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ナルウェラントへ

エーデランドにおいて、キミヤスを中心とする実務団は、ほぼエーデランド側との条件合意に至っていた。

キミヤスは、寝る間も惜しむように精力的に働いた。

幸い、失った右足の状態も落着き、痛みに寝られなくなることも無くなっていた。

怪我が回復しきらないキミヤスを実務団の中心に据えたヴァレリーの人事に、当初は懐疑的な見方が強く、エーデランド側ではヴァレリーは本気で条約を締結するつもりなのか?と訝しむ意見が噴出していた。

しかし、キミヤスの誠実で的確な仕事ぶりに、何時しか否定的な声も聞こえなくなっていた。

それどころか、ブランシュの実力者であり、ヴァレリーの腹心中の腹心だと言うことが知れ渡り、中には娘を紹介したいというものまで出てきた。

条約案もほぼ合意を見ていたため、キミヤスの仕事も減り時間が空くようになると、このような申し入れが飛躍的に増えたのだった。

「キミヤス様、アプルトン様がお見えになられましたが如何致しますか?」

キミヤスは、仕事の手を止めて答えた。

「アプルトン卿ならば会わぬわけにもいくまい。お通ししなさい。」

ジェレミアに指示し、応接室に向かった。

「キミヤス殿、仕事の手を止めさせてしまいすまない。」

来ていたのはクリフトンだった。

「クリフトン様、ちょうど一息入れようとしていたところです。お気になさらずに。」

ジェレミアが紅茶を運んできた。

「実は頼みがあって来たのだ。」

「どの様なことでしょうか?また結婚話ならお断りいたしたいのですが?」

キミヤスへの縁談は複数持ち込まれていたが、クリフトンもその一人だった。

「いや、縁談は諦めた。どんな良縁でもヴァレリーが結婚するまでその気はないと言われてはな。」

そう言ってクリフトンは笑った。

「申し訳ありません。ではお話とは?」

「うん、今後、北海条約はいよいよナルウェラントとの交渉になる。その使節団に私も加えて欲しいのだ。」

「今回、貴国とナルウェラントとの関係から、使節団はブランシュに一任頂いたはずですが?」

北海条約の締結においては、エーデランドとナルウェラントの海上覇権争いもあり、お互いに顔を会わせれば、何かと不都合が出るだろうとの見解から、ナルウェラントとの交渉はブランシュに一任されることとなっていた。

そのためにキミヤスはエーデランド側と条件の詰めを行っていたのだった。

「そうなのだがな、私も父上から家督を譲られるに当たって何か手柄の一つも上げておきたいのだ。」

「であれば、既にブランシュとの協議においてチャーチル様の名代として十分な結果を出されたと思いますが?」

ヴァレリーがキミヤスを実務団の中心に据えたのと同様に、チャーチルもクリフトンをエーデランド側の代表に据えていた。

「体裁はそうだが、事実上は父上の意向を伝えただけだしな。」

「しかしナルウェラントに貴国の人が赴けば感情的対立が生まれましょう。仮にクリフトン様が我慢されたとしても、ナルウェラント側に無用の口実を与えてしまうかもしれません。

やはりご自重頂くべきと思います。」

キミヤスは譲らなかった。

ヴァレリーがキミヤスを指名したのは、こういった交渉において是々非々を貫ける人物だったからでもある。

「無理か?」

「はい、申し訳ありませんが、お諦め下さい。」

「うぅん・・・」

クリフトンは諦めきれない様子で唸った。

「しかしクリフトン様、ナルウェラントが北海条約に興味を持てば、いかなる形であってもクリフトン様が実務の責任者として事実上のエーデランド代表となるでしょう。

それからご尽力頂ければ良いではないですか?

本番は三国顔を揃えての締結会議です。」

「そうか!そうだな!では今はヴァレリーに任せて待つとしよう!

そうか!私がエーデランド代表か!」

キミヤスは一抹の不安を覚えた。

クリフトンは、功に逸り暴走するきらいがある。

そして後日キミヤスの不安は的中する。



数日後、ヴァレリーは再びエーデランドに上陸した。

ヴァレリーは、アプルトン邸に入り、チャーチル、クリフトン、キミヤス等に状況を説明した。

「すると、人を丸飲みにするほどの大蛇が居て、それを退治したと言うのか⁉」

チャーチルが信じられぬとばかりに首を振った。

「いささか大袈裟ではないのか?とても信じられぬ。」

クリフトンも顔をひきつらせながら言った。

「機会があればガレア島にお出でください。学術的な意味合いからも、大蛇は火葬し骨を保管するよう指示してあります。」

実際オーレリアンが事後処理に当たったのだが、大蛇を火葬するには神殿洞窟から入り江まで運ばねばならず、更に長時間にわたり火を絶やさぬようにしなければならなかったため、ヴァレリーが言うほど簡単な作業ではなかった。

「兄上は凄いが、後始末はいつも私だ・・・」

オーレリアンは愚痴が止まらなかったと言う。

「何れにしてもガレア島開発は急ピッチで進むと思われます。準備が出来次第ナルウェラントに向かいます。」

ヴァレリーはキミヤスから進捗を聞き、ナルウェラントへ向かう準備に入った。


その夜、ヴァレリーはキミヤスと二人でヴァンを酌み交わした。

「体調はどうだ?」

「元通りとは参りませんが、漸く痛みに寝られなくなることも無くなりました。ジェレミアは未だに私のベットの横で床に毛布にくるまって寝ますが・・・」

キミヤスは苦笑を浮かべた。

「ジェレミアには申し訳ないと思っている。父とも兄とも慕うキミヤスに無理をさせていると恨まれていような・・・」

グラスのヴァンを弄びながらヴァレリーは呟いた。

「まだ子供なのです。時が経てば理解するでしょう・・・」

「どうするのだ?このままジェレミアを使用人として置くのか?」

キミヤスは無くした右足を擦りながら答えた。

「養子にしようと思います。幼年学校へ入れて騎士となるも良し、文官となるも良し・・・」

「ジェレミアが大きくなる頃には戦争など無い国にしたいものだ、だからこそこの度の北海条約は成功させなければな。」

「微力ながら全力で努めます。」

「キミヤスが微力なら皆微力だ。」

主従は小さく笑いグラスにヴァンを満たした。


二日後、ヴァレリーはナルウェラントへ旅立った。

先に訪問を打診する使者を遣わしていたが、色好い返事ではなかった。

それでもヴァレリーは、ナルウェラントへ向かった。

場合によっては無事に帰ってこれないかもしれない。

それでも行くしかない。

北へ向かう船の前方には、黒々とした空と海が果てしなく続くようだった。


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