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ロジリア戦線異常あり


「陛下!右翼の鳳凰隊が破られつつあります!救援を!」

「ヴァレリーを行かせろ!」

「はっ!伝令!ヴァレリー殿下の白狼隊に右翼救援を伝達!」

伝令は、直ぐ様レアンドル国王の王弟であるヴァレリーの元に届いた。

「兄上も我慢が過ぎる。暇すぎて寝てしまうところだった。キミヤス!手はず通り突出!シルベーヌ!キミヤスを援護せよ!行け!」

「御意!」


大陸西部に君臨するブランシュ王国は、歴史的に対立する北方の大国ロジリアとの戦争が続いていた。

ブランシュとロジリアの間には、標高2000メートルを越える峰々が連なり、このサブレナ平野は、唯一とも言えるブランシュとロジリアを結ぶ低地であった。

そのため、ロジリアは南方の不凍港を求め、幾度となくサブレナに侵攻してきた。

過去には、サブレナを落とされ内陸にまで侵攻を許したこともあったが、現在は山脈ラインの国境を取り戻していた。

ブランシュ側には、冬の厳しいロジリアの領土を求める気はなく、専ら国境防衛に徹していた。

ブランシュとロジリアの戦争は、ロジリアが南方領土を諦めるか、ロジリアかブランシュが滅亡しなければ終息しないと思われていた。


「キミヤス!中央を突破したら敵本陣まで斬り込め!」

「御意!」

キミヤスは、反りのある直刀を鞘走らせると敵陣の真っ只中に斬り込んだ。

キミヤスの進む両側には血煙が舞い上がった。

凄まじくも理にかなった剣筋が、キミヤスの進む後に赤い道を作った。

「やるな!小僧!東洋の物か!」

キミヤスの行く手を遮ったのは、ロジリアの猛将アミヤーノフであった。

アミヤーノフは、2メートルの巨漢で、巨大な戦斧を振り回しキミヤスに肉薄した。

その戦斧をまともに受ければ、キミヤスの細身の直刀は折れ砕けてしまうだろう。

しかしキミヤスは降り下ろされる戦斧をまともに受けた、かのように見えたが、滑らかに右手へ受け流し、返す刀でアミヤーノフの首を切り落とした。

首をおとされたはずのアミヤーノフの体は、まだ命が有るかのように戦斧を振り回し続け、そして戦斧の重さに耐えきれぬように馬からドサリと落ちた。

アミヤーノフは絶命の直前、自分の体が馬から落ちる様を見た。

いや、既に光を失った両眼に、ただ写っていただけなのかもしれない。

「アミヤーノフ将軍が討たれた!」

ロジリアの猛将アミヤーノフは、ロジリア国内ではかなり名の知られた武将であった。

そのアミヤーノフが討たれたことでロジリア軍に少なからず衝撃が走った。

キミヤスは、さらに敵陣深く斬り込んだ。

シルベーヌの弓箭隊が、キミヤスの左右に的確に矢を集中させた。

「さて、俺も行くか。マルク!キミヤスの左翼を切り裂け!」

「御意!」

「リオネク!右翼だ!」

「承った!」

「ラッセル!後方を守れ!」

「かしこまりました!」

ヴァレリーの白狼隊は、巨大な鏃のようにロジリアの部隊を切り裂き始めた。

その速度はすざまじく、敵本隊に届こうとしていた。

ヴァレリーは、愛馬サンダールミエール号に一ムチ入れると、あっという間に先行するキミヤスに追い付いた。

「キミヤス!敵本隊に斬り込むぞ!」

「殿下!お下がりください!間違いがあってはなりませぬ!」

「キミヤス!案ずるな!」

ヴァレリーは、そう言うと真っ先に敵本隊に斬り込んだ。

「言っても聞くものではない・・・マルク!リオネク!殿下を守り参らせ!」

「おうっ!」

ヴァレリーに続いてキミヤス、マルク、リオネクの3人が敵陣に突入した。

ヴァレリーは、キミヤスと同様の細身の直刀を抜き放ち、立ちふさがるロジリア兵を左右に斬り倒した。

その剣筋は、ロジリアの猛将アミヤーノフを事も無げに斬り倒したキミヤスに勝るとも劣らぬものであった。

「さすがヴァレリー殿下!」

マルクが嘆息する。

「あの剣捌きは天性のものだ、余人には真似できぬ。」

キミヤスがリオネクに言った。

「私の剣は鍛練の成果だが、殿下は天才だ。資質が違う。」

キミヤスとマルク、リオネクは、ヴァレリーと同様に敵兵を屠りながら馬を走らせた。

そして遂に敵本陣を斬り裂き、敵将、ロジリア第2王子のユリチャーノフの面前に馬を揃えた。

「ヴァレリーッ!」

「これはこれはユリチャーノフ殿下。またこのようなところでお会いすることになるとは、殿下も懲りぬお方ですね。」

ユリチャーノフは、数人の親衛隊に護られていたが、明らかに腰が引けていた。

「以前お会いしたときに申し上げたはずです。2度目はないと・・・いや、もう3度目でしたかな?」

これまでの両国の戦闘の中で、今回同様にユリチャーノフはヴァレリーの前に膝を屈していた。

しかしその都度ヴァレリーはユリチャーノフを逃がした。

兄王レアンドルは、ヴァレリーの方針を黙認していたが、度重なるユリチャーノフの出征に対して、そろそろけじめを付けるよう求めてもいた。

ヴァレリーも、今回の会戦をひとつの区切りとしようとしていた。

レアンドルはヴァレリーの方針を正確に把握していたと言うことであろう。

「いかがであろう?ユリチャーノフ殿下。今回はお帰りいただかず、ブランシュにご招待申し上げたいが?もちろんユリチャーノフ殿下お一人をで御座いますが?」

「何を言うか!招待などと!それは捕虜になれと言うことであろうが!」

おやおやと言った体でヴァレリーは首を左右に振った。

「言葉通り招待ならば枷を打つ必要は無かったのですが、嫌だと申されるならば仕方がありません。マルク!ユリチャーノフ殿下に縄を打て!丁重にな。」

そうはさせじとユリチャーノフの親衛隊がマルク等に斬りかかったが、ものの2、3合で打ち倒されてしまった。

かくしてロジリア第2王子のユリチャーノフは、ブランシュの捕虜となった。

ユリチャーノフが捕虜となると、ロジリア軍は指揮系統を乱し、三々五々撤退を始めた。

ヴァレリーもレアンドルもそれを遮らなかった。

ロジリア軍はユリチャーノフ一人を残し、ブランシュを去った。


ロジリア帝国は、ガイア大陸北部に広大な領土を持ち、主に東南の小国を武力制圧して植民地化してきた。

現皇帝スタニフラブは病に伏せており、実権は第一王子のニコラスが握っていた。

ユリチャーノフとは一歳違いのこの兄は猜疑心が強く、ユリチャーノフが王位簒奪を目論んでいると疑っていた。

ユリチャーノフ自身は王位を望んでいなかったが、ロジリアの将来を慮り兄に意見することが少なくなかった。

そのため、ニコラスは、事あるごとにユリチャーノフをブランシュ侵攻に追いやった。

出来れば戦死してほしいと望んでいたが、敗戦を重ねてもユリチャーノフは生きて戻ってきた。

敗戦の責任を問おうとしても、まともな戦力を預けなかった引け目と父王への遠慮も相まって、排疎出来ずにいた。

ユリチャーノフ自身、度重なる兄の嫌がらせに辟易していたため、今回ブランシュの捕虜となったことは気持ちが晴れるような思いがあった。

戦場では、度重なる敗戦のためヴァレリーに怒りをぶつけたが、いざブランシュに下ると怒るどころか心が平穏になった。

戦場では縄を打たれたが、直ぐに縄を解かれて国賓並みの扱いを受けたのもその要因であったろう。

「ヴァレリー、かの御仁はどうしている?」

兄王レアンドルから問われたヴァレリーは、普段国王に対して失礼であるとさえ言われる物言いが嘘のような慇懃な言葉遣いで応えた。

「はい陛下。予想したように羽を伸ばしたがごとく寛いでおります。」

ヴァレリーは、レアンドルと二人きりの時だけは別人のような慇懃さであった。


ヴァレリーは兄レアンドルが好きだった。尊敬していた。

実はレアンドルは庶子であった。

庶子、つまり側室の子である。

レアンドルの母オレリアは、前国王バンジャマンの正室アレットの侍女であった。

バンジャマンが太子の時に西の海洋国家エーデランドとの間に平和条約が結ばれた。

その時にエーデランド王室の外戚にあたるアップルトン家から嫁いできたのがアレットである。

大恋愛の末の結婚だった。

しかしアレットは、3年後長女ヴィクトリーヌを産むと帰らぬ人となった。

幼少から姉妹同然に育ってきたオレリアには、耐えられぬ出来事であった。

同様にバンジャマンも、最愛の妻を亡くし悲歎に暮れた。

そんな二人が慰めを求めたのは、無理からぬ事であったろう。

たった一夜の事であった。

しかし、オレリアは懐妊した。

当初、オレリアは懐妊を知らせず、一人王宮を出て市井に暮らそうとした。

しかし、アレットの妹であるカロリーヌが、半ば押し掛け女房のようにバンジャマンに嫁ぐ事となり、オレリアにカロリーヌの侍女となるようアップルトン家から指示が出た。

実は、アレットの妹であるカロリーヌも、姉が嫁ぐ以前からバンジャマンに想いを寄せていたのであった。

バンジャマンの想いが姉に有ると知り、カロリーヌは自分の想いを秘め、二人を祝福した。

自身も仲の良い姉を亡くし傷ついたが、バンジャマンの心の痛みは幾ばかりであろうとブランシュへやって来たのだが、バンジャマンの顔を見ると、封じていたはずの恋心に火が着いてしまった。

強引に父母を口説き、バンジャマンに嫁ぐと決めてしまった。

バンジャマンも、カロリーヌの明るさに慰められ、妻とすることを決めた。

立場がなくなったのはオレリアであった。

主人の夫と通じただけでも心が張り裂けそうなのに、アレット同様に姉妹のように目をかけてくれたカロリーヌに、バンジャマンの子を身籠っているなど言えるはずもなかった。

思い余ったオレリアは、自殺を考えた。

オレリアの様子がおかしいと侍女仲間がバンジャマンに告げ、バンジャマンがオレリアの部屋を訪れると、オレリアは短剣を手に泣き崩れていた。

バンジャマンが事情を問うとオレリアは泣きながらバンジャマンの子を身籠ったことを話した。

当初は、市井にて子を産み、ひっそりと暮らすつもりであったが、カロリーヌが嫁ぐ事となり、更にその侍女を命じられたことで八方塞がりになってしまった。

オレリアは、衝動的に自殺を図ろうとしたが、お腹の子が動いた事で我に帰った。

まだ子が動く月ではないのだが、オレリアにはそう感じられたという。

バンジャマンは、自らの心の弱さがオレリアを追い詰めたと悔いた。

そして全てをカロリーヌに打ち明けた。

黙って全てを聞いたカロリーヌは、オレリアにこう言った。

「私も姉の死を利用しているのかもしれません。私にはバンジャマン様もオレリアも責めることは出来ません。こうなったからにはオレリアはバンジャマン様の側室となってもらいましょう。良いではないですか?オレリアは私にとっても姉にとっても妹のようなもの。この際三姉妹全てバンジャマン様に面倒見て貰いましょう。」

そう言ってカロリーヌは微笑んだ。

この逸話は、後世まで語り継がれ、ブランシュの賢妻賢母の代名詞として「カロリーヌ」という名前がもてはやされることとなった。

しかしオレリアは、せめて生まれる子供が女児であることを願った。

王位継承権者とならないことを望んだのだった。

しかし翌年産まれた子は男児だった。

「カロリーヌ様に申し訳ない・・・」とオレリアは泣いた。

「何を言うの?オレリア、王家にとって元気な男児は何人いても良いことです。よく頑張りましたね。」

カロリーヌは、男児出産を我が事のように喜んだ。この時、カロリーヌも懐妊しており、翌年男児が産まれた。

そしてオレリアが産んだ男児かレアンドルと名付けられ、カロリーヌが産んだ男児がヴァレリーと名付けられた。


「ヴァレリー、「陛下」は止めろと何度も言っている。」

「申し訳ありません。しかし兄上が良くないのですよ。余計なことを考えずに国王の責任を全うしていただければ良いのです。」

「決めたことだ。」

「兄上も頑固だ。」

そう言って二人は笑った。

「ところでかの御仁をどう扱うつもりだ?」

「ロジリア国王にしてやろうかと考えております。」

ヴァレリーは、当然のように即答した。

「今のまま第一王子のニコラスが王位につけばロジリアとの戦は終わりが見えないでしょう。しかしユリチャーノフに加勢して王座をくれてやれば、一時的にでも戦争は終息すると思います。」

「しかしかの御仁は王座には色気がなさそうだが?」

「なに、尻を叩けばなんとかなります。もちろん、正攻法で攻めても、ユリチャーノフが反乱したと思われるでしょうから策が必要ですが、まあ、なんとかなりますよ。」

「わかった。任せる。私はダレツに専念させてもらう。」

この時期、ブランシュは北のロジリアの他に、西のダレツ王国とも小競り合いが続いていた。

ロジリア同様、ダレツも南方の港を欲していた。

ロジリアは北方の海に面しているが、冬は海が凍りつき、船舶を使用できない。

そのため、不凍港を求めたのだった。

ダレツもほぼ同じような理由だったが、内陸の国家であるダレツは、経済振興のために貿易港を欲していた。

ダレツの南方には、急峻な山々や砂漠地帯が広がっていたため、侵略するには難しかった。

仮にダレツ南方の国々を打ち負かしたとしても、人種も風俗も言葉も違い、治めるに困難な地域だったのだ。

必然、矛先はブランシュに向いた。

大陸西部において進んだ文化を持つブランシュは、それだけで侵略の対象とする価値があったのだ。

現在、ダレツ対策として、国境の都市サボワールに城塞の建設が進んでいた。

ダレツ軍の攻撃に対処しながらの城塞建設であったため、困難な工事で時間もかかったが、おおよその目処が付きつつあった。

レアンドルは、頻繁にサボワールに足を運び陣頭指揮にあたっていた。

城塞を築いてしまえば、ダレツとの関係改善の策はいくらでもあるというのがレアンドルとヴァレリーの共通した認識であった。

レアンドルは、サブレナでのロジリア対策をヴァレリーに任せサボワールに向かった。

ヴァレリーもサブレナの守りをラッセルに任せて至近のプーリー城に入った。


「してヴァレリー殿下、いかなる策を?」

ヴァレリーの腹心であるアルフィオが問うた。

ヴァレリーは、会議を開く際、円卓を使うことを好んだ。

なるべく身分に囚われない自由な発言を望んだためである。

後にこの円卓は「ヴァレリーの円卓」と呼ばれる事となる。

「先ずは現皇帝のスタニフラブの病状とニコラスの評判を調べる。アルフィオ、ロマリオを呼んでくれ。」

「かしこまりました。」

ヴァレリーは、密偵のロマリオを呼んだ。

「ロマリオ、7日で皇帝スタニフラブとニコラスの様子を探れ。どうもニコラスは皇帝の座を手にするために何か仕組んでいる節がある。」

「それはどう言うことですか?」

「スタニフラブが病を得たと同時期にニコラスがユリチャーノフを勝ち目のない戦に追いやっている。これまで三度ユリチャーノフはブランシュとの戦を指揮しているが、ろくな将を連れていない。スタニフラブの指示ならば、三度も同じような負け戦を指示するとは思えない。」

「つまりここ三度の戦は、ロジリアの国策ではなく、ニコラスがユリチャーノフを体よく葬り去ろうとしている私怨だと?」

アルフィオがその厳ついアゴを撫でながら言った。

「私はそう見ている。そして、その私怨にスタニフラブが関われないようにしている。軟禁か・・・既に暗殺したとも考えられる。」

「流石にそこまでは・・・」

マルクが絞り出すように言った。

「何れにしてもニコラスの皇帝継承に不都合な何かが有ると踏んでいる。ロマリオ、日がないが急ぎ向かってくれ。」

「かしこまりました。」

そう言うとロマリオは音もなく部屋を出た。

「シルベーヌ。」

「はい、殿下。」

「リノへ遣いに行ってくれ。」

「リノへで御座いますか?」

「次の戦でロジリアとの決着をつけたい。オーレリアンの力が要る。」

「かしこまりました。」

オーレリアン・バルバストル。

レアンドルとヴァレリーの弟である。

現在は、レアンドルに王位を禅譲した前国王のバンジャマンに従って南方の要所リノにいる。

海賊や南方大陸からの掠奪者に悩まされていたリノは、バンジャマンが南方総督として赴任してから劇的に変わった。

バンジャマンとオーレリアンは、軍を再編し海岸線に要塞を築き、海賊と結んでいた悪徳商人を徹底的に調べあげ取り締まった。

その過程において、オーレリアンは、数々の武勲を上げた。

また、南方総督代理として、リノを中心とする南部5州を統括し、その政治手腕は卓越したものであった。

まだリノへ赴任して5年。

まだ23歳のオーレリアンであったが、一部ではリノ王とまで言われていた。

シルベーヌは即日リノへ出発した。

リノまでは7日の行程であった。

広いブランシュの最北から最南端までの行程である。通常ならば2週間はかかる。

シルベーヌは、乗馬術に卓越したもの5名を選りすぐり、空馬を連れて乗り換えながら7日で走破しようと思っていた。

初日の夜営のために火を起し、テントの準備をしていると、前方から多数の馬の足音が近づいてきた。

「こんな夜更けに・・・野盗の類いかもしれん!」

シルベーヌ他5名は剣を抜き放ち身構えた。

一団が近づくと、先頭の男が声をかけた。

「シルベーヌ?シルベーヌではないか!」

「何奴⁉」

男は馬を降りて近づいてきた。

火に照らされた男の顔を見てシルベーヌは驚いた。

「オ、オーレリアン様!」

「こんなところで何をしているのだ?シルベーヌ?」

「オーレリアン様こそなぜこの様なところへ?」

「ああ、リノは平和すぎてな。暇をもて余してたから兄上の手伝いでもしようかとやって来た。」

(なんとこのご兄弟は・・・)

「とりあえずその物騒なものをしまってくれないか?」

シルベーヌは、抜き放った剣に気付き、慌てて鞘に納めた。

「失礼いたしました。実はヴァレリー殿下の命でオーレリアン様をお迎えに伺うところでした。」

「ほう、退屈しのぎにと思っていたが、いよいよロジリアに引導を渡す所存のようだ。ちょっと忙しくなるかな?」

オーレリアンはそう言って笑った。

「レクター!ミリウス!急ぎ帰ってヴァレリー殿下にこの事をお伝えせよ!」

シルベーヌは、二人の騎士に命じた。

「一日駈け通しのところ済まぬな。」

オーレリアンが二人の騎士に声をかけた。

「滅相も御座いません。」

「身に余る御言葉!」

そう言ってレクターとミリウスは馬に飛び乗り来た道に消えていった。

「我々も直ぐ様向かいたいところだが、駈け通しでな。腹も減ったし一夜夜営していくか。ここにシルベーヌが居ると言うことは、少なく見積もっても14日程は猶予が有ると言うことだろう?」

シルベーヌは、さすがオーレリアンだと思った。片道7日を予定していたのだから、1日と違えていない。

「マリユス!」

オーレリアンは一人の少年を呼んだ。

「はい!オーレリアン様!」

「シルベーヌ、この者はな、滅法乗馬が上手い。まだ15歳だがリノでマリユスに勝てる馬乗りは居ないぞ。私もマリユスには勝ったことがない。」

はにかむように頭を掻く少年は、どう見てもオーレリアンを負かすようには見えなかった。

「マリユス、夜営するぞ。腹が減った。何か作るから火を起こせ。何時もの段取りでな。」

「オーレリアン様が料理するのですか⁉」

シルベーヌは聞き違いかと思い聞き直した。

「ああ、趣味でな。」

マリユスはテキパキと火を起し、折り畳みのテーブルを組み立てた。

「オーレリアン様!鹿を射止めました!」

そう言ってオーレリアンの配下が立派な男鹿を担いできた。

「デュドネ、手柄だな。」

デュドネと呼ばれた巨漢が、手際よく鹿を解体し始めた。

「いつの間に・・・」

シルベーヌが目を丸くして驚いた。

「そろそろ夜営するかと言ってたところだ。食材調達はデュドネの仕事だからな。」

そう言ってオーレリアンは笑い、マリユスやデュドネもまるで宴会でも始めるかのように嬉々として動き回った。

(レアンドル、ヴァレリーが居なくてもオーレリアンが居る。)

これはブランシュにおいて、半ば公然と囁かれる人物評である。

シルベーヌは、「そんなことはない、レアンドル陛下はともかく、ヴァレリー殿下を貶めるような言動は許さない!」と憤激していた。

しかし、今の状況を見れば、あながち間違いではないと思えてしまうことに悔しさが滲んだ。

オーレリアンは、配下にテキパキと指示を出しながら、自ら大振りなナイフを持ち大まかに解体された鹿を捌いていく。

直ぐに良い匂いが漂ってきた。

「これだけ立派な鹿ならばシラーが飲みたいところだな。」

「オーレリアン様、夜営でそれは贅沢です!」

「違いない。」

オーレリアンと配下の者たちはピクニックでも楽しむかのように夜営とは思えない食事を作り上げた。

そして、本当にピクニックのようにワイワイと楽しげに食事を楽しんだ。

シルベーヌも相伴に預かりながら、疑問を感じていた。

(先程感じた畏怖の念は思い違いであろうか?このような弛さでロジリアと戦えるのか?)

しかし、後日シルベーヌは、オーレリアン達の実力に驚嘆することになる。


「兄上!お久しゅうございます!」

翌日オーレリアンは、シルベーヌに伴われプーリーに到着した。

「これはリノ王!わざわざ迎えをやる必要は無かったようだな。」

そう言って笑うヴァレリーに、オーレリアンは苦笑しながら応えた。

「リノ王はやめてください・・・レアンドル兄上に睨まれます。」

「なに、レアンドル兄上自らリノ王と言ってたぞ。よく来てくれた。」

二人はガッチリと握手を交わした。

ヴァレリーとオーレリアンは2つ違いである。

オーレリアンの下に、弟が一人と妹が3人居る。

母の違う長女ヴィクトリーヌとレアンドル以外は、全てカロリーヌの子である。

そしてオーレリアン以下の5人は、全てバンジャマンの元リノに居た。

「父上と母上は息災か?妹達も元気にしているか?」

「はい、リノは温暖ですから風邪をひくこともなく皆息災です。」

「それは何よりだ。」

何気ない兄弟の会話は、王族でも庶民でも変わらないものだとシルベーヌは感じた。

それにしても国王レアンドルを含め、仲の良い兄弟だと思った。

周辺の国々からは、多かれ少なかれ王位をめぐる兄弟不和の話が聞かれる。

シルベーヌは、これも前国王のバンジャマンの人徳なのかと思った。


オーレリアンがプーリーに到着した頃、ロマリオはロジリア領クルメチアにいた。

クルメチアは、元々独立国であったが、ロジリアの侵略により属領となっていた。

そして、ユリチャーノフの母はクルメチアの元王女だった。

正確に言えば。ブランシュとロジリアは国境を接していない。

このクルメチアが両国の間に存在していた。

それだけにクルメチアは歴史的にブランシュ、ロジリアの両国にたいして玉虫色の政治手段を展開してきた。

痺れを切らしたロジリアが、クルメチアを侵略、併呑した格好であった。

そういった経緯から、クルメチアにはロジリアからの独立を求める声がしばしば上がったが、その都度ロジリアに鎮圧されてきた。

クルメチア出身の母を持つユリチャーノフが、兄

ニコラスから嫌がらせを受けるのも、それが一つの理由であろう。

そしてロマリオは、クルメチアのレジスタンスと接触していた。

「そろそろ目隠しを外してもらえないか?」

ロマリオは、レジスタンスと接触するために、クルメチアの情報屋を頼った。

この情報屋は、ブランシュの諜報活動でも利用していたから馴染みがあったが、さすがにレジスタンスと接触するためには、目隠しをされ両手を拘束されるはめになった。

「申し訳ないがもう暫くはそのままでいてもらいたい。リーダーの判断を待つ。」

レジスタンスの幹部だという男は、言葉は丁寧ながら明確にロマリオの要求を拒んだ。

(顔を見られては不都合があるということか?つまり、クルメチアの元王族かそれに連なる者なのか?)

そうであっても不思議はない。

ロジリアは、クルメチア併呑にあたって、一部の王族をロジリア貴族に任じたが、多くのクルメチア人は、まるで奴隷のように扱われた。

そしてこれまで何人もの有能な指導者が罪を捏造され投獄、処刑されていた。

慎重に過ぎるということはないであろう。

そうこう自分の考えに耽っていると、ドアの開く音とともに、部屋に居た数人のレジスタンスが立ちあがり、入ってきた者に敬礼を施すような物音が聞こえた。

「ブランシュの密偵だというのはお前か?」

意外にも穏和な声音の持ち主だった。

「密偵というのは些か違うと思うが、ブランシュ国王レアンドル陛下の弟にして、ブランシュ国軍第一師団『白狼隊』の隊長であるヴァレリー閣下の遣いが密偵と申されるならばその通りだ。」

「ははは、済まぬな、悪気はないのだ。おい、目隠しと縄を解いて差し上げよ。」

ロマリオは、ようやく相手の顔を見ることが出来た。

そのレジスタンスのリーダーの顔を見てロマリオは驚いた。

「あ、あなた様は!」

クルメチアの元王室には剣聖と呼ばれる男がいた。

ロジリアとの数々の戦場で孤軍奮闘し、散々にロジリア軍を苦しめた。

一時期、ブランシュはクルメチアに援軍を送ったこともあり、その縁もあってその男はブランシュを訪れたこともあった。

まだ少年のヴァレリーは、無謀にもこの男に剣の勝負を挑み、散々に打ち負かされたこともあった。

ロマリオは側でそれを見、その男の美しい剣技に見とれたのだった。

「スバニール将軍ではありませんか!」

「ほう、私を知っていたか?」

「もう大分昔になりますが、将軍がブランシュを訪れた際ヴァレリー閣下が無謀にもあなた様に挑まれた事がありました。私は側でそれを見ておりました!将軍の剣筋の美しさに、ヴァレリー閣下を応援することさえ失念した事を覚えております!」

「そうであったか、懐かしい話だ。」

「しかし将軍はクルメチア降服後、戦犯として処刑されたと聞いておりましたが?」

「まあ、話せば長くなるが、こうして生きている。日陰者ではあるがな。」

そう言ってスバニールは苦笑を浮かべた。

「この者は敵ではない。皆剣を仕舞え。ロマリオと言ったか?歓迎しよう。」

その後4日間、ロマリオはレジスタンスと行動を共にしロジリアの情報を探った。

そしてヴァレリーの指示通り7日目にプーリーへ戻った。


「ヴァレリー閣下、ロマリオが戻りました!」

「直ぐに通せ。」

伝令の報告にヴァレリーは即答した。

そして直ぐにロマリオはヴァレリー達の待つ円卓の間に現れた。

「ヴァレリー閣下、ただいま戻りました。」

「ロマリオ、ご苦労だった。」

「閣下、実は懐かしい方をお連れしました。」

ロマリオは入り口を振り返った。

そこにはスバニールが立っていた。

「スバニール将軍!スバニール将軍ではありませんか!生きておいででしたか!」

「ヴァレリー閣下、お久しゅうございます。この通り生き長らえております。」

ヴァレリーはスバニールに駆け寄り、力強く手を握りしめた。

「クルメチア陥落の後、処刑されたと聞いておりました!」

「はい、首に縄を掛けられましたが、部下たちが救出してくれました。実はロジリアからはロジリア貴族に任じるとの話があったのですが、それはブランシュ侵攻の先鋒になれと言うことでした。祖国を蹂躙した国に従うくらいならば死んだほうがマシだと断ったのです。その結果縛り首でした。私が逃げ出した後、体面を繕うためでしょう、私は処刑されたと発表されました。」

「そうだったのですか⁉」

「今はクルメチア復活のため、レジスタンスを率いております。」

ヴァレリーは、円卓の一席をスバニールに勧めると、自らはその隣に腰を下ろした。

「シルベーヌ!ユリチャーノフ殿下をお呼びしろ!」

ヴァレリーの言葉にスバニールか驚きの顔を見せた。

「ユリチャーノフ殿下がここにいらっしゃるのですか⁉」

ユリチャーノフは、ロジリアの第2王子であるが、その母はクルメチアの王女だった。

スバニールにしてみれば、主君のようなものだったし、ロジリアで不遇を囲っているのではないかと心を痛めていた。

ユリチャーノフが幼い頃ではあったが、面識もあり遊んでやった事もあった。

程なくユリチャーノフが円卓の間に入ってきた。

「スバニールか!スバニール!やはり生きていたか!」

「ユリチャーノフ殿下はスバニール将軍が処刑直前に救出されたことをご存じなかったのか?」

ヴァレリーの問いかけにユリチャーノフはスバニールの手を固く握りしめたまま答えた。

「救出されたことは知っていた!しかしロジリアの追跡にあい、渓谷に落ちたと聞いていた!」

ユリチャーノフの言葉にスバニールは頷いた。

「確かに谷に落ちました。しかし悪運強く、腕を骨折しただけで命は長らえました。深い谷でしたから追跡の者達も生きてはいまいと思ったのでしょう。」

「何にしても生きていて良かった!・・・ロジリアの王子たる私が言うのもおかしな話ではあるが・・・」

ユリチャーノフの言葉に笑いが起きた。

「ユリチャーノフ殿下、いかがであろう?このままロジリアの王子として居るのであれば、やはりあなたはブランシュにとって捕虜でしかありません。しかし・・・」

ヴァレリーがいたずらな表情で続けた。

「しかし、クルメチア復興の旗印となるのであれば、ブランシュは全面的にお助けすることをお約束いたします。」

「な、なんと!」

「閣下!そなような!」

皆口々に驚きの声を上げた。

「ヴァレリー閣下、陛下に無断でそのようなお約束は・・・」

シルベーヌが心配を口にした。

「大丈夫だ、レアンドル陛下からはロジリアについては一任されている。それにな、本音を言えば、ロジリアと直接国境を接するよりもクルメチアが間にあった方が将来的にブランシュ北方の脅威は減る。ユリチャーノフ殿下とスバニール将軍の前で言うのもなんだが、それがブランシュの利益だとわかってもらった方が余計な詮索をしなくて済むであろう?」

「なるほど・・・」

スバニールが考え深げに頷いた。

「・・・」

ユリチャーノフは目をつむり腕を組み唸っている。

「・・・このままロジリアの王子として生きていても、クルメチアの血を引く私はニコラスにとって邪魔者でしかない。ならばクルメチアを復興させるという話は心踊る話である・・・が・・・」

「母后マリリア様の事ですね。」

ヴァレリーがユリチャーノフの心配事を的確に言い当てた。

「確実なお約束は出来ませんが、母后を救出する算段はあります。」

ヴァレリーの言葉にユリチャーノフは色めき立った。

「それは真ですか!」

「思いがけずスバニール将軍との繋ぎ、つまりレジスタンスとの繋がりを得ることが出来ました。これでかなり成功率は高くなったと言えるでしょう。」

「どのように!どのようにすれば良いのだ⁉」

ユリチャーノフの勢いに、ヴァレリーは苦笑を浮かべながら言った。

「ユリチャーノフ殿下には一度死んでもらいます。」

息を飲むユリチャーノフに対して、スバニールはニヤッと笑みを浮かべた。

「まあ、落ち着いて聞いてください。」

ヴァレリーは計画を話し出した。

(悪戯っ子の悪巧みか?)

オーレリアンは、ヴァレリーの思案が何となく分かるようだった。

(ヴァレリー兄上も意地が悪い。しかしスバニール将軍は意図を察したようだ。さすがだな・・・)

こうして『円卓の悪巧み』は進み、ユリチャーノフは、ロジリアと決別しクルメチア再興の盟主となることを選択した。


「何っ!ユリチャーノフがブランシュに処刑されたというのか!」

ニコラスは、ブランシュに放った密偵からの報告に我が耳を疑った。

ニコラスは、ブランシュに捕らえられたユリチャーノフがそのまま死んでくれれば良いと思っていた。

しかし、こんなにも早く目障りな弟が死んでくれるとは思ってもいなかった。

これでロジリアの王位継承権者は自分だけだ。

正確には年の離れた弟がいるが、変わり者でまるで権力には興味がないようだ。

ユリチャーノフを可愛がっていた父王には、少しずつ毒を盛り、もうまともな判断力を持たないまでに弱らせた。

ユリチャーノフが死んだ今、父王は不要になった。

近々最後の毒を盛ってやろう、そうすればロジリアは自分の物だ。

ニコラスは、一人ほくそ笑んだ。

そうだ、ユリチャーノフの母親はどうしてやろう?

何か理由をつけて殺してしまうのは簡単だ。

しかし、自分の母親に、国王の正妻である我が母に辛い思いをさせた女だ。

簡単に殺してしまっては面白くない。

もちろん、ユリチャーノフの母は自らそうしたのではなく、父王が無理矢理クルメチアの王女を屈服させたという事実はある。

父王は他にも側室を囲ったが、男児を成したのはマリリアだけだった。

それだけでも罪深い。

ニコラスは、真っ黒な想念にとらわれ始めていた。

そうだ、クルメチアにユリチャーノフの墓を作ってやろう。

そこにあの女を住まわせよう。

見窄らしい墓と住まいを与え、奴隷のような暮らしを与えてやろう。

そうだな、ついでにクルメチアの者共は全て奴隷にすることにしよう。

ユリチャーノフもマリリアも元クルメチア国民の怨嗟の的にしてくれよう!

ニコラスは一人どす黒い歓喜の中で笑い続けた。


半年後、ロジリア皇帝スタニフラブが死んだ。

病死と発表されたが、その実はニコラスによる毒殺であった。

ニコラスは、直ぐ様第9代皇帝に即位し、ユリチャーノフ派であったもののみならず、前皇帝の側近であった者達まで粛正し始めた。

そのため、国政運営に支障をきたしたが、ニコラスは意に介せず、クルメチア政策の変更を明言し、前皇帝が与えた旧クルメチア王族等へのロジリア貴族称号の剥奪と、属州クルメチアへの追放を実行した。

そして、ユリチャーノフの母、マリリアには名目上ユリチャーノフの墓をクルメチアの旧首都ザクナールに建立するため、そこで息子の墓を守るが良いとしてクルメチアに追いやった。

ザクナールに到着したマリリアは、王族の墓とは呼べぬ荒れ果てた野に石が積んであるだけの墓標を前に泣き崩れた。

更に、そのすぐそばにある馬小屋のようなあばら家が住居だと言われ呆然とした。

侍女どころか、使用人一人も付けられず、荒野に一人放り出されたのであった。

火を起こすすべもなく。有ったとしても、王宮暮しのマリリアにはどうして良いのか分からなかった。

懐には護り刀が有った。

もう、このままユリチャーノフの元に行こう。

そう思い、小刀を鞘から抜いた。

「マリリア様。」

小屋の外から呼ぶ声に気付いた。

「誰か?」

誰でも良い。苦しまず殺してくれるならば・・・

そう思った。

「マリリア様、スバニールにございます。」

スバニール?

死んだスバニールが迎えに来てくれた。

ならば自分はもう死んでいるのか?

「マリリア様、失礼いたします。」

そう言って小屋の戸がガタガタといいながら開いた。

手明かりに照らされていたのは、紛れもなくスバニールの顔だった。

「スバニール・・・」

「マリリア様、早まってはなりません。ユリチャーノフ殿下は生きておいでです。」

一瞬マリリアはスバニールが何を言っているのか分からなかった。

「ユリチャーノフ殿下は生きておいでです。」

スバニールは繰り返した。

「真ですか⁉」

「はい、ユリチャーノフ殿下は、クルメチア再興の盟主となるべく、ブランシュの協力の元、ブランシュ北部のプーリーにてマリリア様をお待ちになっております。」

その言葉を聞いて、マリリアは気が抜けたようにへたりこんだ。

「マリリア様、監視の兵を排除しております。定時連絡が無ければ、追手がかかるでしょう。直ぐにここを脱出いたします。さあ、お急ぎください。ご無礼ながら、馬に同乗していただきます。暫くご辛抱願います。」

スバニールは、そう言うとマリリアを抱き上げ、自分の馬に乗せ、懐に抱えるようにして走り出した。

付き従うのはたった5騎の元クルメチア騎士だけだった。

スバニールは、休むことなくブランシュ国境まで一昼夜走り続けた。

しかし馬が持たなかった。

国境まであと10キロほどのところで馬が潰れた。

そこからは歩いて、あるいは走っての逃避行であったが、王宮住まいのマリリアの足は弱く、ついには後方に追手の巻き上げる砂塵が見えてきた。

ここに来るまでに次々に同行の騎士達の馬も潰れていたため、追い付かれるのは時間の問題であった。

そしてついにスバニール達はロジリアの追手に囲まれた。

「貴様!スバニールか!生きておったのか!」

追手の指揮官は、スバニールを知っていた。

そうであろう。

過去何度もスバニール一人のためにロジリア軍は煮え湯を飲まされてきた。

末端の兵士までもスバニールの顔を知っていたのであった。

「これはこれは、私もまだまだ名が廃れてはおらぬようだ。」

スバニールは、後ろ手にマリリアを庇いながら脱出の手段を探っていた。

「その女を渡してもらおう。」

「渡したら私は見逃してもらえるのかな?」

身を守るのは腰の剣一本。

同行の騎士達も、腕の立つものばかりを揃えてはいるが、追手は50人を下らないであろう。

マリリアを庇いながらの立ち回りは、万に一つも勝ち目がなかった。

「何を馬鹿な!ついでの手土産にその首貰い受ける!」

言うやロジリア兵は抜剣し、斬りかかってきた。

数合打ち合い、数人を倒したが、形勢は不利になるばかりだった。

「私を置いて逃げなさい!私はここで死にます!」

「何をおっしゃいます!」

マリリアをスバニールは諌めたが、同行の騎士達は次々に打ち倒され、ついにスバニールとマリリアだけになってしまった。

(これまでか!)

そう思った時、スバニールの後方から、ヒュッと何かが宙を走り、敵兵に突き刺さった。

それは紛れもなく矢であった。

そして次々と射掛けられた矢が、敵兵の数を減らしていった。

「スバニール将軍!お待たせいたした!」

「オーレリアン閣下!」

「待ちきれずお迎えに参りました!」

オーレリアンに率いられたブランシュ隊は、一頻りロジリア兵に矢を射ると、抜剣して襲いかかった。

マリリア追跡のために軽装であったロジリア兵は、正規武装の騎馬兵に敵うはずもなかった。

あっという間に打ち倒され、指揮官一人を残すのみとなった。

「逃がしてやろう。」

「馬鹿なことを!このままおめおめと帰れるかっ!」

オーレリアンの言葉に指揮官は刃こぼれの激しい剣を構えた。

「何も善意で命を助けてやろうというのではない。

帰ってニコラスに伝えるが良い。ブランシュは、ユリチャーノフ殿下のクルメチア復興のためお手伝いをさせていただくことにした。

もちろんユリチャーノフ殿下は生きておいでだ。密偵はもう少し優秀なものを揃えた方が良いとオーレリアンが言っていたとも伝えてくれ。」

そう言うと、オーレリアンは撤退を指示した。

「わざわざマリリア様をクルメチアまでお連れいただき感謝するとニコラス皇帝陛下に伝えてくれ。

おかげで救出が楽になった。」

スバニールはオーレリアンが率いてきた馬に跨がり、マリリアを懐に抱えながら言った。

追跡の指揮官は、砂塵をあげて遠ざかる一団を呆然と見送った。


少し前。

「ロジリア側の国境守備はどうだ?

可能であればクルメチアへ侵入してスバニール将軍達を援護したいが?」

オーレリアンは、国境にスバニール等が現れたなら敵の砦に取付き、スバニールらを援護する算段であった。

しかし、砦攻略に時間を費やせば、救出は困難になることは明白であった。

ロジリア側は、これまでブランシュ側から領内に進攻する事が無かったため、防御壁は有ったが決して堅固な物ではなかった。

また、レジスタンスが内側から内応する段取りであったため、脱出路の確保は難しくないと判断していた。

しかしオーレリアンは、なるべく早くスバニール達の安全を確保したかった。

そのため、クルメチア内陸までの突入を試みるつもりだった。

もちろん失敗すれば、スバニール等の脱出は、更に困難になるだろうと思った。

しかし、密偵から敵陣の様子を聞き、オーレリアンは突入進攻を決断した。

「良いか!デュドネ率いる本隊は砦攻略に当たれ!城門の破壊と脱出路の確保が成されればそれで良い!深追いはするな!私は200騎を率いてスバニール将軍達を迎えに行く!帰るまで脱出路を死守せよ!」

「畏まりました!しかしオーレリアン閣下!可能な限り路を拡げておきます!焦らず帰られませ!」

デュドネは、オーレリアンの部下の中でも城塞攻撃には定評があった。

また、デュドネの配下も強者揃いだった。

オーレリアンは、無理をしないように釘を刺すつもりであったが、多分帰る頃には砦は完全に墜ちているだろうとも思った。

「デュドネ、なるべく兵を損なうなよ。

よし!クルメチア進攻を開始する!全軍進め!」

オーレリアンの号令のもと、ブランシュ軍2000がクルメチア国境の砦へ進攻した。


「グスマン様!ブランシュが攻めて参りました!」

ロジリア軍国境守備隊の見張りが慌ただしく守備隊長のグスマンに報告した。

「何だと?やれやれ、ロジリアの貴族様から死ねと言われる前にやって来ちまったか・・・」

グスマンは、見張りの報告にため息混じりに腰を上げた。

櫓に上がると、ブランシュ方面から大量の砂塵が巻き上がるのが見え、騎馬の嘶きが聞こえてきた。

「こりゃぁ守備隊の500では太刀打ちできる数じゃねーなぁ・・・」

グスマンと彼の部下達は、前皇帝スタニフラブ側近であったバリバーノ将軍の一軍であったため、バリバーノが粛正された後、ブランシュとの最前線に送られていた。

「なあみんな。」

グスマンは、彼の部下達にのんびりとした口調で話し出した。

「どうせ俺たちゃぁ次の戦で真っ先に命を落とすことになる。しかしどうだろう?ここで意味もなく死ぬくらいならブランシュに降っちまわないか?」

「グスマン隊長!それではロジリアはともかく、祖国クルメチアの英霊に申し訳がたちません!」

「まあそうなんだがな、元々クルメチアはブランシュと良好な関係だったし、その祖国を潰したのは他ならぬロジリアだ。バリバーノ将軍はロジリア人だがクルメチアに良くしてくれたから俺たちゃぁ付いてきた訳だ。

そのバリバーノ将軍もロジリアに殺され、軍上層部もニコラス一色になっちまった。

まあ、一時は捕虜となっても、戦が終わったら土地を貸してもらって畑仕事でもさせてもらえるよう交渉くらいは出来んじゃねーか?ブランシュのヴァレリー候は出来た人物らしいぜ。」

そうこうしている間にも、ブランシュ軍は目と鼻の先まで来ていた。

「まあ、なにもしないのも芸がないからな。敵さんの大将と話でもしてみよう。

おい、休戦旗を上げろ。」


「オーレリアン閣下!敵の砦に休戦旗が上がっています!」

「ほう?何かの計略か?」

デュドネの言葉にオーレリアンは、敵の計略を疑ったが、直ぐにその考えを捨てた。

ロジリアはニコラスが新皇帝となり、ニコラスに否定的な者には粛正の嵐が吹き荒れた。

その結果、軍上層部に人材が不足し軍事行動に支障を来すレベルであった。

レジスタンスからの報告により、それは容易に想像がついた。

更に、粛正された将軍等に連なる部隊は最前線に送られ、次の開戦時には真っ先に突撃の命が下るだろうと思われていた。

その状況を鑑みるに、最前線の兵達には戦意の欠片もないと思われる。

オーレリアンは、休戦旗は事実上白旗であると考えた。

オーレリアンは、砦の直前に隊列を整え、砦からの動きを待った。

間も無く砦の門が開き、一人の男が歩いてきた。

オーレリアンの前30メートル程の所で立ち止まり声を発した。

「私はロジリア軍クルメチア領駐屯隊所属カルカヘナ砦守備隊隊長のグスマンと申す。ブランシュの方々へお尋ねする!何故ロジリア領に踏み込まれたか!」

グスマンの言葉にデュドネが応えた。

「ブランシュ南方総督オーレリアン閣下の臣、デュドネと申す!何故とは片腹痛い!そもそも頻発に国境を侵してきたのはロジリアではないか!どの口が囀ずるか!」

そりゃそうだな。

グスマンは、自分の論法に何ら正当性が無いことは分かっていた。

「いかにもその通り!従って非難するつもりなど無い。が、この地を任されているからには体裁は繕わねばならぬのでな!ご容赦頂きたい。」

面白いやつだな。

オーレリアンは興味が湧いた。

「マリユス、茶にしよう。テーブルを出せ。」

「ここでで御座いますか?」

「そうだ。」

マリユスは首を傾げながらそそくさと準備を始めた。

オーレリアンは、馬から下り、デュドネの隣へ立った。

「砦の隊長殿。一緒に茶でも如何ですか?」

オーレリアンはまるで友人を誘うかのような口調で誘った。

「ブランシュの指揮官殿とお見受けする。お名前を伺っても宜しいか?」

「オーレリアンです。オーレリアン・バルバストル。一応王弟です。」

なんと!オーレリアンと言えば若くして前国王のバンジャマンと共に南方のリノにて数々の武勲を上げ、まだ20代とは思えぬ統治能力で海賊などに荒らされていたリノを繁栄させた男ではないか!

グスマンは、これはどうあがいても勝ち目はないと諦めた。

「光栄です。オーレリアン閣下。天に召されたのち、先に行った者達に自慢できます。」

「まあ、そう構えずに。」

オーレリアンは笑いながらテーブルに導いた。

テーブルには、これから戦闘を始めるかもしれぬというのに、場違いなほど華麗なティーカップが並べられ、茶菓子まで用意されていた。

「デュドネ、お前も座れ。」

「茶席は苦手に御座います。」

「作法など要らぬ。座れ。」

しぶしぶデュドネは席についた。

グスマンも促されて席についた。

「隊長殿はクルメチアの方ですか?」

唐突にオーレリアンがグスマンに尋ねた。

カップから香しい湯気が立ち上っていた。

「はい。砦の者達は皆クルメチア人です。」

「ならばブランシュと本格的に戦になれば真っ先に矢面に晒されますね。」

グスマンに言葉はなかった。

ブランシュにさえクルメチア人の窮状は知られている。

それほどロジリアのクルメチア政策は酷いものなのだと思ってしまう。

「グスマン殿はスバニール将軍をご存知ですか?」

グスマンは、とっさに何を聞かれているのか分からなかった。

「スバニール将軍というとクルメチア国軍のスバニール将軍ですか?」

「そうです。」

オーレリアンの言葉に、グスマンはスバニール将軍が生きていたなら、クルメチア再興も夢ではないだろうと思ってしまう。

その名前を聞いて、頬に涙が伝うのを感じた。

「ロジリアの追跡にあい、谷底に墜ちて亡くなられたと聞いております・・・」

「生きています。」

グスマンはオーレリアンが何を言っているのか分からなかった。

「スバニール将軍は生きています。」

「そんなはずは・・・」

いや、本当にそうであろうか?

追跡隊の報告で死んだことになっているが、実は取り逃がしたための虚偽報告ではなかったのか?

「ついでに言うと、ユリチャーノフ殿下もご存命です。いや、もう殿下ではありませんね、ユリチャーノフ殿は、クルメチア再興の首班に就き、クルメチアにおいてレジスタンス活動に身を置いていたスバニール将軍と連携してクルメチア解放軍を設立なさいます。」

次から次へオーレリアンの口から出る言葉は、グスマンを激しく揺さぶった。

「それは・・・それは本当の話なのですか?」

グスマンは自分の声が震えていることに気がついた。

「本当です。実はこの越境作戦は、スバニール将軍がユリチャーノフ殿の母后マリリア様を救出に赴き、その帰還のための援軍として出張って来た次第なのです。」

「その様なことが・・・」

考えれば尤もなことだ。

ユリチャーノフが生きていて、そのままロジリアに反旗を翻せば、間違いなく母后マリリアは処刑されるだろう。

マリリア救出のためには、マリリアの存在価値を無くさなければならない。

それにはユリチャーノフが死ぬことが最も手っ取り早い。

しかしこれは両刃之剣でもある。存在価値が無くなった途端、ニコラスはマリリアをあっさり処刑してしまうかもしれない。

しかし残忍な性格のニコラスは、簡単には死なせないだろう。

勝手に膨らませた憎悪をぶちまけるため、監禁するか、過酷な環境に落とすだろう。

それがヴァレリーの予測で、そしてその通りになった。

もっとも、ブランシュに近いクルメチアに追放するとは考えていなかった。

しかしそれがマリリア救出を比較的容易にさせたのだった。

「いかがであろうグスマン隊長?ユリチャーノフ殿はロジリアの王子として産まれたが、半分はクルメチアの血が流れている。そしてクルメチア王家の正当な血筋であるマリリア様も救出される。スバニール将軍の元、我々と共にクルメチア再興のため、戦ってはくれないだろうか?」

グスマンは、目を瞑りオーレリアンの言葉を反芻していた。

「ブランシュの利益は何でしょうか?クルメチアの領土を求めるならば、それはロジリアと同じだ。」

オーレリアンは、マリユスに茶の替わりを指示した。

「ブランシュは領土拡大を望んでいません。これはユリチャーノフ殿とスバニール将軍にも、我が兄ヴァレリーがお約束しています。ちなみにヴァレリーは、レアンドル国王よりロジリア戦略については一任されています。

まあ、本音を言えば、クルメチアが再興してロジリアとの防壁になってくれれば、ブランシュは国境防衛が楽になるということなのですよ。もちろん、クルメチアが安定しなければそれも叶いませんから、クルメチアと共にロジリアに当たるということには間違いはありません。」

グスマンはもう一度深く息を継いだ。

「否やは有りません。ユリチャーノフ殿下だけならいざ知らず、スバニール将軍までもが名を連ねる。どれ程険しい道のりになるか想像も付きませぬが、お断りする理由が見当たりませぬ。これから砦へ戻り、皆に話してきます。」

そう言ってグスマンはブランシュの陣を後にした。

暫くして砦からの大歓声が沸き上がった。

そして砦の門が開け放たれ、櫓には旧クルメチアの国旗が掲げられた。

擦り切れぼろぼろになってはいたが、間違いなくクルメチアの国旗であった。

再度砦を出てきたグスマンに導かれ、オーレリアン率いるブランシュ軍は砦へ入っていった。



「あの女をブランシュに奪われたと言うのか!しかもユリチャーノフもスバニールも生きていただとっ!」

ニコラスは、怒りに震えコメカミには血管が浮き出た。

激しく息をしながら、ニコラスは必死に感情をコントロールしようとした。

が、次の報告でそれも徒労となった。

「国境のカタルヘナ砦のクルメチア人500名が裏切り、ブランシュを領内へ導いた模様です。」

「殺せ!ユリチャーノフもスバニールも確実に殺せ!そしてブランシュだ・・・クルメチア人を絶滅させてからブランシュを滅ぼしてやるぞ!・・・しかし先ずはスバニールを生かしておいた追跡の部隊と、ユリチャーノフが死んだと報告してきた偵察隊の者達を処刑せよ!」

ロジリアは、ニコラスが即位してから粛正の嵐が吹き荒れた。

そのため、ニコラスに諫言するものが居なくなってしまった。

心あるものは宮廷を去るか、不興を買い処罰された。

今のロジリアには、ニコラスを止めるものは居なかったのだ。

ロジリア滅亡の足音が聞こえ始めていた。



「母上!」

無事にスバニールに救出されたマリリアが、ユリチャーノフの待つプーリーに到着した。

「ユリチャーノフ!おお、本当に生きていたのですね!」

マリリアは、ユリチャーノフをしっかりと抱き締めた。

「スバニール!ありがとう、本当にありがとう!おお、オーレリアン殿!よくぞ母を連れ帰ってくれた!この恩に報いる術が見つからない!どうやって感謝を伝えよう!」

頬に流れる涙を拭おうともせずユリチャーノフは感謝の言葉を連ねた。

「ユリチャーノフ殿、これからです。感謝の言葉はまだまだ先に取っておいてください。」

2度も3度も頷くユリチャーノフであった。

「ところでオーレリアン。その砦を守っていた守備隊は信用できるのか?」

ヴァレリーがオーレリアンからの報告を聞いた後に問うた。

「大丈夫でしょう。あのままロジリアに残ったとしても、兄上が予測している通り開戦と共に真っ先に命を落とすと承知していましたから。」

「しかしロジリア領内に家族を残しているものも有るだろう?」

「はい、クルメチアに家族が居るものについては、既にデュドネと共に救出に向かっております。残念ながらロジリア本国内に家族を残しているものは、家族を捨ててでもクルメチア再興に尽力すると申しておりました。何とかしてやりたいのですが・・・」

「ヴァレリー閣下、オーレリアン閣下、それについてはロジリア本国内に潜入しているレジスタンスと連絡を取り、一人でも多く救出するよう指示しております。全員とはいきますまいが・・・」

スバニールが、顔を歪め絞り出すように言った。

「ならば兵たちの家族に関わっている暇など与えなければ良いな。

オーレリアン、直ぐ様二万の兵を率いてクルメチアに侵攻する。先ずは一番近い駐屯地を攻略。落とせずとも良い。ロジリアの視線をこちらに釘付けに出来れば良い。私も出るぞ!」

「オウッ!」

円卓の間は、慌ただしく詳細な計画立案に取りかかる熱気に包まれた。

こうして二万の軍勢が翌日にはプーリーを出立した。

これも、ヴァレリーがマリリア救出作戦中に軍備を整えていたためであった。

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