重装歩兵 ポーン隊
「マクシームは何をやっているのだ!ウクリーナに入って一ヶ月!砦に籠ったままではないか!」
ニコラスの元にはなかなか情報が届かなかった。
自らの失態ではあるが、粛清の結果、連絡網がズタズタになっていた。
手足の神経が切断され、身動き出来ないようなものだった。
この1ヶ月の間に、クルメチアの東半分がブランシュ・クルメチア連合軍の勢力下に置かれてしまった。
その間、為す統べなくただ見逃し続けていたのだ。
しかしそれは、ニコラスがマクシームに対して明確な作戦指示をしていたわけでは無いのだから、結局それもニコラスの不手際でしかない。
さすがにここに至って、ニコラスはロジリア軍主力をクルメチア方面へ動かす決心をした。
自ら軍を率いて行かなければ、何も動かない状況になっていたからだ。
ニコラスは、クルメチア東部へ軍を進めた。
同時にマクシームに対してウクリーナ駐屯軍をもって西からブランシュを討つよう命じた。
しかしニコラスの主力部隊は、編成も装備もマチマチで、兵站の補給計画すらまともに立てていなかった。
ロジリア軍主力部隊は、クルメチアに着く前にバラバラになり、統一した動きができなくなっていた。
「まあ、予想していた通りになったね。」
相変わらずチェス盤を睨みながらマクシームは呟いた。
「そろそろ始めますか?」
マクシームの反対側からチェス盤を睨んでいたアキーモフが返した。
「そうだね。でも始めるにしてもブランシュをこのままにしておくのは面白くないな。」
「では、イワノヴィッチとクプリヤンにブランシュに当たらせましょう。重装ポーン隊の力試し程度に。」
「うん、それで良いよ。ニコラスがクルメチアに入ってから動くよ。」
「御意。」
「チェックメイト。」
「・・・また負けましたか。」
アキーモフが苦虫を噛み潰したように顔をしかめて唸った。
「僕は天才だからね。」
マクシームがさも当たり前のように呟いた。
ブランシュ・クルメチア連合軍とロジリアウクリーナ軍は、クルメチアのほぼ中央に位置する旧王都リクナブールを挟み東西に別れて睨み合っていた。
とは言っても、マクシームのウクリーナ軍はリクナブール付近まで出張ってきている訳ではない。
ブランシュ・クルメチア側が、これ以上西へ進むと、補給線が長引き分断される恐れがあったため、先ず東側の統治を目指したためでもあった。
しかし、リクナブールの西側にロジリアの軍影が現れ、戦線は一気に緊張感が増した。
「ヴァレリー殿下、あれは例のポーン隊と思われます。」
ロマリオが偵察の際に見たポーン隊であると断言した。
「キミヤス。」
「はっ。」
「様子見程度に一戦交えてみてくれ。」
「畏まりました。」
直ぐ様立ち上がろうとするキミヤスをヴァレリーは止めた。
「キミヤス、今回はいつにも増して慎重にな。どうもウクリーナ軍の動きが読めない。」
ヴァレリーは、ブランシュ・クルメチア連合軍がクルメチアの東半分を勢力下に置くまでの間、ウクリーナ軍が全く動かず、ブランシュ側の為すがままだったことに不安を感じていた。
なにがしかの牽制が有っても良さそうなものだと思っていた。
「ここまでウクリーナの動きが無かったことが何か引っ掛かる。マクシームの意図が読めないんだ。まるでブランシュ・クルメチア連合軍には興味が無いような素振りだ・・・」
「お任せください。マルク!リオネク!出るぞ!」
「はっ!」
キミヤスは、マルクとリオネクを引き連れて出た。
ヴァレリーは一抹の不安を拭いきれずにいた。
これまでにない不安が重く喉を塞ぐようだった。
キミヤスとマルク、リオネクは、リクナブール西部のなだらかな丘陵地でウクリーナポーン隊と遭遇した。
距離はまだ2kmほど有った。
その距離からでも、ウクリーナポーン隊の黒々とした重装備の鎧と盾が鈍く光って見えた。
「騎馬隊は居ないようだ。」
「あの重装備では馬に乗れないでしょう。」
「代わりに矢は効かず、剣も通りそうにありませんな。キミヤス殿、如何されますか?」
「鎧が厚かろうと隙間は有る。矢を射掛けその後左翼から削ぎ落とす。ただし殿下の申された通り深追いはしない。相手の力を見れればそれで良い。行くぞ!」
ここまで負け知らずのブランシュ軍であったが、負け知らずでいられた理由は、決して傲ることが無かったからである。
今回もキミヤスはヴァレリーの意を汲み、慎重に事を運んだ。
そのつもりだった。
「放てっ!」
ブランシュ陣営から大量の矢がロジリアポーン隊に射掛けられた。
正面から上空から、ポーン隊に雨霰と矢が降り注いだ。
しかしそのほとんどが鉄の鎧と盾に跳ね返された。
「これは一筋縄ではいきそうにないぞ・・・」
内心キミヤスはポーン隊の防御力に舌をまいた。
「左翼から削る!深追いはするな!行け!」
キミヤスは騎馬隊の機動力を活かし、一撃離脱の策をとった。
先頭でマルクが突っ込んだ。
「首筋を狙え!」
マルクが部下に指示を与えながら自ら突っ込んだ。
ギンッ!と金属同士が弾けあう音が立て続けに響いた。
「何てこった!一撃で剣が綻ぶとはっ!」
マルクは信じられないとばかりに刃こぼれを起こした剣を見た。
マルクの小隊に続き、キミヤスの小隊が突っ込んだ。
マルク達と同様に一撃離脱を図ったが、重装備のポーン隊に傷一つつけられない。
キミヤスがポーン隊の横を掠め去ろうとしたとき、ポーン隊から長槍が突き出され、馬の脚を払われた。
全速力で疾走していた馬が、足を払われもんどりうった。その勢いでキミヤスは大きく前方へ投げ出された。
「痛っ!」
キミヤスの右足に激痛が走った。
「折れたっ!」
そう思った刹那、キミヤスの上に真っ黒で大きな物体が落ちてきた。
キミヤスを放り出した馬が勢い余って空を飛び、キミヤスの上に落ちてきたのだ。
「グワッ!」
折れた右足の上に馬の首が叩きつけられた。
キミヤスは激痛に気を失いかけた。
「キミヤス殿ぉっ!」
後方からリオネクが駆けてきた。
馬上から右手が差し出された。
キミヤスは遠退く意識をギリギリ繋ぎ止め、リオネクに向かって右手を差し出した。
身を捩ると潰れた足に激痛が走る。
血が滲むほど歯を食い縛り、左足一本で地を蹴った。
リオネクはキミヤスの右手を掴むと、渾身の力でキミヤスを馬上に引き上げた。
「退却っ!退却せよぉっ!」
リオネクは大声で叫びながらキミヤスを抱えて走った。
「まずいっ!これはまずいっ!」
キミヤスは意識を失っていた。
リオネクは全速力で陣を目指した。
「キミヤスッ!キミヤスゥッ!」
陣に担ぎ込まれたキミヤスにヴァレリーは駆け寄った。
そしてその潰れてあらぬ方向に捩れている右足を見て言葉を失った。
軍医が駆けつけ、一目見るなりヴァレリーに告げた。
「殿下、この右足は切り落とさなければ命に関わります。それも一刻も早くです。」
「切る・・・あ、足を切ると言うのか・・・」
ヴァレリーは一瞬呆けたように繰り返した。
「き、切って・・・くれ・・・」
意識を戻したキミヤスが言った。
「キミヤス!」
ヴァレリーはキミヤスに覆い被さるようにして顔を覗き込んだ。
「で、殿下・・・申し訳・・・あ、ありませぬ・・・」
「喋るな!キミヤス、喋らなくていい・・・」
「で、殿下、あ、足は無くな・・・ろうと・・・手、手が・・・有ります・・・左足・・・も有ります・・・ま、まだ、お役に・・・た、たちたい、の、です・・・き、切って、く、だ、さ・・・」
キミヤスは再び意識を失った。
「殿下、急ぎませんと・・・」
軍医が了承を求めた。
ヴァレリーは、グッと奥歯を噛みしめ、軍医に処置を許した。
キミヤスは急ぎ後方の補給陣に運ばれて行った。
「殿下、キミヤス殿は心配ですが、敵が近付いています。如何されますか?」
マルクが聞いた。
「一旦下がる・・・」
ヴァレリーの指示を聞き、マルクは部隊をまとめて後退の指示を伝達した。
「このままでは終わらせぬ・・・」
ヴァレリーは馬上からロジリアポーン隊を睨み、後退の列に加わった。
この戦争で初めての後退だった。
「何っ!マクシームがブランシュを破ったのか⁉」
ニコラスの元に、ウクリーナポーン隊がブランシュの部隊を退却に追い込んだという報告が届いた。
「はい陛下。マクシーム殿下は鎧で身を固めた重装備の歩兵隊を駆使して、ブランシュの攻撃をものともせず跳ね返したよしに御座います。」
「あのマクシームが・・・」
本来ならば喜ぶべきところなのだが、何せニコラスが打つ手は全て裏目に出ている。
それが戦場経験の無い末の弟が初戦で結果を出したというのだ。
ニコラスは喜びよりも嫉妬心が首をもたげた。
「皇帝陛下、マクシーム殿下よりその重装備歩兵隊を陛下の元へ派遣するとのことで、楯としてお使いくださいとのことで御座います。」
「むうっ・・・」
何か裏が有るのではないかとニコラスはいぶかしんだ。
ニコラスのこの猜疑心の強さが、後々ニコラスの命を救うことになるのだが、その後、ロジリアは内戦に突入することになるのだった。