ダレツの至宝・ダレツの悍馬
「クリストフ、陣中見舞に行くぞ。何時もの土産を持ってついてこい。」
レアンドルは、腹心のクリストフに声をかけて執務室を出た。
「陛下ぁ、また怒られますよ、いや、怒られるのは私ですけど・・・」
「すまんな。」
レアンドルはクリストフ一人を伴ってサボワール城を出た。
ものの15分ほど馬を走らせると、そこはダレツとの国境に掛かっている橋の入口だった。
なんの躊躇もなくレアンドルは橋を渡り始めた。
橋を渡りきる直前、レアンドルはダレツの国境砦の守備隊に声をかけた。
「おーい、レアンドルだ。また土産を持って来たぞ!」
すると砦の門が開き、数人の兵が出てきた。
「レアンドル様ぁ、何時もすいません。どうぞお入りください。」
「皆、ご苦労だな。」
そう言ってレアンドルはダレツの国境砦に入っていった。
「どうだ?変わりはないか?」
レアンドルの言葉に砦の守備隊長が、レアンドルが持ってきた菓子をつまみながら答えた。
「相変わらずですね。国王陛下が病床にありますから、しばらくは平和でしょう。」
「見舞いでも遣わすか。」
「そりゃ良いですね。我々もブランシュと事を構えるのは本意ではありませんし、おおっぴらには言えませんが、エルゲンベルト殿下が次の国王になってくれれば和平の道も開けるでしょうし。」
エルゲンベルトとクラウスの王位継承争いは、レアンドルの元にも聞こえていた。
ダレツと和平条約を築ければ、ブランシュは東の憂いを取り除ける。
更にダレツは優秀な技術者が多く、交流を得られれば、将来ブランシュの技術革新にも期待が持てる。
レアンドルは、何とかダレツとの関係改善を模索していたのであった。
「見舞いを出したいから、通行の許可を打診してくれないか?」
「それは構いませんが・・・
現状は難しいかも知れませんよ。
何と言っても現体制は武力侵攻派が幅を利かせている。」
「いや、元々ベルンハルト国王は、先代の方針を踏襲することで前王、つまりベルンハルト国王の父親に義理を果たそうとしているだけだと踏んでいる。ベルンハルト国王自身は穏健派だと思っているがな?」
「レアンドル国王様、慧眼ですね。」
「戦争を避けて、ブランシュもダレツも繁栄する道は有るのだがな。」
「そんなことが本当に可能なのですか?」
「可能だ。それをベルンハルト国王に伝えたい。」
守備隊長は腕を組み唸った。
「では親書を認めてください。先ずはそれを国王陛下にお届けしましょう。その返答次第です。」
「分かった。明日にでも届けさせよう。」
そう言ってレアンドルは立ち上がった。
「何時ものようにヴァンを持ってきてある。飲み過ぎるなよ。」
「何時もすいませんね。ビアはダレツだが、ヴァンはやはりブランシュ産ですからね。」
レアンドルは、来たときと同様に友人の家を去るかのように手を降って砦を出た。
「父上、御加減はいかがですか?」
ダレツ国王ベルンハルトの寝室に来たのは、エルゲンベルトの姉に当たるマルティナだった。
「おお、マルティナ。今日は幾分気分が良い。茶でも飲もう。」
そう言ってベルンハルトはベットから身を起こした。
侍女が手を貸そうとするのを遮り、マルティナは自らベルンハルトを助けた。
「父上、無理をなさってはなりません。どうぞそのまま。今お茶をお持ちしますから。」
マルティナはそう言ってベルンハルトの周囲をクッションで囲み、お茶の準備を始めた。
華やかな中にも伝統の重厚感があるドレスが良く似合っていた。
その美しさから「ダレツの至宝」、気性の激しさから「ダレツの悍馬」と呼ばれていた。
「マルティナ、ちょうど良い、そこの手紙を読んで見てくれないか?」
袖机の上には、2通の手紙があった。
「一つはブランシュ国王レアンドルからの物だ、もう一つは国境砦の守備隊長からの添え状だ。」
マルティナは、二通の手紙を手に取りベルンハルトのベットの横においた椅子に腰掛けた。
「ブランシュ国王からのものはさておいて、砦の隊長が国王に手紙を認めるなど豪胆な男ですね。」
「なかなかに面白かったぞ。」
マルティナは先ずレアンドルの手紙から読み始めた。
『親愛なるダレツ国王ベルンハルト陛下。』
「親愛なると来ましたか。」
マルティナはそう言って微笑んだ。
(そうして微笑んでおれば引く手数多であろうに・・・)
ベルンハルトは、愛しい一人娘を眺めやった。
『病に伏せられたと聞き及び、長年の好敵手として心配しております。
思えば、私が国王に就く以前からの事ですから、我が父と同年代のベルンハルト陛下におかれましては、お疲れも御座いましょう。くれぐれも御身お大事になさってください。
もし、ご同意頂けますならば、一時的に休戦協定を結び、御見舞いに伺いたく存じます。長年の好敵手ではありますが、なればこそ一目御目にかかり御見舞い申し上げたく存じます。
どうか、ご一考頂けますようお願い申し上げます。
ブランシュ国王レアンドル』
親書を読み終えたマルティナは、それを膝に置き、じっと宙を見据えていた。
そして、もう一通の守備隊長からの物も読み始めた。
「この守備隊の者からの添え状は、読み方によってはレアンドル国王に籠絡されたと言われても仕方のない文面ですね。」
手紙には、レアンドルが度々手土産を携えて訪れていることが書かれていた。
そしてレアンドルを信用することになった事件についても書かれていた。
1年前の事だった。
天候不順で長雨となり、砦の北東を流れるセニ河が氾濫した。
砦は水浸しとなり、食料も水も無くしてしまった。
しかし、河の氾濫規模がすざまじく、ダレツ本国内からの救援の目処が立たないでいた。
それ以前からレアンドルは砦を訪れていたが、手土産を橋の入口に置いて帰るだけだった。
毒物の可能性と、敵国の不可解な行動に砦の守備隊長は、全て廃棄させていた。
しかし、この災難にあたり、レアンドルは守備隊500名分の食料を運んできた。
それも、優に2~3週間分の物量だった。
この時初めて守備隊長は砦を出てレアンドルと対面した。
その時のレアンドルの言葉が忘れられないと書いてあった。
「敵味方ではなく、お隣さんの危機にお節介を焼いただけだ。好敵手が居なくなればケンカも出来なくなる。気に病むことはない。元気になったらまた楽しくケンカでもするさ。」
そう言ってレアンドルは大量の食料と水、医薬品を置いて帰ったという。
「可笑しな方ですね。
でも顔を見てみたくなりました。
父上、どうせしばらく戦争など出来ないでしょう?レアンドル国王の提案に乗って休戦としましょう。国力の増強を図るに良い機会ではありませぬか?」
「そう思うか?」
ベルンハルトの問いにマルティナはにこやかに微笑みを返した。
「エルゲンベルトとクラウスを呼んでください。私から釘を刺しておきます。
特にクラウスはお祖父様の悪いところばかり似ておりますから、しっかり太い釘を刺しておきましょう。」
程無くしてエルゲンベルトとクラウスがやって来た。
決して仲の悪い兄弟ではないのだが、クラウスの好戦的な性格が、エルゲンベルトには憂鬱の種であった。
「エルゲンベルト、クラウス、良く聞きなさい。父上はブランシュと休戦なさることをお決めになりました。」
即座に反応したのはやはりクラウスだった。
「何故で御座いますか⁉歴史的に敵対してきたブランシュとの休戦など・・・」
「黙りなさい!」
ダレツの至宝は、ダレツの悍馬となった。
「その歴史的に敵対してきたのは全て我が国が仕掛けたことでしょう!
地勢的に港を欲するのは内陸の国に於いては仕方ないことです。それはわかります。
でもこれまで何度も一方的に軍を進めては撃退され、なんの成果も得られていないでは無いですか!
ブランシュは、国境を守るだけで一度足りとも我がダレツ深くまで軍を進めたことは無いはずです。
まるで大人が子供をあしらうようです。
ダレツの悪戯をブランシュは笑って許しているのですよ!
まだ笑われたいのですか!」
クラウスはぐうの音も出なかった。
また、ベルンハルトも目を瞑りじっと聞いていた。
「ここにレアンドル国王からの親書が有ります。お父様の病気見舞いに自らダレツを訪れたいと書いてあります。」
「真ですか!」
またしてもクラウスが反応した。
「のこのこやって来たら捕らえてやりましょう!それで領土の割譲を・・・」
バチンッ!とクラウスの頬が鳴った。
「父上、レアンドル国王が無事にブランシュへお帰りになるまでクラウスは北宮に監禁致します。側近どももまとめて押し込めます。少し頭を冷やしなさい。」
ベルンハルトは小さく頷いて言った。
「この件はマルティナに任す。エルゲンベルト、マルティナを補佐せよ。
エルリッヒを呼んでくれ、最重要国賓としてレアンドル国王をお招きする。」
こうしてレアンドルが何十年も途絶えていたダレツとの国交回復のためにダレツを訪れることが決まった。
そして、レアンドルはマルティナと初めて対面することになる。
翌日、エルゲンベルトはマルティナを訪ねた。
「姉上、少しご相談があります。」
「お掛けなさい。お茶を用意しましょう。」
日課の遠乗りから帰ったばかりのマルティナは、ドレス姿ではなく乗馬服であったが、優美さは失われていなかった。
「実は少々いさみ足でして・・・」
「いさみ足とは?」
紅茶を手に戻ったマルティナは、エルゲンベルトに勧めながら聞いた。
「レアンドル国王に密書を送りました。まだ届いてはいないでしょうが、平和条約締結の意思を示して、経済活動のため港を租借出来ないか打診する内容です。」
マルティナは、紅茶を啜りながら聞いていた。
「守備隊長の手紙は読みましたね?」
「はい。」
「ならば問題は無いでしょう。ムートガルトが上手くやるでしょう。あの者ならば問題無いと思いますよ。
でもエルゲンベルト。」
「はい、姉上。」
「そうやってこそこそ動くから余計な詮索を受けるのですよ。毅然としていなさい。」
「申し訳ありません。胆に命じます。」
この姉が男であったなら・・・
エルゲンベルトのみならず、ベルンハルトさえも思っていることであった。