赤い腕輪
「……わざわざ言いに来ることとは思えんのだが」
「愛されてるんだよ! ラブだよ!」
黒板に貼ってあった座席表を見て、自分の席につこうとすると、既に先客がいた。
「そうやってハイテンションでいられるお前が最近羨ましい」
「だって新学期だよ新学年だよ新クラスだよ! 私はワクワクが止まんないね!」
「すまん瀬奈、今そのテンションにはついて行けないわ。実は理解もできん」
理解はそもそもできたためしがない。岩見瀬奈はそういう存在だ。人類の理解の斜め上か斜め下を突っ走っている。奴隷なのに朝っぱらからこのヒャッハーしているがその証拠である。周りの奴を少し見渡してみてほしい。皆机に伏せたり溜息ついたりで憂鬱そうだろ?
「そんなんじゃいけないぞ弥生君! ……ところで、皆なんでそんな沈んだ顔してるの?」
「……お前このクラスを何だと思ってるの?」
「奴隷の八組!」
「分かってんじゃねぇか」
時々、こいつが本当にアホなのか、アホのふりをしているだけなのか分からなくなる。たぶん、ただのアホなのだが。
「でも奴隷だからってしょんぼりしてても仕方ないじゃん。ねぇ所沢君?」
瀬奈は後ろの席のやつに声をかける。
「お前は座席表もっかい見直してこい。池田って書いてあっただろ」
「えー? でも所沢な顔してたんだもん!」
「どんな顔だ」
そもそも初対面なのだが。お前のさくせんは「ガンガン行こうぜ」しかないのか?
「所沢顔が分かんないなんて、弥生にも困ったものだよ」
「俺が悪いみたいに言うな。そして所沢から離れろ」
なぜ佐藤だとか鈴木だとか、ありがちな苗字を捨てて所沢に走ってしまったのか。そしてどうでもいいが、もう一つ気になるところがある。
「……お前の予想では、所沢が姓なら名は何だったんだ?」
「ドレイク」
「何があった」
所沢ドレイク。池田君は二年生が始まって早々、売れない芸人みたいな名前をつけられるところだったらしい。ちなみに、池田君の見た目は丸刈り細目の野球少年である。
「ほらほら、とにかくそこから退け。そこは俺の席だ」
「そう邪険にしないでよー。私と弥生の仲でしょ?」
「まあ確かに、このクラスだと付き合いは長いほうだな」
瀬奈が奴隷になった時期は、一年の夏休み前だったか。たぶん、その頃だったと思う。ついでに原因は俺である。
「……まあ、お前にゃ迷惑かけたしな。本来、ここにいるはずじゃなかったわけだし……」
「弥生、まだそんなこと気にしてたの? 昔は昔だよ! 今は昔だよ! ナウをエンジョイしようぜ!」
「お前は天使か」
思わず涙ぐみそうになる。
「それに、あれは私がやりたくてやったんだから、弥生には責任ないよ。入学早々、奴隷になった責任以外は」
最後にちょろっとディスられた。まあ、入学初日に奴隷落ちは自分でもないと思う。
「お前は俺を慰めたいのか責めたいのか……」
「後ろめたさを若干残させて、私の命令を何でも聞くようにしたいだけだよ!」
「ただの外道じゃねぇか! よく胸張れたな!」
馬鹿だと思ってたら、意外と策略家だった。いや、ここで堂々と宣言してしまうあたり、やはり馬鹿なのだろうか。
「あっ! 今『張るほどの胸ないけど』って考えてたでしょ! 人が気にしてることを!」
「思ってねぇよ! 確かにないけども!」
「言いやがったよこいつ! 睾丸蹴り上げるぞこの野郎!」
「女の子が睾丸なんて言うんじゃありません!」
というか口調荒れすぎだろ。そこまで気にしてるんだったら、自分から話題にもってくるなよ。
「……つーか、そろそろあいつも許してくれていいと思うけどなぁ」
「あいつって?」
「新島だよ」
俺は溜息をつきながらポリポリと頭を掻く。
「もう期限前になってから俺にMPを譲渡しないって誓えば、納得してくれてもいいと思うんだがな」
そう、瀬奈が奴隷に落とされたのは、俺にMPを渡すことで奴隷から解放しようとしたためだ。それが新島の逆鱗に触れたらしく、瀬奈はMPを全損。
奴隷にはそれぞれ主人というのがいる。簡単に言えば、奴隷に落とすラストアタックをした者が、その奴隷の主人になる。俺の場合はもちろん新島だ。瀬奈については、負ければ奴隷落ちという最終ゲームで、新島はゲームに参加せず、友人の冬野とかいう女子に勝利させることで、瀬奈の主人権を実質渡してしまっている。
主人となるメリットは、奴隷に対して所有権を持つことだ。奴隷に対しては、生徒の誰もが一応命令権を持っているのだが、その中でも主人の命令が優先される。ついでに、自分の奴隷への命令に拒否権を持つ。目の届くうちは主人が独占というわけだ。
だから、所持している奴隷数が権威の象徴のように扱われることもある。MP至上主義というのが基本だが、好きに動かせる駒を多く持っているという点で、そこも評価対象となるわけだ。それ故に、MPの低い者に対して、「拒否権で保護してやるから奴隷になれ」なんて提案する奴もいる。断って報復されるのを恐れて、その提案を呑む者もいるそうだ。