エーデランドの事情
一度わだかまりを捨てると決めると、バルタサールはエーデランドの使節団の面々と陽気に飲み、語らった。
この日のためにヴァレリーは、ブランシュから大量のVINを届けさせていた。
また、エーデランドからはウイスキーを、ナルウェラントからはウォッカも取り寄せていた。
「そうだ!婿殿!例の大蛇を見せてもらおうか!」
鼻の頭を真っ赤にしてバルタサールはヴァレリーに言った。
「よろしいですとも!バルタサール陛下!」
ヴァレリーもいつにもまして飲んでいた。
VINだけならまだしも、ウイスキーやウォッカも飲まされ、決して酒に弱くないヴァレリーであったが呂律が怪しくなってきていた。
「婿殿!陛下は止めい!父と呼んでくれ!」
「でわ義父上!ご案内致します!さあ、こちらへ!」
「なあ、シルベーヌ?いつから殿下はバルタサール陛下の息子になったのだ?」
アルフィオがウォッカの満たされたグラスを手にシルベーヌに尋ねた。
その目は、ヴァレリー同様に座りはじめていた。
「知りませんよ!殿下も男なのレスよ!あの美しい姫君を見ては北海条約が無かろうと結婚しようとしたのではないレスか!」
シルベーヌもかなり呂律が怪しくなってきていた。
「オーレリアン!案内を頼む!」
ヴァレリーがバルタサールを導きながらオーレリアンを呼んだ。
「シルベーヌ!後でナルウェラントの一件詳しく聞くぞ!」
オーレリアンはそう言ってヴァレリーを追った。
「私は悪くないレスよ・・・アルフィオ殿!マルク殿リオネク殿!私一人で殿下を止められると思いまふかっ!」
「ま、まあ落ち着けシルベーヌ・・・」
「何言ったって聞きやしない・・・」
シルベーヌの愚痴に、アルフィオ、マルク、リオネクは溜め息をつくしかなかった。
「まあ、我らがそこにいたとして止められんわなぁ・・・せめてキミヤス殿が居てくれたならば・・・」
「しかしナルウェラントの姫君を貰うことは決して悪いことではあるまい。」
アルフィオが呟いた。
「考えてもみろ、ヴァレリー殿下はブランシュとエーデランドのハーフだ。殿下に子が出来ればそれこそ北海条約の、三国和平の申し子となろう?めでたいことではないのか?」
「しかしクリフトン候等エーデランドで殿下に婚儀を迫った方々は喜ばぬだろうな。」
「喜ばぬであろうが、喜んでもらう筋合いのものでもないだろう?」
「そうだな、全ては殿下次第だ。」
アルフィオら三人はグラスに満たされたウォッカを飲み干した。
この日までに、ガレア島は見違えるほど開発が進んでいた。
何よりも蛇が居なくなった。
これは、大陸から蛇の天敵となるイタチやフクロウといった外敵を持ち込んで放したためであった。
今後また別の問題が発生するかもしれないが、現状は蛇が激減したことで良しとした。
神殿洞窟は、ガレア島の歴史をひもとく上で重要な場所であったため、基本的に公開はせず、学術調査目的にのみ出入りが許された。
三国が出入りすることとなる船着き場は特に整備が進み、大型の軍船も停泊できるほどの深さと広さを作り出していた。
オーレリアンの指揮の下、デュドネが中心となり開発と建設が行われたのだった。
そしてその建物の一部に大蛇の骨を標本として展示していた。
「これか!」
バルタサールはその大きさに驚きを隠せなかった。
「右の頭が割れているものが退治したもので、左のものがすでに死んで白骨化していたものです。」
「なるほどルードヴィクを相手にしても怯まぬはずだ・・・ど、とうやってこの頭を割ったのだ?」
バルタサールとヴァレリーは身振り手振りを交えながら大蛇話に盛り上がった。
それを見ながらオーレリアンはここまで苦労してガレア島整備に力を尽くしたことが心のそこから誇らしく思えた。
大蛇に怯え、憔悴していたのが嘘のようだった。
「しかしこれも兄上の手のひらで踊っていたようなもの・・・敵わぬなぁ・・・」
オーレリアンは、今更ながらヴァレリーの底の知れない器に感嘆を禁じ得なかった。
「オーレリアン!」
ヴァレリーがオーレリアンを呼んだ。
「義父上、改めて紹介致します。すぐ下の弟のオーレリアンです。」
「オーレリアン殿か!これからよろしく頼む!」
バルタサールはその分厚い手でオーレリアンの手を握り、力強く振り回した。
「こ、こちらこそバルタサール陛下、よろしくお願いいたします。」
「うんうん!」
バルタサールはその大きな口をニイイッと横にしてオーレリアンの背をバンバンと叩いた。
「婿殿から聞いておる!オーレリアン殿が無くばこれまでの婿殿の活躍も無かったとか!リノ王と言われるほどに文武に秀でていると言うではないか!誠に素晴らしい!」
「いえ、私など兄上に比べれば非才の身、その大蛇を前にして兄上が助けに来てくれるまではただただ震えているだけでした。」
その言葉は謙遜でもなんでもなく、オーレリアンの本心であったが、バルタサールは謙遜と受け取った。
「奥ゆかしいのも美徳ではあるが、男足るもの武勲は誇って良いぞ!オーレリアン殿!」
そう言うと大きな口を豪快に開いてガハハハ!と笑った。
「ときに兄上、本当にご結婚なさるのですか?」
オーレリアンの問いにヴァレリーは頭を掻きながら答えた。
「ああ、本当だ。」
「しかしこの短期間でそのような大事を・・・」
オーレリアンは「北海条約」締結のためか?と聞きたかったが、バルタサールの手前聞くに聞けなかった。
「そうだな!婿殿!オーレリアン殿の言いたいことは分かっておろう?政略なのかと聞きたいのだ!そしてそれはわしも聞きたい!マルスリーヌは何者にも変えがたい最愛の娘なのだ!」
血管の中を走り回っていたアルコールが一気に燃やし尽くされ、冷静さを取り戻したバルタサールの目は強い光を発するようだった。
それに対してヴァレリーも冷静に答えた。
「どのような形であれ、国家間で、いえ、王家の婚姻は政治的思惑とは無縁では無いでしょう。」
「・・・」
「しかし、初めてナルウェラントの地を踏み、ベックマン将軍に案内されてマルスリーヌ様に会ったとき、私は北海条約は成功する、バルタサール陛下に協力頂ける、そしてこの王女殿下と結婚するだろうと思ったのです。」
「兄上、何か理由があったのですか?」
「理由などない。そう思っただけだ。」
はぁ・・・と溜め息をつき、オーレリアンはバルタサールに言った。
「バルタサール陛下、こういう兄なのです。それでいつも回りが振り回される。でも、兄の言葉が外れることは有りません。少なくとも私は知りません。だから兄の臣下は苦労します。そして兄の後始末をやらされる私も苦労続きです。それでも皆、ヴァレリーは次に何をしてくれるのだろう?とワクワクさせてくれるのです。ですから兄の言葉に嘘も打算も無いでしょう。私も新しい義姉が出来ることを歓迎致します。」
バルタサールはまたしても大きな口をニイイッと横にして笑った。
「オーレリアン殿!そなたにも見せたかったぞ!婿殿とルードヴィクの一騎打ちを!」
オーレリアンは何も言わず横目でヴァレリーを睨んだ。
「敵地とも言えるナルウェラントに乗り込んできて、ナルウェラント随一の猛将ルードヴィクと戦い見事勝利した!その剣捌き体捌きは見事であった!マルスリーヌが惚れるのも無理はない!わしが男ぼれしたほどだからな!」
「そうでしたか、では後日改めて兄上から聞かせていただきましょう。どれほど危険な手段でバルタサール陛下にお認め頂いたのかを。」
そ知らぬ顔をするしかないヴァレリーであった。
翌日から「北海条約」締結会議が本格的に始まった。
三国は、それぞれの思惑を隠すこと無く議論した。
これも、バルタサールが体裁に拘らず、この北海条約を本気で実りのあるものにしたいという思いから、過去にこだわらない姿勢で臨んだため、エーデランド側としても胸襟を開かざるを得なかった。
もっとも、クリフトンとバルタサールが、先の一件で互いにわだかまりを捨てられたことが大きな原因であったろう。
会議が始まって二日後、エーデランドから宰相レイモンド・アンカーソンがやって来た。
レイモンドが到着するまでの間に、三国は大枠の合意を見ていた。
クリフトンは、何としてもレイモンドの了解を得られるよう、慎重に譲歩ラインを探り、ヴァレリーから提案された領海線にて概ね同意していた。
レイモンドが協議の席へ付く前に、クリフトンは、一連の流れと合意ラインを説明した。
「以上がこれまでの流れでございます。
懸案の領海線問題も、これならば納得できると思われますがいかがでしょうか?」
「うむ、クリフトン卿、概ねよろしかろうと思う。ただな・・・」
「何か問題がございますか?」
レイモンドはどこか歯切れが悪い。
「うむ、実はな、リチャード殿下が危ない・・・」
「やはり回復は・・・」
「うむ、しかしリチャード殿下については既に王位継承は無いだろうと皆が話していた通りであるが、ここへ来てアーノルド殿下が若年であることに王位継承に難色を示す者達が出てきておる。」
「ルーファス卿でございますか?」
エーデランドはハワード3世による統治が長い。
ハワードには三人の息子がいたが、長男のリチャード以外の二人は既に他界していた。
しかしリチャードも病を得、王位継承は困難であろうと言われていた。
そのため、リチャードの長男であるアーノルドを王位継承者とする働きがあったが、アーノルドはリチャードが年を経てからの子供でまだ十歳であった。
そのため、ハワードの次男の子供であり、既に成人しているルーファスを擁立しようとする動きが起こり、エーデランド宮廷を二分する勢力争いに発展しつつあった。
それでもハワード3世が存命であれば、表立った抗争にはならずに済むのだが、何分高齢であるために、仮にリチャードよりも先に亡くなれば、病身で発言力の弱いリチャードにはアーノルドを護ることが出来ない。
そのため、リチャードはレイモンドにアーノルドの後見を頼んだ。
実際、ハワードも次の王位にはアーノルドを推してはいるのだが、正式に立太子しているわけではなかった。
そこでレイモンドは、宮廷の混乱が納まるまで北海条約の締結延期を申し入れようとしていたのだった。
「レイモンド様、むしろここは北海条約の締結を急いだ方が得策で御座いましょう。」
「何ゆえだ?」
「はい、北海条約が成れば海上交易による莫大な富が見込めます。これをここでレイモンド様と我がアプルトン家が為し遂げ、アーノルド様の後見を表明すれば、ルーファス卿を推す一派を海上交易を餌に切り崩せます。ここは多少の譲歩をやむ無しとしても、後日の実益を見込んで早期の条約締結が良策であると愚考致します。」
「成る程のう・・・」
「更に言うのであれば、ブランシュとナルウェラントを味方につけておくべきでしょう。」
「どうするのだ?」
「簡単なことです。全てを正直に打ち明けるのです。」
「馬鹿なことを!エーデランドの恥を晒せと申すのか?」
「恥では有りますまい。どの国でも起こっていることです。ブランシュは例外かもしれませんが。」
「とは申してもだな・・・」
「レイモンド様、大丈夫です。ブランシュのヴァレリーは我が甥であり、次期ブランシュ国王です。そしてヴァレリーはナルウェラント国王バルタサール陛下の息女マルスリーヌ殿下を妃となさいます。」
「そ、それは誠か⁉」
「はい、従ってこの北海条約をスムーズに締結し、ブランシュ、ナルウェラント両国の信用を得ることこそアーノルド殿下擁立への最大の武器となりうるはずでございます。」
クリフトンは、バルタサールの言葉を思い出していた。
「ここは国家の未来を語る場である!
貴公の手柄を立てるための場ではない!」
私利私欲を捨てるのは凡人には難しいことだ。
しかし、国家の未来に様々な私利私欲が絡み付いている。
ならば、これを断ち切ろうとするのも私利私欲ではないのか?
アーノルド様を擁立しようとすることは、ハワード陛下の御意志であるという大義名分が無ければ、これも立派な私欲。
ならば拘泥するまい。
国家を思う気持ちこそ私利私欲の最たるものであろう。
ある意味強引な論法ではあったが、立場が言わせる正論であろう。
そして反対する意見もまた正論なのである。
「分かった。ここはブランシュ、ナルウェラント両国を味方につけ、早期に条約締結を成すとしよう。」
決断するとレイモンドは素早かった。
七十を過ぎている高齢とは思えない的確さで条件を煮詰め、その上でエーデランドの内情を明かして協力を要請した。
ヴァレリーにしてもバルタサールにしても、ここでレイモンド一派が負ければ北海条約は三国条約を保てなくなる恐れがあり、協力に否やは無かった。
こうして「北海条約」は締結された。
同時に、エーデランドとナルウェラントの和平協定、及び、ブランシュとナルウェラントのロジリア共同戦線条約も締結となった。
エーデランドの王位継承は流動的ではあるが、クリフトンが言うように、北海条約の利益はルーファス一派の切り崩しに役立つだろうと思われた。
何れにしてもヴァレリーが目指した三国和平とロジリア包囲網は完成した。
あとはマクシームの出方次第だと、ヴァレリーはブランシュへ帰還する船の上から、遠くロジリア方面の空を見つめた。




