ロジリア戦役3
ルキーチは、重装備歩兵隊はブランシュを足止め出来れば上等と考えていたが、アルバートがとったように火攻めをされれば、その重装備が枷となりあっという間に壊滅するだろうと思っていた。
まだこの時は現実的に実行されたことは知らなかったが、重装備歩兵隊が先行した辺りから煙が上がったことで、火攻めが行われたことに気付いた。
「どうやら重装備歩兵隊は役に立たなかったようですな。」
ルキーチはさも興味が無さそうにニコラスに呟いた。
「ならば正面にもっと兵を配置せぬとも良いのか?」
ニコラスは心配げに聞いた。
「正面は柵を回らしています。マクシーム軍のほうが厄介でしょう。もっとも、こちらも罠を仕掛けてありますし、様子見で良いでしょう。」
ニコラスの本隊は、クルメチア国境を5kmほど入ったところで進軍を止めていた。
ポーン隊に煙が上がったことでマクシーム軍は開戦を知るだろう。
あとはマクシーム軍の侵攻を待ち伏せすればよいとルキーチは考えていた。
事実、マクシームは煙を見てポーン隊が破られたと気付いた。
「あの煙りは重装備歩兵隊がやられたかも知れないね。まあ、ポーンはまだあるからね。」
実際、ニコラスに派遣したポーン隊は捨てゴマであった。
数刻後、ポーン隊を率いていたゲラシムは単騎マクシームの元に戻ってきた。
マクシームは、ゲラシムに火攻めの可能性を伝えた上で、火攻めが無ければブランシュを止めるも良し、ニコラスに当たるも良しとしてゲラシムには必ず帰還するよう命じていた。
「さて、あの人殺しが大好きなルキーチは、どんな罠を用意してくれているのかな?」
マクシームが先陣に配したタワー隊は、長槍を携える騎馬隊であった。
その長槍は異様な長さで、通常の長槍の優に2倍はあった。
そのタワー隊を率いるのは、マクシームの腹心クプリヤンであった。
クプリヤンは、縦列に進軍したタワー隊を横に展開し、マクシーム軍の横腹に突撃させた。
50騎の長槍が横並びとなり突進する様は圧巻だった。
ニコラス軍もマクシームの攻撃は折り込み済であったため、冷静に対処した。
無理に押さず、柔軟に長槍を受け流した。
しかしクプリヤンは、タワー隊を三重に布陣していた。
一枚目が受け流されると深追いさせず左右に逃がし、二枚目の長槍壁がニコラス軍の乱れた横腹を更に抉った。
その二枚目の壁も左右に展開し、後方へ回り新たな壁を形成して突撃を待った。
クプリヤンはタワー隊を力押しに突撃させるのではなく、ニコラス軍の横腹をジワジワと削り取っていった。
これは、ルキーチの罠を警戒して、一度に敵中深く突進することを避けて、表面を削り取る作戦であった。
そうしている間に、マクシームの後続ビショップ隊が追い付いた。
ビショップ隊は左右二隊に分れ、広角にタワー隊の頭越しに大量の矢を射始めた。
ニコラス軍は、タワーとビショップの猛攻を受けて横腹に大きな穴が開いた。
そこへ重装備歩兵ポーン隊が突撃した。
ゲラシムが率いるこのポーン隊は、先に壊滅したポーン隊とは全く違っていた。
正に精鋭と言って良いだろう。
重い鎧を着込んでいるにも関わらず、身のこなしが素早い。
槍ではなく、幅広の剣を自在に振り回す。
ニコラス軍は次々と斬り倒されていった。
「ルキーチ!このままではやられてしまう!」
ニコラスはマクシーム軍の勢いに怖じけづいた。
「問題ありません。」
平然と答えるルキーチに、ニコラスはルキーチが自軍を殺し尽くそうとしているのではないかと疑った。
と、ルキーチが右手を振り合図を送った。
ニコラス軍のど真ん中まで斬り込んでいたポーン隊の周囲の兵が一斉に引いた。
すると、ニコラス軍の兵が居た場所に大量の板が敷き詰められているのが露になった。
ニコラス軍は、その板を引き剥がすと、深さ2m、幅1m程の溝が現れた。
マクシーム軍のポーン隊とタワー隊は、溝に囲まれる形となった。
ルキーチは、わざと弱い部分を作り、負けて見せながら溝で囲まれた一画にマクシーム軍を誘い込んでいた。
そうは言っても、ニコラス軍の損害も決して小さなものでは無かったのだが。
「放て。」
短く、無機質な声音でルキーチは命じた。
放たれた火矢は、溝に溜まった油に引火した。
マクシーム軍は、あっという間に三方を火に囲まれた。
「次。」
更に短くルキーチは指図する。
激しく燃え盛る溝の一部に鉄の渡しが掛けられた。
そしてマクシーム軍に向かって、次々と樽が転がって行く。
樽の両端には布が詰められ、溝の上を通過する際に布に火が付いた。
転がった樽は、マクシーム軍の真ん中で次々に壊されたが、樽の中に詰められていた油に火が着き、炎の塊となってマクシーム軍に襲いかかった。
「マクシーム殿下は用心深い御方ですから、多少負けて見せねばここまで引き込めなかったでしょう。」
「そ、そうか・・・そうだな!」
淡々と感情のこもらない声音に、ニコラスは怖気を震った。
その時、後尾の部隊から報告がもたらされた。
「ブランシュが後方補給部隊を襲っております!」
「な、何故補給部隊が襲われる?ブランシュは前方であろう!」
「ブランシュの旗と共にダレツの旗が有ります!」
「ダ、ダレツだと⁉」
「どうやらリグラートを手薄にしてしまったのが災いしたようですな。」
ルキーチが他人事のように呟いた。
「どうするのだ!ルキーチ!」
「今はどうしようもありません。敵の規模も不明ですし、最後衛の部隊で対処する他御座いません。」
その時、樽を転がし出していた辺りから悲鳴が上がった。
「どうした?」
ここでもルキーチは抑揚の無い声で監視兵に聞いた。
「重装備歩兵が樽を転がし出していた渡しから侵入!」
重装備歩兵隊は、炎の罠から次々と渡しを足場に踏み込んできた。
油にまみれた鎧は発火し、さながら炎の鎧を纏う魔物の様相であった。
「無理に相手をすることはない。何れ焼け死ぬ。」
ルキーチは距離を取るように指示した。
「よし、だいぶ削れたな。」
マクシームは炎が燃え盛るニコラス軍の中段を見て次の手を指示した。
「ニコラス本陣に取り掛かる。ナイト隊を出せ。ビショップは援護!第3ポーン隊はナイト隊に続け!」
マクシームはニコラス軍の中段を攻めれば、ルキーチが罠を張って待ち構えているだろうと予測していた。
さすがにこれほど大規模な火攻めになるとは想像の域を超えていたが、結果としてニコラス軍は分断された形となった。
ここで本陣を攻めれば、敵の勢力は半分、ニコラスの首も遠くないと樮笑んだ。
「ブランシュです!ブランシュが攻めてきました!」
見張りの報告に、マクシームは小さく溜め息をついた。
「意外に早かったな。もう少し慎重になるかと思ったがな。」
「ブランシュはどこから攻めてきた⁉」
アキーモフが見張りの兵に聞いた。
「南北から挟み撃ちです!」
「何っ!」
さすがにこれは予想外だった。
南から来るのは判る。
南側、すなわちクルメチア側である。
しかし北側はロジリア側である。
ニコラス軍ならまだしも、ブランシュが北から攻めてくるとは思ってもいなかった。
「北からの軍はブランシュに間違いないのか⁉」
アキーモフは更に問いただした。
「間違いありません!」
「マクシーム殿下、ここは一旦退きましょう。ニコラスに当たりながらの南北の守りは薄すぎます。」
アキーモフは撤退を進言した。
「クソッ!仕方ない・・・後退して立て直す!」
マクシームは即座に撤退を判断した。
これがマクシームの命を繋ぎ止める事となった。