小さな港町
ヴァレリーはナルウェラントへ向かう船の上にいた。
あくまでも親善のためであるとの理由から、随船は無かった。
ナルウェラントの領海に入りしばらくすると、ナルウェラントの軍船が近付き停船を求めてきた。
ヴァレリーは、すなおにその指示にしたがい、ナルウェラント軍の士官を迎え入れた。
「ナルウェラント海軍のフェリックス・ベックマンと申します。ブランシュの船が何故我が国の領海を航行されるのか?責任者のお話を聞きたい。」
言葉は丁寧だが、その目には敵意が潜んでいた。
対応にあたった船長を下げてヴァレリーが相対した。
「ブランシュ王国のヴァレリー・バルバトロスです。先に使者を出してお訪ねしたいと申し入れさせていただいております。」
「王弟殿下でありましたか⁉しかしその使者にはご来訪は無用の事とお返事しておるはずですが?」
「はい、しかしどうしてもバルタサール陛下にお話ししたいことがあり、御無礼とは思いましたが参上した次第です。」
ヴァレリーはどのような形でもバルタサールに会わなければならなかった。
北海条約のテーブルに付きさえすれば説得の自信があった。
しかし思ったよりもナルウェラントは頑なだった。
「国王陛下からは上陸させてはならぬと申し使っております。どうぞお引き取り頂きますよう。」
それでもヴァレリーは食い下がった。
「上陸がならぬのであれば、港で待ちましょう。バルタサール陛下に書状をお渡し願いたい。」
「なりません。」
ここで引き返し、船団を組んで大挙押し寄せるという恫喝を用いることも考えの一つにはあったが、そうすれば益々頑なに閉じ籠るであろうし、偶発的にでも戦闘が起これば、全て水泡に帰す。
ヴァレリーは先ずこの海将フェリックスを味方につけねばと考えた。
「フェリックス将軍、これまでのブランシュとエーデランドとの関わりを考えれば、エーデランドと敵対している貴国の立場は理解します。しかし、ブランシュと貴国は、ロジリア対策を必要とする点で友好的で有るべきと考えてもいるのです。
そしてエーデランドとも海上権益を分かち合えるならばロジリア対策一本に絞れるでしょう?
そのために私はエーデランドを口説き、貴国と三国連合を成し遂げたいとやって来たのです。
首都至近の港でなくとも良いのです。お返事を待つ間の投錨地をお貸しください。そしてこの書状をバルタサール陛下にお渡しいただきたい。」
ヴァレリーは食い下がった。
フェリックスも、ブランシュ側が使節を遣わしたいという話は聞いていたが、ヴァレリーが話した内容までは知る由が無かった。
流石に一存で断って良いものとは思えなかった。
しかし国王バルタサールのエーデランド嫌いは徹底しており、どんな理由をつけても親書を受け取るとは思えなかった。
尚且つ、それを取り次げば、自分が叱責を受けるのは明らかだった。
フェリックスは一計を案じた。
「どのような理由が有ろうと国王陛下へ取り次ぐ訳には参りません。されど、私自身の判断に余る申し出。同じ書状をもう一通お作りください。ルードヴィク将軍に取り次ぎましょう。」
ルードヴィクは、ナルウェラント全軍を統率する将軍である。
事軍事に関しては、バルタサールはルードヴィクに全権を与えるほどの信用がある重鎮であった。
「分かりました。では、少しお待ち下さい。」
「ヴァレリー殿下、投錨地については固く言い渡されております。一度貴国領海までお下がり下さい。こちらからご連絡申し上げます。」
ここは譲るべきだろうと思った。
ヴァレリーは了解の上、ルードヴィク宛の書状を認めてフェリックスに預け、船をブランシュへ向けた。
◆◆◆◆◆
ヴァレリー達はナルウェラント領海を出ると、一番近い小さな港町に投錨した。
普段近郊の漁船や、さほど大きくない商船しか停泊しない港町である。
ヴァレリーの乗る軍船に騒然となった。
「私はこのサルト町の町長を勤めるフロケと申します。このような寂れた港にどの様な御用でしょうか?」
ヴァレリーは説明に出ようとしたがシルベーヌに止められた。
船長のジョフロワが対応にあたった。
「町長、騒がせて申し訳ない。実はナルウェラントへ向かう使者を乗せているのだが、ナルウェラントから上陸の許可待ちでな。数日厄介になりたい。もちろん費用はしっかりお支払する。」
「左様で御座いましたか、されどこの町はただの漁港でして、皆様をご案内出きる宿も御座いません。」
「一件もないのか?」
「はあ、酒場の安宿程度なら御座いますが、身分の高いかたを御泊め出きるものでは・・・」
「それは困ったな・・・」
ジョフロワはシルベーヌに助けを求めた。
「町長殿、シルベーヌと申します。今から申し上げることご内密にして頂きたいのですが、お約束頂けますか?」
シルベーヌの言葉は、田舎の町長を怯えさせた。
「何やら秘密めいたことがおありでしょうか?この町は豊かではありませぬが平和に暮らしております・・・内密にと申されましても私ごときが・・・」
「シルベーヌ、良い。何も秘密になどすることはなかろう?
町長殿、騒がせて申し訳ない。私はヴァレリー・バルバトロス、王弟だ。」
町長はヴァレリーの言葉を飲み込めず口の中でヴァレリーの言葉を反芻した。
そして崩れ落ちるように膝を付き両手を付いた。
「お、王弟殿下!白狼将軍で御座いますかぁ・・・」
「これ、大仰な、さあ立ってくれ、町の者が見ている。」
しかしフロケは膝が抜けたように立ち上がれなかった。
「とりあえず町長殿、どこかで話をしたい。」
「な、ならば我が家へ・・・粗末な家ではありますが、是非にお越しを・・・」
こうして腰が抜けたフロケを船員に背負わせ、ヴァレリー達は町長の屋敷へ向かった。
フロケの屋敷は、フロケが言うほど粗末なものではなかった。
決して華美なものではないが、地方の有力者として、十分な広さがあった。
小さな湊町である。
ヴァレリーが来たことは瞬く間に伝え広がった。
ヴァレリー達は応接室に通された。
フロケは、どうして良いか分からず、床に膝をついて呆けたようにヴァレリーを見ていた。
「町長殿、その様なところにおらずに掛けるが良い。」
そこへフロケの息子と名乗る男がやって来た。
「ヴァレリー殿下!フロケの息子、モルガンと申します!殿下!私はクルメチア戦役に従軍しておりました!」
「そうか!その節はご苦労だった!良く生きて戻った!」
下級士官や歩兵にとって、ヴァレリーはブランシュ軍の最高責任者であり雲の上の存在だった。
ヴァレリーに声をかけられモルガンは涙ぐむ程だった。
ヴァレリーもまた、こうして無事に帰国できた兵に接することは喜びだった。
「誰の配下に居たのかな?」
「はい、ダテ将軍の部隊の末端に加えさせていただいておりました!」
「キミヤスの部隊にいたのか⁉」
「はい、将軍が負傷された後、バシュラール将軍の部隊に転属いたしましたが、無事に帰国できました!クルメチアでのヴァレリー殿下の勇戦は、今でも我々の語り草になっております!」
「そうか、マルクの部隊にも居たのか・・・」
ヴァレリーは感慨深いものがあった。
軍を指揮するものは、とかく末端の人命に頓着しない傾向がある。
最たるものがニコラスであろう。
ヴァレリーは、というよりブランシュは極力無駄な戦闘を行わず、末端の兵よりもヴァレリーのように将軍たるものが先頭を切るきらいがある。
事の良し悪しは別として、結果的に全軍を同じベクトルで動かすことが出来るのはそのためであろう。
だからこそ兵達は命を預け、強力な軍を作り上げているのだ。
「モルガン、フロケを座らせてやってくれ、話ができぬ。」
「こ、これは失礼しました!父上!殿下もああ仰っておられる!さあ、立ってください!」
フロケは、モルガンに抱えられ、ようやく椅子に座った。
「モルガンも座ってくれ。数日厄介になりたい、宿がないとの事だがなんとかならないか?」
「でしたらここにお泊まりください!粗末な屋敷ですが、この町ではまだましな方ですから!」
「はい、そう!そ、そうなさってください!」
フロケもようやくに声を絞り出した。
「そうか、ならばやっかいになろう。」
結局、フロケの屋敷にはヴァレリー、シルベーヌほか数人が泊まることとなったが、護衛の兵を収容することが出来なかった。
そのため、屋敷の庭にテントを張り護衛の兵が寝泊まりする事となった。
その晩、フロケの屋敷にはヴァレリーに面会の栄を賜りたいと近隣から有力者が集まった。
無下に返すこともできず、ヴァレリーは一晩付き合わされることとなった。




