ロジリア戦役1
マクシームの重装備歩兵隊は、一旦ロジリアと旧クルメチアの国境付近まで北上してから東進し、ニコラスの本軍に合流した。
重装備歩兵隊を率いるのは、サンボの達人で格闘家あがりのゲラシムであった。
このゲラシムが重装備歩兵隊、ヴァレリーが言うところのポーン隊を鍛え上げた。
ニコラスは、ゲラシムの謁見を受けた。
重装備歩兵隊がいくら強力であろうと、たった一小隊で皇帝軍本隊に仕掛けてくるとは思えなかったからである。
それでもニコラスは万が一のためにルキーチに対応を指示していた。
「皇帝陛下におかれましては御機嫌麗しく・・・」
「挨拶など要らぬ、何しに参った?」
ニコラスはイライラとゲラシムを横目に見やった。
「はっ、マクシーム殿下より、皇帝陛下の進軍の先兵となるよう申し遣って参りました。」
「頼んだ覚えはないがな。」
方膝を突き、面を伏せているゲラシムの表情は伺えなかったが、明らかに言葉とは裏腹な殺気が滲み出していた。
「まあ良い。先兵となると言うなら働いてもらおう。三日後、クルメチアに進軍する。今から10km先行して前線を築け、本軍が到着するまで陣を構築せよ。」
「畏まりました。」
「ところでマクシームはどうしているのだ?」
ゲラシムの小さな反応も見逃すまいとニコラスは正面から見据えた。
「マクシーム殿下は、ウクリーナより進発、一万の兵をもって西からブランシュの陣を突くと申されておりました。」
「そうか、しかし何故そなた達はブランシュに一泡ふかせたと言うのに、わざわざ大きく迂回してまでここに来た?そのままブランシュと対峙しておればマクシームも楽であったろう?」
「殿下の御心は私ごときには伺い知るよしも御座いません。しかし、僭越ながら申し上げれば、皇帝軍の損耗を少しでも減らして差し上げたいというお心であろうと存じ奉ります。」
これは絶対に裏がある。
ニコラスはそう確信した。
「左様か。ならば良し。直ちに行動を開始せよ。」
「畏まりました。」
ゲラシムは退出した。
「ルキーチ、どう見る?」
「恐らくマクシーム殿下の軍は、我らがクルメチアに入ったのを見計らって後方から仕掛けてまいりましょう。同時に重装備歩兵隊が反転、挟撃する策と思われます。」
「如何する?」
「お任せください。策は講じてあります。」
「そうか・・・」
ニコラスは、自分がルキーチを殺そうとしていることだけは知られてはならなかった。
全面的に信頼している風を装い、マクシームに対処しなければならなかった。
ニコラスは、この行軍が、ブランシュ・クルメチア連合軍を征伐する目的であったことを忘れかけていた。
いつの間にか敵はマクシームに刷り変わっていた。
◆◆◆◆◆
マルクの放った斥候は、重装備歩兵隊の行方と、ウクリーナ方面の偵察を終えて戻ってきていた。
マルクはその情報を作戦会議の場で報告した。
「するとポーン隊はロジリア本軍に合流したというのか?」
ヴァレリーは相変わらずマクシームの戦略が読めずにいた。
そもそもニコラスとマクシームは仲の良い兄弟ではないという。
なのにわざわざポーン隊を本軍に差し向けた理由はどこにあるのか?
「ウクリーナの動向は?」
「はい、確認できたのは、ウクリーナとの中間点辺りまでですが、ロジリア・ウクリーナ軍の存在は確認できなかったようです。」
ヴァレリーの問いにマルクが答えた。
「ということは、先日のポーン隊の出現の意味はどこにあるのだろう?」
「恐らくですが・・・」
スバニールが顎先を撫でながら話した。
「マクシームの狙いはクルメチアではなくロジリアに有るのでは無いでしょうか?」
「ニコラスを討つと言うのですか?」
スバニールの発言にヴァレリーは唸った。
「なるほどそうであればポーン隊の行動にも説明がつく。」
「どう言うことでしょう?」
オーレリアンの言葉にアルバートが説明を求めた。
「マクシームの狙いがニコラス打倒に有るならば、ニコラスが戦場にあるのは千載一遇のチャンスです。しかもニコラスはマクシームと相対するのではなく、ブランシュ・クルメチアに向いています。ニコラスがクルメチアに入りブランシュ・クルメチアに注意が注がれているなら、後方を討つのは容易です。ポーン隊は、挟撃の為の駒でしょう。疑われないためにブランシュ軍と当たらせ、ニコラスの手駒として有効であると示したかった・・・」
「オーレリアンの読みに間違いは無さそうだ。」
ヴァレリーはマクシームのロジリア制圧に上手く利用されたのだと思った。
「しかしニコラスがマクシームを信用してポーン隊を受け入れたとはどうしても思えない・・・」
ユリチャーノフがポツリと言った。
「どう言うことですか?」
オーレリアンの問いにユリチャーノフは目を瞑りながら慎重に答えた。
「まずニコラスはマクシームを嫌っています。私ほどではありませんが、自分の帝位を脅かす存在だと決めつけています。
これは、私にしてもマクシームにしても実力がどうのという問題では無いのです。
ただ血脈として排除したいのです。
恐らく裏で画策しているのは参謀のルキーチでしょう。」
「ルキーチとは?」
オーレリアンが問うた。
「憲兵上がりの殺人享楽者です。」
「殺人享楽者?」
「はい、憲兵時代、あらゆる罪を捏造して貴族市民を問わず処刑したことが明るみに出て、ルキーチ自身が投獄されたのですが、それをニコラスが預かったのです。そしてニコラスはルキーチにありとあらゆる汚い仕事をさせるようになりました。父が苦言を呈したのですが、秘密裏に使い続けていたようです。」
「するとマクシームの思惑通りには進まないと?」
「はい、ルキーチはとても用心深く、疑り深い男です。ニコラスも疑り深いのですが、単純なところがあります。ニコラスは騙せてもルキーチは騙せないでしょう。」
「ならばマクシームの策は失敗ですか?」
「いえ、マクシームはチェスの天才です。二重三重に策を立てているはずです。」
「しかし困りましたね。我々はこれまでウクリーナ方面軍とロジリア本軍の二面作戦を整えてきましたから、言ってみればロジリアの内戦の様相は想定外です。」
マルクがユリチャーノフの説明を聞いて頭を抱えた。
「取るべき選択肢は二つ。」
ヴァレリーが全ての状況を総合判断して結論を出した。
「ニコラスとマクシームの内戦を煽るため、ニコラス軍に攻撃を仕掛け、マクシームが牙を向いたら引き上げる。その後は随時両軍の兵站を狙い内戦を長期化させる。」
「もう一つは?」
オーレリアンが問うた。
「もう一つは、ロジリアには一切構わず、この隙にクルメチア全土を奪取、国境防衛に専念する。だが・・・」
「だが?」
「この二つを同時に進めるという手もあるが、少々戦力が足りない。」
「確かに国境防衛の軍を揃えるだけでも現状の人員そのまま必要になるでしょうし、ニコラスにしてもマクシームにしても決着が付けばまた攻め入って来るでしょう。」
スバニールが地図を指し示しながら言った。
「実際にニコラスとマクシームがぶつかると決まった訳ではない。従ってニコラス軍に備えると言うのが現状の選択肢だと思う。あとは臨機応変に当たるしかあるまい。」
ヴァレリーはそう結論付けた。
そしてその方針に従って軍を再編し、二日後ニコラス軍に備えるべく、旧クルメチアとロジリアの国境付近まで進軍することが決まった。