ヴィクトリーヌの恋
その頃レアンドルは王都バルドーの王城、シャトー・リリーにいた。
帰城してからは、ほとんどを執務室で過ごしていた。
それと言うのも、宮廷全般の庶務を司るガストンが、次々と庶務雑事の決裁を求めてやって来るからだった。
政治的にはジョスランがそつなくこなしたが、それ以外の決済文書は溜まりにたまっていた。
中には、わざわざレアンドルに決裁を求めずとも良さそうなものまであったのだが、ガストンは、「律儀」にレアンドルに書類を回した。
「そもそも陛下が城を空けるからこのようなことになるのです。ヴァレリー殿下が残っておれば代行をお願いできましたが、ヴァレリー殿下さえもロジリアへ行ってしまわれました。これは国務を軽んじているとしか考えようが御座いません。さあ、今日はこの書類全てに目を通して頂きますぞ!」
そう言ってガストンは、レアンドルの目の前に大量の書類を積み上げた。
「これをか?・・・ガストン?もう少し吟味して持って・・・」
「いいえ!これでも吟味に吟味を重ねての書類でございます。これに懲りたならばあまり長期間城をお空けにならないことでございましょう。」
溜め息しか出ないレアンドルであった。
そこへヴィクトリーヌがやって来た。
「レアンドル、少し話がある。ちょっと付き合ってくれ。」
ガストンがすかさず間に入った。
「ヴィクトリーヌ様。国王陛下は御多忙でございます。」
「ガストン、下がれ。」
「いや、しかし・・・」
「下がれと言うたぞ。」
ヴィクトリーヌの眼光にガストンも下がらざるを得なかった。
「姉上、いやぁ助かりました!ずっと座りっぱなしで尻に根が生えるかと思いました。」
レアンドルは歩きながら尻を擦り、腰を叩いた。
「いや、それについてはガストンに一理ある。そなたの脇の甘さが産んだことだ。」
「手厳しい・・・」
レアンドルは頭を掻くしかなかった。
「それで話とは?」
二人は歩きながら、ついには城の外へ出た。
ヴィクトリーヌは答えぬまま、衛兵に馬を連れてくるよう指示した。
「少し馬を走らせるぞ。」
ヴィクトリーヌはそう言って牽かれてきた馬に跨がった。
レアンドルも愛馬に跨がり、ヴィクトリーヌの横に並んだ。
ヴィクトリーヌは無言のまま馬を城の西へ走らせた。
小一時間程走ると、小高い山の斜面一面にブドウ畑が見えてきた。
その一角にある屋敷にヴィクトリーヌは向かっているようだった。
更に近くまで走ると、そこはワイナリーであることが伺えた。
ヴィクトリーヌはそのワイナリーに入り馬を止めた。
「コランタン!コランタン!」
ヴィクトリーヌは馬を降りるのももどかしそうにコランタンという名を呼んだ。
「ヴィクトリーヌ様!おいでなさいまし!コランタン様は畑に出ております。あの辺りかと?」
ヴィクトリーヌの声に出てきたのはこの屋敷の使用人らしかった。
使用人が指し示した場所は、屋敷から1km程の斜面だった。
ヴィクトリーヌはレアンドルを連れてきたことを忘れたかのように畑へ駆け出した。
「姉上!お待ちください!姉上!」
レアンドルの声など聞こえぬようにヴィクトリーヌは駆けて行く。
仕方なくレアンドルはヴィクトリーヌの後を追った。
しばらくすると畑の中に人影が見えた。
「コランタン!」
ヴィクトリーヌは、その人影に呼び掛けた。
「ヴィクトリーヌ様!」
コランタンと呼ばれた男は、作業の手を止めてヴィクトリーヌの方へ歩を進めた。
「コランタン!」
ヴィクトリーヌはまたも名を呼び、その男に抱きついた。
「!」
これにはレアンドルも驚いた。
レアンドル達兄弟にとってヴィクトリーヌは、愛情故の厳しさに満ちた姉であった。
誰もヴィクトリーヌに頭が上がらない。
その姉が少女のように恋い焦がれる男の元へ飛び込んで行ったのだ。
「ヴィクトリーヌ様、申し上げたはずです。もうここへいらしてはいけないと?」
「嫌じゃ。私はそなたに嫁ぐと決めたと言ったではないか!」
レアンドルは更に驚かされた。
いや、目の前の光景が理解できなかった。
「あ、姉上?」
「おお、レアンドル!私はこの男の妻になるぞ!」
「はぁ?」
レアンドルも驚いたが、コランタンはもっと驚いた。
「こ、国王陛下で御座いますか⁉」
コランタンは抱きつくヴィクトリーヌを振り払い地面に膝を着いた。
「コランタン、膝など着かなくて良い。コランタンの義弟となる男じゃ。」
男二人、揃ってヴィクトリーヌの顔を見た。
にこやかに笑うヴィクトリーヌを見て溜め息さえも揃った。
レアンドルとヴィクトリーヌは、コランタンに案内され屋敷に入った。
コランタンの屋敷は、質素だが家具調度類は良く磨かれ重厚な輝きを放っていた。
聞けばコランタンの手作りだという。
屋敷は、コランタンの他に使用人が三人。
男所帯だという。
さすがにVINを出すわけにはいかず、香りの良い紅茶が運ばれてきた。
「と言うわけだ、私はこの男の妻になるぞ!」
言い出したら聞かない姉だが、コランタンも困惑している様子にレアンドルはヴィクトリーヌの真意を図りかねた。
「コランタン殿。」
「はい、国王陛下。」
意外にも国王を面前にして、コランタンの言葉は震えることもなく堂々たる物だった。
「胆の座った男だ。」レアンドルは内心感心した。
いや、意外であろうはずがない。
あのヴィクトリーヌを惚れさせた男だ。
この程度はまだ序の口なのかもしれない。
「姉がご迷惑をかけているようで申し訳ない。」
「迷惑なぞかけておらぬぞ?」
「姉上は少し黙っていてください。」
コランタンの横に座るヴィクトリーヌは、口を尖らせ不満そうであった。
しかしそのような所作が、ヴィクトリーヌにはあり得なかった。
「突然の事に私も驚いております。経緯をお聞きしたいのですが。」
国王であるにも関わらず、レアンドルの言葉は一市民に対して偉ぶることもなく丁寧だった。
「どうぞ国王陛下、私ごときにお気遣いなく。」
そう前置きしてコランタンは話し始めた。
「事の起こりは私が造るVINを王宮に納めたことに始まります。王宮ソムリエのパトリス様がここにいらっしゃり、私のヴァンを気に入っていただいたようで王宮に納めさせて頂く事になりました。それを召し上がったヴィクトリーヌ様が興味を持たれてここへ来られたのです。」
「ほれ、ジローが城へ帰ってきた後の晩餐で出たヴァンじゃ!」
「あれですか!」
実はこの晩餐の折り、王宮ソムリエのパトリスから新しいヴァンを仕入れたから試してほしいと言われ、皆その美味さに驚いていた。
よほど高価な有名シャトーの物だろうと話したが、パトリスは人の悪い笑顔で、「これまでのヴァンの三分の一の値段です。」と自慢気だった。
そして酒好きで知られるヴィクトリーヌが、どの様な者が造っているのかと興味をそそられて名を伏せてコランタンの元を訪れたのだった。
「初めは王家の姫君とは知らず、せいぜい物好きな貴族の御令嬢かと思っておりました。葡萄を見たいと言うので畑へ案内し、ヴァン造りの蔵も案内しました。ある日、馬の轡を見ると王家の紋章が刻まれているのを見つけて聞いてみるとヴィクトリーヌ王女様だと言うではないですか・・・冗談でも王家を名のるものではないと言いましたところ、短剣に刻まれた紋章を見せられ、パトリス様から聞いていたことと同じような王宮の話をされるではないですか。これは間違いあるまいと思い、もうこの様な場所へは来てはいけないと申し上げました。」
「来るなと言われれば来たくなるのは仕方のないことであろう?」
ヴィクトリーヌはコランタンの話しなど聞いていないかのようにコロコロと笑った。
「して、姉上。本気で嫁ぐと申されるのですか?」
「本気でなければこの様なこと言えぬわ!」
「しかし簡単ではありませんぞ。王家の者が市井に嫁ぐなど前例がありません。」
「だから?」
「だからと申されても・・・コランタン殿も困っているではないですか・・・」
「そんなことはないぞ!私が嫁ぐと言っておるのだ、喜ばぬはずがあるまい?」
レアンドルはほとほと困った。
「それで姉上はコランタン殿のどこに惚れられたか?」
「そのようなこと・・・本人の前で言えるわけが無かろう!しかし・・・まあ・・・あのような美味いヴァンを造るその仕事ぶりは、良識のある女なら惚れぬわけがない。繊細で大胆!しかもハンサムじゃ。ろくでもない男にあのようなヴァンは造れまい!ヴァンを飲めばコランタンの為人など一目瞭然じゃ!」
弟の面前だと言うのに、ヴィクトリーヌはコランタンの腕をとり、指を絡めた。
コランタンは苦笑いしながら振りほどこうとしたがヴィクトリーヌは離さなかった。
「コランタン殿、一つだけお聞かせください。」
「何なりと。」
「仮に私が国王として姉の輿入れを認めたとしたら、もちろん一切の強制無くコランタン殿に自由意思を認めたとしたら、姉を受け入れてくれますか?」
レアンドルの言葉にヴィクトリーヌはコランタンの顔を覗き込んだ。
コランタンは、そっとヴィクトリーヌの手を離し居ずまいを正した。
「これ程美しい女性に求婚されたならば心が動かぬはずがありません。それにヴィクトリーヌ様は私のブドウ畑を美しいと言ってくれました。仕事の成果であるヴァンを美味いと言ってくれました。そしてわざわざ足を運ばれた。身分に違いがなければ私から求婚したでしょう。しかし王家の姫君となれば話は別です。」
「頑固じゃのう。でもそれがまた好ましいのじゃかな!」
そう言ってヴィクトリーヌは笑った。
「王家とか身分とか関係なく、姉を一人の女としてどう思われますか?」
「難しい質問です。既成の事実を無視して言えることではありません。・・・しかし、あえて申し上げます。一人の女性として愛おしく思っています。」
毅然とした態度であった。
レアンドルは、宮中の騒ぎが手に取るようだった。
しかしここは姉が初めて惚れた男と添うために、一肌脱がなければなるまいと思った。
「コランタン殿、ヴァンを一杯頂けますか?」
「喜んで。」
コランタンは蔵へヴァンを取りに出た。
少しの沈黙があった。
「良い人ですね。」
「そうであろう・・・わかっているのだ・・・無茶を言っている。」
「でも惚れてしまったのですね?」
「私は幼い頃から乗馬や剣術、体術でも男に遅れをとったことはない。だからどんなに身分が高かろうと武勲を挙げようと興味を持てなかった。それにお主やヴァレリーなどという怪物もそばに居ったしな。生半可な男では嫁ぐ気にもなれん。」
レアンドルはヴィクトリーヌの言葉を待った。
「コランタンはな、貴族に生まれておれば一軍の将として武勲を重ねたであろうよ。仕事ぶりを見ていれば分かる。知っておるか?美味いヴァンを造るために一つのブドウの木から取るブドウの房は3つなのだそうだ。他は切り取ってしまう。あまり小さいうちに切ってしまうと残した房が良いものかどうか出来てみないと分からない。逆にある程度大きくなってからだと栄養が分散してしまう。繊細で大胆な見極めが必要なのだそうじゃ。それをこの広大な畑でほぼ一人でこなしている。そしてあの美味いヴァンを造る。気の遠くなる作業の連続じゃ。その精神力、体力、そしてハンサムじゃ、衝撃であったわ。」
酔狂ではない。
初めて心から男に惹かれたのだろう。
ヴィクトリーヌの穏やかな顔を見ていると、そう思えてきた。
コランタンがヴァンを携えて戻ってきた。
「国王陛下、せっかくですからこの二本を飲んでみてください。一本は父が最後に作ったヴァン、もう一本は私の快心作です。」
そう言ってコランタンは二本のヴァンを開けた。
「父上は?」
「はい、七年前に亡くなりました。」
レアンドルは、コランタンの父親が作ったヴァンを口に含んだ。
「不味いでしょう?」
不味いとは口に出来なかったが、確かに良い出来ではなかった。
「昔気質な父は、ヴァンとはこういうものだ。と言って作りを変えようとはしませんでした。祖父から受け継いだ技法を頑なに守っていたのですね。どんなに安くてもこれでは売れません。」
今度は、コランタンの改心作だというヴァンがグラスに注がれた。
それだけで部屋中に芳醇な香りが漂った。
「コランタン!このようなヴァンがあるのか!私には開けてくれなかったではないか!」
ヴィクトリーヌが、その香りに驚き、コランタンに食って掛かった。
しかしコランタンは、ヴィクトリーヌなど居ないかのようにレアンドルを見つめていた。
「姉上、お静かに。」
いつの間にかレアンドルとコランタンの間に張り詰めた空気が漂っていた。
真剣勝負の趣だった。
ヴィクトリーヌは、自分のヴァンを飲むのも忘れたかのように二人を見つめた。
レアンドルはヴァンを一口含んだ。
口の中に花束を放り込まれたかのような芳醇な香りが広がった。
すべらかなタンニンが舌の上を滑っていった。
喉を落ちていくと、鼻孔に甘やかな余韻が漂った。
「ほうっ・・・」っと息を継ぎ、二口目を含んだ。
今度は舌の上で遊ばせてみる。
様々な赤い果実の香りや甘味、酸味が溢れ出す。
赤い花束の香りが口中に広がる。
「参りました・・・」
「お気に召して頂けましたでしょうか?」
「これは芸術品です。」
レアンドルは、言葉が続かなかった。
それほどの衝撃だった。
ヴィクトリーヌもヴァンを口に含んだ。
見開かれた目が焦点を失っていた。
「快心の作と申し上げましたが、まだまだ納得していません。まだ美味くなると試行錯誤する毎日です。」
「こ、これでも納得できないと?」
「はい。もの造りは満足したらおしまいです。更に上を上をと限りが有りません。」
「国造りと同じか・・・」
レアンドルは、コランタンの言葉が染み入るようだった。
「姉上。」
ヴィクトリーヌはヴァンの余韻から抜けられずにいた。
「姉上!」
「ああ、レアンドル・・・」
その目はまだ泳いでいた。
「姉は恍惚の海から戻れないようですね。」
レアンドルは、そう言って笑った。
「コランタン殿、毎年開催されるヴァンの品評会に出展されたことは?」
「有りません。ヴァンの味わいに優劣をつけるというのがどうも性に合いません。」
「そうですか・・・しかし今年の品評会には出展していただけませんか?」
「それはどう言った理由でしょうか?」
レアンドルは少し考えてから話した。
「先ずは、コランタン殿は姉を妻として迎える気持ちは無いのでしょうか?」
コランタンは、心の葛藤をもて余すように言葉を絞り出した。
「先に申し上げた通り、如何に愛おしく思っても一市民が王女様を娶るなど許されるはずが有りません。仮にそうなったとしても、苦労をかけるばかりです。」
レアンドルは頷いてから続けた。
「つまり、環境が許せば姉を愛してくださると?」
「男としてヴィクトリーヌ様を愛おしく思っているのは事実です。ですが・・・」
レアンドルは、コランタンの誠実さと仕事への情熱に接し、いつの間にか自分の事のようにこの婚姻を実現させようとしていた。
「品評会で優秀な作り手には「ナイト」の称号が贈られます。名ばかりかもしれませんが貴族に列せられます。この場合、その「名」が重要で、貴族の称号を持てば姉を迎えやすくなるのではと思ったのです。何より国王がそう言うのですから問題はないでしょう。コランタン殿が少しでも姉を欲してくださるなら協力は惜しみません。ただし、品評会の評価については何ら口を挟みません。もちろん、審査員の一人として誠実な評価を下すつもりです。」
「コランタン!私からも頼む!私はそなた以外には嫁ぎとうない!」
いつの間にか恍惚の海から戻っていたヴィクトリーヌはコランタンの手をとり懇願した。
コランタンはヴィクトリーヌの手を握り返して言った。
「やりましょう。ここまで王様と王女様に言われてやらねば、ブランシュ男の名折れです。」
「おお、やってくれるか!」
ヴィクトリーヌはそう言うとコランタンの首に抱きついた。
レアンドルは、この男ならやり遂げるだろうと思った。
思いもかけず、痛快な男に出会った。
ヴィクトリーヌの夫となればレアンドルには義兄となる。
それもまた良かろうと胸踊る思いのレアンドルであった。




