第三夜・上
精霊の聖地で、アーサーとリッシュは主の話を聞いていた。
「時は満ちた。目的の地へ、向かうと良い」
主は、穏やかな笑顔を二人に向けて、そう告げた。
昨日、戦いに勝った後、今さっきまでずっと宴が続いていた。
「この聖地の主から、君らに大地の祝福があらんことを」
「有難うございます」
アーサーとリッシュは、ぺこりと頭を下げて、世話になった礼を言う。
いつの間にか、この聖地にいた精霊や魔法生物たちのほとんどが集まってきていた。
「君たちのおかげで、この地は救われたのだ。有難う」
穏やかな笑顔でそう言って、ふっと主はアーサーの胸元に顔を寄せる。そこには小瓶の魔物の小瓶が揺れていた。
「小瓶の魔物よ。久しぶりだな」
「…………」
「お前の力も満ちてきた。また、お前と酒を酌み交わせる時を、楽しみにしておるぞ」
「………………わかった」
小瓶の魔物は、静かに言った。話についていけないほかの人たちは、一様に首をかしげる。
「ペガサスのフェルミよ。その純白の翼で、この二人を“闇の申し子”の城まで、送り届けてはくれないか」
純白のペガサスが前に進み出てきて、短く肯定した。
「御意」
そして、二人の少年の前に歩み出て、膝を折った。
「お乗りください」
丁寧な口調で、乗るように促す。
「あの、二人も乗ったら重くありませんか?」
控えめにリッシュが尋ねると、フェルミは首を振った。
「私を普通の馬と一緒にしないでいただきたい。全く問題ありません」
その声に、少し失礼なことを言ってしまったと気がついて、リッシュは素直に謝る。
「ごめんなさい」
「いえ。お気遣いなく」
二人がフェルミの上に乗ると、聖地の主は、最後に告げた。
「無垢なる幼子、アーサーよ。その想う力は、君の糧となる。それだけは失くさないようにするとよいだろう」
「はい」
アーサーはうなずいた。
「行っておいで」
皆に見送られながら、フェルミは飛び上がった。
二人と一頭は、カンサのいる城へと旅立つ。
空を飛ぶ浮遊感が、二人をおそう。
「ふわぁぁ……ッ!」
少し間抜けな声がアーサーの口から漏れる。それを聞いて、フェルミはくすくすと笑った。
「面白い少年だな、お前は」
その浮遊感に慣れるのに少し時間がかかった。慣れてから、アーサーはフェルミにどのくらいでカンサのいる城へたどり着けるのかを尋ねる。
「四日か、五日かかる。休憩を含めてだ」
「そうか……」
待っていて、とアーサーは心の中でつぶやいた。必ず助けに行くから。
「そういえば……、団長たちと、クリプトさん、元気かなぁ……」
リッシュが、ふとつぶやいた。アーサーが、不思議そうに首をかしげる。
「え?」
「だから、ぼくの一座の人たちと、アーサーの親方のクリプトさん。置手紙は書いてきたけど、やっぱり心配しているんじゃないかな、って……」
「俺の、親方………………?」
なおも不思議そうに言うアーサーに、リッシュは驚いた。
「覚えてないの? そこで、鍛冶屋の修行していたんじゃ……」
「鍛冶屋? 俺、鍛冶屋だったっけ……?」
自信がないように、アーサーがリッシュに聞き返す。そこで、リッシュは小瓶の魔物の言っていた“対価”を思い出した。アーサーは、魔法剣を振るった対価に、その記憶を失ったのだ。それに気がついて、リッシュは訳もなく哀しくなる。自分も、彼の記憶から忘れ去られてしまうのだろうか、と。
「あれだけの魔法剣を使えば、な。仕方がないことだ」
小瓶の魔物が、小さな声でつぶやく。
「それより、先を急ぎたいな。今、こうしている間にも、フィアナがどうなっているか、判らないし」
アーサーが無邪気な笑顔で告げた。
「……そうだね」
リッシュには、そう答えることしか出来なかった。
◇◆◇◇◆◇◇◆◇
カンサの治める国の首都は、より一層暗く、まるで、真夜中のような静けさを保っていた。人がいないわけではない。だが、そこにあるのは、陰鬱な雰囲気だけだった。
アーサーたちは、その首都の城の裏手に降り立った。目立たないように最新の注意を重ねて、石畳の上に、静かに足をつける。
辺りに人気はない。
「これから、どうすればいいの? ジンニー」
アーサーが胸元の小瓶の魔物に尋ねると、小瓶の中の煙がぐるぐると渦巻いた。
「城の石垣に、抜け道がある。そこから、城の中に侵入できる。――そこ、下から二番目の石を押せ」
アーサーが、指示通りに石を押すと、ごりごりと石がこすれる音がして、何とか子供が一人はいえれそうな道が出来た。
フェルミは、しばらく苦しそうにしていたが、やがて、膝を折ってしまう。
「フェルミッ!?」
吃驚して、アーサーとリッシュが駆け寄った。
「どうしたの?」
「わかりません。ただ、ここの空気は私には合わないようです」
苦しそうに、フェルミが呻いた。
「そうか……。フェルミ、ここまで送ってきてくれて、有難う。もう、かえって大丈夫だよ。聖地に戻って、ゆっくり休んで」
アーサーが、心配そうな瞳を向けながら、フェルミの背をなでた。
「お言葉に、甘えさせていただきます」
フェルミは、ゆっくりと立ち上がって、翼を広げた。
「ご武運を」
それだけ言って、フェルミは飛び立っていった。
二人は一度、顔を見合わせる。互いに、自分の決意を確かめ合った。
「よし、俺たちも、行こう」
意を決したように、アーサーはその抜け道に入っていった。その後に、リッシュが続く。
抜け道の中は真っ暗だった。二人が中に入ると同時に、抜け道の扉は閉まる。
「え?」
リッシュが吃驚していると、小瓶の魔物が心配ないと言った。
「入った事がばれないように、こういう仕掛けがしてあるんだ」
「く、詳しいですね」
「………………まあな」
小瓶の魔物は、ここに来てからかなり言葉が少なくなってきた。
暗闇の中を手探りに進んでいくと、行き止まりにたどり着いた。
「ジンニー?」
「そのまま、前の壁を押せ。召使の控え室にたどり着くはずだ」
「外に誰かが、いたら?」
「いない」
「…………でも」
「カンサが、召使をそばに置くほど、人を信用しているとは思えない」
「判った。――ところで、カンサってどんな人なの?」
「どんな人物だと思う?」
少し意地悪げに小瓶の魔物が二人に尋ねた。暗闇の中、二人は動きを止めて考え込む。
「綺麗な女の人?」
リッシュが言った。アーサーが、え? と聞き返す。
「男じゃないか? 王様なんだし」
アーサーに言われて、リッシュも自分の考えに首をかしげた。
「そう、だよね。何で女性だと思ったんだろう? それで、答えは?」
回答を尋ねたが、小瓶の魔物は、さあ? と笑った。問題を出しておいて、それはないだろうとアーサーは思ったが、黙っていた。
「かわいそうな人、だよ」
小瓶の魔物がポツリと言ったが、それはアーサーが扉を開ける音で、誰にも届かなかった。
扉を開けて出ると、小瓶の魔物の言うとおり、そこには誰もいなかった。
ただ、扉の外には誰かがあわただしく動き回る気配があり、何かがそこにいることをうかがわされた。
「誰かが、入ってきたらまずいんじゃない?」
リッシュがつぶやく。小瓶の魔物は、そうだな、と緊張感のない口調で言う。
「いいか、この部屋を出て、廊下を右に行け。最初の分かれ道で、左へ向かう。そこから、三番目の大きな扉を開けば、そこにカンサがいるはずだ」
「判った」
アーサーは真剣な顔で言った。出来るだけ物音を立てないように、扉へ近づく。
「行くよ」
「うん」
扉を勢いよく開けて、アーサーとリッシュは飛び出した。何故そうしたのかは、本人たちにもわかっていない。おそらく、本能のようなものでそう判断したのだろう。
そして、その判断は正しかった。
アーサーたちが飛び出すと、廊下にはたくさんのガーゴイルや、ゴーレムがいた。柄の悪い人間も、数名混じっている。そいつらは、まるで待ち構えていたかのように、アーサーたちを攻撃し始めたのだ。
それを避けたり、避けきれない時はアーサーが魔法剣を振るい、走っていく。
始めにあった分かれ道で左。
誰かが知らせたのか、そこに敵はどんどん増えていった。それをなぎ払うため、アーサーは魔法剣を使い続ける。そのたびに、アーサーの記憶は消えていった。
喰われていく記憶。だんだんと零れ落ちていくそれらの中で、残っている記憶は、だんだんフィアナに関するものばかりになってきた。それ故に、アーサーの気持ちは純粋に研ぎ澄まされていく。
全ては、愛する人を救うために。
「はぁぁぁッ!」
三番目の大きな扉。
ほとんど体当たりに近い状態で、扉を開く。
その扉の先は、薄暗い広い部屋で、蝋燭の灯りが不気味に揺らめいていた。
その部屋の中央には、丸い大きな鳥籠があり、その中にフィアナがいた。
「フィアナッ!」
フィアナに近づこうとしたとき、その間に一人の人間が立ちふさがる。マントを着ていて、顔は良く見えない。ただ、綺麗な金髪が揺れていた。
「待っていたぞ、アーサー」
その人間は、楽しそうに言った。
「カンサ…………!」
ほとんど、無意識に近い状態で、アーサーはつぶやいた。少し遅れて、リッシュが登場するが、カンサはリッシュに気づいた様子はなかった。リッシュは、追ってこの部屋に入ってこようとする敵を防ぐため、大きな扉を閉めて鍵をかける。どん、どん、と扉を乱暴に叩く音が聞こえた。
「まさか、この満月の夜に間に合うとはな」
かつ、かつ、とアーサーの方へ近寄ってくる音。
その雰囲気を壊すように、アーサーの胸元にぶら下がっていた小瓶の魔物が光った。
「契約は終了した。記憶は、貰っていく」
小瓶の魔物の必要以上に冷たい声が響いた。この状況で、小瓶の魔物がいなくなれば、魔法剣を振るうことは出来なくなる。それは、身を守る術を持たない赤子を、ライオンの前に差し出すのと同じだ。それを、小瓶の魔物は承知しているのだろう。本当は、そんなことをしたくないと思っていたが、小瓶の魔物は契約に忠実であらなければならない。だから、感情を抑えて冷たい声を出したのだ。
鎖が切れて、小瓶の魔物の小瓶は、宙に浮かび、フィアナのいる鳥籠の上に避難する。
「ほう、そうか。小瓶の魔物と契約していたのか。では、その契約が消えた以上、お前は我に勝つことはない」
少しつまらなそうに、カンサは笑った。
アーサーは、記憶を失ったショックか、呆然としていた。
「アーサーッ!」
フィアナの、悲痛の叫び。しかし、それはアーサーの耳に届かない。
「もう遊ぶことの出来ぬ玩具は、必要ない」
そう冷たく言って、手に持っていた剣を細身の剣を振りかぶった。
「アーサーッ!」
リッシュの叫ぶ声。
ぐさっ、といやな音がして、カンサは相手を切った感覚を感じた。それと同時に、吃驚した表情を浮かべる。
アーサーに、瞳の色が戻った。
「………………!」
アーサーとカンサの間には、リッシュが割り込んでいた。カンサの細身の剣が、リッシュを貫いていた。
「いやぁぁぁぁッ!」
フィアナの叫び声。
アーサーは、無意識に剣を抜き取っていた。彼は、自分が誰だがもうわからなかった。だから、自分が何故こんな感情を持っているのか、どうして剣を振るおうとしているのかさえ理解していなかった。
「くッ! こいつは…………」
カンサは、忌々しそうにリッシュの体から剣を引き抜く。
それと同時に、アーサーが切り込んできた。その剣撃は、それほど鋭いものではなく、カンサはそれを悠々と避ける。
アーサーの、心の中にあるのは、ただ、目の前の人物を倒そうと思う想いと、後ろにいる少女への想いだけ。
何度かアーサーの攻撃を避け、カンサもアーサーに攻撃を仕掛ける。
「ふっ…………。面白い」
その攻撃は、カンサが思ったよりも当たらない。そして、アーサーは執念深く攻撃を仕掛けてくる。記憶のない彼に、何がそうさせるのか。
徐々に追い詰められていくカンサ。しかし、カンサは余裕を持って、それに対応していく。むしろ、追い詰められている事に気がついていない様子だ。それは、己の力を過信しているせいだろうか。
その様子を見ながら、フィアナは、祈るように目を閉じた。
自分は、あまりに無力だ。愛する人を前に、何も出来ない。何が“世界を支配し得る力”を持つ少女だ。何が、“覇者なる姫君”だ。大好きな人を、守ることも出来やしない。
私に出来るのは――、とフィアナは思った。そして、大きく息を吸い込む。
「ッ?! 何だ……?」
フィアナの歌声がその場に響き渡り、呑まれていく。
それは、海のような温かさで、アーサーを抱きしめる。
カンサは、その温かさに怯み、そして、大きな隙ができた。
その隙を見て、アーサーが、己が剣をカンサに打ち込んだ。
「――――――…………ッ!!」
カンサの悲鳴が、響き渡り、それに驚いたフィアナの声が、ピタリと止まる。
「な、何故……だ…………」
そのセリフが、カンサの口から出たのは、自分の力を過信していたからか。
「何故……、我が敗れる…………?」
カンサの魔法が、徐々に解けていく。
フィアナの鳥籠が消え、アーサーは、無意識にフィアナに駆け寄り、抱きしめた。
「アーサー……!」
泣きそうな笑顔で、フィアナがアーサーの名前を呼ぶ。
「大好きだよ」
その言葉だけを覚えていたかのように、アーサーがつぶやいた。
フィアナは、そのままアーサーに泣きつく。ホッとした。
「何故…………」
「そう、何故? 何故、あんたはこんなことをしたんだ?」
まだつぶやくカンサに、いつの間にかそばにいた小瓶の魔物が尋ねた。
「復讐……愛するものを奪った、……神への」
途切れ途切れのセリフを聞いて、小瓶の魔物は黙り込んだ。
昔。カンサがまだ若かったころ、カンサには愛する人がいた。しかし、その人は結婚してまもなく、病でこの世を去ってしまった。カンサの愛は深かったが故に、カンサは徐々に闇に蝕まれていったのだ。
そして、神への復讐を願ったカンサは、“闇の申し子”となってしまった。
「教えてやるよ。あんたが負けた理由」
小瓶の魔物が言った。
「“愛する想いは、何よりも勝る”からだよ。あんたと、同じように。アーサーはフィアナを愛していた。あんたが、愛するものを思う気持ちで、この世を闇で満たす寸前まで陥らせたもの、そのあんたをアーサーが、何の力も持たないはずのあいつが倒したのも、全て、そういう理由からだ」
悲しそうに告げる小瓶の魔物の言葉を聞きながら、カンサはゆっくりと風化していった。魔法で命を保っていたカンサは、己の死と共に、体を失っていく。
やがて、カンサの――カンサと呼ばれた、この国の妃だった、美しい金髪の女性の――体は、風に飛ばされて消えていった。
「出来るなら、貴女のそんな姿は見たくなかったよ」
小瓶の魔物は、悲しそうにつぶやいた。