第二夜・中
アーサーたちの国から、西にまっすぐ行った先には、大きな町がある。しかし、アーサーとリッシュは、その町を迂回して行く事にした。アーサーたちの国がすでにカンサに乗っ取られてしまっている以上、その町も安全ではないだろうからだ。
食べ物は、リッシュが持っていた分で、その先の町まで足りるだろうと二人は考えた。小瓶の魔物の話によると、その大きな町の先に、三日ほどで着く町があるという。大きさはそこそこで、湖に面した街らしい。町を出来るだけ通らないのは懸命だな、と小瓶の魔物は言った。
「あまり、人に関わらないほうがいい。カンサの支配下にあるなら、いつ、あいつに伝えるかも判らない。それに、善人より悪人のほうが格段に多いし、少ない善人でさえ、用心深くなっている。簡単には信用されないだろうな」
それから、西に向かうにつれ、日に日に雲が分厚くなっていった。だんだんと、先が暗くなっていく。それは、これから先のアーサーたちの未来を示すかのようだった。
暗くなりがちの二人に、小瓶の魔物は軽口を叩いて、彼らの気分を向上させた。不思議と、親切なような気がしない。むしろ、無意識しているか、ただ、単にふざけているだけとしか思えないのだが、それが二人の暗い気持ちをやわらげていた。
もしかしたら、小瓶の魔物は、道標になってやると言った契約を、実行しているのかもしれない。その道標とは、ただ単に道案内と助言だけではなく、心が負けないようにするための道標という意味なのかもしれなかった。
そして、彼らが国を出て六日たったその日の夕方、二人は、その湖に面した町にたどり着いた。
店が閉まる少し前のその時間に、手早く必要最低限のものを買い揃える。それらの値段はべらぼうに高く、二人の所持金が半分に減った。宿で宿泊料を尋ねると、一泊するだけで、もう財布が空になってしまう事がわかった。
アーサーは、久しぶりに屋根の下で寝る事が出来ると期待していたのだが、それは無理そうだ。そのことに、少し肩を落とす。
「稼いでみる?」
リッシュが、アーサーの様子を見て尋ねた。リッシュは、旅芸人として、仕事をしてみようか、と尋ねているのだ。
「この様子じゃあ、たいした稼ぎも期待できないだろう」
アーサーの答えを待たず、小瓶の魔物は、容赦せずに言った。
「そうだけど……。これからの、食費も、必要だし。ぼくやアーサーは、狩りができない」
だが、稼ぎがあまり期待できないのは確かだった。人々の顔は、酷く疲れきっていて、賑わいの中にも、必ずどこか影があった。
それでも、とリッシュが食い下がる。
「一番安い宿に一泊できるくらいには、稼げるんじゃないかなぁ」
そういいつつも、自信なさ気なのは隠せない。
「やろう。少なくとも、ここからカンサのところまで、二十日はかかるんだろう? なら、食費が足りないのは死活問題に関わるよ」
小瓶の魔物も、別にそれについては反論しなかった。
リッシュは、道のど真ん中でリュートを取り出して、音を出す。
それから、一瞬で普段とは打って変わって存在感が大きくなった。自信に満ちた、堂々とした様子。
リュートで紡がれる音楽は、その場を飲み込んだ。それから、彼は歩き出す。
「さぁさ 皆様 こんばんは
今宵は 湖のそばで歌を歌います
楽しい歌を歌います
いらっしゃい いらっしゃい
生きることの疲れを癒し 生きることの喜びを
再びその手に いれましょう
いらっしゃい いらっしゃい
今宵は月夜 湖のそばにて短い演奏 お聞かせしましょう
一日の疲れ 癒して差し上げましょう
いらっしゃい いらっしゃい
誰でも歓迎 歌をお聞かせしましょう
わずかばかりの安らぎを 今宵あなたにあげましょう」
通りすぎざまに、皆が彼を見つめた。不思議そうな顔で。子供たちは、明るい顔で、母親に駄々をこね始める。
アーサーは、リッシュを見失わないように、必死で追った。普段は、アーサーよりも歩みが遅いリッシュだが、いつもと変わらないように見えて、歩みはすごく速い。
風のように、二人は湖のほとりの開けたところについた。
二人だけのその空間は、しん、としていた。しかし、その静寂は決して不快なものではなく、水晶のように澄んだ静寂。月明かりが湖面に反射して、きらきらと瞬いている。
「月夜……?」
アーサーが気づいて、声を上げた。そういえば、この湖の上だけが、あの黒い雲がない。ぽっかりと穴が開いてしまったかのように。
「お、気づいたか」
小瓶の魔物が言って、楽しそうに渦巻く。
「この湖だけは、カンサの支配から抜け落ちているんだよ」
「どうして?」
リュートを抱えたまま、リッシュが尋ねる。それは、アーサーも知りたいところだった。
「ここが、精霊の聖地だからだ。カンサの力に対抗しているのは、ここくらいかな」
「へぇ……」
感心したように、アーサーは湖を再び見やる。そこのは、聖地の名がふさわしいくらい厳かだった。
街のほうから、がやがやと人の声がした。そして、ちらほらと人が集まりだす。
「そろそろかな」
リッシュが、リュートを構えて立った。
「ようこそ、お集まりくださいました。皆様方、今宵はわずかの時ではありますが、どうぞお楽しみください」
リッシュはそう言い放ち、カバンに入っていた帽子を自分の足元へ置く。
そして、リュートを弾き始めた。
始めは、小さな音から。そして、ゆっくりと音は大きくなっていく。それは、まるで母親に抱かれているときのような温かさと安心感があった。
皆、そのリュートの音に身をゆだねる。アーサーも、その音に身を預けていた。
「………………」
小瓶の魔物は、何かを考えているかのように無言だった。
一旦、音が弱まって、リッシュが息を吸って歌いだす準備を始める。
「おい、お前らッ! そんなところで何をしているッ!」
がくん、と突然音が消え、その場にいた人々は、ハッと我に帰って、その声の主を見る。そして、沈黙した。
この場の雰囲気をぶち壊したのは、制服を着た、騎士団のような集団だった。だが、よほど人悪い人々が集まったらしく、その威圧的な態度は、人々を恐がらせていた。
「散れッ! このような行為は、カンサ様の命により、禁止されている!」
来る前よりも暗い顔になって、人々はぞろぞろと町へと帰っていった。
「な、何……?」
吃驚して、アーサーがつぶやく。
「お前か、この行為の首謀者はッ!」
騎士団のリーダーらしき人物は、つかつかと呆然としているリッシュに歩み寄って、襟首を引っつかんで持ち上げた。
「誰の許可があって、こんなことをした? 返答次第ではタダではすまない! 我々は、カンサ様より、人を裁く権利をもっているッ!」
偉そうに、言った。リッシュは、いつものリッシュに戻っていて、おろおろしたように、か細い声で答えた。
「し、仕事をしていたんです……。僕は、旅芸人ですから……」
「旅芸人?」
「は、はい。演奏をしながら、細々と辺りを転々としているのです」
ほう、と、その男はいやらしい笑みを浮かべた。
「このカンサ様の国では、人を集めて何かをすることは、一部の例外を除いて、禁止されている。お前は、そのルールを破った。よって、罰を与えよう」
そして、リッシュのリュートを取り上げようとした。
「この騒音を撒き散らすものを壊す。これで許してやろう。逆らうならば、死だ」
「そんなっ!」
リッシュは、悲痛な叫びを上げた。そして、必死に抵抗する。
「やめてくださいッ!」
アーサーが、その男に言った。そして、リッシュを助けるべく二人の所へ駆け寄る。
「アーサー、右ッ!」
小瓶の魔物が叫んだ。反射的に、アーサーはしゃがみこむ。頭の十センチ上を、剣が通っていた。いつの間にか、他の男たちが彼らを取り囲んでいたのだ。
「く……ッ」
アーサーは、体勢を立て直し、剣を抜く。嘲笑があたりに渦巻いた。
リッシュは、必死に抵抗していたが、どんどんと押されていった。
「リッシュ!」
ザンッ、とすぐそばを誰かの放った剣撃が掠める。アーサーは、その場にとどまることを余地なくされた。
よほど男たちは血に飢えていたらしい。その瞳は、皆ぎらぎらと光り、いたぶることへの喜びを覚えているようだった。アーサーは、それを見ていて吐き気がした。
ザン、と再び誰かの剣撃が来る。アーサーは、それを避けてそのまま反撃を繰り出した。
しかし、それはあっけなく外れる。もともと、剣の腕はそこそこにしても、実践用の戦い方ではなかったのだ。
「集中しろ。言ったろ? お前に一番使いやすい形で、魔法を授けてやるって」
小瓶の魔物が、アーサーにだけ聞こえる声でそう告げた。
「判った」
アーサーは目を閉じて、剣を構えたまま集中しようと努力する。
「ああん? 何がわかったって言うんだ?」
「自分が殺されることじゃねぇ?」
下品な笑いが渦を巻く。しかし、アーサーの耳に、それは届かなかった。
ゆっくりと、心の中の声に耳を傾けていく。
「来ないなら、斬っちゃうぞー?」
誰かがそういいながら、攻撃を仕掛けてきた。
「…………!」
アーサーは、その攻撃が当たる直前に、目を開いて、それを剣で受けた。
「おわ……?」
呆気に取られている男のスキを突いて、そのまま剣で切り込む。
「な、な、なッ! ま、魔法剣じゃないかッ!」
男たちがどよめく。
アーサーの剣は、炎をまとっていた。それは、夜の暗がりに明るく光っていた。
すっ、とアーサーは己が剣を男たちに突きつけた。
「はっ!」
気合の入った呼気とともに、男たちの間合いに踏み込む。
相手が魔法剣と見るや、男たちは瞳に恐怖をうつして、逃げていく。
それにホッとして、アーサーはリッシュを見た。
「リッシュッ!」
リッシュは、湖のふちまで追い詰められていた。
アーサーが助けに行こうとしたとき、湖がきらめいて、そのまま、リッシュはよろめいた。
「うわぁぁぁぁぁッ!」
リッシュの叫び声。続いて、大きな水しぶきが飛ぶ。彼は、リュートもろとも、湖の中へと消えていった。
「リッシューっ!」
しばらく、そこには静寂があったが、リッシュは浮かんでくる気配がない。
アーサーは、怒りに任せて、その男へ魔法剣を向けた。何故、リッシュがこのような目にあわなくてはならないのか。その憤りは、そのままその男へと向けられる。
「ぎゃぁぁぁッ!」
アーサーの放った剣撃が、その男に当たった。うずくまる男を無視して、アーサーは湖のふちから、中を覗き込んで、リッシュを探す。
「いない……」
リッシュの姿は、見えなかった。湖の色は、深い夜色。
アーサーは、男の方を向く。そして、切っ先は彼の喉元へ。
男は、男は喘ぎながら逃げ道を探す。
怒りに、任せて、アーサーがその剣を振りかぶったときに、後ろから誰かにつかまれて、引っ張られた。
「えッ!?」
不意打ちに、何の対応も出来ず、アーサーはそのまま湖へと落ちていった。
ばしゃん、と言う水音が、遠くに聞こえ、アーサーの意識は白いもやに包まれた。
◇◆◇◇◆◇◇◆◇
暗く冷たい、広い部屋。そこにある玉座に、カンサは座りながら、何か呪文をかけていた。
部屋の中央には、一つの大きな丸い鳥籠がある。その中には、フィアナが泣きつかれてぼうっとしていた。
やがて、カンサが手を伸ばす。その手のひらから、白い煙が出て、カンサと少女の間に、大きな幕を作る。そして、仕上げに何かを言った。そして、カンサは腕を下ろし、にやりと笑った。
ゆっくりと、その幕に映像が映し出されていく。始めはぼんやりとしていたが、だんだんとはっきりと。そして、その映像は、カンサの方向からも、フィアナの方向からも良く見えた。
「アーサー…………!」
フィアナは、その映し出された人物を見て、小さな声で叫んだ。
「これが、我を滅ぼすものなのだな…………」
うっとりと、カンサはアーサーを見つめる。
「面白い。どれだけ我に抗う事が出来るのか」
映像の中のアーサーは、男たちに追い詰められている。剣が、アーサーに向かって振るわれた。
ちりん、とカンサが小さなベルを鳴らした。それに応えて、薄暗い部屋の中に、一人の男が現れる。
「お呼びでしょうか、カンサ様」
その男は、深々と頭を下げた。短い髪に、ごろつきのような顔。
「精霊の聖地をおとして来い」
カンサは、その男に用件だけを告げる。
「はっ」
男は、再び深く頭を下げて、その部屋から出て行く。
「精霊の聖地は、未だに我に抗うものだ。さて、どうなるだろうかねぇ」
最後の言葉は、フィアナに当てたものだった。
フィアナは、胸の前に手を組み、瞳を閉じた。
彼女にやれることは、ただ、祈ることのみ。
どうか――、とフィアナはどこかにいるであろう神に祈った。
どうか、彼が無事でありますように。