マクシームの涙
ロジリア帝都スクルワの王宮奥深くにニコラスはいた。
スクルワを城壁で囲み、籠城を決め込んだが、味方していたはずの貴族、軍隊が続々逃げ出していっていた。
残ったのは、逃げ出しても生きる術を持たない無能者ばかりであった。
出来ることと言えば、ニコラスの機嫌をとるくらいであったが、今や、なにを言ってもニコラスの機嫌を損ねるだけになり、誰も寄り付かなくなっていた。
しかし残った守備兵は、籠城戦で勝利すべく意気盛んで、三つある城塞の門を守っていた。
もはやニコラスは軍を指揮することも放棄したように王宮の奥で酒浸りとなっていた。
そのため、東西と南にある各大門は、個々の部隊が個々に守っており、連携が取れない状態になっていた。
すると、それぞれの部隊にそれぞれ違う噂が立った。
「南門の奴等が裏切ってマクシーム軍を引き入れるらしいぞ!」
かたや「東西の部隊が示し会わせて内側から南門に攻め込むらしいぞ!」
「ニコラス陛下が城を脱出して北へ向かったらしいぞ!我々は見捨てられた!」
全て噂であったが、その噂は全てマクシームが放った間者によるものだった。
そして間者は城塞内の反ニコラス分子をけしかけ、東門の部隊に内側から攻撃を仕掛けることに成功した。
マクシームは、その火の手を見極めて東門に全戦力を叩き込んだ。
「門を焼き払え!城壁の上の弓隊に気を付けろ!ゲラシム!イワノビッチ!攻城機を出せ!」
マクシームの攻城機は、それまでの物が城壁と同じ高さの櫓を組み、橋を渡して突入を図るものが主流であったのに対して、城壁より高い巨大な櫓を組み、そこから勢いよく岩を転がし出して城兵はもとより、城壁自体にもダメージを与えるものだった。
大量の大岩を櫓上部に上げるために、幾重にも滑車を組み込み、少ない労力で大岩を上げることに成功していた。
短期間で作られたスクルワの城壁は強度が不足しており、攻城機から放たれた大岩の圧力に耐えかねて崩壊を始めた。
「良し!攻城機を下げろ!門が落ちるぞ!」
マクシームの言う通り、大岩で支えを失った大門は、無数の火矢により燃え盛り、轟音と共に焼け落ちた。
「突入!」
マクシームの号令で装備を軽量化されたポーン隊が突入を開始した。
もともと堅牢な鎧に身を固めていたポーン隊であったが、クルメチアでの敗戦から、機動力と着脱機能の向上を図りぎりぎり乗馬が可能なレベルまで仕上げられていた。
とは言え、ポーン隊の本領はやはり歩兵戦によるのもであり、この戦闘でもその能力は遺憾無く発揮された。
突入したポーン隊は、ほぼ無傷で敵守備隊を壊滅させ、橋頭堡たる陣を築いた。
崩れた城壁上部からの矢による攻撃も無かったため、ポーン隊のみで制圧した。
また、守備隊も、もともと勢いで威勢を上げていただけであったため、ポーン隊の侵入と同時に我先に逃げ出していた。
「城壁の上に見張りを立てろ!まだ敵軍は残っているはずだ!特に南門方面は気を付けろ!」
矢継ぎ早に指示を出すマクシームを見て、アキーモフは頼もしさを募らせた。
「殿下、やはりニコラスに使者を出すおつもりですか?」
アキーモフは、マクシームの最終的な判断を促した。
前夜、マクシームはアキーモフに、ニコラスへ降服勧告をするつもりだと伝えた。
アキーモフは、どのみち応じるはずもないのならば、一気に進軍して殺すべきだと主張した。
それに対してマクシームは「あれでも兄なのだ・・・踏ん切りをつけさせてくれ・・・」そう言って寂しげに笑った。
そして「拒否するはならば私自らバルハラへの扉を開いてさしあげよう。」
その目には決意の光があった。
「ニコラス陛下、マクシーム殿下より書状が届きました・・・」
侍従がマクシームの書状をニコラスへ手渡した。
ニコラスは酔っていた。
酔眼で侍従を睨み付け書状を受け取った。
侍従が下がるとニコラスの回りには誰もいなくなった。
いや、既に大分前からニコラスの回りには人が居なくなっていた。
ニコラスはマクシームの書状を開かず見つめた。
「いつ間違った?」
ニコラスは自問した。
幼い頃、ニコラスとユリチャーノフは仲の良い兄弟だった。
よく一緒に遊んだ。
ある日、父である皇帝スタニフラブがニコラスに言った。
「ニコラス、次の皇帝はそなたなのだ。剣術にも学問にももっと励みなさい。」
ニコラスは父の期待が嬉しかった。
父の言う通り剣術にも学問にも励んだ。
しかしニコラスは聞いてしまった。
数日後、スタニフラブはユリチャーノフにも同じことを言っていたのだった。
その日からニコラスはユリチャーノフが憎くなった。
ユリチャーノフに負けまいと励んだが、抜きん出た才能もなく、青年期を迎える頃には剣術においても学問においてもユリチャーノフに敵わなくなっていた。
そして謀略に手を染めるようになっていった。
マクシームに対しても、ユリチャーノフに裏切られたとの思い込みから、兄弟は敵だと思うようになっていた。
そしてユリチャーノフを陥れ、マクシームも葬り去ろうとしたが、結果的に自身の身を滅ぼすこととなっていた。
ニコラスは、執務室へ戻り、マクシームへの返書を認め始めた。
そしてその夜、ニコラスは自刃した。
マクシームはニコラスの書状を読んだ。
気づかぬうちに涙が流れ出していた。
「兄上が死んだ・・・」
アキーモフは沈痛な面持ちでいるマクシームにかける言葉がなかった。
「親愛なる弟へ。
思えば良い兄ではなかった。
優秀な弟を勝手に妬み、憎み、自身を磨くことを怠った愚かな兄を許してほしい。
この上はバルハラにて父上にお会いしお許しを頂こうと思う。
ロジリアを、民を頼む。」
酒に酔った乱れた筆跡が一層物悲しかった。
「アキーモフ・・・」
「はい・・・殿下・・・」
「王宮へ入る、兄上の亡骸を早く弔いたい・・・」
「畏まりました・・・」
アキーモフは、手際よく軍勢を再編し、王宮へ向かわせた。
マクシームが王宮へ入ろうとしたとき騒ぎが起こった。
事もあろうか、西門の守備兵が、東門が破られたと知るやニコラスを伐とうと王宮を目指したのだった。
しかしニコラスは自刃した後で、王宮には守備兵が居なかった。
そして自分達の手柄にしようと自刃したニコラスの首を跳ね、王宮の門に晒してしまったのだった。
マクシームはその様を呆然と見つめた。
沸々と怒りが沸いて出た。
そこへ手柄を上げたつもりの西門守備兵が意気揚々とやって来た。
「ニコラス陛下の首を跳ねたのはお前達か?」
爆発しそうになる憤怒をギリギリ押し止めマクシームは聞いた。
「はい!左様でございます殿下!逆賊ニコラスめを討ち取って参りました。」
そしてあろうことか、首のなくなったニコラスの胴体をマクシームの前に投げ出して見せたのだった。
マクシームは腰の剣を音もなく抜くと、西門守備兵の口に突き入れた。
「愚か者!兄上は自らの過ちを悔いて自刃したのだ!お前たちのような卑しいものが兄上の体を傷つけるなど許せるものかっ!アキーモフ!こやつら全員切り捨てろ!」
アキーモフは無言で右手を振った。
同時にポーン隊が西門守備兵達に襲い掛かった。
百人程の西門守備兵が、ものの数分で切り殺された。
マクシームは、既に絶命している者にも止めを刺すように、一人一人剣を突き立てていった。
アキーモフは止めなかった。
止められなかった。
いつしか雨が降り始めていた。
初冬の雨は凍えるほど冷たかった。
しかしマクシームの体からは怒りの炎で雨が蒸発するかように湯気が立ち上っていた。
「これもニコラス陛下が自ら招いた結果であろう。」
アキーモフはマクシームが怒りの炎を燃やすのとは対照的に、冬の雨を凍らせるほど冷静な自分を見ていた。
「これでロジリアは変わる。結果的にマクシーム殿下自ら手を汚さずに済んだ。世論は完全にマクシーム殿下の物となるだろう・・・
しかし今は泣きなさい。涙が殿下を成長させるでしょう・・・」
アキーモフは降り続ける空を見上げた。
雨粒が雪に変わりつつあった。




