婿殿
ナルウェラントにてヴァレリー等と今後の方針を話し合っていたルードヴィクの元へ一つの報せが届いた。
「これは・・・」
ルードヴィクは、その報せを手にバルタサールの元を訪れた。
「ロジリアにて皇帝ニコラスが討たれたよしにございます。」
「それは確かか?」
「はい、攻め入ったのはマクシームと言うことでございます。」
「うむ、ルードヴィク、そなたの見解は?」
「そうですな、ヴァレリー殿下から聞いていた話と密偵がもたらした話から類推するに、ニコラスがマクシームに討たれるのは時間の問題だったでしょう。
しかし、マクシームがこれ程早くニコラスを孤立させることに成功するとは思えませんでした。
まだ二十歳にもなっていないというのに、なかなかの政治力・・・それとも優秀な軍師がいるのか?」
ルードヴィクも驚きを隠せないでいた。
「でわ早速ではあるが、婿殿に助力を願おうか。」
「陛下、婿殿は少し気が早いかと?」
にぃっ!と顔をくしゃくしゃにしてバルタサールは、早く「婿殿」を呼ぶように言った。
ヴァレリーが来ると、直ぐにバルタサールはロジリアの情報を全て伝えさせた。
「私自身マクシームがこんなにも早くニコラスを討つとは思ってもいませんでした。
しかしニコラスを討ったからといって、直ぐにクルメチアやナルウェラントへ侵略の手を伸ばせるとは思えません。それほどにロジリアという国自体が疲弊しているはずなのです。」
ヴァレリーは、だからこそナルウェラントとエーデランドとの北海条約の締結に奔走しているのだった。
ニコラスを討ったならば討ったで、ニコラスと同じように賦役を強いては、直ぐに足元から瓦解してしまうだろう。
そうなればロジリアは国の体を成さず、群雄割拠の混沌の時代に突入してしまうだろう。
マクシームならば、あのチェスの達人ならば容易に予測できることであろう。
だとすれば、先ずは国力の増強と軍の再編成を優先的に行うはずである。
とすれば、少なく見積もっても一年から二年の時間があるはずだ。
ヴァレリーは、その間にロジリア包囲網を完成させ、クルメチアの独立を強固なものにしておきたかった。
「バルタサール陛下、おそらくマクシームはしばらく内政に重きを置かざるを得ないでしょう。
その間に北海条約を締結し、同時にナルウェラントとブランシュの間でロジリア共同戦線を完成させれば、マクシームは軍事的に手詰まりになります。もちろん、クルメチアも巻き込みます。」
「こちらから仕掛ける良い好機だとは思われぬか?」
バルタサールがヴァレリーに聞いた。
「仮にこちらから仕掛けて勝ったとして、その後どう致しますか?あの広大な国をまとめようと思ったらブランシュ全軍を駐屯させるしかありません。ナルウェラント全軍をもってしても物量的に無理が有ります。自国を空にして他国を取っても、本国を失っては本末転倒です。
ことロジリアに関しては欲をかかないほうが利口でしょう。」
「好機ではあるがなぁ・・・」
バルタサールは諦めきれない様子だった。
「陛下、ヴァレリー殿下のおっしゃる通りでしょう。この機会に国境の砦を増築し、街道自体を閉鎖してしまいましょう。今ならばこちらのやりたいようにやれるはずです。」
「バルタサール陛下、私もルードヴィク将軍の意見に同意します。自由にできる時間はそう多くありません。何れロジリアと、マクシームとは決着を着けなければならなくなります。その為に今は我々が手を取り合うことが大事だと思います。」
「よかろう!ならば北海条約を急ぐとするか!同時にブランシュとの軍事協定も結びたい。詳細はルードヴィクに一任する。」
こうしてヴァレリーは、北海条約とブランシュ・ナルウェラント二国間の軍事協定の締結をほぼ成し遂げた。
二ヶ月後にガレア島において第一回の北海条約締結会議を行うことを決め、エーデランド側に打診することとした。
しかし北海条約締結会議は、エーデランドとナルウェラントの根深い確執により紛糾することとなった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そして二ヶ月後、ガレア島には、ナルウェラントからバルタサール他武官文官約五十名が来ていたが、ルードヴィクは、ロジリア対策のためナルウェラントに残った。
そしてブランシュからは、ヴァレリー以下、マルク、リオネク、アルフィオ、シルベーヌが、また、ガレア島整備の責任者としてオーレリアンが顔を揃えた。
しかし、キミヤスは体調を考慮して一旦ブランシュへ帰らせた。
そしてエーデランドは・・・
「そもそもこの場に何故エーデランド国王が来ない⁉ナルウェラントは現国王が、ブランシュは次期国王が列席しておる!」
会議は冒頭から紛糾した。
歴史的な和解を前提としている北海条約の締結会議において、エーデランドだけが国王、もしくは、それに準拠する者が来ていなかった。
それに対してバルタサールが食い付いた。
「それについては、ハワード陛下はご高齢のため、長期の船旅は無理でございます。従って交渉担当者として私クリフトン・アプルトンが参りました。」
これについてはエーデランド出発直前まで、宰相のレイモンド・アンカーソンが全権代理として来る予定であった。
しかし、出発直前にレイモンドは体調を崩してしまった。
エーデランド側は、会議の延期を申し入れようとしたが、クリフトンが自分が出向いて話をまとめますと強引に出発してしまったのだった。
キミヤス達ブランシュ側は、クリフトンでは全権代理とはならない事を危惧して説得を試みたが、功に逸るクリフトンは、「大丈夫だ!任せておけ!」と取り合わなかった。
「ほう!ではそなたが全権を持っておるのだな?」
バルタサールは、クリフトンの顔を一瞥しただけで、クリフトンが功に逸っているだけだと看破した。
「ある程度は決定権を持ちますが、最終的には持ち帰り国王陛下のご裁可を・・・」
「持ち帰りだと!」
クリフトンの不用意な一言がバルタサールの怒りに火を着けた。
「持って帰るなどとまどろっこしいことをせぬために私はここに来ておるのだっ!ヴァレリー殿下はブランシュの次期国王でありこの北海条約の発案者でもある!もちろんブランシュ側の全権を持っておる!
エーデランドだけが決定権を持たない下っ端が来ておるのだ!
非礼極まりない!」
「こ、このエーデランドの名門足るアプルトン家では、も、ものたらぬと申されるか!」
悪いことにクリフトンはバルタサールの言葉に激発してしまった。
ヴァレリーは、じっと様子を見ていた。
会議の前、ヴァレリーはバルタサールに対して、「エーデランドに遠慮は要りません。陛下の思う通りにされてください。たたし、一つだけ「剣を抜かぬこと」それだけお約束ください。」それに対してバルタサールは頷きながらも、「向こうが抜いたら分からぬぞ。」と腰の剣を叩いて見せた。
「良いでしょう。しかし国王が剣を抜けば戦争となります。それはご承知おきください。」
ヴァレリーもまた腰の剣を叩いて見せた。
「おう!アプルトン家と言えばエーデランドにおいて名門中の名門!されどこの場は国と国の命運を話し合う場所である!如何にアプルトン家と言えども、国王から全権を付託されておらぬのならば話にならぬわ!そなたがしゃしゃり出たために北海条約は破れることとなるのだぞ!」
クリフトンはぐうの音も出なかった。
それどころか、功名に逸り、エーデランドの威信を傷つけかねない状態にしてしまったことにようやく気がついた。
あっという間に血の気が引いて行く。
「アプルトン卿、わしはな、ヴァレリー殿下の男気に惚れて貴国に対するわだかまりを捨てようと決心したのだ。だからこそ自らここに出向いておる。わしはナルウェラント国民一千万人を背負ってここに来ておるのだ。ヴァレリー殿下もそうだ。自国の領土を、領海を解き放ってまで三国間の和平を目指しておるのだ。それに対してエーデランドの対応はどうなのだ?本気で取り組まぬのならばナルウェラントとブランシュの二国間のみで北海条約を進めさせてもらう!
ここは国家の未来を語る場である!
貴公の手柄を立てるための場ではない!」
クリフトンはもはや何を言っても取り合ってはもらえないことを痛感した。
和平を結ぶはずの場で、関係をより悪化させてしまったのだ。
手柄どころではない。
場合によってはアプルトン家の存亡に関わってくる。
「少し休憩しましょう。」
ヴァレリーはそう言って席を立ち、クリフトンにも退出するように促した。
ヴァレリーは、バルタサールに目配せしてクリフトンと共に部屋を出た。
「ヴァレリー・・・私はどうしたら良いのだ・・・これではエーデランドへ帰ることも出来ない・・・」
クリフトンは蒼白な顔をして控えの間に入った。
「父上にも顔向け出来ない・・・」
「叔父上、このままではバルタサール陛下はエーデランドとの和平案全てを否定してしまうかもしれません。」
「そうなれば生きて帰れない・・・」
「叔父上、残念ですがこういう場合対等の立場でなければ物事は進みません。それは決定権を持つもの同士ということです。叔父上は実務協議の責任者でしたから、エーデランド側としては誰よりも北海条約の立案に携わってきています。しかし残念ながら決定権を持っていません。
ブランシュで言えば、私ではなくキミヤスがこの場に来ているのと同じです。
そうなればバルタサール陛下はブランシュに対しても失望したでしょう。」
「ヴァレリー・・・私はどうしたらよいのだ?」
クリフトンはすがるような目でヴァレリーを見た。
「一つだけ可能性があるとすれば、クリフトン叔父上が命に代えてもここでの取り決めを履行すると申し上げてバルタサール陛下に承知頂くしか無いでしょう。もちろん、私はエーデランドが一方的に不利な条件を飲まないように協力致します。」
「命に代えても・・・か・・・」
クリフトンはテーブルの上で白くなるほど力が入った拳を見つめて呟いた。
「分かった・・・ヴァレリー、この命お前に預ける。エーデランドの実務責任者として命を賭けよう!」
クリフトンは、この時初めて父チャーチルの軛を脱したのかもしれない。
偉大な父親を持ったため、いつまでたってもその影に畏怖し本心から独立しようとしていなかった。
しかし、ここでは父の威光も国王の威光も通じない。己れの才覚のみが己を助けると思い知らされた。
クリフトンは良い意味で開き直った。
そして一時間後、協議が再開された。
「始めにバルタサール陛下はじめ、ここに参集されている皆様に謝罪致します。」
そう言うと、クリフトン以下、エーデランドの代表団は低頭した。
バルタサールは「フンッ」と鼻をならした。
「バルタサール陛下のおっしゃるように私は功名に逸ったのかもしれません。
それについては弁解のしようもございません。しかし・・・」
「しかしなんだぁ?」
バルタサールはチャチャを入れるが、ヴァレリーは黙っていた。
「しかしエーデランドにおいて実務的にリードしてきたのは私に他なりません!つまり、エーデランド側としては、国王陛下や宰相閣下がここに臨席されていたとしても、交渉の窓口は私であり、北海条約の主旨を理解している私がエーデランドを代表する者なのです!
正式な決定はハワード陛下のサインを必要としますが、実質的に私が協議して決まったことをハワード陛下に追認していただくだけなのです!
従って!ここで!この場で!取り決められたことは!このクリフトン・アプルトン!命に代えても国王陛下の裁可を頂くとお約束する!」
クリフトンは冷静に、しかし情熱をもってバルタサールに訴えかけた。
「なりませんでしたでは済まぬのだぞ?」
バルタサールも静かに、しかし分厚い圧力をもって覚悟を促した。
「ならぬ事を前提にはしておりません。
しかし、もしもそうなったならば、この首切り落としてお届けいたしましょう。
そしてエーデランドは千歳一遇のチャンスを逃がしたとお笑いください。
もちろん、ナルウェラントとブランシュの二国間で海上交易の利益を独占してください。
どの道、時代の流れに逆らう国は滅亡いたしましょう。」
「・・・」
「・・・」
視線と視線がぶつかる。
少しの沈黙があった。
ヴァレリーも沈黙を護った。
「良かろう!」
バルタサールがバンッ!とテーブルを叩いて言った。
「婿殿!会議の本番は明日からとしよう!今夜は皆で前夜祭だ!」
「そうですねバルタサール陛下、そういたしましょうか。」
「婿殿?」とオーレリアンが。
マルク、リオネクは顔を見合わせ、アルフィオは大きく溜め息をついた。
「ま、まてまてまてっ!ヴァレリー?婿殿とは何の事だ?」
「いやぁ、それが・・・」
「なに!我が娘マルスリーヌが妻となるのだから婿殿であろう?」
バルタサールが大きな口をニイイッと横にして笑った。
「え?え?えぇぇぇっ!」
二の句が継げないクリフトンであった。




