクリナの準備を万全にさせてしまいます。何か状況を変える手段を講じるべきではないかと思うのですが?」
「スバニール将軍、私もそう考えています。どうやらケメルバは籠城するつもりのようですから。」
「ならば攻め落としますか⁉」
ラッセルが腕を撫しながら聞いた。
「ケメルバは警戒しなければならないが、やはり籠城を決め込んだ砦を破るのは損害が大きいだろう。」
「ではまだにらみ合いを続けますか?」
「いや、ケメルバは落とします。」
「でもどうやって?」
「出てきてもらいましょう。」
ヴァレリーは、地図を指差しながら指示を与えた。
二日後、ブランシュ・クルメチア連合軍は、五百程の守備兵を残して北へ進軍を始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ケメルバ砦ではブランシュの進軍に意見が分かれていた。
少数の守備兵のみを残してほぼ全軍が姿を消したのだ。
物見の報告では北に進軍したと言う。
この時期になっても本国との連絡は取れていない。
籠城するにも、水や食料に不安があったし、衛生面においても徐々に悪化の傾向にあった。
散々の議論の末、敵の守備兵の少なさから強行突破を図ることとなった。
ただ問題は、姿を消したブランシュ本軍の動向であった。
ブランシュがウクリナ方面へ向かったのであればロジリア領内へ駆け込むのが最良の選択であるが、ブランシュは北へ向かったと言う。
つまり、ロジリア領内への最短ルートは、最大の危険な選択肢となる。
かといって目前のブランシュ軍の砦に襲いかかっても、ブランシュ軍が戻ってくれば挟撃され全滅の憂き目に会うのは必定であった。
選択肢としては安全なルートを探しだして逃げるしかないのである。
最終的に、ブランシュ軍に遭遇しようとも最短距離を駆け抜けるか、西へ向い、安全なルートを探りつつ大きく迂回するかの2択となった。
そしてここでも第1軍のイワンコフと第2軍のバズクールが真っ向から対立した。
「ブランシュが待ち構えていようとも最短距離を突破するべきだ!そもそも迂回したとてブランシュ軍が居ない保証は無いではないか!」
バズクールは最短距離の北行を主張した。
「確かに保証は無い。されどブランシュ軍は北上したとの知らせもある。確率から言えば迂回する方が安全であろう。」
イワンコフは迂回するルートを推した。
「水も食料も少ないのだ!のんびり迂回などしていられるか!」
「では我が第1軍は西からの迂回ルートを取る、貴殿は北へ向かうが宜しかろう。」
「おう!望むところだ!司令官殿は如何致されるか!」
バズクールの剣幕にウラジミールは思わずバズクールとの同行を申し出た。
「イワンコフ殿、やはり全軍での北行は無理であろうか?」
「司令官殿、残念ですがそれは無理でございます。むざむざと敵の罠に飛び込むは愚の骨頂。」
「フンッ!敵を恐れて逃げ回る方が余程愚かしいわ!臆病者が!」
「何とでも申せば良い。命を賭ける場所が違うだけだ。」
こうしてイワンコフとバズクールは決裂し、成り行きでウラジミールはバズクールと同行することとなった。
そして深夜に脱出が開始された。
兵の足には綿布が巻かれた。
同様に馬の足にも綿布が巻かれ、口枷が施された。
ブランシュ側の守備隊はたかだか500程だったが、これを殲滅するよりもいち早く抜け出す事に重きを置いた。
しかしこれはヴァレリーにとっては予定通りの行動だった。
守備隊も気付いていたが、気づかぬ振りでやり過ごした。
これもヴァレリーの指示であった。
そしてウラジミール達が無事に守備隊をやり過ごしたと気を緩めた早朝、オーレリアン率いるブランシュ・クルメチア連合軍が、バズクールの第2軍に真っ正面から襲いかかった。
「将軍!バズクール将軍!前方から敵が!敵の大軍が攻めて来ました!」
まだ物音を立てないための綿布や馬の口枷を外していなかった。
それどころか、鎧の擦れる音まで嫌って綿布を体中に詰めていた兵士は動きが鈍かった。
そこへオーレリアン率いる騎馬隊が突っ込んで来たのだ。
猪突猛進が売りのバズクール率いる第2軍は、身動きもままならず先頭から削り取られていった。
「エエイッ!隊列を乱すな!動きが鈍かろうと逆に綿布が刃を通さぬわ!固まれ!陣形を整えろ!」
バズクールが檄を飛ばすが、ブランシュ騎馬隊の勢いは止まらなかった。
「バ、バズクール!は、話が違うではないか!」
ウラジミールが綿布を詰め込むだけ詰め込んだ姿でバズクールに抗議の声を上げたが、バズクールにジロリと一睨みされ押し黙った。
そしていよいよブランシュ騎馬隊がバズクール達の目の前までやって来た。
「おお、見た顔だ!」
オーレリアンがバズクールの顔を見て叫んだ。
「き、貴様はあの時の!」
バズクールはブランシュ・クルメチア連合軍が一夜で砦を築いた翌日の敗戦を思い出していた。
「お前が将軍か?」
「そう言う貴様は何者だ!」
「これは失礼した!ブランシュ王国国王レアンドルが弟、オーレリアンと申す。」
「なにぃ!ブランシュの王弟だと!若僧が!捻り潰してくれる!」
バズクールは王弟と聞いて気力をみなぎらせた。
しかしウラジミールはオーレリアンという名前に、記憶の底に何か引っ掛かる物があった。
「バ、バズクール・・・なめてかかってはいかぬ・・・」
ウラジミールが沸き上がる不安でバズクールに注意を促した。
「洒落臭い!たかが二十歳そこらの小僧に負けるものか!」
「そのような着膨れでは動きにくかろう?待ってやるから脱ぐが良い。」
オーレリアンは、特に挑発しようとしたわけではなかったのだが、バズクールは嘲弄されたと思った。
「小僧!許さぬ!このぐらいが良いハンデだ!」
叫ぶなりバズクールは馬を突進させた。
「お、思い出した!オーレリアンとはブランシュ南方にて海賊や沿岸国の侵略をたった1ヶ月で撃退して南方平定した・・・あ、あのリノ王と呼ばれる猛将ではないか!」
多少尾ヒレ背びれが付いてはいたが、ウラジミールは敵わないと思った。
しかし既にバズクールは猪突し、オーレリアンに切りかかろうとしていた。
バズクールも、その乗馬も防音の綿布を纏ったままであった。
馬の足も遅い。
ウラジミールはバズクールとの同行を心底後悔した。
バズクールが降り下ろした剣がオーレリアンの頭上を襲った。
しかしオーレリアンはいとも簡単に右へ受け流し、返す刀でバズクールの首筋を切り裂いた。
鮮やかな鮮血が吹き出し、身体中に詰め込んだ綿布に染み渡っていった。
「将軍が討たれた!」
バズクールの死は瞬く間に全軍に伝播した。
オーレリアンは剣を拭いながら静かにウラジミールに近付いた。
「貴方が司令官ですか?」
問われたウラジミールはゴクリと生唾を飲み込んだ。
口の中がカラカラに乾いて声がでなかった。
「武装を解いて頂けませんか?無駄に血を流したくない。」
これが二十歳そこそこの青年の醸し出す圧力なのだろうか?
一見華奢に見える美少年と言っても良い幼さが残る顔立ちからは想像も出来なかった。
「こ、降服する・・・き、騎士道に則った処遇を求める・・・」
ようやくのことで絞り出した声は掠れて弱々しかった。
しかしオーレリアンが口にした言葉は意外なものだった。
「武装を解いて頂ければそのままロジリア本国へ向かって頂いて結構です。」
「な、何と申された!」
ウラジミールは、オーレリアンの言葉を直ぐには理解できなかった。
「武装を解いて頂ければそのままロジリア本国へ向かって頂いて結構です。」
オーレリアンは同じ言葉を一言一句違い無く繰り返した。
「し、しかしそんな話は聞いたことがない!捕虜としなくて良いのか⁉」
「まあ、捕虜とすれば兵糧を圧迫するだけですからね。当面懲りて頂ければ結構。」
そんな話があるのだろうか?
ウラジミールは何か裏が有るのかと思った。
しかしオーレリアンの言い分も理解できる。
下手に捕虜を連れて歩けば進軍速度も鈍る。
ならば皆殺しにするべきではないのか?
少なくとも皇帝ニコラスならばそうするだろう。
・・・ニコラスならば・・・
「あっ!駄目だ駄目だ!このまま帰れば我々は間違いなく皇帝陛下に殺されてしまう!オ、オーレリアン殿!捕虜に捕虜にしてくださらんか⁉」
思いもよらぬウラジミールの申し出だった。
ウラジミールの背後にいた兵士たちからも同様の叫びが上がった。
「そ、そうだ!帰れば待つのは死罪だけだ!」
「皇帝陛下が許すはずがない!」
さすがのオーレリアンもこれには困った。
「デュドネ、如何する?」
「困りましたな・・・」
「困ったから聞いているのだがな・・・司令官殿。」
「は、はい!」
「本国へは帰らず、とは申してケメルバへ帰すわけにもいかず、ましてやウクリナへ送ることも出来ない。どうしたら良い?我々には不本意だが皆の命を絶つ以外に方策は無いのだが?」
「貴下にお加え願いたい!」
ウラジミールは決意を込めた顔でオーレリアンに言った。
「なに?」
「貴下にお加え願いたい!」
ウラジミールが繰り返した。
「それは無理であろう?ロジリア軍を内部に取り込むなど、いつ裏切りにあうか知れぬ。」
「確かに我らはロジリア軍に属するもの。されど元を辿ればここにいる将兵全てリグラートの民なのです。」
「リグラートとは東のロジリア領だな?」
「はい、クルメチアと同じくロジリアの侵略により併呑されたリグラート王国が我々の故郷です。クルメチア程ではないが、リグラートもロジリアから収奪を繰り返され疲弊している・・・我々が戦功を上げ少しでもリグラートへの待遇を良くしたいと戦って参りましたが、ロジリアは一度の失敗を許さない・・・戦功を上げようにも前線にすら出られず皆腐りかけていたのが実状です。ロジリアへ帰っても待ち受けるのは死有るのみ。散り散りに逃げても路頭に迷うだけ・・・な、ならば夢のまた夢かも知れぬがリグラートもクルメチアとともに独立を勝ち取れないだろうか?」
「ふむ・・・」
オーレリアンは顎に手をやり考えた。
「少し手に余るか・・・」
「良かろう。最終的に私が決定することは出来ないが、この度の遠征司令官である兄ヴァレリーに取り次ごう。」
「な、ならば急ぎ西へお向かい願いたい!我が配下の将軍が西からの迂回ルートでロジリアを目指しておる!あの男を死なせたくない!」
「西か・・・しかしもう遅いかもしれぬな・・・」
「遅いとは?」
「兄ヴァレリーが西で待ち構えている。その将軍がどれだけの実力かは知らぬが兄ヴァレリーは私などより遥かに強い。騎士としても将としても遥かにな。しかもクルメチアのスバニール将軍が側にいる。ぶつかれば勝ち目はあるまい。」
「な、ならば一刻も早く!私が説得する!一刻も!一刻も早く!」
オーレリアンは、ヴァレリーならば皆殺しにはすまいと思ったが、そのロジリアの将が無駄に抵抗しないことも祈りたくなった。