花の声
「××君は、本当にお花とお話しができるの?」
「できるよ。いつもいっぱいお話するの」
「どうして?」
「いっぱいお話ししてしたら、お花が元気になるって、パパが言ってたから!」
「へぇ。じゃあ××君は、お花のお医者さんだね」
◇ ◇ ◇
俺の名前は守屋航。普通の県立高校に通っている、平凡な男子高校生だ……多分。俺は迷っている。
『ねぇ、聞こえているんでしょ?』
道端で声をかけてきたチューリップに返事をするべきか、否か。
植物が声を発する。普通に考えてもありえないことだし、そんなことが起こるのはファンタジーの世界だけだと思う。思っていた。でも今、俺の目の前でチューリップが言葉を話している。夢ではない。現実だ。さっき自分の頬をつねってみて、痛かったから間違いない。
『無視しないで!わかるんだからね!』
チューリップが声を荒げている。とりあえず俺はしゃがんで、このうるさいチューリップを改めて観察することにした。それはどこからどう見ても、花屋とかで見る普通の赤いチューリップの花。すぐそこの家の前にある小さな植木鉢に一本だけ植わっている。……にしても、花自体は動いてないし、目も口もついてないただのチューリップだ。それだというのに、声だけが聞こえてくるってなんだか不思議だな……。あれ?いつの間にか、ピーピー騒いでたチューリップが黙っている。そこで俺は、チューリップに声をかけてみることにした。
「おい、どうした?」
すると、小さくぼそぼそという声がチューリップから発せられた。が、何を言ったか聞こえなかったで、思わず聞き返す。
「え、何て?聞こえなかった」
『そんなに見つめられたら、恥ずかしいじゃないの!』
赤面する――実際はチューリップに顔などついていないのでわからないが、赤面してるように見えるチューリップに、俺はどこからどう突っ込んでいいのかわからなり閉口した。
「あの、すみません」
後ろから知らない女の人の声が聞こえる。忘れかけていたが、ここは道端。知らない人の家の前でうずくまって、しかもチューリップと話している男子高校生がいたら誰だって引く。俺は、びくりとしてすぐ後ろを振り返った。そこにいたのは、若い女の人。長い栗色の髪を後ろに結んだ、いかにも仕事ができそうな感じの美人……じゃなくて!
「大丈夫ですか?」
その女性が心配そうに俺に尋ねてきた。
「い、はい、大丈夫です」
俺は慌てて立ち上がった。本当に何でもないんです。俺の後ろでチューリップが一人で大笑いしているけど、そんなの知らないです。まさか植物に笑われる日がくるとは……穴があったら入りたい……。
「あの……」
「ス、スミマセン。それでは!」
俺は女性が話し終えるのを待たずに、ダッシュでその場から立ち去った。あの人には少し悪い気もするが、今は恥ずかしさの方が上回っている。また会うこともないだろうし、大丈夫かと言い聞かせ、とにかく振り向かずに走り続けた。
・ ・ ・
そんな出来事から、一週間が経った。
『あら、私の言葉がわかるなんて、珍しいわね』
どうやら、俺は少し勘違いをしていたようだった。俺はあれが「人間と意思疎通できるチューリップ」だから会話ができたのだと思っていた。でも違った。「俺が植物の声を聴くことができる体質」だから、チューリップの言葉を聴くことができたのだ。実際、今も校庭の桜の木に話しかけられている。
『ならちょうどいいわ。私がまだ若かったころ……そう、この学校に来たばかりの――』
「俺、授業あるのでまた今度にしてください」
『なによ、あんた可愛くないわね。少ぉし前の学生さんは素直でいい子だったのに、最近の学生は……』
つらつらと喋る桜を無視し、俺は教室へ足を進める。正直、この体質はとても面倒くさい。最初は、面白いなと思っていろんな植物に話しかけていた。しかし、慣れてきた植物たちはよく喋る。今は亡き俺の父あたりは大の植物好きだったので大歓迎だろうが、俺からすると迷惑でしかない。特に部屋のサボテンはかなりのおしゃべりで、夜通し喋っている。最近ついに耳栓を購入した。
さらに、この間は花壇のコスモスと話している所をクラスメイトの誰かに見られてしまった。そのせいで俺は、クラスで「精神的にヤバい奴」として若干避けられている。今まで仲良くしてくれた友人からは「悩みがあるならいつでも言えよ」という置手紙が届いた。彼なりの気遣いなのだろうが、こっちとしては少し悲しい。
そして昨日のことだった。とある男子生徒が木登り(なぜやろうと思ったのかは謎だ)をして、登っていた太い枝を折ってしまうという事件が発生した。その時、枝を折られた木の叫び声が俺の鼓膜をつんざいていったのだ。その時の叫び声といったら……いや、止めよう。あれはトラウマになるレベルだ。毎日踏まれまくっている芝生やコケの声が聞こえないことは本当に幸いだったと思う。
叫び声事件の後、俺は植物の声が聴きたくないときは聴こえないようにコントロールを試みた。しかし、どんな方法を試してももコントロールは不可能だったた。もはやこの声は幻聴なんじゃないかと自分を疑う始末だ。
『航が元気なーい』
『元気なーい』
のどかな日差しが差し込む窓から、花壇に植えられたホウセンカたちの声が聴こえてくる。窓際の席がこんなに嫌になる日がくるなんて、以前なら想像もしなかっただろう。それなのに、ここ数日はまともに授業を受けることもできていない。暖かな日差しとは裏腹に、俺の心には苛立ちが募るばかりだ。
『集中しよーよー』
『しよーよー』
『先生が怒るよー?』
『怒るよー?』
「あぁ!もう、うるさい!」
耐え切れなくなり、思わず叫ぶ。そしてハッと気が付くと、クラスメイト達が白い目で俺を見ていた。まさかと思い、俺は恐る恐る教壇に立つ国語教師の方を見る。その時の先生の顔は、もう思い出したくない。
帰り道、俺は「はぁ……」とため息をつきながら、いつもの通学路を歩く。俺も小さい頃は花とか好きで、樹木医だった父から様々なことを教わった。でも、あの時どんな会話をしたか、どれだけ思い出そうとしても思い出せない。それくらい、今の俺にはどうでもいいことだったのかもしれない。それなのに、なぜ急に植物と会話ができるようになったのだろうか。今の俺にはあまりにも不必要な能力。訳が分からない。だからと言って、この体質の事を誰かに相談できるはずもなく(というか誰も信じてくれないだろうし)、自分でコントロールすることもできない。一体どうしろっていうんだ。
『私たちと話すのは、そんなに嫌なのか?』
「ああ、もううんざりだ。さっさと元の生活に戻りたいくらいだ……って、誰だ、今の!」
俺が振り返って声がした方を見ると、とある民家の塀から、よく手入れされた低めの庭木があった。
『私だ』
「なんだ、ただの木か」
『え、ちょっと待って!ストーップ!』
俺が無視して歩こうとすると、その庭木が大きな声で呼び止めた。あまりにもうるさいので、俺は少しだけなら、と言って話を聞いてやることにした。
『私は冬珊瑚だ。こちらのお宅に植えられて、早十年ってとこだ』
聞いてもいないのに自己紹介したその木は、どこかで聞き覚えがある声だったが、結局思い出せなかった。それにしても冬珊瑚って……聞いたことない名前の木だな。よく見ると枝に珊瑚のような赤や朱色の小さい実がなっている。
『近頃いや、ここ数年のお前さんは、私たち植物との会話を嫌がる。お前さんが小さかった頃はよく、父とともに私たちと話をしてくれたというのに……。言葉も通じないのにさぁ』
ん?こいつ、なんで俺の父さんの事知っているんだ?俺の父さんは、十年前に亡くなっている。もしかして俺は、過去にこの木を見たことがある……?
『まあ、気が向いたら、また話しかけてくれよ、航君』
自分から話しかけてきたはずなのに、冬珊瑚はそう言って、会話を止めてしまった。俺は何かを聞こうとしたが、何を聞こうとしたのかうまく言うことができなかった。冬珊瑚も黙ったままだったので、この話は強制的に打ち切りとなった。曇り空の下、俺は何かがもやもやとしたまま、いつもの道を歩き始めた。
・ ・ ・
「あ、あなたは、確か……」
家に向かう途中、あの時の「仕事が出来そうな感じの女性」と鉢合わせた。
「この間は大丈夫でした?」
「はい。ご迷惑をおかけしてすいませんでした」
そう言って俺は深く頭を下げたが、彼女は気にしていないと軽く受け流した。そして、彼女は俺にこう尋ねた。
「それで、あの時は何をしていたの?」
『実はチューリップと会話していました』だなんて、口が裂けても言えない。航は答えに迷ったが、花がきれいだったとか言って適当にごまかした。すると彼女は、「そっか……」とつぶやいて、昔、君にすごく似た男の子に会ったことがあって……と話し出した。
「近所に花が大好きな男の子がいたの。ある日、その子は花の前でうずくまってて、どうしたの?って聞いたら、『この花とお話ししてる』って。変な子でしょ?でも、その子は本当に花と話をしているかのような感じだったの。それで、あの時の君を見て、懐かしいなって」
心臓がドクンと跳ねた音がした。彼女が言う少年、それは多分、いや、間違いなく俺だ。
(毎日植物に話しかけていると、植物は元気になるんだ)
鼓動が早くなる。どうして今まで気が付かなかったんだろう。今まで思い出せなかったのに。
「どうしたの?顔色、悪いよ」
彼女の声ではっと我に返った。
「大丈夫です。ちょっと用事ができてしまったので、失礼します」
そう言って俺は、今来た道を全速力で走った。急いで戻らないと。早く行かないと……!
・ ・ ・
『ずいぶんと早かったじゃないか、航君』
たどり着いたのは、さっきの民家の冬珊瑚の木の前だった。
「何言ってんだよ……」
まるで漫画のような、バカみたいな話。だけどその声を聞いたとき、俺の中で予想が確信へと変わった。
「なんなんだよ……父さん」
あの冬珊瑚の声は間違いなく父の声だ。こんなこと、ありえない。でも、心のどこかで思っていたんだ。もしかしたらって……。
全部思い出したんだ。小さかった頃、今みたいに植物の声が聴こえていたこと。樹木医である父もまた、植物の声が聴こえる人間だったこと。そして、父の亡くなった原因は……
「君、人の家の前で何してるの?」
急に聞こえてきたのは父の声ではなく、知らない男の声。後ろを振り向くと、ちょうど帰ってきたのであろう、この民家の主人と思われるおじさんが立っていた。
「えっと、これはですね……」
うまく言い訳できず、しどろもどろになる。『実はこの冬珊瑚が父親で、ちょっと話をしていました』なんて言えるわけなーい!すがるように冬珊瑚の木を見るも、言葉は何も聴こえてこない。
「これ、見てたの?」
おじさんが冬珊瑚を指さしながら聞いた。勢いで「そ、そうです」と答えると、おじさんは満足げに笑って、「きれいだろ?」と言った。
「これは、十年前に俺の嫁さんが買ったヤツなんだ。本人はえらく気にいっているもんで、毎日のように声を掛けてんだ。そのおかげか、こいつは毎年いい花咲かせて、きれいな実をつけるんだ」
おじさんは得意そうに言った。毎日声を掛ける、か。俺は再び父の言葉を思い出した。
(毎日植物に話しかけていると、植物は元気になるんだ)
「植物もきっと、人間と同じなんだ。言葉で育つ」
最後におじさんはそう言い残して、家の中へと入っていった。その言葉が、妙に父のあの言葉と重なって、なぜだか少し泣きそうになった。後に残された俺は、しばらく冬珊瑚を眺めていた。
『はあ、あの爺さんにいいとこ全部持って行かれちゃったなあ』
冬珊瑚――というか父が久々に声を発した。植物だから表情は全く分からないが、おそらくあきれているのだろう。愚痴を言い続ける父。俺は、なんだかおかしくなって、思わず笑い出した。きっと近所の人から見たら精神異常者だろう。でも吹っ切れたせいか、それでもかまわない、と思った。
『で、うまくやっていけそうかい?』
冬珊瑚から父の声が聴こえてきた。俺は今まで何を悩んでいたのだろう。少し昔に戻っただけじゃないか。そうだ、たまには校庭の桜の愚痴でも聞いてやろう。それでまた、この冬珊瑚と――父と話をするんだ。植物は話をすると元気になるって、昔教わったからね。
前に部で書いたヤツをもとに書き足したものです。最初からシリアスにしたかったけどダメだった。