第三夜・下
分厚い雲が、割れた。長い夜が明けた。
温かい日差しが、国中を照らしていく。もちろん、カンサの城の中も。
しばらく、抱きあっていたアーサーとフィアナだったが、フィアナはアーサーの様子が変な事に気がついた。
「アーサー?」
真正面から見つめて呼びかけるが、反応がない。少し不思議そうに、フィアナを見つめるだけだ。
「アーサー?」
「無駄だよ。今、彼には記憶がない」
小瓶の魔物は、フィアナの前にやって来て、告げる。
「そんなッ!」
記憶がない。それは、その人の人生が全て消えうせたということだ。
「あなた、ジンニーなんでしょ?! だったら、彼の記憶を元に戻してっ!」
「対価が必要だぞ?」
「何でもいいッ! 何だってやってみせる! だから、アーサーの記憶を……ッ!」
しばらくして、小瓶の魔物は答えた。
「判った。対価は、お前の持つ“世界を支配し得る力”だ」
「いいわよ。こんな力、私は欲しくなかった。ただ、アーサーと一緒にいられれば、それでよかったの。だから、むしろなくなったほうがいいわ」
心なしか、小瓶の魔物は笑ったような気がした。
「契約成立、だな」
ふっと、辺りが光りに満ちる。魔法陣が床に描かれた。
フィアナは、自分の一部が消えていくのを感じた。しかし、それを悲しく思う必要はなかった。重荷でしか、なかったのだから。そして、これからは、アーサーがいる。
「記憶は、戻った。後は、それを思い出すきっかけを与えてやればいい」
小瓶の魔物が告げた。それと同時に、その小瓶に、パリンとひびが入る。
「歌がいいんじゃないか? 思い出の歌でも歌ってやれよ」
そして、小瓶は完全に砕け散った。
「思い出の歌…………」
小さいころ、アーサーが好きだと言ってくれた歌。それを思い起こして、フィアナは息を吸い込んで歌いだす。
――あなたのために うたをうたおう
あなたのために 言葉を紡ごう
私の存在が あなたの道標になるように
私は 心を込めて 歌を歌おう
私は あなたのために生きることを誓おう
私は あなたのためだけに生きたいと願おう
祈ることしか出来ないけれど 祈ることならば出来るから
あなたのために 歌を歌おう
あなたを 笑顔にしたいから――
その歌が、アーサーを満たすように、アーサーの瞳に輝きが戻ってきた。
「フィアナ…………?」
アーサーが、静かに呼びかける。その事に安堵して、フィアナの瞳から、涙がこぼれた。
「アーサー……っ!」
「フィアナ。良かったぁ、無事、だったんだ」
本当に嬉しそうな顔をするアーサーを見て、ますますフィアナは泣きたくなった。
「フィアナ? ど、どうしたの? どこか、ケガとか、した?」
慌てるようなアーサーの声に、フィアナはただ、首を振る。
「違うの。ただ、嬉しくて」
そして、そのままアーサーにしがみついた。
「アーサーぁ……」
アーサーは、少し吃驚しながら、フィアナの頭をなでる。
しばらく、そうしていた後、アーサーはハッとしたようにして、
「リッシュはっ?!」
慌てて、辺りを見回す。そして、血に染まって倒れているリッシュを見つけた。
フィアナも思い出したように、彼を見つめた。そして、涙をぬぐう。
「リッシュっ!」
慌ててかけよる。だが、その望みはないように見えた。
「そんな……っ! リッシュ!」
何度かリッシュの体を揺さぶるが、反応はない。
「リッシュ…………」
アーサーの視界が、じわりとにじんだ。
「ほらほら、そこ、泣かないで」
少しおどけたような、馴染みある声が聞こえて、アーサーは自分の耳を疑った。
「リッシュ?」
「そのとおり」
床に寝そべったままのリッシュが、おどけた笑顔を向けていた。その彼は、舞台の上にいるときのような存在感を放っていた。
「え、でも……なんで……」
当惑したようなアーサーに、リッシュは起き上がって自分の体を点検し始めた。
「何で死んだはずのリッシュが生きているのかって?」
にっこりと笑顔を向けて、リッシュが言う。アーサーはこくりと頷いた。
「じゃあ、説明してあげる。――と、その前に、改めまして、リッシュです」
彼は、ぺこりと頭を下げた。意味がわからずアーサーとフィアナが首をかしげていると、彼は少し疲れているようにその場に座り込んだ。
「昔。僕はここに来て、カンサの前で物語披露した事があるんだ。まだ、闇に魅入られていない彼女を。僕は、彼女に気に入られて、しばらくこの城に滞在した」
「え、でも……。カンサが支配を始めたは、百年くらい前だって……」
「そう。つまり、僕もただの人間じゃないってことだよ。まあ、それは置いておいて」
無理やり、話を元に戻す。
「しばらくして、彼女の夫、つまり、前のこの国の王様が死んだ。それをきっかけに、彼女は闇に蝕まれていったんだ。僕は、それを止めようとして、彼女に魂を抜かれた」
「魂を?!」
「そう。魂だ。カンサは、抜いた魂を、小瓶の中に封じ込めて、どこかへ放り出した。そして、身体のほうは、自分の手元において、五年前、別の地へ放り出した。魂がなければ、肉体が滅びるのが普通だからね。それまで、何故、保存しておいたのだかは知らないけれど。だけど、僕の肉体は滅びなかった。魂の残り香、とでも言うのかな。記憶がない状態で、あの一座の座長に拾われたんだ。そして、小瓶に封じられた魂のほうは――」
「ジンニーになったのね?」
フィアナが尋ねた。そうだよ、とリッシュが頷く。
「僕は、封印をといて自分の身体に戻るために、力をためなければならなかったんだ。だから、願い事を叶えるというジンニーになれたのは、幸いだったよ。願いの対価は、僕の力になったから。その力が満ちたとき、僕は肉体に帰れるだろうと思っていた。そして、さっき、フィアナちゃんから対価を貰って、僕は肉体に帰ることが出来たんだ」
にっこり笑って、彼は有難うと言った。
「じゃあ、僕が一緒にいたリッシュは……? ニセモノだから、消えてしまったの?」
アーサーの悲しそうな声に、リッシュは首を振った。
「違うよ。あれはニセモノじゃない。ちゃんと、あれと僕は同じものになったんだ。――そうだなぁ。記憶が二重にあるんだよ。身体の記憶と、魂の記憶で。小瓶の僕と、肉体の僕を、同時に見ている感じかな。結構貴重な体験だよ?」
リッシュは、くすくすと笑った。
「そっか……」
アーサーも、それに釣られて、笑顔になった。
「さて、カンサの闇も晴れたし、帰ろうか? 今なら、僕は魔法が使える。元の国まで一瞬で帰れるよ。――あ、そうか、その前に精霊の聖地に寄らなくちゃな」
「そうだね」
アーサーが答えた。
「故郷へ帰ろう」
三人とも、互いに笑顔をかわした。




